その20 アイデンティティについて
アイデンティティ、という言葉を聞いたことがあるかと思う。
心理学用語で自己同一性と呼ばれ、一言で言い表すのは難しいが……「Aという人間がAであることの証明」とでも言えばいいだろうか。
IDカードのIDもこのアイデンティティ(identity)から来ており、その人が何者であるのかを証明するためのカード、という意味になる。
さて、なんでいきなり小難しい心理学の論文みたいな切り出しで始めたかというと……このアイデンティティの考察とは「そのキャラって名前違うだけで他の作品のキャラと何が違うの?」と呼ばれることを防ぐためのものなのだ。
つまり、『個性』とでも表現するべき『アイデンティティ』が今回のテーマだ。
そのキャラが唯一無二、他のいかなるキャラとも代替することなどできない――現実の人間で考えれば当たり前なのだが(違う、という意見があっても無視させてほしい。本気で心理学談義になる)、こと創作の世界ではそうもいかないのが現状だ。
アニメやマンガであれば、外見という視覚的効果を加えることができるのでまだマシなのだが、文字でしか自己を表現することができない小説界のキャラクターとは、とにかくこのアイデンティティの証明が難しい。
例えば――黒髪黒目、高校2年生、ゲーム好き、異世界に飛ばされて勇者やってます。
主人公を証明するための判断材料がたったこれだけしかない場合、おそらく『なろう』小説において代わりが利く人物など10万人は下るまい。名前が違っていようがまったく意味がないのだ。
しかし、『テンプレ』小説にそんなものいらないだろ、とお考えになる方もいるだろう。
『テンプレ』小説を好んで読む読者の心理とは「普遍的なものに対する安定した面白さ」を求めていることが多く、加えて感情移入のしやすさを重視する都合上、あまり我の強いキャラクターが好まれない傾向にある。
「ありがちなキャラ」であることが『テンプレ』としては正解、という考え方とて確かにあるのだろう。
だが……あえて読者を敵に回す発言をするが、主人公たちにとって、いくらでも代わりが利く生き方を求められるなんてのは、割といい迷惑なのだ。必死に考え抜いた素敵なキャラクターが、やれ「量産型」だの、やれ「ありがちなキャラ」だの、やれ「名前変えただけで他作品のパクリだろ」などと蔑まれることを作者も望みはしまい。
そのキャラに『アイデンティティ』が見出せているかどうかの判断基準はわりかし簡単だ。
「あなたはどういう人間ですか?」
キャラに対しこの質問を投げかけ、しっかり答えられるかどうか。
回答するだけなら簡単だ。
名前、年齢、性別、身長、体重、出身地、趣味や特技、通っている学校などなど……これくらいなら誰でも答えられる。
だが、残念ながらこれらは『アイデンティティ』ではなく個人情報――プロフィールである。
この質問に対し、個人情報の紹介だけで終わってしまうようでは、遺憾ながらその2で登場した『のっぺらぼう』の疑いが出てくる。ただ個人情報を貼り付けただけの、何の顔も持たないお人形さんと化している可能性が高いのだ。
より『アイデンティティ』を明確にさせたいなら、キャラを記憶喪失にでもしてみて名前を含む一切の個人情報を頭の中から消滅させてみるといい。
その上で、そのキャラには何が残っているのか。
すべての個人情報を失ってなお、何かをしようと動くのであれば、それこそが『アイデンティティ』となる要素だ。
なお、何もできないというのも、実は回答として成立する。
この場合は、先ほど挙げた個人情報のどこかに、そのキャラの『アイデンティティ』となる部分が存在していたことになる。仮にどこかの王様だったのであれば、そのキャラは「王であること」が自分のすべてだったのだ、という結論になる。
何もできないなりの根拠があるのであれば、それも立派な『アイデンティティ』だ。
さて、この『アイデンティティ』の確立。
『テンプレ』小説のキャラは、できているようで意外とできていない。
と言っても、現代日本においても『アイデンティティ』の欠如に悩む人間(主に10代に多い)はいるので、誰も彼もがしっかり持っていないといけないわけではないが……『アイデンティティ』を欠如するためには、何を欠如したのかを表現する必要だってあるわけだ。
『アイデンティティ』構築のヒントとして、いくつかキャラクターに持たせてみてほしいものがある。
・尊敬する人物
・好きな言葉(座右の銘)
・こだわり
以上の3つだ。すべて持たせてもいいし、いずれか1個だけでも構わない。
まず、尊敬する人物。
昔の偉人であったり、親や先生、学校の先輩なんかでもいいだろう。
尊敬や憧れという心の動きは、実は『アイデンティティ』の構築に凄まじい影響を与える。
