黄巾の乱 其の伍
がやがやと、今までの精鋭っぷりが嘘だったかのような賑やかさを見せる兵士たち。
疲れをふっとばすように、仲間と語り合いながらかんたんな戦場食をとっていた。
その戦前の宴の周りを挨拶しながら回っていると、さすがは精鋭。一人一人が、古傷を見せるように面白い話をしてくれた。
リュウビは、その彼ら一人一人に話しかけるかのようにしながら、俺の隣を歩く。
「いや、なんかこれから戦って感じしないな......」
「なんにでももきつい緊張はいらないからね、こうやって一回気持ちを楽にするんだよ〜。それがならわし」
「へぇ」
リラックスリラックス〜と手をぶらぶらさせるリュウビは、また一人一人、にこやかに挨拶をしていく。
何よりも、リラックス効果のありそうな笑顔じゃねえか。
____俺も見習いたいところである。
ニコニコっ。
「兄ちゃん、なんてんだ......神妙な顔つきになってるぞ?大丈夫か?」←初対面の男
......知ってたさ!知ってたとも!俺に美少女スマイルなんてできやしないことをなっ!
そもそも水属性だから習得できない超爆裂魔法みたいな!ラノベじゃないから発生しないハーレムイベントみたいな!
くっそう、俺も一度はその笑顔でちやほやされてみたいものだ。
◇◇◇◇
そうこうしているうちに、段々と騒々しさが収まってくる。
体から固さを取り除き、しっかりと休める。もちろんと言うべきか、誰一人としてアルコールはとっていない。
俺も寝ようとするのだが、いつ敵が襲ってくるかわからないという思いから、なかなか寝付くことができずにいた。
「そういや、シリューくん見ないな......」
思い返せば、ここに陣をとってから一度も彼を見ていない。
丁度微睡めずにいたので、見回りがてら、テントから出て外を歩いてみることにした。
テントの外は思いの外冷え込んでいて、何か上に羽織ってくればよかったなと思った。
震える体を擦りながら少しばかり歩くと、何故か、段々と視界が悪くなってくる。
暗いせいだとばかり思っていたが、そのおかしさは、明白なものになる。
目の前が、何も見えなくなったのだ。気づくのが遅かった。
目の前だけではない。四方八方、見えるのは黒。黒、というか、何も見えないのだ。
色に表せない、すべての光が遮られた空間が、周りに展開されている。
「なんだよ、これ......」
思わず後ずさる。”見えない”虚無空間で、”やばい何か”にぶつかるんじゃないかという恐怖が、その足取りをさらに重くした。
集団から離れすぎてしまっていた。いや、そういう錯覚を植え付けられた。
戻っても戻っても、もうどこにもつかないような気がして、いよいよ覚悟する。
「_____こいよ。さぁ来てみろや」
自分のものでないような、上ずった声が喉を通りすぎた。
ここまで来たことを後悔する余裕すらない。急な展開に怯える暇も、もうない。
全神経を使い、使い物にならない目の代わりに、嗅覚聴覚触覚をフル稼働させる。
”目が見えないときは、耳が倍働く”と以前聞いたことがあった。
それはどうやら、本当だったらしい。
音が、した。
「ッッ!」
地面を掠めるその超低空斬撃に対して、ただその場で跳ねるだけの行為は、それ見事に命をつないだ。
◇◇◇◇
「全く、なんでボクだけこんな思いをしなくちゃならないんだ」
冷え込む夜道を一人で歩きながらつぶやく。場所はすでにあれから数キロ離れている。
万が一に備えながら、転移と点検を繰り返していた。省エネモードとは言え、しっかり見回りはする。
ボクはそうゆうとこはしっかりしている。
引き受けたものはやり通す。これは当たり前。
りょふのお願いだから渋々受けることにしたが、リュウビとやらの言いなりになるのは、何か癪だった。
どうしてか、あれに敵対心を持ってしまう自分がいる。
「うーん、このあたりまで来れば良しと言われてるんだけど......」
ただ思えば、こうゆう山の中を一人で歩くというのは、倭にいたとき以来だった。
食料採集をしに山へ出発すると言うと、だいたい止める者がいて、渋々屋敷にて暇をする羽目になることもよくあった。
なので、ついつい気持ちが弾んでしまったのだ。
山は好きだし、海も好きだ。自然の中にいると、自分までその大自然に仲間入りしたかのような気持ちになれる。
木々の匂いに、危なく理性を奪われるところだった。
「......なんだ?」
静かだった森が、がさがさと音を立て始める。
すぐに、風や野鳥でないことはわかった。なにか、良くない事が起こると、野生の勘が警告を発している。
