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その10 言葉が持つ魔力について

二話連続投稿です。ご注意。

 今回は、『言葉が持つ魔力』とでも題して、描いた文面が読者にどのような印象を与えるのか、どのような内容を伝えることができるか、考えてみよう。

 今回はキャラの設定がどうだとか、ストーリーの設定がどうという話ではない。

 作者自身の、小説という「言葉の羅列」に対する考え方というものを、少しばかり突っついてみようかと思う。


 まずは『オリジナリティ』の考察でも触れた『台詞(セリフ)』から。

 台詞(セリフ)とは、文字だけですべてを表現する小説において、その人物の特徴を表現するためにとても重要な部分である。

 社会人が小説を読むと結構目に留まるのが、その台詞が「正しい日本語であるかどうか」だ。

 例題を出そう。ギルドの依頼を達成し、報告にやってきた主人公と受付嬢の会話である。

 

主人公「依頼を終わらせてきました。報酬をいただけますか」

受付嬢「分かりました。こちらが報酬の100Gになります」


 どこがおかしいか、お分かりだろうか。

 主人公側は特に問題ないのだが(少し固い言葉づかいだが)、受付嬢の方に間違いがある。

 正しくは、


受付嬢「かしこまりました。こちらが報酬の100Gでございます」


 となる。

 この受付が新人というならともかく、もしこれでベテランなのであれば、敬語(というよりビジネスマナー?)くらいある程度しっかりしていないと、ギルドの教育体制に疑問を覚えることになる。

 ギルドってOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング。直接現場で業務を覚えること。要するに、習うより慣れろ)の研修形式を採用しているのかなどと、これはこれで深読みできるのだが……それは置いといて。

 ともかくこういった些細な点で、作者の国語力を疑うことになってしまう。なお「異世界だから翻訳がちょっとおかしい」なんて設定はここでは無視だ。


 割と根本的な話だが、小説を書くということは、自分で一から文章を書き起こす行為だ。

 そこには、作者の国語力・文章力というものがビックリするくらいはっきりと表れてしまう。

 上記で挙げた『敬語』はその最たるもので、そのキャラが責任ある立場であればあるほど、言葉づかいをミスした印象は色濃く残ってしまう。

 ひとつの事柄を多様な言葉で表現できる日本語ならではの感性なのかもしれない。


 作品が書籍化される際には出版社からの校正が入るので、最終的には正しい言葉になるのだろうが……だからと言って、日本語の誤用がポンポンと出ているようでは、言葉を操る作家としては問題だろう。私とて他人事ではないのだが。


 この辺りは、もう勉強と練習あるのみとしか言えない。

 あるいは、普段使わない言葉やしゃべり方を記述した時には、一度辞書(ネットで検索しても出てくる)で正しいかどうかを調べるクセを付けておいた方がいいと思われる。

 これくらいの努力は、きっと物書きとしての義務だろう。


 と、ここまでの話は『テンプレ』とはあまり関係がない。

 ただの国語の授業だ。

 だが、こういったちょっとした部分でも伝わること、伝わってしまうこと(、、、、、、、、、)があるのだとご理解いただきたかったのだ。

 「別にこれくらいで、細かい所気にしすぎだろ」といったご意見も来そうだが、読者を甘く見てはならない。

 感想欄で作中の誤字脱字を挙げてくださっている読者様は意外と多い。それだけしっかりと目を通してくれているということだ、ありがたいことではないか。





 では、本題に入ろう。

 言葉が伝える印象というものは、我々が思っている以上に強烈なものである。

 いくら設定が練り込まれていようが、魅力的なキャラが出てこようが、不用意な一言がすべてを台無しにすることだって大いにある。

 では、悪い例を作ってみよう。

 王国が魔族に襲撃され、勇者召喚を決意するまでのワンシーンだ。


兵士「ご報告致します! (へい)の外に魔族の大群が!!」

王「マジで!? 騎士団はなにをやっている!!」

兵士「騎士団は……敵高位魔族の魔法によって、全部隊、壊滅しました……!!」

王「……」

兵士「陛下、ご決断を」

王「……仕方あるまい。とりあえず勇者召喚だ!!」

 

