人中の呂布、馬中の赤兎 其の伍
俺は、温かい布団の中で目を覚ました。
しっかりと陽のもとで干されていたことが、この香りからわかる。
太陽が培う、この独特な匂い。
思わずぎゅぅ、と布団を抱きしめる。
俺の腕の中で溜まっていた空気が抜け、柔らかいそれは形を変えてゆく。
ほとんど自分を抱いているのと同じくらいにそれを縮めた後、
「そういえば」と、思考を開始する。
俺は”モノノ怪”と対峙して、一体撃破。
そのあと___
これ以上は何を思っても無駄だった。
俺はあの後気を失ってしまい、記憶など残っているわけがないのだから。
ただ、
「......ヒメは、きっと無事だよな」
目をつむる寸前__俺の意識が虚無へ移る前、確かに見たものがあった。
地に転がるヒメと、心配そうに駆け寄る影。
敵味方の区別がつかないうちは多少警戒心もあるが、俺がこうして生きていることは、誰かに俺らが助けられたことを示している。
そこまで考えると初めて、身体の力を抜くことができた。
すぐ先程まで”狂気”が目の前にあったことは夢じゃないけれど、今は平和を噛み締めて良いはずだ。
和やかな雰囲気ただようこの館___
厚い掛け布団を、ばふっと潰し、室内を見回した。
俺が寝かされている布団は部屋のど真ん中に置かれている。
枕元には蝋燭が立てられていたらしく、今は固体でなく液体になっている。
そのろうはまだ新しく、今さっき灯火が潰えたことがうかがえる。
天井はかなり高く、堂々たる水龍が美しく大胆に描かれている。
今にも飛び出してきそうなそれは、まるで俺をぎろっと睨んでいるようで___
「汝___劉家の者か」
「見てんだ!?お前ほんとに見てんだ!?」
見てた。ていうか、めっちゃ睨んでる。
いや、睨んでるだけじゃない。
もう躰まで出てるよ。
壁を飛び出し、その蛇のように長い体躯を晒している。
躰中に碧い鋭利な鱗を携えていた。一瞬だけでも触れようもんなら、鉄鉾なんて比じゃないくらいのその鋭さに、指一本たやすく持っていかれそう。
頭からは、木の枝を思わせる図太いツノを生やし、戦線での傷か、ところどころ欠けている。
それが痛そうではないのだ。なんというか、こいつはきっと痛くないだろうな、みたいな偏見だけど。
紺色に近い躰に反して、瞳は赤黒く、ほのかに炎を浮かべている。
もちろんやばすぎる状況であることは実感しているけれど、もう少し描写しておきたい。
長く細い髭が左右に伸び、ゆらゆらと動く。
奥の歯が大きく発達していて、口外で上下に噛み合っている。
手にはお約束の宝珠。願いを叶えるとかいう丸いやつ。
”最強”を模したような龍が、そこにいるのだ。
俺の頭上に、神のように漂い、居座り、化現する。
それこそ空気を乱す存在なのだ。
つまり、結論はこう。
「___こっわぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁ!!!」
「りょふ___ねぇ、オイ!」
「......あ、おはよー」
「おはよーじゃないよおはよーじゃ!急にキミの叫び声が響いて、来てみたら寝てるんだもの!まったく、キミもボクに惚れたかね」
「どこにその要素あったかな!」
いつものヒメの天然ボケでハッとする。
目覚まし時計がボクっ娘ロリっ子だとは、俺も立派な大人になったなぁ___
___立派な大人とは。
「で?キミはなんでこんな所に寝てるのさ」
「え?じゃあヒメはどこで寝てたの?」
「ボクは____隣の部屋......」
「言ってから『あ、しくじった』みたいな顔になるのやめようよ!考えてから喋れよ!」
なんか今日は、ヒメのボケが多い気がする。
意図的じゃないボケが非常に多い。いや、別になんの伏線でもないけれど、こういうたわいのないやりとりが、すっごく楽しいなと思える。
ともあれ、ヒメは案外近い所にいたようだ。
この家の主のはからいか___
「いや、ちょとまて。そういえば、俺は見てしまったんだよ、アレを」
そうだ。俺は見てしまったんだ。
俺たち人間の域を優に凌駕する、超絶伝説生物を。
全身を碧に包んだあの龍を!
