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その9 力における『本物』と『偽物』について

 とある作品の感想欄にこんな記載があった。

 よくある『異世界転移』、普通の男子学生が『チート』で無敵になって自由気ままに生活する、なんてお話だったのだが、


「借り物の力で調子に乗り過ぎ。そんな偽物の強さで偉そうにされてもまるで共感できない」


 このように、主人公に対して嫌悪感を持つような感想がいくつか見られていた。

 おそらく『テンプレ』かつ『チート』の作品において、こういったご指摘は少なくないし、そもそも『チート』が嫌いな方の共通認識として、近いような意識があるのではないだろうか。私とて本考察に「作者はチート嫌い」なんてタグを付けているくらいだ。思うところもある。

 この感想に(のっと)って考えるのであれば、力には『偽物』があれば『本物』があるわけだし、『借り物』があれば『自分の物』もあるわけだ。

そりゃあ同じ物なら『本物』の方がいいだろうし、『借り物』よりは『自分の物』の方がいいだろう。

 ただ……『本物』と『偽物』の力とは、いったいどこで線引きされているのか。

 また、絶対に『偽物』ではダメなのだろうか。

 そういうことで、今回のお題はこちら。

 

 ――『本物』の強さって、何ですか?





 では、今回もいくつか例を並べてみよう。


1. 子供のころから毎日水泳の練習を頑張って、五輪(オリンピック)で金メダルを取った。

2. 生まれながらに常人にはない超能力を持っていた。

3. 何の力も持たない状態で異世界にやってきた上、魔物だらけの洞窟の中でスタート。生きるために必死に魔物を倒し、洞窟を出るころには最強に。

4. 普通の男子高校生が、神様からチートをもらって全知全能の力を手にした。

5. 何の力も持たない状態で異世界にやってきたが、偶然出会ったボーナスキャラ(○ぐれメタルのようなもの?)を倒すと、一気にレベル99まで上がって最強に。

6. とある洞窟の奥深くに眠っていた聖剣を抜いた瞬間、すべてのステータスが急上昇した。



 1番は間違いなく『本物』だろう。これを『偽物』呼ばわりは悲しすぎる。

 2番は『才能』とも言えるカテゴリだ。『本物』と言っていいと思われる。

 3番も『本物』と判断できる。死にもの狂いで身に付けた力だ、『偽物』とは呼びづらい。

 4番は典型的な『偽物』だろう。神様からぽんと渡されるような力ということは、ひょいと取り外すこともできてしまいそうだ。『借り物』という定義にも当てはまる。

 5番。少し判断に迷うが、『偽物』と言うべきだろうか。

 6番。『偽物』よりは『借り物』に近い。聖剣を持って強くなるということは、手放せば(、、、、)弱くなるわけだし。


 ざっと線引きをしてみたのだが……書きながら、少しばかり違和感を覚えていた。

 おそらくだが、この線引き。「それは違うだろう」とお思いになった方も多いのではないだろうか。

 解釈によっては、この判断をすべて逆転させることだってできるのだ。


 1番が、もし『水泳が上手くなる力』を神様が与えているのだとしたら?