 さて、この作品はここで晴れて打ち切りである。

 理由は2点――なんだ「マジで」って。なんだ「とりあえず」って。

 自分で書いておいて何だが、この王様。自国の危機、命の危機に瀕した状態で「とりあえず」なんてワードがよく出てきたものである。


 状況や立場、感情、はたまた教養など……『名言』の考察でも論じたように、言葉はその人物の人となりが表現される。

 『テンプレ』においては、様々な年齢・性別・立場・境遇を持った人間が登場することが多いので、人物ごとに使用する言葉を変えるのはごく自然な流れである。

 まかり間違っても、一国の王が配下を前にして「マジで」とか「ぶっちゃけ」とか「ありえねー」とか、今時の若者みたいな言葉を使うのは論外だ。誰もいない時や、信頼できる相手に対して使う場合で、「王様の本音」ということにすればギリギリセーフかもしれないが……文学作品として好印象になることはまずあるまい。


 小説は絵も声も付いていない(絵は付けようと思えば付けられるが)、言葉だけですべてを表現する場所だ。それだけ言葉が及ぼす影響力は計り知れない。

 毒にも薬にもなる言葉の魔力、用法用量を守って正しくお使いいただきたい。





 これは、台詞ではない地の文章でも同じことが言える。

 正しい書き方どうこうの話は論旨からずれてしまうので割愛するが(私とて自己流なので自信はない)、「どのような言葉や文章を選ぶのか」という点に焦点を当ててみたい。

 『テンプレ』かつ『チート』で主人公最強ものによく見られる現象だが、振るった力とそれを表現する文章のつり合いが(、、、、、)取れていない(、、、、、、)

 これも例を出そう。今だけ私の中の厨二病をフル稼動させて書いてみた。


 

 あらすじ。

 状況(シチュエーション)はゴブリンの巣。街を荒らすゴブリンどもを相手に、ステータスMAXかつ、創造魔法で創り出した雷を纏った日本刀でバッサバッサと大立ち回り!!


 A

 俺はゴブリンの巣に突入し、出てくるゴブリンどもを出会う端から斬り捨てていった。

 背後から振り下ろされた棍棒(こんぼう)を軽くかわし、一閃。いとも簡単に真っ二つになった。

 斬る、斬る、斬る。

 逃げ遅れたゴブリンは刀から放出される雷で真っ黒こげになっていた。

 10分も経たない間に、俺ひとりの手によってゴブリンの巣は壊滅した。


 B

 息をするだけでも気分が悪くなりそうな、不快な湿気に満ちた暗い洞窟の奥の奥。

 暗闇の向こう側に無数の殺気を感じたと同時、俺は鋭く息を吐き出し、抜刀。この刀の属性と同じく、紫電のごとき神速の抜き打ちで、目の前に現れたゴブリンは胴体から上下に真っ二つとなった。

 背後から振り下ろされた棍棒を軽くかわし、振り向きざまに一閃。肉を斬り骨を断ち、速やかに命を奪う。

 それでも絶え間なく四方八方から襲い来る小鬼どもに一歩も下がることなく、前へ。

 油断もない、恐れもない。冷え切った思考のまま――斬る、斬る、斬る。

 (ほとばし)る雷鳴により、ゴブリンどもから立ち上る無数の悲鳴はかき消され……10分も経たない間に、ゴブリンの巣は冷たい刃と荒々しき雷によって蹂躙(じゅうりん)され尽くしていた。



 Aは簡潔な文で読みやすいが、臨場感や迫力に欠ける。

 Bは臨場感を重視して書いた(つもりだ)が、漢字が多く読みづらいし、遠回しな表現が多いのでよく読まないと分からない。

 

 Aのような「淡々と事実のみを伝える」、いわば『解説型』は、文字だけでも状況が読み取り易く、主に大きな物事を動かす場合や、テンポよくイベントを消化したい場合に使われる書き方だ。

 より簡潔に「ゴブリンの巣を壊滅させた」という事実のみを切り取ればダイジェスト形式にもなる。


 対するBは『実況型』と言うべきか。

 細かな動作、心の機敏、周囲の環境など……その瞬間に発生したあらゆる情報を文字化する臨場感や迫力を重視した書き方となる。そのシーンを強く深く描写したい場合は、こちらのタイプになることが多いだろう。


 さて、ライトノベルにおける戦闘シーンで、どちらが正解というわけではない。

 これは作者が、「何に比重を置いて」伝えたいのか、状況に応じて使い分けるのが重要かと思われる。

 『テンプレ』小説をざっと見ると……過半数がAの『解説型』になっていることが多かった。

 これは『テンプレ』に限らず初めて小説を書く上では仕方がないことで、Bの『実況型』を書くには、多少の慣れと言葉の引き出し(ボキャブラリー)を多めに持っておく必要がある。

