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その17 カッコいいとダサいの境界について

「猛き炎の神に告げる。我は望む、我が前に立ち塞がりし怨敵を打ち払う力を。その荒ぶる業火をもってすべてを焼き払え! ファイヤーボール!!」


 ……いかがだろうか。

 実は今回、生まれて初めて魔法の詠唱というものにチャレンジしてみた。

 拙作にも魔法使いはいるのだが、別に呪文詠唱なんてまともにやらないものだから、ここまでガッツリと呪文を考えるのは今回が初だったのだ。

 さあ、皆さま。感想を聞こうか。


 ――別に気を遣わなくてもいいんだよ?

 ――不用意な優しさはかえって相手を傷付けちゃうんだからね?

 ――恥ずかしがらずに言ってごらん?

 ――正直な人は好きだよ?

 ――いいから素直にダサいって言えばいいじゃない。


 なお、本考察に対してご感想をいただける方、上記の呪文に対しての感想も併せてどしどしお寄せください。今回ばかりはどんな誹謗中傷も受け付けよう。


 さて、前置きはこんなところで今日のテーマ。

 ずばり「ダサい」と「カッコいい」の境界線だ。

 とりあえず私は二度と呪文詠唱など作らないと心に決めたわけだが、さて、真面目に考えてどんなところがダサくて、どんなところがカッコいい、と人は判断しているのだろう。

 と言っても、「カッコいいかどうかなんて人それぞれが判断することでしょ?」というご意見が過半数(というかたぶん全員だろう)だろうが、それで終わっては発展などない。

 感想欄に書かれないだけで「あの作者のセンスってダサいよな」なんて陰で叩かれるのは辛いだろう。私なら泣くぞ。





 『テンプレ』小説には『オリジナリティ』溢れる設定がモリモリ登場する。

 オリジナルの武器、必殺技、魔法、乗り物、組織名。

 異世界ファンタジーを舞台にし、異能の力を駆使する以上、否が応にも様々な部分で作者のセンスというものを問われることになる。


 では、先のファイヤーボールを例に考えてみよう。

 この呪文は満場一致で「ダサい」という意見で確定なわけだが(カッコいいと言われても信じないので聞く耳持たん)、では、どこが(、、、)ダサかったのか?

 ファイヤーボールの位置づけと言えば、火属性の初級呪文。

 おそらく魔法使いであればレベル1時点で習得しているに違いない。指先からピンポン玉くらいの火の玉が出て、たき火をする時の種火にピッタリ! なんてイメージである。

 で、そんな低威力間違いなしの初級呪文に、やれ炎の神や荒ぶる業火なんて物々しい単語を入れてしまっているから、大袈裟すぎて「ダサい」と判断できる。

 呪文をもっと軽めにして「飛べ、火の玉! ファイヤーボール!!」くらいの方が、呪文の威力に相応しいのではなかろうか。「カッコいい」かどうかはともかく、「ダサい」要素はかなり少なくなったのではないだろうか。

 つまり費用対効果(ひようたいこうか)――コストパフォーマンスに見合った表現である方が、少なくとも無難に見えるわけだ。

 高威力の魔法ほど詠唱時間が長いのは定番だし、地形を変えるレベルの戦略級の魔法であれば「~~の神よ」とか「地獄の業火よ」とか言っても違和感はないだろう。





 魔法であれば、発動のために詠唱を必要とするという「名前を叫ぶ必然性」が存在するがために長々とセリフを考えたわけだが……では、名前を言わずとも発動する必殺技ならどうなのか。


「いくぞ、食らえ必殺、十文字斬り!!」→剣を縦に振って横に振っただけ


 叫ぶほどの技じゃねええええええっ!!

 縦、横と動かすだけなら剣道部の新入部員でもできるわ!!

 更に言えば、ご丁寧に技名を叫ぶということは、どんな攻撃が来るのか相手にバレバレだという致命的なデメリットもある。十文字斬りなんてそのまんま過ぎるのだ、そりゃあ縦と横の斬撃以外来るわけがない(あえて別の技を出して相手を騙すという戦術もできそうだが、ここでは無視)。

 『ゲームの世界』の考察からも発展するが、いちいち「十文字斬り」と叫ばないと縦横に剣も振れないわけではないだろう。

 では、どうしてわざわざ必殺技を叫ぶのか?