その音は段々と近寄ってくる。四方八方から放たれる異様な存在感に、じりじりと後ずさった。
しーん、と、寒気のするほどの静寂が訪れたのは完全に包囲されたとわかった直後だった。
「___ちょっと調子乗りすぎたかな」
刹那。
轟音とともに覆いかぶさる無数の影から、素早い身のこなしでなんとか脱出。追ってくるそれらを目視すると、素早く呼んだ。
「日龍、頼むっ!」
大きな力を感じた瞬間、手のひらに火炎が展開。
その熱を実感すると、
「紅炎」
と、静かに詠唱。
その炎は自然を穢さずに、ただ目標物のみを包んだ。
超高温を発するそれに焼き焦がされた鳥どもは、灰すら残らずに消え去った。
「......はぁ。びっくりしたな、全く。ちょっと調子に乗りすぎたみたいだ......とりあえず、帰って無事を伝えよう」
言い訳を色々考えながら、再び勾玉に触れ、転移を始めようとすると___
「おう、お主かね、わいの妖鳥を焼いたのは」
という、しわがれた声が、背後から聞こえた。
「困ったもんだのう。そうゆうことをされるとわいも少しは寂しくなるんだぞぃ?いやはや、この見た目をしていると、そうゆう感情を抱くことも無いだろうとかいうような、変な誤解もよくされるもんでなあ。困った困った___じゃが、感情の耄碌というのは、本当に厄介なものでね。ああしかし、お主のような若造には、こんな話はまだ早いのう。いやはや___」
「......誰だあんた?」
「おやおや、これは失礼。わいは張曼成と申す者。黄巾賊を率いる大賢良師張角様に仕える老いぼれじゃよ」
黄巾賊___
その単語は、すなわち敵を意味する、至極単純な物だった。
「わかりやすくて良い。つまりあんたは、ボクらの敵ってことだなぁ!」
すぐさま炎を発現。
それをそいつに向かって投げつけた。
「あんたも焦げろ!」
鉄を溶かすのには十分すぎる温度を持った焔が、奴の体を包んだ。
はずなのに___
「ぁかぁっ___」
背後から打ち込まれる、鉄をも砕くような鉄拳に、体をふっ飛ばされる。
ぶつかった木々をことごとくなぎ倒しながら、前方へぶっ飛んだ。
巨木にぶつかって止まったボクへ、素っ頓狂な声が届いた。
「いやはや、またまた妖獣たちを。なんと酷いことを。わいは悲しいぞい」
「ちっ、言ってろっ!」
跳躍。ボクは敵に向かって一直線に突っ込む。
奴の攻撃を見る限り、素手で戦う質なのだろう。
「どっりゃぁぁ!!」
標準の整う距離まで近づいて確実にダメージを入れることができれば、勝機は幾分にもある。
「紅炎ッ!!」
目の前が紅く燃え上がる。
だが、手応えがない。
「いやはや___」
刹那、炎の中から奴の手が現れる。
そのときには遅かった。体は宙に浮いていて、浮遊感と殴打の痛みに吐き気がする。
「なめられたもんじゃの。この老骨、まだまだ体は若造にも劣るまいぞい」
下を見ると、轟々と燃える木々の中から奴が跳んでくる。
躱そうともがくが、この体勢ではその努力すら甲斐が無い。
手足は宙を切るだけで、自分の意思で動くことが許されないのだ。
瞬く間にボクの横へ並んだ奴は、組んだ両拳で森へ叩き落とす。
「ぅうわぁぁッ__」
ゴォと、とてつもない音を生んだその落下は、地面を穿つ。
背中から伝わる衝撃で肺が壊れ、息が詰まる。死戦期呼吸のような浅い短い呼吸でなんとか意識を保ちながら、眼球だけは敵の位置を把握しようと働かせる。
すべての攻撃が水の泡になる理由は何だ?魔法攻撃がいとも簡単に霧散されてしまうのはどうしてだ?
「いつまで寝てるんじゃよっ」
老骨のすさまじい一蹴が、容赦なく地面ごとボクをぶち飛ばす。
ばき、と重い音が脇腹から響いた。
骨、何本か持ってかれたな......
「くほっ、うぶ___おぇ......」
体を走る激痛と、口内にこみ上げる血液の濁流に、悶えることしかできない。
血液が失われていくことで、筋肉が緊張し、痙攣を起こす。
痛くて、辛くて、苦しくて___今のままでは勝ち目など無いことは、誰が見てもわかった。
ただ、これからどれくらい持つかわからない生死の瀬戸際で、勝ちへの最短ルートを通らねばならない中で......
もう何も判断を間違うことのできない所まで来てしまっていた。
脳味噌に足りない血液を送り込み、なんとか”勝ち目”を模索する。
「いやはや、元気じゃのう若者は。わいもかつては英気に満ちていたものよ。今のわいは大賢良師様に認められた頃よりも俊敏に動けなくてね」
そう歩み寄ってくる老骨を睨みつけながら、よろよろと立ち上がる。
その目に、蒼炎を灯して。
「ちょっと遊び過ぎちまったかなァ、老いぼれ」
その体に、太陽流の熱を感じて。