 しかもBは結構落とし穴が多く、油断すると「漢字や文字数が増えすぎて読みづらくなる」「同じ言葉を連続使用して文がしつこくなる」といった弊害をもたらしてしまう。実際、先ほどの例では割としつこめに(、、、、、)書いたつもりだ。私の拙作は日々この恐怖と戦っている。


 では、改めて考えたいのだが……『テンプレ』における例題のようなシーン。

 ここでは「主人公の強さ、カッコよさ。使う武器の強力なところを見せつけたい」というのが作者の意図になっているはずだ。

 『主人公最強』とか『チート』で散々色んな能力をブッ込んできたのだ。大々的に披露(ひろう)できる場がやってきたというのに、気合いを入れて描写しないなんて嘘だろう。

 ……だが!!


 前書き

 最強の剣を手にした主人公が無双する!

 1000人の軍勢相手にたったひとりで大暴れする主人公の活躍に乞うご期待!!


 本文

 敵を斬った。片っ端から斬った。

 1000人くらいいたが俺ひとりで全員たたっ斬った。

 ――以上。


 ……え? これだけ?

 主人公の一騎当千シーン、37文字(句読点含む)で終了?

 冗談にしては笑えない一幕だが、今の『テンプレ』はまさしくこれだ(、、、、、、、)

 つり合いが取れていないというのはこういうこと。

 37文字は極端すぎるが、折角の無双シーンを「箇条(かじょう)書き」で淡々と終わらせてしまっており、派手さも爽快感もあったもんじゃないのだ。


 ゴブリンを斬った。

 ファイヤーボールで手近な敵を焼き払った。

 日本刀を振り回した。

 敵兵の首をはね飛ばした。

 踊るように舞って剣を振るい続けた。


 これはアクションシーンと言うよりは、単なる事後報告のような気がする。Aのように淡々と事実のみを伝える『解説型』は、そもそもこういったシーンには似つかわしくない。

 せっかく考え出した最強の『チート』も、これでは「どれくらい凄まじいか」などまったく伝わってこないだろう。表現の上手い下手は置いておいて、少なくとも、「これ」が作者が書きたかったこと、伝えたかったことだとは思えないのだ。

 この辺り、私も未熟ゆえあまり先生面できるわけではないが……アクションシーンにおける臨場感とは、「敵を斬った」という描写ではなく、「どのようにして敵を斬った」か――つまり、『動作』を描く必要があるのではないだろうか。

 「日本刀をひと振りして、ゴブリンを斬った」という一連の動作をより綿密に描写すると、


1. 腰を低く構え、刀の柄に手をかける。

2. 息を整え(調息)、神経を研ぎ澄ます。

3. 息を吐くと同時、鞘から刀を抜き放つ。

4. 刃がゴブリンの胴体に滑り込む。

5. 肉を斬り、骨を断つ感触が手に伝わりながら、一気に刀を振り抜く。

6. ゴブリンの身体が真っ二つに両断される。

7. 残心(構えを解かずに注意を続ける)。

8. 刀を勢いよく素振りして、刀身に付いた血糊(ちのり)を払う。

9. 納刀。


 特殊能力を持っていない、普通の日本刀のひと振りでもここまで細かい動作の表現が可能となる(抜刀術にしたのはただの趣味だ)。

 この一連の動作を、作者が力を入れたい比重に応じて一部を削ったり、また別の動作を加えたりすることによって完成となる。

 無双シーン=1対多数が多いせいか、やたら駆け足で戦闘を進めようとすることが多いが、たとえ1対1000だろうと、やっていることは1対1のやり取りをめまぐるしく繰り返す行為に過ぎない。


6. ゴブリンの身体が真っ二つに両断される。

7. すかさず背後からもう1体のゴブリンが棍棒を振り回してくる。

8. 軸足に力を入れ、反転。その勢いのまま刀を横薙ぎに振る。

9. ゴブリンが持っていた棍棒で受け止められる。

10. その隙に左右から2体のゴブリンが飛びかかってくる。

11. 冷静に判断(、、、、、)。刀から手を離し、足を曲げてその場にしゃがみ込んで回避。

12. 頭上で2体のゴブリンがぶつかり合う。

13. 棍棒を持ったゴブリンが驚愕で固まっている間に再度接近。ガラ空きになった胴に拳を叩き込む。

14. 大きく吹き飛ばし、洞窟の壁へ激突。動かなくなったことを確認し、残った2体に向き直る。

15. 以降、攻防を繰り返す(ひと区切りついたら残りの敵は省略してもよい)。

 