 これは、昔に遊んだとあるゲームにて、ひとりのキャラが答えを出していた。


「その方が、気合いが入るから」


 すごく納得した。

 要するに、自らを奮い立たせるための手段であるがために、熱血バトルにおいてはすべからく技名を叫ぶ。

 で、この気合い――単なるノリと勢いだろう、と馬鹿にはできないのだ。

 武道の試合においては、「やああっ!!」とか「せいっ!!」など気合いの入ったかけ声を叫ぶ場面が多々見られる。

 これは文字通り、気合い――つまり『気』を入れているのだ(相手への牽制(けんせい)という意味もあろうが)。

 自らを奮い立たせるための手段として、声を発するという方法は極めて手っ取り早く、かつ確実だ。自分で自分の力強い声を聞いて「俺は強いんだ」という『自己暗示』をかけているとも言える。


 技の名前を叫ぶのにもそれが適用されているのは間違いないだろうが……実はもうひとつ追加要素がある。

 それは、「声の指示による反射行動」。

 一種の『()り込み』というやつだ。

 単純に言ってしまえば、「動くな!」と言われたら身体が勝手に止まってしまうという現象だ。

 条件反射の習性を利用したもので、例えば、『あっちむいてほい』で「あっちむいて……右!」と言って、反射的に相手を右に向かせる、なんてテクニックもある。

 要するに、これは『あっちむいてほい』の自己完結バージョンだ。

 「十文字斬り!」という自分の声で自分に指示する(、、、、、、、)ことで、頭ではなく身体に直接「十文字斬り」という命令を叩き込む。そして、その技に習熟しているほど――つまり、身体にしっかり覚えさせているほど、素早い条件反射で十文字斬りを実行する、という寸法だ。

 正確には、「十文字斬りという声」をトリガーとして「十字に斬るというアクション」を放つ、というワンセットで身体に教え込むことで成立する。剣道における「面」や「胴」を発声するのと理屈は同じだ。


 そのため、「声とアクション」のワンセットを身体が覚えるほどに反復練習させている、という条件であれば、必殺技を叫ぶのは意外と理に適っているということだ。武道の経験がある方であれば、これを実感されている方も多いのではないだろうか?

 逆説的に言えば、ほとんど習熟していない技や、身体に覚えさせることが困難な技の場合は、『気合い』という点を除いて声に出す必要性がないのではないか? とも言える。

 ここから更に技を叫ぶ必要性を問うのであれば、物語の設定上で名前を叫ぶ理由を描写した方がいいかと思う。ゲームシステム的に叫ばないと発動しないとか、声に出すことで技のイメージを明確にするとか。

 そういった根拠も無しに無意味に技を叫ぼうとすると、「ダサい」というよりは、わざとらしい(、、、、、、)と見えてしまう。これはこれで強者の余裕ととれることもあるだろうし、単なるカッコつけと見られることもあるだろうから、あえてこういう解釈を狙って叫ぶのももちろんアリだ。

 よって、技名がどうこうではなく、技を叫んだことによる恩恵によって「カッコよさ」の是非が分かれる、というのが私の推論だ。

 




 では次、名前そのものについて。

 いやー中二病がうずくわうずくわ。

 そもそも『ファイヤーボール』なんてベタ過ぎる。

 魔法におけるポピュラーな名前なわけだし、『お約束』とも言えるわけだが……どうせならもっと、作者の溢れるセンスを反映させた方が面白いじゃない。

 火属性の名前と言えば……ファイヤーだけでなく、フレイムとかヒートとかバーニングとかブレイズとかマグマとか。

 漢字で行くなら、爆炎とか烈火とか焔とか赤熱とか。

 神話上に出てくる存在からとって、朱雀とかアグニとかスルト(むしろ武器であるレーヴァテインの方が有名)とかヒノカグツチとかプロメテウスとか。

 この辺りのワードを組み合わせれば、なんとかなりそうじゃない?

