#026 露天風呂とロマンス
2016年5月7日
「今日は風呂を入れるか」
おっちゃんが急にそんなことを言い出した。
エナさんが居るから気使いだろうか。
「いや《浄化》したから良くないですか?」
「私も、特に気遣い頂く必要はありませんが」
エナさんだって、こんな男所帯で風呂に入るのは、逆に気を使うのではないだろうか。
「バッカお前ら。
「森が静かな時しか露天風呂は入れねぇぞ。
「冒険者の立ち入りも制限されてて、魔物も獣もほとんど居ねぇ。
「ここで、風呂に入らなきゃ冒険者失格だぜ」
おっちゃんがずいぶん強硬に主張するので、三人連れだって浴室の建設予定地へ。
風呂を入れるって、浴室作りからかよ。
風呂の用水は魔法で行うが、排水は川へ。
というわけで、川の近くに《形成》で囲いと浴槽を。水魔法と火魔法の併用でお湯を作ることに。
湯船を設置するために一メートルくらいの台を作り、階段を取りつける。
排水を考えれば、川の水面より高い位置に湯船を作らなければならない。
おっちゃんとエナさんの二人は、僕の作業を見守るばかりで手は一切出さない。
魔法や魔術は使えば使うほどうまくなるので、この場は一番の素人である僕に任せるそうだ。
じゃあ、何しに来たのかと問いたいが、どうやら風呂の設計については口を出すらしかった。
「もうちょい岩を積んで高く。
「んで、足を伸ばせるくらい広くだ」
まぁ、おっちゃんの足は短いので、それ程拡張しなくていいか。
「もう少し、広くお願いします」
「……いえっさー」
僕は、土魔法で岩ぐらいの硬度にした礫を積んでいく。
気分は賽の河原である。
僕が、何をした。
それから、その石をコンクリのような粒子の細かい泥で固めて、《形成》をかける。
念の為、内側十センチくらいはコンクリで作る。
長く使うものではないし、水が漏れなければ大丈夫だろう。
それから、お湯を入れて、温度をみる。
ちょっと熱めにして完成だ。
結構立派なのができました。
おっちゃんは、コンコンと浴槽を小突き、「まぁまぁだな」と言った。
そうだろう、そうだろう。
その後、おっちゃんは手早く囲いを作った。
囲いが壊れると大変だから、そこはおっちゃんに任せる。
流石手慣れたもので、魔法で出した木材なんかを上手く使って立派なものができる。
ドアは無いが、壁は内と外で一枚ずつ作って、外の入口と次の入口は別な面にある。
外から入口を覗いても見えるのは二層目の壁だ。
シンプルなのにどこか趣があるおっちゃんの作品を見ると、僕の浴槽は負けている気がする。
とはいえ、木材を生み出すのは《中級魔法》の《木属性》が必要なので、僕にはできない。
ポイントを振ればできるが。
とにかく、簡易と言うには些か立派な、簡易露店風呂が完成した。
浴槽を作ったご褒美ということで、僕が一番風呂を頂くことに。
いや、でもこういう場合の一番風呂って全然ゆっくりできないじゃないか。
待ってる人が居るんだし。
まぁ、そんなに長風呂するタイプでもないので、特に文句は言わないけれど。
いそいそと脱衣を済ませ、再度《浄化》を自分の体にかける。
風呂作りでかいた汗や土の汚れはこれできれいになる。
あとは風呂を楽しむだけだ。
「あ゛ー。沁みるー」
これは確かに気持ちがいい。
お湯の温度は、少し熱めだが、外気が冷たいので丁度良く感じる。
「うわー」
僕は、不意に夜空を見上げて、同時に感嘆の声を漏らした。
満点の星空が視界いっぱいに広がっている。
これは、おっちゃんが入浴を強硬に主張した理由がわかるというものだ。
この世界では、風呂を入れるのは難しくない。
自分が魔法を使えなくても、鉱山から採掘できる「魔鉱石」の赤色と青色を使えば、誰でもお湯を入れられる。
おっちゃんの家にも風呂はあるし、エナさんの住む寮は共通の大浴場だと言っていたがやっぱり風呂はある。
そういう文化なのだ。
