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異世界の半分はお約束でできている  作者: 倉内義人
第一章
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#031 エナ、謎の少年を語る。その五

2016年5月17日




 彼は今、お風呂に入っています。


 依頼の最中にゆっくり入浴というのは、普段はなかなか無いことですが、今日は思い切って野外入浴を楽しむ事になりました。



 それにしても、お風呂を作った、彼の魔法の手並みはなかなかのものです。


 詠唱もずいぶん省略されていますし、精度や密度も、昨日今日で魔法を覚えたレベルを超越しています。


 やはり戦闘術と同様、記憶を喪失しても、体が覚えているということなのでしょうか。



「どうしたぃ。元気無ぇじゃねーか。

「折角のピクニックなのによ」


 元気が無かったでしょうか。



 正直に言えば、食事の時に生まれたモヤモヤした気持ちが晴れないのです。


 戦闘中は、忘れていられましたが、任務が終わるとまた思い出してしまいました。



「ピクニックではなく任務ですよ」


「……エルダは元気だったか」


「ええ」


「なんだかな。

「本当なら俺が迎えに行けばいいんだが、つい色々理由をつけて後回しにしちまう。

「信用し過ぎなんだよな」


「信用?」


「エルダなら一人で依頼を受けても死なないだろうとか。

「一人でも、元気で暮らしてるだろうとか。

「しばらく会わなくても平気だろうとか。

「今度会うときには、いつも通りに戻ってるだろうとか。

「そういう信用つーか、信頼みてーな」


 私は、今朝のエルダさんを思い出します。


 エルダさんはあんなに寂しそうにしていました。


 そんなのは、間違っていると思います。


 けれど、そう言うことは私にはできなませんでした。



「エルダさんは、少し寂しそうだったと思いますよ」


「そうだろうな。

「それもわかってんだ」



 その言葉に、私は苛立ちを覚えます。



「では、なぜ迎えに行かないのです?」


 私はそれを言ってしまってから、踏み込むべきでは無かったと、少し後悔をしました。


 ドルフさんは、それほど気にした風もなく答えます。



「あいつに言われてちょっと考えてみたら、急に怖くなっちまってなぁ」


 ドルフさんは頭を掻きながら、困ったように笑いました。




 私は、入浴しながらドルフさんの言葉を反芻します。


「自分の信頼が、相手にどれだけの負担を与えているのか。

「勝手に色々押しつけといて、後回しにしておいて、それを信頼と言って。

「あいつは、そんな俺と一緒に居たいと思っているんだろうか。

「そういうのが辛くて、でも俺からの信用を裏切れなくて、それが辛いから度々出て行くんじゃないだろうか」


 ドルフさんは、「嬢ちゃんにいうことじゃなかったな」と言って、採掘道に入って行ってしまいました。



 湯船から空を見あげれば、満点の星が広がっています。


「確かにこれは、無理してでも入る価値がありますね」



 さっきの話は、踏み込み過ぎていた。私はそう、反省します。


 ドルフさんの言いたくないと思っていたことを言わせてしまった申し訳なさを痛感します。



 けれど、きっと、私にとっては重要な意味がある話しだったのです。


 私は、ドルフさんやエルダさんのように人を想えない。


 それが、わかってしまいました。



 もちろん、彼らは付き合いが長い夫婦ですから、私が同じ境地に立とうなど、十年早いのはわかっています。


 けれど、私は自覚をしてしまいました。



 私は、彼に嫉妬をしています。


 それはきっと、初めて会った時から。



 私のそれとは違う綺麗な黒髪が。


 子供の用に純粋無垢な瞳が。


 多くの人を惹きつける魅力が。


 周りから向けられる期待が。


 その期待に応える能力が。


 私の今までの研鑽を越える才能が。


 冒険者の仕事に対する真摯さが。


 不意に出す、驚くべき結果が。


 支部長とやりあえるだけの胆力が。



 そういう彼の魅力のすべてに嫉妬して、憧れて、見惚れて、欲して、私は彼を独り占めにしたいのです。



 そんな私は、彼を好いていると言っていいのでしょうか。


 ドルフさんとエルダさんのような愛し合う関係になれるでしょうか。



 ドルフさんは、自分の信用が一方的であるかのように言っていたけれど、そんなことは無いと思います。


 エルダさんだって、いつもドルフさんを信頼して、信用して、期待を寄せているのを感じます。


 そしてドルフさんは、それに立派に答えていますし、エルダさんも立派に答えているはずです。


 けれどエルダさんは、自分がドルフさんの期待に応えられているか、時々不安になるのでしょう。


