人中の呂布、馬中の赤兎 其の漆
”ちょーうん”と呼ばれた男性は、見かけ二十代前半ほどの年齢。長い真っ直ぐな髪を、きちんと首後ろで結び、生真面目で物静かであることが見てくれからわかるほど、表情や動作が一つ一つ落ち着いたものだった。
なにより、人に対して非常に礼儀正しく、どのような家で育ったかが想像される。
その男性とリュウビが並び、こちら側には俺、そしてヒメが座っている。ヒメの後ろにはテラがさながらボディガードのように___訂正しよう___もらった菓子を頬張りながら、にこにこと笑顔を作っている。
子供かな!
「『呂布』とはまた興味深いお話ですね」
ごたごたがある程度収まった頃、入室してきた彼は席の配置を組み直し、早々に話を切り出した。
呼び方からして、彼はこの女の子の配下なのだろうけれど。
しかし主が配下を隣に座らせるくらい、この二人の主従関係というのは、簡単に想像できるようなものではないらしい。
しかしそこには、主などという言葉とは程遠く、ぶらんぶらんと呑気に足を振るただの女の子がいた。
「そうなんだよー、そこの男の子」
リュウビは、俺を指差しそう言った。
二人の関係について考えていた俺は、急に場の視線が集まったことで生まれた動揺を、ぽりぽりと頬を掻くことで誤魔化す。
いや怖いです。特にそこの男性の目が怖いです。
(俺の思惑を知らず)真剣な眼差しで見続けた彼は、
「勾がこれほども感じられないとは......君、名前は?」
明らかに年下の、しかも全く関係のない俺に対してまで、まるで洗練されたような態度をとるので、自然と身を引き締めてしまう。
「齋藤りょふです。こう言って良いのかわからないのですが、千八〇〇年後の世界の普通の人間でした」
今は違いますけれど。これだけ時間を遡ってくれば、無論尋常でない人間だろう。
しかし、その時系列の交差に今更驚くような凡人はこの部屋にいないらしく。
「なるほど、体内での流動がまるで見えません。こことは異質の空気を吸って生きてこられたようですね」
カルマ___なんだかな......知らない単語がまた思考を乱した。意味のわからないままでいるのもと思い、その意味を聞こうか聞くまい迷っていると、ふと気づいたように、
「失礼。突飛な発言を耳にした故、少々気がはやっていたようで___趙雲と申します。リュウビ殿に仕える者で御座います。お見知りおきを」
立ち上がり、礼儀作法にどこも反することなく、完璧と言わざる負えないほどの動きで挨拶された。
それは生半可な努力じゃ身に着けられるものではなく______
「ほらほら、りょふくんも顔上げーい!」
自然と、自分まで立ち上がり頭を下げていたことをリュウビのその言葉で気づく。
弾かれたように上半身を起こし、俺がそそくさと席に腰をかけたのを待つと、やがて趙雲も体重を椅子に預けた。
動揺を悟られないよう膝に視線を落とし、話題を転換した。
「えっとそれじゃあ趙雲さん___」
「下の名前、子龍と呼んでもらって構わないですよ」
そこでにこりとはにかんだ。
今まで見せなかった笑顔をすこし浮かべてくれたことで、気持ちがだいぶ和らいだ。
___こうゆう人が笑ってくれたときって、なんだか無性に嬉しいんだよな。
こればかりは人の真似できない特権だ。
話しやすさも得たいところなので、まずは呼び方から、堅苦しさを取り除こう。
「わかりました。じゃあシリューくん、で良いですかね?えっと、さっきのリュウビの話も踏まえると、俺の名前になにか引っかかるようなことがあるみたいですけれど」
すると、「はい」と居住まいを整えたシリューくんは、今まで張っていた背中を、さらに真っ直ぐに伸ばし、
「君の名前___りょふという名前です。とっても良い名だと思います」
「あ、ありがとうございます」
これはまた不意打ちだな。
「君が産まれたのは未来、ということで間違いないですね?」
「は、はい......」
それから質問を重ねるうちに、なんだか取り調べを受けている気持ちになってきた。
間違えたことを言えば何かされてしまいそうな、そんな一触即発の雰囲気に、俺は戸惑いを隠しきれない。
しかし、目の前の、至って真面目ですと主張する顔が、逆に安堵をくれる。
多分これ素なんだよな。
「わかりました。では、最後の確認をさせてください」
と、随分と短い確認作業だったようで、もう最後と来た。