 アクション映画の動きや、時代劇における『殺陣(たて)』をイメージするのがいいだろうか。ああいうものも、敵をバッタバッタと斬り倒すこと自体がカッコいいのではなく、キレのある動きや見事な立ち回りに感嘆を覚えるものである。

 余裕があれば、11番のようにその時の主人公の内面の動きを差し込んでみてもいい。焦りや冷静さ、怒りやや悲しみといった感情を挿入すれば、臨場感はより高まるし、動作にも説得力が増す。





 では、魔法の場合はどうだろうか。

 魔法に限らず、一発で1000人の大軍勢を一瞬にして「薙ぎ払えー」とできるようなアクションはどうすればいいのか。

 流石に、こういったシーンで殺陣のようなアクションの感覚を適用することは難しい。

 だが「敵を薙ぎ払う」までの『動作』を描くという点に変わりはない。

 大群相手に使うような大魔法となると、それなりに詠唱なり起動準備に手間がかかるだろうし、術者にも相応の負担がかかることだろう。

 これは作中における魔法の設定次第とも言えるが……


 俺はすかさず魔法を唱えた。

「ファイヤーストーム!!」

 1000人の敵を薙ぎ払った。


 大群との戦いを3行で終わらせてしまえるようなお手軽大魔法はよしておこう。色々と軽すぎる。

 一応、それなりに精神に負担がかかる設定でやってみよう。


1. 予め地面に書いておいた魔法陣の中心に立つ。

2. 目を閉じ、精神を集中させ、詠唱開始。

3. 呪文(炎の神よ~でも、○コ○コアザラクでも何でも結構)

4. MPを消費。頭が割れるように痛む、力が抜けていく、身体の内側から炎に焼き尽くされそうに熱い、など何かしらの負荷が発生。

5. 歯を食い縛り、耐える。または平然としたまま詠唱を続行。

6. 呪文が完成。

7. 敵軍を見渡し、魔法を発動させる地点を決定。

8. 「ファイヤーストーム!!」

9. 敵軍が薙ぎ払われる。


 物理的なアクションが生じない大規模攻撃の場合、攻撃した後の描写を深く書くのは難しい。高原を焦土に変えたとか、ゴブリンが全員灰になったとか、自然と『解説型』になってしまうのだ。

 大きな結果をもたらすアクションには、大きな『溜め』が欲しいところ。

 よって、発動する前の『動作』に比重を置くのだ。特に4.5番がキモ。

 事前準備にかかる手間や負担を強く描いているほどに、発動時の爽快感(解放感?)が目に見えて変わってくるわけだ。

 

 なお、1000人を薙ぎ払う大魔術を溜め無し(ノータイム)でポンポコ撃つのを悪いとは言わないが、それはもう、読者の想像の領域を超えてしまう。『オリジナリティ』を突っこみ過ぎた『理解不能』へと至る悪手になる可能性が高いし、そもそも文字で表現できるのか(、、、、、、、、、、)? 

 ここまで来るといわゆる「神々の戦い」な領域になってしまうので、読者は等しく置いてきぼりを食らってしまう。「インフレし過ぎ」と叩かれてしまうのが、こういった「文字で表現できない領域」まで至った『チート』によく見られるので、気をつけたい。





 今回は、かなり『型』にこだわった考察になってしまった気もする。

 書きたいものを、書きたいように書けばいい。一応はそれが真理だろう。

 自分なりの書き方(スタイル)が構築できている方にとっては釈迦(しゃか)説法(せっぽう)だ。読み飛ばしてくれても全然かまわない。

 ただ「文字による表現」にも色々と書き方(スタイル)があるのだと考えていただければ、この考察は充分だ。


 頭の中でイメージはできているけど、文字に起こそうとするとまるで勝手が違う――そんな経験は、皆さま一度や二度ではないだろう。

 思い描いたイメージを小説にするというのは、「あらゆる事象を文字に変換する」作業である。自分のイメージに最も近い言葉を組み合わせ、文章という流れを構築するのは、言うほど楽な作業ではない。

 これは、対策と呼べる対策など無い。

 とにかく地道に、たくさんの「文字による表現」の方法を知ることのみだろう。

 新聞でも週刊誌でも芸能人のブログでもスーパーの特売チラシでも、何でもいい。多くの文字と出会い、多くの「文字による表現」を学ぶことをオススメしたい。


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