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その21 異世界について

 さて、今回は『テンプレ』というか昨今の『なろう』小説全般に問いかけたい疑問をひとつ。


 ――なんで『異世界』なの?


 本来なら最初の方で出すべきテーマだっただろうが、ここまで色々と考察を重ねてきた経緯があれば、また別の観点も出てきそうなものだ。

 『なろう』ランキングにおいて(日間とか月間は問わず)、舞台が『異世界』である作品は全体の過半数を占めている。序文での『異世界』の定義と少し変わるが、主人公が現代日本人か現地の人間かという違いがあっても、我々が暮らす地球という世界を舞台にした作品は(ランキング上には)皆無と言っても過言ではない。

 短編や恋愛ものでなら現実世界を舞台にした作品は散見されるが、私の作品を含め(拙作は近未来だが)、その他の長編作品が『なろう』で上位になったところを見たことなどほとんどない。

 割と冗談抜きで、私は『なろう』最大のヒットメーカーである“魔法科学校の劣等生”以外に思い浮かばない。


 VRMMO――ヴァーチャルリアリティのゲームを取り上げた作品も最近は多い。

 だが、これまた名作“ソードアート・オンライン”や、各種メディアで人気を博した“.hack”のように、ゲーム内と現実世界の両方でしっかりとした物語が描かれていれば別なのだが、延々とゲーム内の話しか描かれないのであれば、もう『異世界』ものとの区別などほとんどない。ただ単に「死なない異世界もの」でしかないわけだ(「死ねない(、、、、)異世界もの」としてあえてこの問題を取り上げた“ログ・ホライズン”という名作もあるが)。


 別にリアルな現代日本を書けというわけではない。

 拙作とて架空の近未来が舞台だし、普通とはちょっと違う世界だろうと世紀末でヒャッハーな世界だろうと別にいいではないか。

 今回の議題としては……どうして我らが『地球』から離れたがっているの? である。





 『チート』を貰って俺tueeeしたいなら、別に現代日本でやってもいいような気がする。

 実現可能であることは、まさしく“ドラえもん”の道具を使って好き放題やっているのび太君(たまにジャイアン)がその身で示してくれているではないか。

 ……あれ、むしろ逆か?

 のび太君がひみつ道具で悪いことをしようとすると、最終的には因果応報で手痛いしっぺ返しを受けているわけだし、道具という『チート』の力で大きな成功や獲得をしたシーンは意外と少ない(あってもすぐに失われる)。むしろ道具(チート)に頼らずに、自分の力で何かを為すことに対する賛辞の方が強かっただろう。

 伊達に知育教材としても採用されている作品ではない。

 そうそう楽して上手いこといかないのが世の中なのよ、としっかり釘を刺されているようだ。


 『異世界』とは、現代世界とは何もかもが違う。

 人種、文化、経済、地理、価値観など――とにかく、現代日本の常識とはかけ離れた世界なわけだ。

 だが、作者として非常に作品を作りやすくなるメリットとして「常識や価値観を自由に設定できる」という点が挙げられる。

 なお、これは作りやすさとしては最良の味方となるが、現実味(リアリティ)という観点では最悪の敵にもなることを先に記しておこう。





 では、ここで『異世界』でよくあるシーンをいくつ書いてみる。

 「これって、もし日本だったらどうなんだろう?」という視点で、皆さまもよーく考えてみて欲しい。


A. 異世界転移でいきなり森の中からスタート、右も左も分からない状態で出会った1人の少女が、

「それはお困りですね。よろしければ私が住んでいる村まで案内しましょうか?」


B. 初めてのギルド。受付嬢からの話では、

「では、こちらにお名前と職業(剣士とか魔術師とか)をご記入ください。その後100ゴールドお支払いいただければ登録は完了です」


C. 仲間と一緒にご飯を食べる。

「神からの祝福に~」

「いただきます」

「ん? なんですかその言葉は」

「ああ、これは俺の国の食事のあいさつなんだ。作ってくれた人や自然の恵みに感謝しますって意味」

「へぇ、それはいいですね。では私たちも、いただきます」


D. 悪徳貴族を成敗する。

「奴隷たちをいじめているのはお前だな、ぶっ殺してやる!」

「ま、待て。私は代々王家に仕える○○家のギャー!?」

「主人公さん、助けてくれてありがとう!」



 では、まずはA。

 これを日本の森の中で再現するのであれば……とりあえず警察を呼ばれるだろうか。

 身元不明の人間が森の中をうろついている。しかも明らかに見慣れない外見をしているのであれば、まず近付かない(、、、、、、、)。第一発見者がとても純真無垢で心優しい人だったとしても、警戒くらいはされて然るべきだ。

 というか、これが主人公じゃなくて盗賊とかだったらどうするんだ。疑うことを知らない女の子の手によって、盗賊おひとり村の中へご招待となるのだが……大丈夫なの?


