黄巾の乱 其の弐
「___殿、呂布殿!起きてください!」
その日は慌ただしい朝から始まった。
「なんだ?」
と、今日も例外なくのしかかっている誰かさんの足を跳ね除け、意識を覚醒させる。
俺は朝だけは何故か得意で、目覚まし時計なんてものは、物心ついてから少なくとも一度も設定したことがない。
起きた後の不快感も感じることなく、スカぁっと気持ちよく起床ができるのだ!
___と。
「呂布殿、朝早く失礼しました。一度、軍議場へお越しください!大事な話があるということで、趙雲殿が呼んでいます」
使いの者のその声はかなり余裕のない様子で、あわわと焦っていた。
「これはなんかヤバそうだな......おいヒメ、起きろ。___で起きたら苦労しねんだよな」
言わずもがな、こいつは俺の正反対で、朝が超絶弱い。
少しでも寝るのが遅かったら、次の日はその分遅くまで寝る。
ある意味体にサイクルができてしまっているようで、深い眠りについたヒメは、起こすのに技術がいる。
俺は気取った声で___いわゆるイケボを意識して___膝を折り、胸に手を当て諳んじる。
「おっほん。えー、オハヨウゴザイマス、オムカエ二アガリマシタ、オヒメサマ」
よし、かなりいい出来だ。こうすればきっとヒメも___
「お、お、お、お姫様っ!?......おほん、大義であった!きょうもご苦労!......ってりょふぅぅぅぅぅ!?」
「はい。起きましたんで、今行きますって伝えてくれ」
ヒメの起床を確認すると、至って事務的にに使いの者にそう告げる。
すると、
「はっ」
と一礼し、そそくさと去っていった。
「さ、早く起きてくれ。リュウビが呼んでる___どうやら、なにか起こった気色だ」
「う、うん、うむ......もう、キミには困ったものだ」
顔をりんごのように真っ赤に染め、でも、口調だけはいつもの彼女に戻して言う。
口調を戻すって、なんだよな。
そもそもこいつ、時々年齢が五個くらい削ぎ落とされたような話し方になることがある。
そんなヒメに視線をやると、何を思うかどこかそわそわしている様子だった。
「何やってるんだ。早く行くぞ、またシリュー君に槍突っ立てられる」
さすがにゆったりしすぎだ。
「......」
「ヒメ?」
するとヒメは意味ありげに自分の胸を抱きかかえ、いたずらを計る幼子の顔を作って。
「お着替え、するよ?」もじもじ。
うざった___
............おい、ちょっと待て、そんな顔でみるなそこの人。うわ走っていくな。どこに行くんだかわかんないけどやめとけ行かないでくれ___
「誤解なんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
もう届かない手を伸ばし、媚びるように叫ぶしか無かった。
慌ただしい朝に、おびただしい声が、響き渡る。
◇◇◇◇
「遅くなりましたすいません!」
「りょふがボクの着替___うぶっ、すびばせん」
頑として頭を下げないヒメの頭を押さえつけ、部屋に入るなりそう言った。
「良いんだよーりょふくん!さあさあ座りたまえまえ」
とリュウビは返してくれるんだけど......
怖いです。隣の方、怖いです。
「それで。今日急に起こされた理由っていうのは?」
明らかに不機嫌そうに腕を組み、促された席にちょこんと腰掛けるヒメ。
無神経というか、なんというか。この場合助かったけどね。
リュウビの隣のシリューくんは、地図を広げ指差しながら、
「先程一報が。我らリュウビ陣営の荊州西部にて、黄巾賊(黄巾賊)の大反乱が起こったというものでして」
「それでねぇ、せっかくだし、りょふくん行ってくれないかなーって思ったの!もちろん、あたしも行くよぉ」
え!?
「俺!?急にそんな......」
困惑する俺を置いて、ヒメは呑気なことを言う。
「いーですともさ、ボクらに任せなさい。リュウビの助けなんて借りずに守ってみせるぜ」
「あんなーヒメ?俺ら、”モノノ怪”を討伐しにここへ来たんだろ?私情を挟むわけにはいかないんだ。こうしてる間にも何人もの人が___」
「それが......この黄巾賊、どこかおかしいのです」
もったいぶったようにシリューくんは口を挟んだ。
「......え、なんですか?もしかして、本当に妖術使いとかいるみたいな?」
「ええ」
「ははは冗談冗談___いんのかい!?」
「その伝令にによるとねー。『前衛を切り崩し本陣に向かったところ、突如巻き起こった旋風により砂壁で視界を遮断され、晴れたときには___』ってことらしい」
伝令のままの言葉ということだろう。言葉は段々とトーンを落とされ、思わず息を呑む。
でも、それって___
「死人だ出た、ってことだよな?」
「そーなる」
「おいおい......」
術式。
もし仮にそれが妖術の類だったとして、一体どうやって俺らは勝利を収めんというのか。
何も知らない駐屯兵団なら、蟻を潰すより簡単に全滅させることができてしまう。
初めて降り立った地がふと脳裏に浮かんだ。何もかもが”消去”された世界、空間。その悲しみが、またも作られた。
そんな力を持った奴が今回の敵っていうなら。
「ねえキミ。行くの行かないの?」
ヒメが問う。答えはもちろん、
「行く。間違いない、”モノノ怪”だ。相手が”モノノ怪”ってなら、俺らも動かないわけにはいかないだろうしな」
それを聞くや、リュウビは安心に笑顔を湛えて、
「じゃあ出発進行だね!ちょーうん、すぐに玄武隊の戦準備をさせて。りょふくんたちも、戦える準備、しといてねー!」
「承知」「おっす」「あいさー」
そうしてしばらくすると、少し前の騒々しさが嘘だったように、部屋に静けさが落ちる。
それぞれが部屋を発ち、準備に取り掛かる中。
「ぐっすり眠れる日も、しばらくは来ないかもしれませんなー」
とリュウビは天井の絵を見上げ、ひとりでに呟いた。