早く終わってほしいという気持ちもあるので、ここは正直にありがたいと言っておこう。
ヒメは___真面目な話に頭を抱え、「うぅ......」と唸り始めてるし。
するとそこで、シリューくんはちらりとリュウビの方に目配せをした。
それは、忠誠を誓い、すべてを委ねることを決めた主に対する目。
こくりと満面の笑みでそれに答えたリュウビは、
「ごめんねー、りょふくん。きっと大丈夫だから!」
とだけ言った。
何が大丈夫なんだろうか。と、思考する暇は、しかし無かった。
___刹那。
シリューくんが目の前から掻き消え、その手にあきらかに殺意のこもった得物を出現させて再び姿を見せる。
その一連の流れは、ヒメが動き出すよりも寸秒速かった。
「________ッ!」
誰のともつかない叫び声が部屋に木霊し。
そして、迫る脅威に俺は抵抗すらできず___
しかし、どれだけ時間が経っても、俺は息をし続けていた。
心臓の鼓動だって止まっていないし、血の流れがあるところで体外に飛び出ていることもない。
やがて思考が意識に追いつくと___
「見事。これが君の本当の力ですよ」
と、ニコリと笑い、まるで何事もなかったような声音でわけのわからないことを言いながら、ゆっくりと槍を下ろすシリューくん。
数秒か、数十秒か、そんな時間を静止とともに過ごした俺は、追いついてくる理解をはやくはやくと手繰り寄せる。
シリューくんが、俺を正面から串刺しにするように繰り出した突きを、俺は地に垂直に突き立てた戟の柄で受け止めていた。
「今のって......!?」
俺を庇おうとして間に合わず、そのまま固まっていたヒメが、言葉を発することによって呪縛から開放されたように脱力した。
それをきっかけに、俺も身体を覆うひどい圧迫感を一気に解き放ち、思考の渦に苛まれながら座り直した。
気づくと、今まで手にしていたはずの長い得物は、どこかに消えてしまっていた。
「俺も、よくわからないんだけれど.......」
そこで、視線をシリューくんに向けた。
役目を終えたと言わんばかりのシリューくんは、目を伏せただそこに居座る。
俺がこの、怒りとも戸惑いともつかない、なんとも言えない感情の行き場を迷子にさせていると、
「りょふくん、まず、この話を聞いてほしーんだ」
と、らしからぬ重い口を開いたのはその隣にちょこんとすわるリュウビだ。
いつもと同じ笑顔なのに___普段のるんるんな雰囲気と全く違う、その場の温度を沈めかえすような言い方に、彼女の秘めた底のない力を感じる。
一つの国をまとめるだけある、一人の領主らしい気迫。
子供だとたかをくくっていると、きっといつか痛い目を見ることになるだろう。
蜀の主であり___そして、龍の主なのだから。
ヒメと俺、そしてテラが聞かされたのは、この国のある伝説についてだった。
___古の者曰く、三国の争いおこるとき、妖なる者共現れり。呂布なるものぞ、其れを鎮めたる。
俺は息を呑んだ。
それはまさに、この時代をそっくりそのまま表していた。
伝説というより、まるで予言のように。
「これが、りょふのことを言っているってことか......?」
抱いた感想を、ヒメが口に出す。
いや、確認のようなものだ。
先刻の出来事やその名前から考えれば、この伝説にある人物がどのような___否、誰なのか、しっかりとわからされてしまう。
「オイオイ、そりゃァほんとかよ。コイツの足手まといのせいで、巫女ちゃん痛い目見てるんだぜ?」
しばらく口をつぐんでいたテラが、訝しげに腕を組み、不満を露わにした。
確かにその通りだ。俺の無力さは誰もが手にとるようにわかるし、なにしろ、俺自身がこの世界から教えてもらったことなのだ。
さっきのはきっとまぐれかなんかで___
しばらく口を閉じていたシリューくんが、再び喋りだしたことで、俺の吟味は停止した。
「それを確かめるための確認を、行わせてもらいました。彼の手に現れたあれ、幻の獅子・方天画戟に相違無い」
「方天画戟って!」
その単語に、全てを理解させてもらった。
色々考えてみれば、趙雲というのは劉備の忠実な臣下だったし、蜀の国をまとめるのは劉備だっていうことも、知りすぎるほど知っていた。
なにより俺の名前___りょふという名前は、この世界では間違いなく『呂布』と重なってしまう。
方天画戟というのは、三国史上最強と謳われた呂布奉先の相棒。槍の刃の左右にそれぞれ、三日月のような形をした刃が一つずつ接合されたような武器だ。