 それで、家出をすることで、ドルフさんと、ドルフさんとの間にある絆の強さを試しているだけなのだと思います。



 だから、エルダさんはもう家出をしないでしょう。


 もう、ドルフさんは想いをちゃんと伝えられるのですから。


 客観的に見て、あのお二人はうらやましいほど仲睦まじいご夫婦です。


 どんなことが起こってもきっと乗り越えていくでしょう。



 対して私は、どうでしょうか。


 浴槽の水面の水を掌で掬います。


 水に映る自分は、何とも情けない顔をしていますね。



 今思えば、あのお弁当は、彼に一矢報いるための方法でした。


 彼に試験の名目で決闘を挑んだのも、スキルの説明をしたのも、ギルド入会時の説明を省いたのも。


 本当は、彼のためのものでは無かったように、今となっては思います。



 私は、卑怯者です。


 彼を一目見た瞬間に、好きになって、同時にコンプレックスを強く感じました。


 そして、世話をする振りをして、彼を手助けすることで優越感に浸っていたのです。



 さらに卑劣なことに、彼が私に好意を抱いているのを感じ取って、その気持ちを利用し始めました。


 担当職員として縛り付け、彼が他の職員と関わりを持たないように動きました。



 私が、応接室で嫌味を言われて、なぜあんなに恐ろしかったのか、今になればわかります。


 優越感を満たすために、ギルドに情報を流すような、卑怯者だと彼に指摘されるのが怖かったのです。



 ヒーリカは言いました。


「恋する乙女は、寝る前にベッドの上であれこれ妄想を繰り広げる」と。


 私は、どうでしたか?


 いつも通りに眠り、朝起きて、素知らぬ顔でお弁当を作りました。


 それが、お世話になった方の助力まで賜ってやることでしょうか。



 私は、なんと無様でおぞましいのでしょう。


 恨めしさと愛しさを一緒くたにして、あまつさえ彼の好意につけこんで縛り付けるなど。


 気付かぬ振りをして、ドロドロした醜い感情を愛情だと思い込むなど。



 ……こんな、私が彼の隣に居ていい訳があるでしょうか。



 私は、湯船に口まで浸かり、プクプクと泡を出します。



 けれど、私は、それがわかっても、それほど大きなショックを受けていません。


 なぜなら、この感情は、今まで言葉にしてこ来なかっただけで、ずっと私の中にあったものですから。


 その存在など、私はとっくに知っていて、見て見ぬ振りをしながらも、確かに見ていたのですから。



 だけど、私はもう、それを無視できなくなりました。


 これがきっと、私の恋心なのだと知ったから。


 卑怯も、卑劣も、劣等感も、優越感も、嫉妬も、憧れも、独占欲も、無様さも、おぞましさも、恨めしさも、醜さも。



 その全ては、彼の隣に居たいという思いから生まれたものです。


 隣に居られる自分になりたい。


 どんなに汚くても捨てられなかったものなのです。



 ドルフさんは言いました。『信頼しているから、後回しにしてしまう』と。



 それなら、私は彼を信用していないのでしょう。


 いつ私に興味が失せて、他の人に好意を向けるか気が気じゃないのでしょう。


 私より強く、賢く、美しい人など、星の数ほどいるのです。


 私はコンプレックスの塊で、技も心も弱いまま。


 子供の時から、ずっと変わらずに、です。



 今までの私なら、すぐに距離を置いたはずなのです。


 私には過ぎた人だ。


 釣り合わない、高望みの人だ。


 そう思えばこそ、離れたはずです。



 けれど、私は、彼の隣にずっと居たい。


 そう思ってしまうのです。



 信用が距離を遠ざけるのならば、信用なんていりません。


 信頼で後回しになるのならば、信頼もいりません。


 彼がほんの少し向けてくれた好意につけこんででも、卑怯であろうとも、弱かろうとも。


 エルダさんのように美しくなくとも、ドルフさんのように正しくなくとも。



 私は、私の持っているすべてで、彼に恋をしました。



 それが、今日、確かにわかったことです。


 私は立ち上がり、浴槽を出ます。


 熱を持った体を、夜風が過ぎ去っていきますが、どうやら冷ますには至らないようです。



 私は、今日、彼に想いを告げましょう。



 私は一人、彼の元へ向かいます。



 ……いざ、言おうと思うとなかなか思い切れないものなのですね。


 顔が、熱い。



 私は、お風呂で用意してきた言葉を使って、お互いの距離を詰めるように仕向けます。


 これぞ、卑怯者の所業です。


「んっ」


 髪に触れられ、少し声が出てしまいました。


 誰かに撫でられるなんてどれくらいぶりでしょう。


 恥かしさと、気持ちよさで気を失いそうですが、何とかこらえまふ。堪えます!