別に《浄化》を使っておけば衛生的には問題が無いとされるこの世界で、それでもなお風呂に入るというのだから、この世界の住人は前世の世界の住人より風呂が好きなのかもしれない。
「そろそろ上がろうかな」
ずいぶんリラックスできた気がする。
タオルが無いので、《送風》の魔術で体を乾かす。
入浴には《初級魔術》の便利さが詰まっているなぁ。
僕と入れ替わりにエナさんが入る。
が、その時のことは割愛。
近くで周囲の見張りをしたり、覗きの為に画策したというような事実は無い。
「おう。どうだった」
「最高でした」
「そうだろ、そうだろ」
おっちゃんがニッと笑う。
最後に入って存分に堪能するつもりなのだろう。
ずいぶん機嫌がいい。
「今日は見張りはどうしますか?」
「いらんだろう。俺が風呂上りに罠設置するから、それで十分だ」
採掘道への入口は今回も一つ。
そこさえ注意して封じておけば、特に問題が無い。
ただ、今回は外に風呂があるので、おっちゃんが入浴を終えるまでは罠を設置できない。
というわけで、僕はおっちゃんが罠を設置するまでは、出入り口を警戒する。
まさか、ここまで計算して入浴順番を決めていたとは。
僕は、諦めて入口脇の手ごろなサイズの岩に腰を掛けた。
おっちゃんがくれた剣が岩に引っかかってちょっと据わりが悪い。
仕方ないので、剣を抜いて、眺めることにする。
黒い刀身が夜の闇に同化して鈍く光る。
今後は、木剣と違ってしっかり手入れしないといけないなと思う。
汚れを落として油を塗り替えればいいそうだ。
研ぐとかそういうのは、職人に任せればいい。
どこかで油と布を調達しよう。
「ずいぶん物騒ですね。何か現れましたか?」
そんなことを考えていると、声がかかる。
言うまでもなく、声の主は湯上りのエナさんだ。
僕は、剣を鞘に納める。
「いいえ、せっかくドルフさんがくれた剣なので、手入れをしっかりして大事にしないとな。と、思っていました」
「そうですか、手入れ用の油は販売していますが、《毒霧》で精製した油でもいいそうですよ」
なるほど、確かに錆びとりの油を飲んだら体には毒だろうな。
本当便利な魔術である。
エナさんは《灯火》を浮かべて、僕の足元に腰を下ろした。
岩を背もたれにしている。
エナさんからは入浴後のいい香りがしているせいで僕は内心穏やかではないが、表に出さないように頑張っていた。
「あの……髪を乾かすのを手伝ってもらえますか」
「……はい?」
ごめん。意味がちょっと解らない。
「《送風》はあまり強くすると髪が傷むので、髪を乾かすのに時間がかかるんです。
「けれど、今日は野営ですのでしっかり乾かさないといけません。
「本当なら、他の女性に手伝ってもらうのですが、今日は誰もいません。
「ですので、効率よく乾かすには、あなたに手伝っていただく他ないのです」
事前に原稿を書いてきたような、立て板に水の言い様だ。
しかし、主張はいちいち最もだ。
エナさんが風をひいても良くないし、協力するのが筋だろう。
「えっと、どうすれば……?」
僕はエナさんに言われるがままに背後に回り、その髪に手櫛をかける。
うわ、サラサラだ。
手の全体から温かい風を送り出す。
イメージはドライヤーの弱風だ。
マイナスイオンも出ていればいいけれど。
「んっ」
「熱いですか?引っ張りすぎてます?」
「いえ。問題ありません」
「そうですか?その割には体が強張っているような」
肩がキュッと上がっている気がする。
「気のせいです」
「あ、はい」
取りつく島も無い。
まぁ、何かあれば言ってくれるだろう。
明日になってエナさんの髪がアフロみたいになってたらどうしよう。
というか、さっきから僕ばかりが頭に触れていてエナさんは何もしてないように見える。気のせいだろうか?
エナさんくらいの使い手になれば、地肌からも魔法が行使できるとか?