 2番とて、自覚がないだけで転生時に神に与えられた『チート』ともとれてしまう。

 3番も、「魔物を倒すだけで強くなる」というロジックを疑い出すと、『本物』と断言できなくなる。

 4番は、その力をうまく使いこなしているのであれば、そのキャラ自身の物だと言えなくもない。

 5番も、「運も実力の内」と言われればそこまでだ。ラッキーと言う名の『本物』と化す。

 6番も、「聖剣を手にできるだけの力を身に付けている」という方向性で考えれば『本物』と言い表せそうなものだ。


 要するに、完全にこれ! と決まった『本物』と『偽物』の判断などできないということだ。

 ……どうしよう、いとも簡単に結論が出てしまった。

 それでは今回の考察はここまで…………すいません、嘘です。


 この考察をするにあたって、実はとても肝心な要素が抜けていたのだ。

 それは、「そのキャラ自身が、力とどう向き合っているのか」だ。





 その3の考察において、「ベテランは自分の力に誇りを持っている」という見解があったのを覚えているだろうか。

 『力』と『誇り(プライド)』というのは、なかなか切り離すことができない概念だ。

 誇りがある力と言うものは、(どう評価されるかはともかく)胸を張って語ることができる。

 「この剣は○○って強い魔物を倒してゲットしたんだぜ」「この魔法は、王国に攻めてきた魔物の群れを一撃で全滅させた、私だけのオリジナルなんですよ」など、自分の力に誇りがあるキャラであれば、こんな武勇伝がいくらでも出てきそうなものである。


 が、典型的な『チート』キャラは、こういったことをまずしない。

 考えてもみよう。

 「すごいだろこの力、神様からいきなりプレゼントされたんだぜ!」なんて声高(こわだか)に自慢することができるだろうか?

 色々な反応が返ってきそうなものだが、最終的には、


 ――でも、それってお前がすごいわけじゃないよね?


 という至極もっともなツッコミが出てくるだろう。

 要するに、「パパに買ってもらったおもちゃカッコいいだろー、すごいだろー」などと言う、某国民的アニメのお金持ちの息子みたいな言動になってしまうわけだ(なお、私は○ネ夫のような悪知恵が回るキャラは嫌いじゃないです)。





 少し、考え方を変えてみよう。

 さっきの自慢するベテランの台詞だが、はて、いったい「どこを自慢したかったのか」?

 「この剣は○○って強い魔物を倒してゲットしたんだぜ」の場合、そのキャラが自慢したいのは「この剣をゲットした」ことではなく、「○○って強い魔物を倒した」という『過程』だ。

 俺はこの剣をゲットするためにこんなに強い敵を倒したんだ、どうだすごいだろう――彼の内心はこんなところだろう。


 「この魔法は、王国に攻めてきた魔物の群れを一撃で全滅させた、私だけのオリジナルなんですよ」の場合、「私だけのオリジナル」である点を自慢したいのではなく、この魔法に「王国に攻めてきた魔物の群れを一撃で全滅させた」という『実積』を強調したいのである。

 魔物の群れを一撃で全滅させる魔法。どう、私ってこんなに強いのよ――彼女の内心はこんなところだろう。


 2つに共通する点としては、「力そのものは自慢していない」ということだ。

 よくよく考えてみれば当たり前のことで、「わーこの剣すごーい」「この魔法すごーい」と、その力だけが褒め称えられ、肝心のキャラが置いてきぼりを食らってどうするのだ。

 「この剣をゲットできるほどのことをしたあなたはすごい」「そんな強力な魔法を作り出したあなたはすごい」という回答を得なければ成立しないはずなのだ。


 その力を得るまでの『過程』。

 その力を用いての『実積』。

 それぞれ、その力を身に付けるまでの過去と、身に付けてからの未来の行動に対して『誇り(プライド)』というものを紐付(ひもづ)けているのだ。

 つまり、最初の8つの例のように、ただ力だけに注目して判断すること自体が的外れな考察だったわけだ。





 さて、こうなると棚ボタ式に得た『チート』が、『偽物』呼ばわりされなくなる方法が見えてくるのだ。

 少なくとも、この力の『過程』に着目して『誇り(プライド)』を付与することは不可能に近い。「このチートって、普通に暮らしたらいきなり神様に呼ばれてもらったものなんだ。すごいだろ!」と自慢げに語れるわけもなく。

 よって、選択肢は自然と『実積』に絞られる。

 

 では、ここでは5番の「何の力も持たない状態で異世界にやってきたが、偶然出会ったボーナスキャラを倒すと、一気にレベル99まで上がって最強に」なったキャラで考えてみよう。

 まずここで、「異世界で偶然会ったザコ敵を倒したらレベル99まで上がったんだ、僕ってすごいでしょ!」と言うのはおかしい。いや、自分のラッキーさ加減を自慢したいなら止めはしないが……『誇り(プライド)』を持って言えることではあるまい。

