その5 『潜在的な2次創作』について
『異世界転生』『異世界転移』。
議論の必要もないくらいに『テンプレ』の代名詞として浸透しつつあるこのテーマだが……さて、このテーマは果たしてどこからやってきたものなのだろうか。
今回の考察は、『異世界転生』『異世界転移』とは、「既に存在する作品」に大きな影響を受けてしまっている――いわば『潜在的な二次創作』から来ているのではないか、というものである。
ざっくりと言うと「どこかで見たようなキャラ、ストーリー、設定だよなコレ……」という感想が出てくるような作品が多いということだ。
ちなみに『二次創作』とは、既に存在する作品の人物や舞台設定をそのまま流用し、独自の物語として発展させた作品を指す。
有名テレビゲームの4コマ漫画や、オムニバスストーリーなど……『二次創作』はその作品の更なる可能性を広げていく手法として、商業的にも多く使われている。当然、こういった作品は原作者(商業作品であれば出版社だろうか)の認可を得た上で発行されているわけだ。
『潜在的な二次創作』――実は、この仮説を真っ向から証明している作品群がある。
いわゆる『悪役令嬢』ものだ。
あらすじの時点で公言しているものもあるくらいで「乙女ゲーの悪役令嬢に転生してしまった。原作通りの展開だと私は死んでしまうから何とかしないと」といった、『原作』という二文字を最初からブッ込んできているのだ!!
と言っても、その『原作』は当然ながら架空のものなので、二次創作と呼ばれることは(基本的には)ない。
だが作者の頭の中には、当然ながら「元となった作品」が存在しているわけだ。
それゆえに、『潜在的な二次創作』と称したのである。
こういった作品を執筆する際、作者の頭の中では、
『原作』となる作品を実際に体験する→『原作』を作者の中でオリジナルの設定に差し替えたものを考える→この作品に対しての新しい物語の展開
という流れが成立している。
だが、こういったものを「パクりだろ!」と揶揄するつもりはまったくない。
これはむしろ、ありきたりな『テンプレ』作品――つまり『原作』に対するカウンターとして描かれていることが多いのだ。
よくある例として、
1. 原作主人公は、貧しい家に生まれた平凡な娘だった。
2. 学園に通い始めた主人公は(特に根拠のない)魅力とかで、次々と攻略対象(だいたい王子様)を骨抜きにしていく。
3. 王子様、陥落。悪役令嬢との婚約をサクッと破棄し、主人公を王妃にすると宣言。
4. いつまでも幸せに暮らし「いやアンタ国を預かる王子のクセに何考えなしにその辺の村娘捕まえてんだ立場分かってんのか、ああん!?」
である。
ご都合主義が強い原作のキャラに対し、「いやそれはおかしいだろ」と痛烈なツッコミを入れ、正論で片っ端から主役どもを(主に精神的に)薙ぎ払っていく爽快感こそが『悪役令嬢』ものの本質だと言える。
要するに、既存の作品に対する『反逆』に本質を置いた作品なのだ。
さて、ここからが本題だ。
これは別に、悪役令嬢のみが持ち得るストーリーラインではない。
今までに考察してきた『テンプレ』でも、同じことが言えるのだ。
よーく考えてみよう。
皆さまが思い浮かべる『異世界』のイメージは、ほとんど同じもののはずなのだ。
西洋ファンタジー、レベルやステータスの概念、魔法といえば『ファイア』や『サンダー』、魔物の存在(そして最初の敵はスライムかゴブリン)。
私は○ラクエを思い浮かべた。
皆さまも、作品は違えど似たような方向性の『原作』を思い描いたはずだ。
で、そのような世界に外部からの人間(主人公)を投下し、暴れさせる。
これにより「原作クラッシャー」としてのカウンター小説となるのである。「ゲームのような世界」という文字が本編に入っていればもう確定だ。
原作では、ちまちまレベルを上げて、ボスにはなかなか勝てず、主人公の行動が的外れで、そのせいで周りの人間が死んでしまったり取り返しのつかないことになる。
その三の考察でも少し取り上げたが、こういった原作の設定に対する『ヘイト』に我慢ならなくなった作者が、「俺だったらもっと上手くやれるのに……」という反抗心を元にして作り上げたのが、「原作クラッシャー」としての主人公となるわけだ。
では、この前提に則って、「ゲームのような世界」に主人公を放り込むイメージで小説を書いてみよう。
まず、いくら『原作』の世界で上手く立ち回りたいと言っても、何も知らない着の身着のままの現代日本人をポンと呼び出したところで、できることはたかが知れている。
原作主人公と同じ道をたどるか、むしろ途中で力尽きる可能性の方が高かろう。
だったらどうするのか。
選択肢は4つ。
1. 主人公に力を「与える」
もはや説明不要の『チート』のことである。
何の力もない主人公に、神様からのギフトなり勇者補正なり後付けで力を注入して、異世界で自由に動けるようにする。
2. 主人公に力を「付けさせる」
いわゆる「成長もの」というタイプだ。
異世界転移してすぐは普通の力しか持たないが、冒険を通じて徐々に強くなっていく。これはこれで、その3でも触れたような『成長するチート』もあるので、1番とそう変わらない場合もある。
3. 主人公の「自力で何とかする」
特別な力を持つことはないが、現世での知識や経験を生かして進んでいくタイプだ。
主に「内政もの」で、日本の政策をベースにして国や街を発展させていく主人公がこれに当たる。
4. 主人公が「最初から強い」
これもその3で取り上げたが、「現世で最強だった人物」を異世界に連れてきたタイプがこれだ。
現世で強さを追い求め志半ばで死んだ剣士が、転生して再び最強を目指す――なんて展開が代表的だろうか。
これぞまさしく「キャラメイキング」。
ゲームスタートの前に、自分が操作するキャラを自由に設定するような感覚だ。
そしていかに効率よく、いかに格好よくゲームを攻略しているかを考えながらキャラメイキングを煮詰めていく。
本来、この作業は作者の頭の中だけで行われるものだが、最近の作品だと、転生前に主人公自身がステータスを確認しつつ能力を振り分けるというアクロバティックな内容もあったりする。
ともあれ、無事にメイキングを終えた主人公というキャラは、小説という名のゲーム世界へと足を踏み入れることになる。
さあ、これで冒険を始め…………られると思ったら大間違いだ。
ここまで考えてきた設定は、あくまでそのゲームの「プレイヤー」としての作業に過ぎない。
だが、改めて考えてみて欲しい。ゲームをプレイするには、あと何が――いや、誰が必要なのか?