「エナさんは頭からも魔法を使えるんですか?」
「……は?」
あ、怒ってる。
怒髪天を衝いている。
ほとんど頭から魔法が出ているのと変わらない気がするけれど、決して言えない。
「いえ、なんでも」
「……あなたは、おかしなことを言いすぎです」
「はい。すみません」
僕はつい笑ってしまう。
エナさんからは見えていないだろうけれど。
僕がこの世界に来て、まだ五日しか経っていないけれど、その密度は濃い。
おっちゃんと出会い、森を抜けて、おいしいものを食べて、廊下で寝て、ちょっとでかい猪を狩って、また森に戻ってきた。
そんな毎日の中でも、エナさんとの出会いはかなりの衝撃だったと言えるだろう。
冒険者ギルドで初めて声をかけられた時の不審者を探るような目。
親切に対応してくれるかと思えば、試験の名を借りた決闘。
周囲への毒舌と下着の開帳も顧みず、貪欲に勝ちに行く姿勢。
おいしそうに沢山食べる所。
警戒心が強いように見えて、でも僕の前でうたた寝しちゃう所。
冷静かと思うと意外と怒りっぽくて、その怒り方がかわいい所。
効率を重視して、僕に髪を触らせる所なんかも、警戒心に隙があるよなぁ。
エナさんの髪がサラリと僕の手を離れる。
「あの……」
エナさんがちょっと上目づかいに僕を見る。
っと、しまった。撫でまわし過ぎたか。
「ごめんなさい。ちょっと手触りが癖になってしまったみたいです。
「エナさんの髪ってサラサラですね」
ちょっと睨まれた。
正直に言っただけのつもりだったんだけれど、無神経だったかもしれない。反省。
エナさんがスッと立ち上がる。
僕は、身構えるということも無く、ただエナさんを見ていた。
満点の星空を背景に、今度は僕がエナさんを見上げるような体制になる。
スッとエナさんが右手を伸ばす。
そのまま、僕の髪に触れる。
僕はちょっとくすぐったく感じて、身を竦めた。
「あなたもまだ、髪が湿っていますね」
僕が今までやっていたように、手櫛で髪を乾かしてくれているようだ。
ずっと、エナさんを見つめているのも居心地が悪くて、胸元まで目線を下げる。
あぁ、落ち着く。
そう思った瞬間、髪を引っ張られる。痛い!
何か自分の胸部に感じた目線に思うところがあったようだが、決して他意はない。
とはいえ、弁明するわけにもいかず、為されるがままだ。
「私は、自分の髪が好きじゃありません。
「鉄さびの色みたいで恥ずかしいと思っていました。
「あなたの髪の方が黒いし……綺麗です」
エナさんはそう言って僕の髪を撫でる。
そうなのか。誰かに髪色について揶揄されたことがあるのだろうか。
僕はすごく綺麗だと思っているのだけど。
その気持ちを伝えたい一心で、エナさんの髪に手を伸ばす。
触れると、エナさんと目が合ってしまい、ドキリとする。
これでは、まるで……
「エナさんの髪は綺麗ですよ。
「ミルクチョコレートみたいだって思います。
「それで、すごく似合ってます」
自分が嫌っているものを褒められても微妙かも知れないけれど、思ったことを伝えたいと思った。
僕たちが無言になると、森は本当に静寂に包まれる。
世界に、他に誰もいないような錯覚が起こって、何も言えなくなる。
「……」
「エナさん?」
ん?なんか顔が近……
「いやーいい風呂だった!お前さんなかなかうまく作ったなぁ!壊すのがもったいねぇぜ」
はい。おっちゃん登場。
エナさんを見れば、すでに何事も無かったかのように背を向けている。
あぁ、うん。これもまたお約束だよね。
僕はおっちゃんに《毒霧》を使って目つぶしをかける。
「ぐわ、何しやがる!痛てぇ!」
僕はエナさんを引き寄せて、そっと触れるキスをする。
エナさんの方が背が高いので、僕が背伸びをする形になるのが恥ずかしい。
僕が背伸びをやめて顔を離すと、エナさんはキョトンとした後、一瞬で顔を赤くした。
そして、採掘道の奥に逃げて行った。
えー。
おっちゃんは、まだその辺をごろごろとのたうちまわっている。
さりげなく辛い成分を手にも付着させたので、触れば触るほど被害が拡大するだろう。
僕は、おっちゃんを置いて、採掘道へ入る。
幸いにも、エナさんの寝床は違う部屋だ。
僕だって、決して通常通りというわけには行かないし、一晩距離を置こう。
寝て起きたら、意外とケロっとしている可能性はある。
僕は、寝床に入り、しばらく悶絶。
結局、眠れない夜を過ごすのだった。
2016年5月7日




