その1 ストーリー作りについて
最初に。
私は別に『テンプレ』要素を否定するつもりなど毛頭ありません。
そもそも私も『テンプレ』設定を使用した小説を書いていますし、どんな作品であれ、小説を書いているすべての方々を尊敬しています。
この場につらつらと書いているのは、私の単なる疑問と分析とひとりよがりな意見に過ぎません。
現在の『なろう』小説のランキングを見ていると、ほとんどの作品は『異世界転生(または転移)』が題材となっている。
軽く数えてみたが、2015年11月某日の日刊ランキングだと上位30作品のうち29作品が異世界を取り上げた作品だった(ちなみに、残る1作品はVRMMOがテーマだった)。
『異世界転生(または転移)』という題材は、私が覚えている限りだが軽く7~8年くらい前から流行していたものだったかと思う。
今では俗にテンプレ(テンプレートの略。直訳すると『ひな形』だが、ここではありきたりなもの、型が決まったもの、という意味)小説とも呼ばれているほどだ。
――ここでふと、思ったことがある。
なんだって多くの作者は、このテンプレである異世界ものの小説を書こうとするのだろうか。そんなに書きやすくて、書くのが面白いものなのだろうか。いやでも、完結を待たずして途中で終わってしまう作品も多いし、必ずしもそうとは言い切れないのか?
作者にも読者様にも人気があるはずのこのジャンル、どうしていつも不完全燃焼で途中終了されたり、長続きしないものが多いのだろうか。
実はかく言う私も、このテンプレ小説を書こうとしたことは何度もあった。だが、とある理由で断念してしまったことがあり、以降手を出してはいない(ちなみに投稿すらしていませんので検索しても出てきません)。
なにせこのテンプレ小説――滅茶苦茶難しいのだ。
前提として、この場合の『異世界』とは、我々が暮らす地球があって、それとはまったく別の世界が存在する――それを主人公ないし登場人物が自覚している世界観のことを指す。
つまり、ファンタジー世界を舞台にはしているが、地球や日本の設定が一切出ない(登場人物もすべてその世界の住人)のであれば、それは『異』世界ものではないということだ。
と、いうわけで本題。
例がないと説明しづらいので、ここで簡単に『テンプレ異世界もの(仮)』の小説のあらすじを作ってみよう。
1. 何の変哲のない高校生が突然トラックに轢かれて死にました。
2. 神様から特殊な力を貰い、異世界に転生。
3. 子供のころから魔法や剣術などを猛特訓。とっても強くなりました。
4. 成人したのでひとり旅を始める。途中冒険者ギルドに登録し、大活躍。
5. 女の子を助けたり、事件に巻き込まれたりしながら、気ままな旅を続ける。
タグを付けるなら『異世界』『チート』『主人公最強』。今後の展開次第では『ハーレム』も付けるか。
別に1番が『召喚されて着の身着のまま異世界転移』でも大丈夫で、2番以降の大筋に変更はない。これぞテンプレ、と言わんばかりの自信作だ。
さて、このあらすじをなるべく崩すことなく、さあ執筆開始だとペンを取る……と、ここでふと考えた。
――どんな結末にすればいいんだろうか?
どんな小説にも、当然『結末』が存在するわけで、大よその場合、主人公は何かしらの目的意識を持って、自身が望む結末に向けて進み続けるわけだ。
目的、と考えて私がすぐに思いついたのは『元の世界への帰還』だ。
家族や友人を置いて異世界に来てしまったのだから、もちろんどうにしかして戻りたいと考える。
なんだ、こんな単純かつ明確な目的意識があるじゃないか!!
……しかし、だ。
現在多く評価されている小説を読んでみると、『元の世界への帰還』を目的としている内容など無いに等しい。
転生の場合、そもそも現世で死んだのだから戻りようがないし、死なずに転移してきた作品でも、主人公は割とさっくりと現世への未練を断ち切っていた。
登場人物の心理描写はともかくとして、最初の時点で帰還の可能性をぶった切る作者の方々、いきなり主人公(というか作者自身?)を崖っぷちに追いやっている気がするのは私だけだろうか?
しかもこの展開は、現世に残してきた人達を軽んじている、と解釈できてしまうため、どうしても主人公に軽薄な印象を与えがちだ。とはいえ、これを逆手にとって、主人公に排他的な性格であったり、唯我独尊なオレ様キャラを印象付けることもできるので、決してデメリットになるとは言い切れない。
もしかすると、人間関係が希薄なニートや、人生に絶望したいじめられっこがよく主人公として挙がっているのは、現世への未練を躊躇いなくぶった切らせるための布石なのかもしれない。
現世への帰還が目的でないなら……あとは『成り上がり』か。
億万長者、魔王を倒して地位や名誉を得る、むしろ人間界を滅ぼして俺が魔王になってやる――おお、いくらでも出てくるじゃないか!!