自分が理想としている生き方「~~になりたい」「~~でありたい」という意識に直結するので、「○○だったらどうするんだろう?」といった自分への問いかけがすんなりとできるようになる。
仮に、幼い頃助けてくれた騎士に憧れる少年であれば、
旅の途中、村が盗賊に襲われている→特に村を助ける理由などない、危ないし逃げた方が安全→だがあの騎士だったら絶対に助けるだろう、ならば自分が逃げるわけにはいかない
こういう意識付けが可能となり、キャラクターに明確な『思想』という名の『個性』を与えることができる。
実際の騎士がどんな人物であるかはさほど問題ではなく、「主人公の中にある騎士の人物像」と自分の意識を照らし合わせることができればいい。
『主人公最強』かつ『チート』だと、これが滅多に出ないのだ。
自分が一番強くてカッコいいんだから、そもそも尊敬する対象がいない。尊敬や憧れとは、つまりは現時点ではその人物に負けを認めているということになるのだから、こういった意識はむしろ嫌われてしまっているのかもしれない。
好きな言葉(座右の銘)は、おそらく一番分かりやすい。
私の好きな言葉は「努力・友情・勝利」なのだが、ここまで本考察をお読みいただいた方であれば「あーそうだろうなー」とお察しいただけるくらいに、私の『アイデンティティ』とは底が知れている。
これは、既に存在しているはずの「自分の考え方」というものを一言で表現する行為だ。
割とお手軽にできる『アイデンティティ』確認法なので、一度お試しいただきたい。
そしてこだわり。
誰に何と言われようと、かたくなに譲ることができないもの。
別にこれは何だっていいのだ。
目玉焼きにはソース派だとか、きのこの山よりたけのこの里派だとか(この議論は戦争を起こすぞ……)、お風呂に入ったらまず頭から洗うだとか、好きな武器を選べるなら剣より銃だとか。
このこだわりに何かしらの理由を求める必要はない。「いいじゃない、好きなんだから」で結構なものばかりだ。
ここまでの考察でお気付きの方もいらっしゃるかもしれないが……実はこれらの要素は、会社や学校の面接で出てくるような質問ばかりなのだ。
実のところ、冒頭の「あなたはどういう人間ですか?」という質問に、キャラクター自身ははっきり答えられなくても構わない。だが、そのキャラクターに役割を与えて行動させる作者は、しっかりと認識しておいた方がいいかと思う。
ここにおける面接とは、「小説の世界」という名の会社に入社希望のキャラクターを作者が面接し、適切な仕事(つまり役割)を割り振るための質疑応答なのである。
一応、私はリアルの世界において入社希望の人間を面接する立場にある(一次~二次面接だけで、最終的に採用を決める権限まではないが)。
似たような内容の履歴書、似たような内容の質疑応答ばかりが散見される中、時には他とは一味違った面白い人と出会えることもある。
例えば、「この会社をどのようにしていきたいですか?」という質問に対し「頑張らなくてもいい職場にしたいです」という回答をしてくる人がいたりした。
一見すると怠け者のイメージが強そうだが、よくよく話を聞くとそうでもなかったりする。残業や無茶をするような仕事内容にならないよう、業務の効率をよくしてなるべく頑張らないで済むような環境作りをしたい、とのことだった。
一生を決めかねない面接の中で、あえてそういったマイナスイメージの発言を打ち込んでくる豪胆さ。頑張らないためにあらゆる努力を惜しまないという矛盾じみた思想。
見事、彼は最終面接まで行き採用されたのだが……仕事に対する適正はともかくとして、彼は『アイデンティティ』が極めてしっかりと確立されていたわけだ。
ここまで物事の考え方や適正がはっきり提示されていると、どのような仕事を任せればいいのかも自然と分かりやすくなる。
逆に、○○大学卒業といった個人情報は意外と役に立たない。
どのような知識を持っているか、という点を確認するためのアイコンにはなるのだが、同じ大学を出れば同じような人間になるわけでもなし、どのような人間かを測る材料にはなり得ないのだ。
『アイデンティティ』とは、言うなれば『個性』の集合体だ。
先の社員だと、○○という名前で、怠け者だがそれは効率を重んじる考え方の裏返しで、目玉焼きにはソース派、好きな言葉は天下泰平、キーボードの入力がやたら早くて、眼鏡をかけていないと1m先もまともに見えないド近眼、毎朝健康のために1時間ジョギングをしていて、お金には非常にうるさく(なお、経理部配属である)居酒屋のお勘定は1円単位でしっかり割り勘。