忘れてはならない。
『製作者』がいないのに、そもそもゲームなんてできるわけないだろう!!
キャラデザイン、シナリオ、音響、戦闘システム、CPU(主人公以外のキャラ)の行動パターン、街・フィールド・ダンジョンの構成etcetc……これらはすべて作者の仕事である。
大事なことなのでもう一回。
すべて、作者の、仕事である。
役割分担などできるわけがない(複数人がかりで小説を書いているなら別だが)、何から何まで全部作者が考えて実装しなければならないのだ。
さあ作者よ、さっさと設定を作るのだ。
自分が思い描いた「ゲームのような世界」を、きっちり最後までプレイできるだけの仕上がりまで持っていかないと、始めることすらできないぞ!!
~~中略~~
と、色々考えて設定を作り込んだ。
キャラもフィールドも武器防具も敵のステータスも宝箱の位置も隠しアイテムの有りかも、何から何まで作り込んでやったぞ!!
よーし、ようやく執筆スタートだ。
思う存分、「ゲームのような世界」を満喫してやる!!
攻略なんて簡単だぞー。なんたって自分はこの世界のすべての設定を知り尽くしているし、ボスの弱点もバッチリだ。なんせ自分で作ったのだからな、知らないことなんてないんだから。
ふと、ここで冷静になって考えてみた。
……えーと、何が楽しいんだろ、これ。
『製作者』としてこのゲームのすべてを極めた人間が、改めていちプレイヤーとしてコントローラを握ったところで、いったい何を楽しみにプレイすればいいんだろうか。
読者の方々に分かり易くお伝えするのであれば、やり込みにやり込みを重ねて全部の要素を遊びつくしたゲームを手渡され「はい、じゃあもう一回最初から。新鮮な気持ちでプレイしてね」と言われるようなものだ。
最初はいいかもしれない。サクサク進められて、ボスも簡単に撃破できて爽快だろう。
……が、絶対に途中で飽きる。
『テンプレ』作品の多くが途中でエタる(未完のまま放置される)原因の一端が、垣間見えた気がしないだろうか。
だったら、あえて設定を作り込むことなく、勢いのままゲームスタートすればいいじゃないか――そうお考えの方もいらっしゃるかもしれない。
おそらく、実際の『テンプレ』作品の大半はこのスタイルが多いと思われる。
だが、この判断こそが、その1でも考察した「完結できない」現象を引き起こしてしまうのだ。
つぎはぎのストーリーラインを組み合わせることで設定に矛盾が出たり、強くなり過ぎて行動目標を見失ったりと、ほぼ『お約束』なストーリー崩壊を迎えることになってしまう。
仮に続けられたとしても、プレイヤーである主人公が上手く立ち回るのではなく、主人公が上手く立ち回れるように「設定を動かす」羽目になってしまうのだ。
こうなると、完全に当初の趣旨からは外れていってしまう。
既存のゲームを上手くクリアすることが目標だったのに、それがいつの間にか、「簡単にクリアできてしまうゲーム作り」に路線変更してしまっているのだ。
こっちもこっちで、当然面白いわけがない。
飽きる、そしてエタるという黄金パターンがここでも発動することになる。
小説の設定を考える方法など、千差万別だ。
キャラを先に考えて、物語や世界観を後付けする人もいるだろうし、その逆も然り。
やり易い、やり辛いという感覚も人によって違うのだから、どんな考え方・書き方が正解かだなんて私だって知らない。
だが、少なくとも。
個人的には、既存の作品を下敷きにして作品を作ることをあまりオススメしない。
上記の通り、書くのが難しいというのもあるが……何より、「原作を壊す」ことはできても、「原作を超える」ことは途方もなく困難であるからだ(というより、真似ている時点で不可能だと思う)。
これは、実際に『なろう』において評価を得られるかどうかの問題ではなく、私の、ただのいち作家としての意地に過ぎない。笑ってくれて結構だ。