 次にB。

 名前(その気になれば偽名でもいけそう)、そして自己申告でしかない職業だけで個人をどうやって判断するというのか。名前と職業が他の人と被ったら目も当てられないぞ。

 その上、これではいくら主人公が犯罪をしてギルドに報告が入ろうと、たったこれだけの情報でどうやって犯人を特定しろというのか。

 一般的に、社会的組織に登録するためには、最低ラインとして名前・性別・生年月日・住所を記載した上で、免許証や保険証といった本人確認書類(身分証という表現は実はNG)の提示を必要とする。時には身元保証人を立てる必要だってある。

 そうでもしないと、仮にその人が問題を起こした時に法的な処罰を与えられないからだ。

 一応、血液を採取してその情報から~なんてやり方も散見されるので、対策をしている作品もある。


 そしてC。

 「いただきます」といった宗教的思想が取り入れられたアクションについては、特にその教えが強ければ強いほど簡単に曲げられるものではない。

 はっきり言って、これは日本人の方が特殊なのだ。伊達にハロウィンとクリスマスと初詣なんていう宗教観ごちゃ混ぜで祭事を行っているわけではない。

 その上、多くの異世界では神殿なり教会なり、定められた神への信仰がしっかり行き渡っている。神官なり僧侶がいる世界なのだし。

 故に、こういった宗教観に関わる部分については各人のアクションに気を配りたいところ。信仰が強い人相手なら「我らが神に感謝を捧げないとは、なんと罰当たりな!」と一気に敵視される可能性すらある。

 


 D。

 ……日本でやれば、主人公はもちろん犯罪者です。

 屋敷を強襲して貴族の所有物である奴隷を強奪したわけだから、法に照らせば間違いなく主人公は極悪人である。貴族を殺害するという展開じゃなかったとしても同じことだ。

 ある程度の法律が設立されている社会集団の中において、法に逆らい暴力で物事を解決しようと行動する人を何と呼ぶかご存知だろうか。


 ――テロリストだ(、、、、、、)

 

 「自分は別の世界から来た人間だから、この国の法なんて関係ない」というのは無しだ。

 これを認めると、「外国から来た人間は法律に関係なく何をやっても裁かれない」という暴論が成立してしまう。と言って出身国の法で裁こうにも、異世界から来た時点で主人公に日本の法律を適用させることなど不可能なので、なまじこれが押し通ってしまうのも問題だ。

 身元不明の人間が多くいそうなファンタジー異世界においては、基本「この国で生活する以上は、この国の法に従ってもらう」という定義のもと、最低でも入国前にしっかりと個人情報を明らかにした上で誓約書を書かせるなりした方が無難だろう。

 そもそも。お金を払うだけで入れる検問なら、この世に『入国審査』なんてものは必要ない。門番の仕事って何なんだろうね?





 さて、ここまで見てもらって間違いなく来るであろう感想を先に言ってみよう。

 「異世界なんだし別にいいじゃない」だ。

 別にこのご意見に対して反論はしない。

 「異世界だから」とは魔法の言葉だ。

 現代日本の常識に当てはめずに考えることこそが正しいのだろうし、どんなトンデモ展開だって、幻想世界である以上それを否定することなんてできはしない。

 「もしかすると~~かもしれない」という空想によって生まれたのがファンタジーなのだから、それはそれで正論だろう――読者が言う分には(、、、、、、、、)


 はっきり言おう。

 読者に上記のような指摘を受けた際に「異世界だから」と反論するのは、異世界設定に甘え過ぎだ(、、、、、)

