前編
運命の言い訳
天川さく
これは何かの罰ゲーム?
まるで彼女はかつてのぼくだ。
そんな自分が嫌でぼくは大学に登校できなくなって、休学して理学部に転部までして気合いを入れ直したくらいなのに。
*
彩先輩がぼくと同じ四年生にまた横入りされていた。
ずっと信太郎先輩の手が空くのを待っていたのに。いいよ大丈夫だよ、って笑顔でゆずって。それを彩先輩やさしいーとかなんとかいって、ちゃっかり言葉に甘える女子たちの厚かましさにも呆れかえるけど。
なんなの、あの人。
なんで怒んないの。
どうすんの。
さっさと信太郎先輩と一緒に実験やらないと、本当に論文が書けないよ?
そもそも信太郎先輩も先輩だよね。
彩先輩の気持ち、わかっているよね。それを? 無視?
いくらおおらかで売っているからってあんまりじゃん?
いやひょっとして本当に気づいていないのか? 馬鹿なのか?
「……あり得るし。冗談にならないし」
首を振って我に返る。熱くなりすぎだ。彩先輩が後回しにされていようがなんだろうが、ぼくにはまったく関係ないわけで。
そもそもぼくはもう、ひと目を気にするとか、自分を後回しにするとか、そういう情は卒業したのだ。
だからぼくは顔をあげて自分の卒論に向かったんだけど。
*
学科の書庫で参考文献を調べていて、愕然とする。
「何このクオリティ。本当に四年生の論文? 博士課程の論文っていっても通じるよ?」
それが、彩先輩の卒論だった。
要旨だけでなく、本文も英語。オリジナルの図表もたっぷり。
四年生でこれだけのデータを出せたなんて、彩先輩はいったいどれだけの研究時間を費やしたんだ? ほぼ徹夜してもぼくが一年でこれを作れる自信はない。
身体が震えた。
動揺しているからかと思ったら、書棚もガタガタと揺れ出した。
地震だ。
そのうち窓まで大きな音を鳴らして揺れ出した。カシャンとトレーか何かが倒れる音が書庫に響く。結構長い。
それでもぼくは彩先輩の卒論をめくる手が止まらない。
丁寧に製本された厚手の紙の上を人差し指で読み進む。
この数値はぼくもよく使う装置で出したんだよね。あの装置でここまでの精度が出せる? どうやって。こっちは? どの装置の実験結果だ?
「佑基」
不意に肩をつかまれた。信太郎先輩だった。
「なんど呼べばわかるんだよ。危ないって」
ああすみません、と答えたのと同時に数冊の要項集が頭に落ちた。いて、とうずくまる。だからいったっしょや、と信太郎先輩が書棚を支える。
「結構でかい地震だかったからな。教授が避難しろってさ。いくべ」
いいつつ信太郎先輩がぼくの手元を見た。先輩の目元がふっとゆるむ。ああ、と先輩の口が動く。
「彩の卒論か。──すごいしょ?」
思わずぼくは信太郎先輩を見あげた。
なんであんたが我がごとのように自慢げ? ひょっとして彩先輩を放置しているのは無自覚じゃなかった? 彼女なら後回しにしても挽回できると買っていたから? ぼくが知らない信頼から?
それでも。