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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

前世闇堕ちした私に、お願いだから今世は近づかないで下さい

作者: 黒井雛

『……やっと。やっとこれで貴方は私のものですね。セルティアス様』


 全身を血で染めた女は、事切れた愛おしい人の体を抱きしめながら微笑んだ。


『愛してます。セルティアス様。――これから黄泉までお供させて頂きます』


 そう言って女は、抱きしめる男の心臓から引き抜いた小刀を自身の首元にあて――


「……っ‼」


 そこで飛び起きた晴香は、慌てて自身の掌を見た。

 先程まで血で染まっていた掌は、滲む汗で濡れているだけだった。

 ただの、夢。

 ただの、いつも見る、悪夢。

 あぁ、それなのに。


「……消えない」


 消えない。消えない。

 愛する人を刺殺した瞬間の感触が、浴びた血の温もりが。

 ようやく愛する人を自分のものに出来たという歓喜の残滓が、晴香の中から消えてくれない。




 幼い頃から繰り返し見る、悪夢。

 恐らく舞台はヨーロッパなのだろうか。詳しいことは晴香にはよく分からない。

 晴香は夢の中で、アンジェという名の女だった。

 貴族に生まれ、世間知らずのお嬢様だったアンジェは、自分の許嫁であるセルティアスを心から愛していた。そしてまた、セルティアスもまた、アンジェを愛してくれていたようだった。

 けれどある日、セルティアスが心変わりをしたという噂をアンジェは聞いた。最初はただの噂だと一蹴していたアンジェだったが、月日が経つうちに胸の奥に膨らんでいく泥ついた疑惑に、徐々に壊れて行った。

 そして、起こった凶行。……噂の相手とセルティアスの密会現場を目撃したアンジェは、その理由を尋ねることもなく護身用の短剣でセルティアスを刺殺し、自害したのだった。

 なんて、酷い話。なんて、おぞましい罪の記憶。

 ……けれども、晴香はそれが、自身の前世の記憶であることを半ば確信していた。

 自分は前世で愛する人を刺殺した罪人だと、生れてからずっと、晴香の奥底に眠るアンジェの欠片が主張している。


(だけど今の私は吉瀬晴香だわ……前世のアンジェだった頃の私とは違う)


 例え前世がどうであっても、それは今世の自分とイコールではない。前世は前世。今世の自分はけしてアンジェのような愚を犯さない。

 例え今世でセルティアスの生まれ変わりの人物と出会うことがあっても、けして近づきはしまい。

 今世で、どこにでもいる平凡な女子高生である吉瀬晴香として、当たり前のどこにでもある穏やかな幸福を手に入れるのだ。前世のことなんて忘れて。


 思い出すな


 忘れろ


 吉瀬晴香とアンジェは違う人物なんだ…!!




 ーーそう、思って、いたのに。


「隣の席だね。吉瀬さん。……嬉しいな。俺、ずっと吉瀬さんと話したかったんだ」


(それなのに……それなのにどうして貴方は私の前にまた、現れたの!?)


 田上章太郎という少年を一目見た瞬間、晴香の中のアンジェが目覚めて暴れ出すのが分かった。

 この人だと。この人がかつて自分が愛した人だと。

 今世でもまた、愛したいと胸の中のアンジェが叫ぶ。

 晴香は必死に溢れ出す想いに蓋をした。


 愛さない。絶対に、章太郎だけは愛してはいけない。

 だってきっと、章太郎を愛したら、自分はまたきっと前世のように愚かな存在になる。

 もしかしたら、また嫉妬のあまり章太郎を殺してしまうかもしれない。

 そんな未来は、絶対に御免だ。

 晴香は章太郎に対して努めて冷たい態度をとるようにした。

 それなのに。


「ねぇ、吉瀬さん、申し訳ないんだけど教科書見せてくれない?忘れちゃってさ」


(やめて、お願い)


「吉瀬さん、吉瀬さ……吉瀬さんって言いづらいな。晴香ちゃんってよんでもいい?」


(お願いだから、近づかないで……私に話掛けないで)


「晴香ちゃん……その日曜日、空いている? 映画のチケットが二枚あるんだけど」


(私に貴方を愛させないで‼)




「――晴香ちゃんて、さ。俺にだけ冷たいよね」


 ぎくりと、晴香の体が硬直した。

 放課後、忘れ物を思いだして取りに戻った教室に章太郎は一人残っていた。

 慌てて忘れ物だけを手にして、教室を出ようとした晴香の手を、章太郎が掴んだ。


「そ、そうかな……そんなつもりはなかったんだけど」


「絶対冷たいよ。デート誘っても、断るしさ」


「あ、あれは用事があったから……」


 真っ直ぐに向けられる視線に耐えきれなくて、晴香は俯いた。

 普段口元に浮かべている笑みを消して、無表情になった章太郎の顔は、セルティアスが真剣な表情でアンジェに愛を囁いた過去を思い出させた。

 蓋をし、鍵を掛けた想いが、溢れ出しそうになるのを必死で抑え込む。


「……やっぱり、まだ怒っているの? でもさ、全部誤解なんだよ。あれは向こうが一方的に迫って来ただけで」


「……なんの話をしているの?」


「え? 覚えてないの?」


 怪訝そうに眉を顰めた晴香に、章太郎は首を捻って、何でもないことのように言い放った。


「俺がセルティアスで、晴香がアンジェだった頃の、話。……ほら、アンジェ、俺の言い分も聞かずに俺のこと刺殺したでしょ? だから、未だ俺が浮気したって思って、俺を避けてたんだと思ったんだけど……違った?」