 適当に、フレイムバレットとかブレイズスフィアとか魔弾・焔とかプロメテウスバーストとか、ほら結構出てくるじゃないと思ったけど書きながら背筋が寒くなるくらいに恥ずかしくなってきたああああああああっ!!

 なぜだ。

 自作品の中では割と平気で色々書いているというのに(どうでもいいが、拙作の主人公は火の能力持ち)、この場で色んな名前を書き連ねていくと指先が拒否反応示すくらいに恥ずかしいっ!!

 こんな名前をキャラが声高に叫ぶのかと思うと、目を覆いたくなってきちゃう!!

 いったいこの心境の格差は何なのだろうか。


 つまるところ……抽象的な表現だが、「場の雰囲気」ではないかと思われる。

 熱血バトル中だと、技とか魔法の名前は当然のようにバンバン叫ばれている。

 さっきの考察で挙げた「気合いを入れる」なり「刷り込みの動作」なりもあるだろうが、それ以外の理由だってありそうなものだ。

 例えば、物語のクライマックスで魔王にトドメの一撃をくれてやる際に「これで最後だ。ファイヤーボオオオオオオルッ!!」だったら皆さま目を疑うだろう。

 (シメ)の必殺技がそんなのでいいわけないだろうと。

 主人公の魔法のチョイス明らかにおかしいだろうと批難殺到間違いなしだ。

 もっと大袈裟なくらいにコテコテに凝った名前の魔法でなければ、ファイナルブローとしては格好が付かない。

 冷静に考えれば(、、、、、、、)ダサい名前であろうと、その場に合った叫びというものがある。

 「うおおおおおっ!!」みたいな言葉にならない叫びでもいいのだろうが、必殺技を高らかに叫ぶのはほとんど『様式美』なわけで。

 ○めはめ波だって○バンストラッシュだって○イダーキックだって、叫んでなんぼだ。

 互いの命、意地や信念などをぶつけ合う、敵味方問わず『本気』の戦いであれば、必殺技を全力で叫ぼうがその名前がどんなものであろうが「これはダサい」なんて感想は不思議と出ない。

 この瞬間だけは、キャラも読者も作者も、みんなが揃って『バカ』になるのだ。

 ここで言う『バカ』とはまかり間違っても悪口などではない。

 恥や外聞などかなぐり捨てて、ひとつのことに全力でぶつかっていく姿には、多くの人を惹きつける何かがある。

 戦いに限らず、仕事や恋愛だってそうだろう。

 一途で、まっすぐで、一生懸命な人の有り方というのは、世代を問わず心を打つものだし、それを「カッコ悪い」と後ろ指を指す方が間違っているだろう。

 言うなれば「青臭い」という概念が、こういった場の雰囲気を表すのに相応しい。

 『青春』とはこの「青臭い」場面の積み重ねでもあるのだろうが、人間、大人になってもこういった「青臭い」、『青春』の子供心を忘れることはできないのだろう。





 要するに――「カッコよさ」というのは2通りあって、理に適った内容を突き詰めるのか、あるいはとことんまでに「青臭さ」を盛り上げていくのか。このいずれかに傾倒するものなのではないだろうか。

 まぁ、つまりだ……形から入る(、、、、、)と、往々にして「カッコよさ」からは離れるのではなかろうかと、そう思うわけだ。

 とかく『テンプレ』系ファンタジーは、序盤から大仰な名前の武器や魔法がポンポコ出てきたりするわけだが、「なんとなくカッコいいと思ったから」という名前を「本気になることもなく」ホイホイと使うから「ダサい」と言われてしまうんじゃないかと。

 例えば、創造魔法でポンと作った武器に大層な名前を付けたところで「ダサい」と言われるのが関の山だろうが、その名前が付くにあたってしっかりとした背景(バックボーン)が成り立っているのであれば、少なくとも私は「ダサい」とは思わない。

 あるいは、どんなに「ダサい」名前や魔法だったとしても、それを扱う人間が『本気』なのであれば、その行いをバカにすることなんてできないと思うのだ。


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