私が知る限りでここまで列挙しているが、その人にはまだまだ多くの『個性』が隠されていることだろう。仮にここから1個や2個『個性』が抜き取られたところで、その人が○○さんである、という認識が崩れることはあるまい。
要するに、代替できないキャラクターを成立させるには、これくらいの『個性』を持っていなければ到底不可能ということだ。外見というひとつの『個性』を(基本的に)使えないweb小説界であれば、これでもまだ足りないくらいだろう。
ここから批判的な意見に偏ってしまうのはご容赦いただきたいのだが……この外見という『個性』も最近ではアテにできない。
書籍化された『なろう』テンプレ作品の挿絵を見ていると、中肉中背、黒髪短髪、全身黒ベースの服装をした同じような風貌の主人公がわらわらといらっしゃる(しかも得物は決まって剣)。キリト君のコスプレ大会と言われても信じるぞ。
奇抜な外見を求めているわけではないが、見た目だけで「あ、このキャラは○○って作品のあのキャラだ!」と言い切れなくなりつつあるというのが個人的な感想だ(まぁ、身体的特徴をそのように設定した作者の責任なんだろうが……)。
と、ここまでは外側から見たキャラの『アイデンティティ』の提唱に過ぎない。
ここから先は作品作りの上で必須とまでは言わないが、自意識における『アイデンティティ』の話もしておこう。
自分は確固たる『アイデンティティ』を持っているという意識とは、「~~をする(しない)と、俺は俺でいられない」といったレベルの『個性』があるかどうかだ。
騎士に憧れる少年であれば、「困っている人を見捨てるなんて、僕が僕を許せない」といった感じ。
ある程度キャラの方向性を固めたい場合、特に主人公格には何かしら人格の芯となるレベルの『個性』がひとつあった方が断然いい。『意地』や『信念』と言い換えても構わないし、より簡潔に述べるなら「自分の考えや行動に責任を持つ」という意識である。
とかく主人公の行動や思考の方針において問題視されがちなのが「なんとなく」だ。
「なんとなく」旅に出た。
「なんとなく」ドラゴンをやっつけた。
「なんとなく」奴隷を解放した。
キャラの思考や行動の基盤となり得るものがないと、ありとあらゆるアクションに『動機』というものが見出せない。誰かに頼まれたからやりました、では『動機』を他人に丸投げしていることになる。
何かしらのイベントが起きてからでないとまともに行動できない「受け身」の主人公は、大抵このようになっているはずだ。
一応言っておくが、これが総じてダメというわけではない。
しっかりとした『アイデンティティ』を確立できていない未熟な若者としての主人公なら、自分の意思表示がはっきりしないというのはかえって現実的ですらある。
だが主人公が大人――特に、一回世界を救った勇者なり大賢者なり、完全に自立した人間がこれだと、総じて大人げないと言われてしまうこととなる。
自分の言動や行動に責任を持つことができない大人、と言えば分かりやすいだろうか。
別に芯となり得る『個性』は何だっていいのだ。
食べることが好きな主人公が世界中の食を渡り歩く物語であれば、「世界の美味しいものを食べつくすことが俺の生き様。何があっても絶対にやめたりしないぜ!」としっかりとした意思表示ができるわけだ。
何なら働かずに怠けることを追求したっていい。「働いたら負けだと思ってる」というニート丸出しの意識だろうと、貫けば立派な『アイデンティティ』だ。
それを物語の都合に合わせて、ニート精神丸出しなのに(しっかりとした動機があるならともかく)魔物討伐の先陣をきるような正反対のことをさせようとするから、『アイデンティティ』がブレるのだ。
今回のテーマに関しては、何か明確な答えを求めるものではない。
現実世界で生きる我々にとって、『アイデンティティ』は無くてはならないものだ。学生時代はそうでもないかもしれないが、いざ社会に出ると否が応にも思い知ることになる。
精神学上では、現代社会における学生時代のことを『モラトリアム』といい、「どのような進路に進むのか」という『アイデンティティ』を確立するまでの時間の猶予として定義されているのだ。
だが小説上のキャラクターにおいては、人間ドラマを作り出すためにあえて『アイデンティティ』を欠如させるのも立派な手法だと思う。
以前の考察でも挙げた『自分探しの旅』とは、そのまま『アイデンティティ』を求める旅路だと言い表すこともできる。
自分は何者で、この世界でいったい何ができるのか――そんな形にもならない薄ぼんやりとした思いでも、人は動き出すことができるのだ。
『のっぺらぼう』なテンプレ主人公が、確固たる自分を求めるために世界を旅する。
そんな『テンプレ』作品があれば、私としては「頑張れ若人」と応援したくなりそうだ。