だが、意外にもここで立ち塞がるのが『チート』の壁だ。
飛び抜けた戦闘能力を身に付けた主人公は、ギルドの依頼で凶悪な魔物を討伐し、大量の報酬を受け取って颯爽と去る――これが第一章だ。
うん、総文字数10万文字くらいで既に行くとこまで行きついてしまったね。……で、ここからどうしましょう?
もっと強い魔物を出せばいいのだろうかとも思ったが、さくっと倒す展開になる以上、相手が違っても話の中身が変わらない。
いかん! これでは物語に深みを持たせるなんざ夢のまた夢じゃないか!!
だったらこれならどうだ! 『惚れた女をものにしたい』!!
これは話が広がりそうだぞー。
窮地を助けてくれた女性に一目惚れし、彼女に認められるために強くなる――王道だけど心が躍るね!!
王女様と結婚したいけど、身分の壁が邪魔をする。だったら力と知恵で成り上がって、王女にふさわしい身分まで上り詰めてやる――いい純愛ものが書けるかも!!
――よし、じゃあハーレムは諦めよう。
そりゃそうだ。心に決めたヒロインがいるのなら、他の女を囲ってハーレムとかやってる場合じゃない。「一夫多妻制」「強い男は何人もの女を侍らすのがステータス」と言いきるのももちろんありだが、その瞬間主人公のキャラは『女好き』で固定されることとなる。男はみんな女好きだろうけども。
そう考えると、安直にヒロインを主人公に惚れさせるのも結構困りものなのだ。
ハーレム展開になった上で、かつヒロインの「他の女がいるのは嫌、けど好きだから仕方ない」という心理描写を、読者に納得させるだけの内容で表現するのは、実はとんでもなく難しい。
別に、ヒロインにハーレムを認めさせるのは簡単だ。
例えば、奴隷の女の子がメインヒロインなら「ご主人様(○○様)がそう仰るのなら……」「ご主人様がされることを否定するなんてありえません!!」と言わせるだけでまるっと解決する。
だがそれを認めた瞬間、ヒロインからは人間味が消え失せる。少なくとも愛だの恋だのを丁寧に表現できるキャラにはなれなくなってしまう(もちろん、キャラが『成長』することで心理状態が変化するなら話は別だ)。
ここは作者の表現力の見せ所だが、ヒロインが本気で主人公に惚れているなら、少なくとも『ハーレムへの忌避感→他のヒロインとの衝突(普通に話をするだけでもいいのかも)→認めたくないけど認めなければ、という葛藤→認めると決断する』くらいのプロセスは必要なのではないだろうか。
ここであっさりと認めてしまうと(ヒロインの実際の心理はともかくとして)、読者側には、ヒロインの主人公に対する愛情はその程度かと見られてしまうことになるだろう。
男性読者はヒロインを自分に置き換えて、こういうイメージをしてみるとよい――付き合っている彼女がいきなり違う男を連れてきて「2人とも好きだから許して!!」と言われて、許さなければならないと自分に言い聞かせるのだ。
そこで「いいよー」と即答できるものなら、絶対彼女への気持ちが冷め切っている。
ハーレムもので、かつヒロインの心情を丁寧に描けている作者様はホント尊敬します。
話が逸れたが、物語の目的にできるようなものは他にないだろうか。
……いや、待てよ。さっきから「帰りたい」だの「成り上がりたい」だの「女をものにしたい」だの、主人公の欲望だだ漏れな動機ばかりではないか!!
もっと、こう、ファンタジーの王道的な展開は……そうだ! 『囚われのヒロインを助け出す』という超王道のストーリーを忘れていた!!
家族・友人・恋人――大切な人を攫われるなり、人質にとられるなりして、決死の救出劇を繰り広げるのだ!!