 異世界とは、主人公の夢や願望がすべて叶うワンダーランドではない。

 断言してもいいが、「異世界だから」という反論を出す作者の本音は99%「何も考えてなかった」だ。

 「それの何が悪い」というご意見が来るのであれば、こう返そう。

 つまりあなたは、神様(作者)が用意した何でも思い通りになる夢の国で、主人公がきゃっきゃと無邪気に遊びほうけるお話を書きたいんだね? と。

 それでも押し通すのなら止めはしない。読み切りの短編やコメディ方向に特化させる場合は、むしろそれが正解になることだってあるだろう。

 ただ……実際に書いて投稿してみればじきに分かる話だが、「作者の自己満足」「妄想」という痛烈な感想が来る覚悟はしてほしい。

 別に『チート』を使って勝手気ままにやりたい放題、という展開自体を問題視しているわけではない。

 問題なのは、すべての事象が思い通りになる(、、、、、、、)という、主人公ないし作者の発想だ。





 以前『ハーレム』の考察をした際にあえて語らなかった要素として、「どうして『テンプレ』ではハーレム展開が多いのか?」という問いがあった。

 つまるところが上記の理由だ。

 すべてが思い通りになるという発想において、作者と主人公からはまず『自重』の精神が消え失せる。欲望に対してガマンをする必要がなくなるのだ。

 以下は、作者と主人公から『自重』を消した場合の状況を、ものすごーく刺々しく表現したものだ。



主「女の子にモテモテになりたい、けど2人目の女の子が現れてその子をモノにできないなんて――そんなの耐えられない!!」


作「大丈夫、ここは異世界だ。ガマンなんてしなくていい(ヘイトが溜まるしね)」


主「よぉしだったら出会う女の子はすべて俺のモノだー! でも、こんな俺にヒロインはみんなついてきてくれるのかな?」


作「いや、問題ないぞ。作ったヒロインが主人公を好きになるんじゃない。主人公を好きになる(、、、、、、、、、)ヒロインを作ればいいんだ! だからヒロインは心の底から主人公に惚れて、尽くしてくれる。だって、そう作ったんだから(、、、、、、、、、)



 一応まだ続けられるが、頭から変な熱が出てきたのでここで止めておく。

 自重しない、というのは恐ろしいものである。まさか因果関係まで崩壊させてくるとは。

 ……誤解がないよう言っておくと、結果から先に物語を考える手法自体は決して間違いではない。

 恋愛関係になるという結末から用意し、そうなるに至る筋道を逆算して作っていくと言うやり方は結構効率がよかったりする。つまり「ヒロインが主人公を好きになるような物語を作っていく(、、、、、、、、)」やり方だ。

 この場合、読者目線で見ると、物語を読み進めていってようやく「こういう出来事ががあったからヒロインは主人公を好きになったんだ!」という筋道を追いながら話を読み進められるので、矛盾が少なく説得力のあるストーリーラインを成立させやすい。極論だが、このやり方であればどんな性格の男女だろうとくっつけられる。

 が、ここで問題視しているのは、出会った時点で「主人公を好きになるという『設定』を付与したヒロイン」だ。

 こういう設定で作ったヒロインは、物語に関係なく(、、、、、、、)主人公に惚れるという流れになってしまうので、やれチョロインだとかご都合主義と揶揄されてしまうのである。

 

 結論から言うと、『テンプレ』における『ハーレム』とは、厳密には『ハーレム』とは呼べないものが多い。作者が主人公にとって都合のいい条件で作り出した、お人形さんのようなヒロインを集めたコレクションに過ぎないのだから。

 ひと目見れば分かりそうなものだが、恋愛という極めて不確かな心理を取り上げる行為なので、意外と目に見えないのも問題だ。

 仮にヒロイン目線で主人公への愛を語る話を差し込んだとしても「あの堂々とした態度がステキ」「何者にも屈しない強い心に憧れます」「瞳がキレイ」とか、いくらでも言わせる(、、、、)ことができる。……まぁ、その判断に行き着くまでの道理がないのだから、ある程度読みこめば読者は強烈な違和感を覚えることになるだろうが。

 こうなると、これまでやってきた考察や心理テストなどすべて無意味だ。

 ヒロインがそうなるように(、、、、、、、)最初から作者が設定していたのであれば、もう私からは何も言えなくなる。


 上記のようなヒロインが主人公のもとに結集するような『ハーレム』展開を、現代日本を(、、、、)舞台にしてほとんど誰も書こうとしない理由もこれで推測できる。一部の方からもご意見が出ていたが……要するに『洗脳』という方向性を否定できないわけだ(むしろノクターンでよく見かける展開になってしまう)。

 法的に許されないからとか倫理的にダメとか、そういう問題ではない。

 単に、現代日本の女性心理としてそうなる証明ができないからだ。

 だから「異世界の女性だったらこういった考えを許容してくれるかも」という発想で、異世界人のヒロインを侍らせた『ハーレム』展開が流行しているのだろう。




 