 この力を得てからの行動による『実積』で、彼がすごいと呼べるのかどうかが決まる。

 例えば「犯罪組織を壊滅させて人々を救った」「悪の魔導師の陰謀を止めた」という『実積』こそが評価される対象となるわけだ。

 「この力を使って多くの人々を救ったんだ、僕ってすごいでしょ!」、これなら『誇り(プライド)』を持った発言として言い分が通るのである。

 




 だが2番のように、望まない形で得た力に対して『誇り(プライド)』を持つことなんてできるのか? という疑問も生まれる。

 「生まれながらに常人にはない超能力を持っていた」キャラは、子供のころから超能力のせいで周りから怖がられて、自分の力に対して嫌悪感や忌避感を持っているケースが多い。

 その力は誰にも認められない。捨てられるものならすぐにでも捨ててしまいたい――こうなると、「犯罪組織を壊滅させて人々を救った」「悪の魔導師の陰謀を止めた」という『実積』を作ったとて、その力に『誇り(プライド)』を持てるかどうかは難しい問題となる。

 場合によっては、いくら『実積』を積み重ねたとて、周りから怖がられることに変わりはない展開だってあるわけだ。


 こういった際に重要なのが、冒頭でも述べた「そのキャラ自身が、力とどう向き合っているのか」である。

 これは、拙作の中でひとりのキャラが既に結論を出している。

 対象は、心理テストにも登場した楯無鈴風(たてなしすずか)さんだ。境遇としては4番のような『チート』に該当しており、下記は偶然手に入った力に対し思い悩むシーンである。

 引用はその3と同じく、拙作“AL:Clear”30話より。


 


 

 信念もない、誇りもない。

 ただただ自分の望みを叶えたいという我がまま――つまるところが『欲望』の輝きだ。


「……それでもっ!!」


 それでも、これは『力』だ。

 どれほど曇っていようが、誇りなきものだろうが、戦える。

 誰かを守れる。

 彼の役に立てる。

 ならば、それだけで上等過ぎるだろう。





 何の努力もなしに手に入れた『偽物』に等しい力であろうと、誰かの役に立てるのであれば構わない。自分自身の嫌な気持ちなんて、その事実に比べれば些細なことだ――鈴風はこういった考えで、力に対して折り合いを付けている。

 どんなに嫌な力であれ、大切なのはそこからどうするのか。

 つまりは力そのものではなく、『実積』にこそ『誇り(プライド)』を付与しようとしたのである。アメコミのヒーローなどに近い考え方かもしれない。





 では、改めて最初の問いに戻ろう。『本物』と『偽物』の違いとは?

 これは、他の誰かが決めるものではない。力を手にしたその人自身が(、、、、、、)決めることだ。

 その力を得た『過程』、その力で成した『実積』。

 その上で、自分自身が力と向き合って導き出した回答こそが、有一無二の正解である。

 使い古された言葉かもしれないが……力はただ力でしかなく、その真価は使う人によって定まるものだ。

 例えそれが最初は『偽物』だったとしても、そのキャラ次第で『本物』になることだってできるはずなのだ。


 ただ唯一の例外として、その人自身だけではなく満場一致で周囲の人間が『偽物』『借り物』と断言していいケースがある。


 ――え、なにこれ? よく分からないけど(、、、、、、、、、)俺ってすごい!!


 自分の力に対してまるで他人事のような発言をした場合だ。

 これはもう、自分自身の力であると、『本物』であるということを、当の本人が否定してしまっているからだ。

 主人公がこのスタンスのまま延々と物語を進めるのであれば、作者にはかなりの覚悟が要求される。それこそ冒頭の「借り物の力で調子に乗り過ぎ。そんな偽物の強さで偉そうにされてもまるで共感できない」と言われても文句は言えないのだ。

 いかにここから『本物』へと昇華させるのか――それは、今後の彼の行動次第と言える。


ちなみに、某聖杯戦争の主人公も『偽物』と『本物』について強い考え方を述べていました。あっちは力と言うより『生き方』に対する真偽を問うものだったので、この考察には入れませんでしたが。


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