「エナさんは頭からも魔法を使えるんですか?」


「……は?」


「いえ、なんでも」


「……あなたは、おかしなことを言いすぎです」


 彼はたまにおかしなことを言いますね。



 おかげですこし冷静になれた気がします。



「あの……」


 私は、満を持して立ち上がります。


 彼は、岩に腰を掛けているので、私の胸元くらいの高さです。


 このまま、抱きしめたくなるのを私は必死に堪えます。


 なんですか!その上目遣いは!



 視線を逸らして髪を見れば、わずかながら湿っている様子。


 私はつい、彼の髪に手を伸ばし、触れてしまいます。


 今まであこがれ続けた黒髪です。



 はて?何でしょう、嫌な気配を感じて、つい手に力が籠ってしまいました。


 私の髪をサラサラとか言いますが、あなたの髪もサラサラじゃないですか。


 本当に腹の立つ人です。


 まぁ、そう言いながらも、頬が緩むのが止められませんけれども。


 念の為《灯火》を暗めにしておいたので、バレないでしょう。



 彼が私の髪に触れます。


「エナさんの髪は綺麗ですよ。

「ミルクチョコレートみたいだって思います。

「それで、すごく似合ってます」



 私は、彼のこういうところが、大嫌いなのです。


 私以外にも、彼は絶対こういうことを言うでしょうから。


 そしてそれは、嘘でもお世辞でもないことが、みんなわかってしまうのです。


 実際、言われた私は、すでに『本当に嫌いだったコンプレックスの部分だけれど、彼が好いてくれるならいいかも知れない』などと、腑抜けた考えになってしまっています。


 自分の髪はチョコレート色なのかもしれないと思い始めている自分が本当に恥かしいです。



 本当に、本当に、大嫌いで、……大好き、です。



 はっ!今、キ、キ、キ、キスしそうになりました!


 危ない!



 不意にドルフさんの気配を感じてとっさに身をかわします。


 ドルフさんが来てくれなかったら、本当に致してしまうところでした。


 告白もしないで行為に及ぶなんて、破廉恥極まりないです。



 私は、冷静さを取り戻します。


 おや、何やらドルフさんが地面をゴロゴロと転がりながら苦しんでいますね。



 ……んっ。





 気が付くと、私は自分の寝床に居ました。


 え?あれ?記憶がありません。



 私は、そっと自分の唇に触れます。


 感触が確かに残っています。


 短かったけれどあれは確かに……



 ひーーーーー!!


 恥かしい!恥かしい!


 なんであんなことに?


 なんであんなことを?



 え。私は彼のことが好きですが、彼はどうなんでしょう?


 いや、私が誰かに好かれるなんて、多少好意があっても、行為に至るほどまでは。


 でも、実際行為に。キスされ…て…ひーーー!


 恥かしい!恥かしい!



 いえ、でもあそこまで迫られれば、慣れた人ならキス位するでしょうか。


 迫られればもなにも、迫ったのは私ではないですか!


 それに、慣れた人!?慣れた人って!?


 彼は、そういうの慣れているんですか!?



 彼はまだ、幼い感じですが、実際は十四歳ですし、見た目かわいらしいですから、引く手数多かもしれません。


 いえ、ですが彼は記憶喪失でまだこの街に来て数日。


 その間に……?


 いえ、かなり忙しそうにしていたはずですし。


 そうなると記憶喪失というのがそもそも……?


 そう言う弱みを見せて女性を落とすナンパ師だった!?


 冷静になるのですエナ。それはあまりに非現実的で……



 この日、私はヒーリカの言う、眠れぬ夜というのを人生で初めて過ごすことになります。


 朝になっても体が重いです。


 惚れた腫れたは任務中にするべきではありませんね。


 ギルドに戻ったら、徹底させるようにしましょう。



 むむむ。眠いです……。


2016年5月17日

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