「へー。何を見たのさ」
しかし、俺の興奮とは裏腹に、ヒメはあくまで業務的に聞き返してきた。
俺としては、あの振り方をして話し出すほどの事態だったので、少々物寂しい返答だったけれど、でもまだ何を見たのか言ってない。
ふっふっふ、とわざとらしく笑い、普通なら誰もが仰天する話をする。
「実はな___龍が出たんだよ」
「ふーん」
「普通じゃねぇよお前!チクショー!」
なんともまあ冷酷な返事だろう。
見ただけで相手を威殺すようなあの風格に加え突然の出会いに、俺は心底震え上がってしまったのだ。
恐怖心はもちろんあった。未知過ぎる生命体を前にして、畏怖の感情を抱いてしまうのは仕方ない。
だがそれとは裏腹に、興奮もしたのだ。伝説として語られてきた龍が、過去には存在したこと。
そもそも伝説というのは限りなく信憑性の低い事実の集まりであり、その中でたまたま龍は存在したというだけなのだけれど、一男の子としてこれはやばすぎる状況だった。
なんとも豪勢な中国旅!
子供だと笑うなら笑うが良い!
______________
ヒメが、龍について話を始めた。
「龍なんてどこかにはいるさ。知ってたとも。ただ、ボクが知ってるのは太陽龍のみだけど」
「太陽龍___?」
「うん、キミが見たのはおそらく水龍でしょ?水龍、または水神。中国西部に伝わる伝説だ」
「......蜀、辺りってことか?」
調子狂うな、ほんと。
いんのかよ普通に。びっくりして損したわ、なんか恥ずかし。
現在中国は、魏、呉、蜀の三国におおよそ別れている。
おそらくまだ三国は成り立っていないので、あくまで地理的な意味で。
水龍は、別に中国西部固有の伝説ってわけではないから、それは”その本”由来の設定なんだろう。
「そう。多分、魏にいた俺らを誰かが助けてくれて、今は蜀の館につれてこられたってとこかな」
へー。ともあれ、この見た目、壁の材質、広さ。かなり位の高いお家なんだろう。
もしここに住まわせてもらえれば、だいぶ安心なんだけどな。
「龍か、うーむ。ここの家主は、かなりやれる感じだね。龍を従えているってことは、それくらいの力を持ってるってことだもの」
「!?龍を、従える......?」
「あぁ、キミにはまだ話してなかったか!」
そこでニタニタと笑ってくるのがうざったい。
いや、可愛いんだけどね。
しかしなんとも気になる話題なので、ここは機嫌を損ねることのないように。
「ああ、そうだな。かなり気になるところではあるから、その”契約”について教えてもらってもいいか?」
するとヒメは「もちろんだとも!」と表情をぱぁっと明るくする。
話したくてしょうがないんだろう。
はやく話を聞きたいところだが、自然と始まるのを待つことにした。
「こほん」とわざとらしく可愛らしい咳払いをした後、
「龍は主との契約によってのみ、具現化することができる。何かしらの印により選ばれた人間が、御近付きの証として宝物を承るんだ」
「え?でも、さっきの水龍は宝珠持ってたぞ?あれは宝物とは別なのか?」
水龍の場合、宝物といえばきっとあの丸いやつなんだろう。
それが龍の手にあるってことも、あるんだろうか。
「授かった宝物を自分が賜るか、はたまた龍に携帯させるかは人によるらしい。そもそも、宝物にも種類があるんだ。加護を与えてくれるものや、それ自体が使用できるもの」
「つまり、水龍が与える宝物は加護系統なんだな?」
「おそらぁく!」
ぴしっ、と俺に人差し指を突き立てる。
となると、ますます主の顔が見たくなるもんだ。
龍の主っていうのはきっと、男前で、かっこよくて、最強オーラばんばん放っちゃってる人なんだろうな。
一回くらい会ってみたかったんだよ、そうゆう人と。
いやぁ、緊張するなぁ。龍を従えるくらいの人と話すのは、やっぱ不安になるというか___
するとヒメが、なぜかものすごく不思議そうな目で見てくる。
え、もしかしてわからなかった?みたいな目。
「ねえ、なんでそんな緊張してるの?龍を従える者に会うから?」
「いや__うん、まあそりゃ。なんてったって龍だぞ?ドラゴンだぞ?やばいだろ」
くどいようだが、龍を付き人として置くくらいすごいってことだ。
そりゃもちろん、例えば総理大臣に会う以上に緊張するに決まってる。
___でも龍を見た時、なんか既視感あったんだよな。
あまり新鮮ではないと言うか、もちろん心臓が飛び出るほどびっくりしたのは確かだったけれど、でもそれは”龍の姿”に対してだった。
いつもと雰囲気こそ変わらなくて、でもそれはいつも感じていた空気だったのだ。
その人としか行動してなかったから気づけなかったけれど、よく考えたら圧迫感のある空間だったのだ。
住まい続けている我が家の匂いは、自分ではわからないのと一緒で。
つまり、こうだ。
「ボクだって、龍を従える者だよ?」
それと同時に、ヒメの首飾り___勾玉をかたどったそれが、赤い光を帯びる。