「……っ、セルティアス様だった頃の記憶があるの!?」


 さぁ、と全身の血の気が引いて行くのが分かった。

 章太郎が、全て覚えていた。

 晴香がアンジェだった頃、章太郎を刺殺した記憶を覚えていて、なおかつ、晴香がアンジェだと確信をしている…!!

 蒼白になる晴香とは裏腹に、章太郎は嬉しそうに微笑んで、晴香を抱き寄せた。


「良かった。やっぱり覚えてた。……ね? これでわかったでしょ? 晴香が俺のことを避ける必要なんかないって。だって俺は晴香がアンジェだった頃から、ずっと晴香一筋だったんだから」


 愛おしげに囁かれる言葉の意味がわからなかった。

 章太郎の考えていることが理解できない。


「私は、貴女を刺殺したのよ…っ?…なのに、なんで…っ‼」


「仕方ないよ。誤解しちゃったんだもんね。あの性悪女、あることないこと周りに言い触らして、さも俺があいつを愛しているかのようにアンジェに思い込ませてさ。……俺がもうちょっと長生き出来たら、ぶっ殺してやったのに。それだけは残念だな」


「なんで、私を恨んでいないの……?」


「恨む? どうして俺がアンジェを恨むの。俺は、アンジェに刺殺された瞬間、嬉しかったよ。小剣一つまともに握ったことがない生粋のお嬢様だったアンジェが、花が枯れるのすら涙を流す程純粋だったアンジェが、俺を愛するがあまり殺人なんて大罪を犯してくれたなんて‼ しかも、俺の後を追ってくれただなんて‼ ますます惚れ直したよ。こんなに愛されている俺って幸せものだって」


 章太郎が紡ぐ言葉は、明らかに異常だった。刺殺された前世を、こんな恍惚の表情で語るなんて、まずありえない。

 だがそれを異常と認識する晴香の脳に反し、胸の中のアンジェは歓喜しているのが分かった。


「おかしい、わ……そんなの。貴方は私を恐れ忌むべきよ…」


「おかしい? おかしくないよ。全然。だって俺達は運命に定められた恋人達だったんだから。だからこそ神様も、悲恋で終わった前世を憐れんで、また俺達をこうして再会させてくれたわけだろう? 前世の記憶付なんて大サービスまでしてくれて、さ。神様が肯定してくれているんだ。何も恐れることなんてない」


「でも…っ私は今世でも、貴方を殺してしまうかもしれないのよ!!」


「それも悪くないさ。だってそれだけ今世も俺のことを愛してくれてるっていうことだろ? だけど今世は、せめて俺の話を聞いてから、刺そうか考えてくれると嬉しいな。やっぱり誤解させたまま死ぬのは嫌だからさ」


「そんなのって……」


「俺はアンジェも、吉瀬晴香も愛しているよ。どんな君だって、君が君でいる限り愛し続けるさ。……晴香は? 晴香は俺のことを前世みたいに愛してくれないの?」


 胸の中のアンジェが広がり、吉瀬晴香を浸食し飲み込んでいくのが分かった。

 過去の自分と、今世の自分。混ざり合って一つになっていく。

 新たな、「吉瀬晴香」が創り出されて、いく。

 晴香の目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。それは一体何の意味の涙だったのだろう。

 失われつつある自身に対する、惜別の涙だったのかもしれない。


「……私も章太郎のことを、愛しているわ」


 そう口にしたのは、アンジェなのか、晴香なのか。それともまた、別の自分なのか。

 分からないままに晴香は微笑むと、そのまま章太郎の胸に身を預けた。


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[良い点] んんんんんんんん!今日も今日とて美味しいヤンデレ頂きましたありがとうございまぁす! [一言] ひよこさん真面目に嫁に来ませんか(真顔)家事全般は私がするので(真顔)働きにも出ますんで(切実…
[一言] ゾクゾクしました。 両想いのヤンデレってやっぱ良いですね。 リアルでもここまで想える相手と出会いたいし、またその相手からここまで想われたい。 そう感じさせてくれる話でした。
[一言] 不思議要素のあるADVのエピローグ的な感じです。 これ単体でも話として成り立たないわけじゃないと思いますが、前世編も含めた連載作品として書けば更に完成度が増すと思います。 折角ランキングに…
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