番外編1 二次創作から考える『テンプレ』の今とこれから
今回は番外編ということで、作者が実際に大学の講義で学んだ内容を元にした話をお送りしようかと思う。
ただ……今回は内容がかなり趣味に走っている。
流石について来れない方もいらっしゃりそうなので先に謝罪しておこう。
その5において「潜在的な二次創作」というテーマを取り上げていたが、この『二次創作』についてもうちょっとだけ掘り下げてみよう。
かなり以前の話になるが、『なろう』では『にじファン』という二次創作専門の小説投稿サイトがあった。既存のアニメやゲームに対し、独自の設定を加えて発展させた作品がいくつも投稿されていたわけだ。
諸々の事情で『にじファン』は閉鎖されてしまったので、もう中身を確認することはできないが――そこで一際気になっていた原作が(考察的な意味で)あった。
それが“ゼロの使い魔”と“東方Project”だ。
特に前者に関しては、今日の『テンプレ』小説の立役者である可能性が極めて高く、本考察で取り上げないわけにはいかない作品である。
“ゼロの使い魔”、ネタバレが怖いがあらすじをざっくり書いておこう。
舞台は王道のファンタジー世界。魔法学校に通う貴族の少女によって、1人の日本人の少年が召喚された。少年は召喚時に得た特別な力と現代の知識を生かして、少女の助けとなって異世界を生きていく。
……はっきり言うと、今日の『テンプレ』そのものである。
この作品は結構歴史が長く、小説1巻が発売されたのは2004年。なんと10年以上前から今の『テンプレ』は存在していたのだ。
人気が爆発したのは、おそらくは2006年のアニメ化がきっかけだったのだろう。
実際、4クール(1クール=3ヶ月で、約12.3話構成)にもなる長編アニメとして根強い人気を誇っていた。正確には1クール×4回で、4作目が2012年に放映されたことを考えると、最低でも約6年近くも熱狂的な人気が持続していたということになる。
原作で特に人気となった場面を抜粋するのであれば――「平民のメイドに乱暴しようとする貴族を、少年が『チート』を使ってぎゃふんと言わせた」シーンだろう。
何の変哲もない現代日本人が『チート』を使って大活躍する、という『テンプレ』の主旨はこのワンシーンに集約されていたと言っていい。
加えて、主人公である少年の行動がちょっとばかり不甲斐ない方向に行くことが多かったものだから、読者の一部が「この少年ではダメだ! 俺が考えたらもっと上手くやれるのに」という意識を持つようになり……少年を強くてカッコいい主人公に転換した『二次創作』が、とにかくすごい勢いで世に出されたのだ。
おそらく、今日の『テンプレ』が形作られた起爆剤はコレではないかと思われる。
原作においては少年の成長こそが物語の醍醐味なのかと思うのだが、『二次創作』を描いた人は、その成長を待ちきれなかったということなのだろう。
そして、ここから原作の要素を抜き取ってすべてオリジナルの設定として再構築されたのが、現在の『なろう』テンプレなのかと思う。
『テンプレ』小説が世に目立ってきたのが(主観だが)2007~8年くらいだったことを考えると、アニメ版の放映が火付けになったと考えればタイミングも符合している。
……しかし、おそらくこれは他の作家や評論家によって語り尽くされたであろう推論だ。詳しい方にとっては、特に新鮮味のある話ではなかったかもしれない。
一応、他にも『テンプレ』が構成された理由はいくつか推測されるが、現代人の心理や文化から読み取る話になるので後の考察に譲ろう。
“東方Project”については、原作はシューティングゲームなのだが(音楽面も秀逸だ)、そこに登場するキャラクター達が大きな人気を博し、二次創作も多く作られるようになった。
これがなかなか面白く、同じキャラクターでも二次創作の作り手次第で様々な精神性や人間関係を持っている。それだけキャラクターが多様なキャラ設定に対応できるだけの懐の深さを持っているわけだ(キャラ崩壊という表現もあるので、評価はまちまちだろうが)。