 少し話が脱線するが――実際のところ、こういった(、、、、、)ハーレムは確かな読者人気がある。

 理由としては、読者も作者と同じような心理になっているということ。

 「ここは異世界だ。ガマンなんてしなくていい」という発想は、同じ人間である以上、読者と作者の両方に発生し得る。

 『テンプレ』ハーレムものにおける感想欄でよく見かけるのが「早くあのヒロインを落としてイチャイチャしてほしい」「はい、早くラブラブなシーンが書きたいです!」といった読者と作者とのやり取り。

 つまり、双方ともに求めているのは、主人公がヒロインとイチャラブするという『結果』であって、そうなるまでの過程は求めていない(、、、、、、、、、)

 『テンプレ』ハーレムでは、一刻も早くヒロインを落とす(、、、)ことを重要視しているため、ヒロイン側の心理的な整合性など、もはや邪魔でしかないのだ。

 結果として、男性視点としては手軽に欲求を満たせる展開として人気が出るわけだが、女性視点としては完全に置き去りであろう。


 中には「すぐに落ちるチョロインばっかりではつまらない!」ということで、ハーレム化するまでの過程を重要視される方だってもちろんいらっしゃる。

 だがそれは、遅かれ早かれヒロインが落ちるという『確信』があるから出てくる発想だ。

 実際、読者の感想としてヒロインが「いつ落ちるのか」という声は数多あっても、ヒロインが「そもそも落ちるのかどうか」を問う声はまるで見受けられない。

 『テンプレ』においては、出会ったヒロインは大よそ主人公とくっつくという不文律(ふぶんりつ)が成立しているが、そんなこといったい誰が決めたのか?

 恋愛をテーマにしていようと、運命的な出会いをしようと、「主人公とヒロインは結ばれて幸せになりました」という結末を保証しているわけではないはずだ。

 ここから先は読み手にとってのストレスである『ヘイト』に関わる話なので、次回の考察に譲ろう。

 




 総括として、その異世界に『(ことわり)』があるかどうかを考えてみて欲しい。

 主人公の行動には、道理(どうり)――その判断に至るまでの道筋はあるだろうか?

 何かを語る際には、その言葉に論理(ろんり)――その考えを証明するものはあるだろうか?

 何かを思い、悩むには、そこに心理(しんり)――精神のあり様は見えているだろうか?

 集団や国家を作り上げる際には、そこに法理(ほうり)――人を束ね、社会を維持するためのシステムはあるだろうか?

 もしその世界、その物語に『(ことわり)』を見出すことができないのでれば――それは、無理がある(、、、、、)、と言うのである。

 ……上手いこと言いたかったのではなく、そういう意味の言葉なのだ。


 既存の『理』が通用しない異世界だったとしても、その世界とそこに暮らす人々には、異世界なりの『理』がある。もし『チート』で勝手気ままに無双したいのだとしても、まずはその『理』から作らなければならない。


 ――道理を無理で押し通す。


 『主人公最強』による無双ものに求められるカタルシスはこの一言に集約される。

 長い長い年月をかけ、たくさんの人々によって作り出された異世界の『(ことわり)』を、チートという『無理』で叩き壊すからこその爽快感だ。

 指先ひとつですぐ壊れる、砂のお城みたいに弱々しい『(ことわり)』を壊したところで何が楽しい?

 『テンプレ』で読者が楽に読み進められるのはもちろん素晴らしいことだ。

 だが、作者が楽をすると(、、、、、、、、)、すぐにそういった作り込みの甘さが露呈することになる。

 本来であれば、世界の大まかな道理くらいしっかり考えていないと長編小説は書けないものだが、序文でも述べた通り、『テンプレ』は書き始めるのは非常にたやすい。

 これは、『テンプレ』が見切り発車をできてしまう(、、、、、、)からこその弊害、なのかもしれない。


 奴隷がかわいそうという理由だけで義憤にかられ、奴隷市場をぶち壊した主人公はどうして犯罪者として国から敵視されないのか?

 森の中で出会った村人はどうして誰もが無警戒で親切なのか?

 どうして身元不明で怪しい風貌をした主人公が(西洋ファンタジーで黒髪黒目が異端、というのはよくある話だ)すんなりとギルドのような社会的集団へ入ることができるのか?

 本来、こういった疑問は私ではなく各作品の作者が答えなければならないものだ。

 そうなるに至った理由を、仮に現代日本ではあり得ない設定だとしても、異世界の中における『理』で証明しているのであれば、それこそが紛れもない正解だ。その異世界を作り上げた作者がそう決めた以上、外野がどうこう口を挟むものではないだろう。

 だからこそ、どんなトンデモ設定だったとしても、我々作者は本当の意味で世界を作る(、、、、、)義務がある。


2/9 『ハーレム』の因果関係について追記

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