なぜ、三国志を読み漁った俺が、このようなことに理解が及んでいなかったのか___
シリューくんは続ける。
「さらにあの反応速度。失礼なことを申しますが、ヒミコ様に防がれることの無いよう、自分の最高速で参らせていただきました。龍槍の射程も相まって、君に刃が届くのには瞬き一回分も時間を必要としないはず」
なのに、
「君は受け止めた。おそらくあれは無意識の賜物でしょう。現在の時点では、方天画戟の支配力の方が圧倒的に強いため、一時的に君の意識を奪って自身を守ることが可能だった」
説得力満点の言葉に、最初は突っかかり気味だったテラも、もとから分かっていたと言わんばかりに、渋々引き下がった。
残されたのはヒメだけ。
未だに理解が追いつかないらしく、目をくるくるさせてしまっている。
「なんで、急に俺が選ばれたんだ?」
多分、一番わからないのがこれだ。
俺は普通の高校生活をしてたし、特別な人間だったわけではない。
この世界に来ることはまだ偶然として、それで俺が最強だなんて、うまく行き過ぎているのではないか。
さらに、今まで何の前兆がなかったのも不思議だ。
なぜ今になって急に、この力が現れたのか。
「りょふくん、それがね。別に”急”なわけじゃないんだよー!」
とリュウビ。
「りょふくんの力は、ここに来た時点で備わっていなきゃおかしいんだよぉ。さっきちょーうんが言ってたけれど、こことは全く違う空気を吸ってきたわけだからね、もし生身の人間なら、”さんそのうど”の違いで肺が耐えられてないはずなんだよねー!」
いや、そんなに気軽に言うことじゃないぞ。
ていうかそれ......
「ちらり」
「......いや、ボクは悪気があったわけじゃないんだぞ。キミに害があるなんて、考えてもみなかったんだ!」
「それが一番だめだよ!」
胸を張って墓穴を掘るな!
まあこうして俺は生きているわけだし、今回は怒らないでおいてやろう。
「っていうことは、もしかしたら、命に危険が迫って初めてこの力が目覚めたってことなのか?」
「方天画戟、すっごーく気まぐれなんじゃないー?」
「フリーターのスタイル!?」
すでに消え去った戟を握っていた手に視線を落とす。
確かにあったのに、その存在を感じることは無い。
でも、もし本当に、自分のものになってくれるのなら。
もしそれを、俺が操れるようになるのならば。
「俺も、役に立てんのかな......」
この狂った世界に始めて降り立った時、そして旅に出る時。俺は何度もヒメに救われ、支えられてきた。
これからもただ頼り続けることになるのなら___そう考えると自己嫌悪に幾度となく苛まれた。
理由はわからないけれど俺を選び招き、頼ろうとしてくれたヒメの期待を裏切り続けるほどの勇気は俺に無い。
でも、諦められなかった。
ヒメを、リュウビを、モノノ怪に襲われる人たちを、この手で救いたい。
だから。
「結果オーライ、ってことかな!もし俺が本当にこの世界を救う英雄だって言うんなら、精一杯あがかせてもらうぜ」
他力本願でもいい。頼りに頼って、それで誰かを守れるなら___
「良くも悪くもついた運だ。こうなったら、世界でもなんでも、守ってやろうじゃねえか!!」
細かいことは、この際なんでもいい。今後わかってくこともたくさんあるだろうし、やってけばなれるのがソシャゲの掟だ。チュートリアルなんてなくったって、きっと大丈夫!
「りょふくん、こっからよろしくねぇ!」
「ああ、ちょっと時間かかるかもだけど、戦力になれるように頑張るよ」
リュウビはなんの屈託もなく、俺に手を差し出した。
「先程の無礼、どうかお許しを。頼りにさせてもらいますね」
「良いってことですよ!シリューくんにも、色々教わりたいことたくさんありますし、それでおあいこです」
シリューくんが心から申し訳無さそうに深々と頭をさげるので、さっきのもやもやも霧散してしまった。
戦いド素人の俺は、良き師を持ったらしい。
「が、頑張ろうねっ!」←目、キラキラーん。
「素が出てるよ!?何もわかってねえだろお前!適当なこと言うな!」
運動会みたいなノリで応援されても困るわ!
俺の周りには頼れる人ばかり。
だからといって、守られてばっかじゃだめだ。
長い長い異空間猛将ライフが、今宵、幕を開けた。
蜀陣営___ヒミコ、呂布、参戦の報は、瞬く間に広がった。