二次創作は好き嫌いがはっきりする分野だが、キャラ設定の奥深さが見えるので個人的には割と好きなのである。
特徴的なのが、原作における『ストーリー』はものすごく短い、ということ。
あらすじと言っても「不思議な世界を舞台に、巫女さんと魔法使いが様々な異変を解決していく」としか言えないくらいだ。
ゲームセンターのシューティングゲームや格闘ゲームをイメージしてもらうといい。『ストーリー』が語られるのは、スタート前・敵と出会った時・敵の撃破後・クリア後にほぼ限定される。
下手をすると、すべて1本に繋げても数十分程度で終わってしまいそうな『ストーリー』であるにも関わらず、そこから発展した二次創作の『ストーリー』は数えきれないほどに存在するのだ。にわか程度でしか“東方Project”を知らない私でも、ちょっとした短編小説くらいなら、出来ばえはともかく書こうと思えば書けるだろう(二次創作を投稿できない『なろう』で言っても詮無きことだが……)。
『二次創作』としての観点で見れば、世界観やストーリーラインで大きな影響を与えた“ゼロの使い魔”とはある意味対極的なのだ。
“東方Project” の『二次創作』においては、原作のストーリーを重要視する傾向は低めで、キャラクター自体を強くピックアップする内容の方が圧倒的に多い(失礼な物言いかもしれないが、『キャラゲー』としての評価が高いのだ)。
戦ってもよし(シューティングの原作になぞらえて「弾幕ごっこ」とも呼ばれる)、日常生活を取り上げてほのぼのしてもよし。最近では『ゆっくり実況』と銘打って、原作キャラ達に別のゲームのプレイ実況をさせるといった斬新な作品も出てきている。
“ゼロの使い魔”の二次創作に比べると、こちらはキャラと世界観をほぼ固定し、ストーリーで「遊ぶ」のが特徴と言える。
ほぼ同じカテゴリに入るであろう原作としては、他に“艦隊これくしょん(艦これ)”なども該当するだろう(こっちはあまり詳しくないので詳細は割愛)。
一応『テンプレ』考察なので、それに即したことを挙げるのであれば――『二次創作』が多く作られる原作とは、いわば流行の火付け役だったわけだ。
現行の『テンプレ』が“ゼロの使い魔”の設定を背景にしているのであれば、次の『テンプレ』が、現在流行している、または将来的に流行する原作の影響を受けて形作られる可能性は低くないかと思われる。それこそ“東方Project”だって該当しそうなものである。
実際のところ、ここ数年で流行の波を一気にかっさらうようなインパクトのあるアニメやマンガ、小説などが出てきたかというと……おそらくは、無い。
評論家ぶりたいわけではないのだが、“ゼロの使い魔”を超える流行――我々小説家の発想そのものに影響を及ぼすほどの強烈なブレイクスルーは、とんと見受けられなかったのだ。(私の視野狭窄が原因かもしれないが)。
いっそ世界観とキャラを予め固定化し、そこから作者が独自のストーリーを描くような……テーブルトークRPGにも似た、いわば公式『二次創作』形式の方が流行りそうな気もしてきた。実際、“東方Project”の二次創作においては既に流行っているわけで。
小説として捉えるのであれば――キャラをとことんまで濃く設定し、後付けの設定を加えても融通の利きやすい世界観、メインストーリーと呼べるものは小さめに収める(または設定しない)。こんなところだろうか。
これはあくまで『二次創作』に取り上げやすそうな作品という意味で、面白い作品に繋がるわけではないのだろうが……今後『テンプレ』として流行るかも? という変わった意見として捉えていただければ結構だ。
“ゼロの使い魔”の原作者であるヤマグチノボル氏が2013年4月にお亡くなりになったため20巻以降は絶筆となっていましたが、他の方に執筆が引き継がれ今年(2016年)よりその続きが刊行されることになったそうです。
いち読者として、またいち作家として、ヤマグチノボル氏と氏の作品に敬意を表し、本考察の後書きとさせていただきます。
……なお、あくまで今回の締めであって、本編自体はまだ続きますのでお間違えなく。