……ぶらり旅なんてしてる場合じゃないね。
この目的に向かってストーリーを進める場合、当然ながらお話は基本シリアス方向に進まなければならない。
ハーレムなど論外。例え助け出す対象がヒロインだろうがむさい親父であろうが、助ける間に女侍らせてやりたい放題する主人公は普通に死んでいいと思う。
復讐劇や、戦争を題材にした『戦記』ものなど――いわゆる骨太な作品にはもってこいの目的だろうが、それはもう当初の『テンプレ』なあらすじからはかけ離れ過ぎてしまう。
旅をする、という展開を組み込むことはもちろん可能だが、攫われたヒロインの行方や、あるいは助け出すために必要なキーとなるアイテムや人物を求めて動くことになるので、ぶらぶらしている余裕などない。ましてやギルドで俺tueeeeなどやっている場合ではない。さっさと助けに行けや、と読者様からの叱責が飛び交うのが目に見えている。
いかんな……救出劇の物語は、目的意識が明確になる代わりに主人公の行動パターンもほぼ一本化されてしまう危険をはらんでいる。
こうなったら最後の手段――『平和を取り戻すため』しかないのか。
あらすじは一切ぶれさせることなく、とにかく5番のぶらり旅まで話を進める。ある程度話を書き進めたら、いきなり世界を破滅に導く魔王さまの登場だ。旅は中断、世界中の仲間を集めて魔王率いる軍勢に立ち向かい、なんとか勝利を収める(または、チートで一撃必殺)。世界は救われ、主人公たちはいつまでも平和に過ごしました――ハッピーエンド。
……これならいけるぞ。
あらすじの設定を壊すことなく物語を作って、綺麗に大団円を迎えられる。
チートで無双するにはおあつらえ向きの展開だし、これまでの気ままな旅も、世界中の仲間が一同に集まって力を合わせるための布石として成り立つ。
途中で仲間が倒れて涙ながらに進むシリアスな展開も加えることができるし、非の付けようがないほどに、物語のクライマックスとしてはうってつけだ。
だが、ここであえて苦言を呈するのであればこの展開――見飽きた。
批判を覚悟で記述するが、『なろう』小説読者の皆さまであれば、こんな展開で終了する小説を見たのは一度や二度ではないはず。これが、テンプレがテンプレと呼ばれる由縁そのものなのだろうが……ぶっちゃけた話、私はここまで考えが至った時点で「異世界転生(転移)の小説は書けそうにない」と匙を投げてしまったのだ。
つまり「他にはない個性を出さないと小説とは呼べない」とは言わないけれど、結末が分かり切っている小説って面白いんだろうか――こう思っちゃったのである。
かなり気取った表現をすると、こういう手法は演劇の世界における『デウス・エクス・マキナ』――あるいは『御都合主義』とも言われる。
別にこれ自体が問題なのではない。
毎回手ごろな悪党が登場して絶妙なタイミングでご老公が駆け付け成敗する時代劇や、主人公が行く先々で殺人事件が発生するミステリーものなど、ご都合主義も突き詰めれば、『お約束』や『様式美』として人々に愛される作品に昇華する。『王道ファンタジー』なんてジャンルが、小説に限らずマンガやアニメなど、様々なメディアで愛されているのもそのひとつだろう。
使い方によっては秀逸な作品づくりにも繋がる『御都合主義』だが、長編小説では往々にして微妙な評価がされることが多い。
このあらすじの場合、主人公がどんな人生を送ってどんな能力を得てどんな人間関係を構築してどんなドラマを繰り広げようが、「魔王倒してハッピーエンド」という結末に集約されてしまうわけだ。
こういう展開は決まって読者様に先読みされやすいという傾向がある。
感想欄に「どうせこの後~~って展開になって、最後は~~になるんでしょ? そんなもん見飽きてるよ」といった記載があれば、私も相当ヘコむ自信がある。
「異世界転生はテンプレだから書きやすい」といったご意見もたまに見受けられるが、とんでもない。
完結させるとなると、小説としてこれほど超絶難易度の題材などそうはあるまい。
これまた勝手な推論だが、日刊ランキングでこのような小説は多々上がってくるが、完結を待たずしてランキングから消える、または掲載自体がストップするのは、この辺が原因のような気がしてきた。
はっきり言って、テンプレものを書き始めるのは驚くほどに簡単だ。見本となる小説は山ほど存在するし、当面のストーリー展開も最初から出来上がっているに等しい。
だが、海千山千ある『異世界転生・転移』ものにおいて、最後まで書き切って完結した作品は異常なほどに少ないのだ。
はっきりと言ってしまうと、テンプレものを書く作者は、その大半が結末を決めずに書き始めている(実は私もそうだった)。
「勢いで書き始めました」とコメントしている作品が、開始1ヶ月と経たずにランキングどころか検索からも消えていったのをどれほど見届けたことだろうか。
別に書き始めの時点で結末を明確に決める必要はないのだろうが、目的意識のない物語を書き続けていると、まず作者が飽きる。ゴールが見えないマラソンみたいなものだろう。
だからこそ、奇抜な設定に頼らず、誰もが気軽に読むことのできる『テンプレ』を題材にし、連載を途切れさせることなく完結まで走り続けられる作者を、私は心底尊敬する。
と、ここまでつらつらと手前勝手な考察をしてはみたが、これはあくまでストーリーを主軸にして小説を書こうとした場合に過ぎない。
たとえどれほどストーリーがテンプレであろうと分かり切っていようと、魅力的な登場人物の前にはまるで問題にならないのだ。
こんな格好いい主人公を考えた、こんなかわいいヒロインを思いついた――でも自分の頭の中だけのキャラになるのはもったいない。この子たちが活躍できる世界や設定を作って、そこで生き生きと動き回らせてあげたい。
少なくとも私はこんなきっかけで小説を書き始めた身であるが、おそらく共感いただける作者の方もいらっしゃるかと思う。
他人の評価はどうであれ、自分が生み出したキャラには愛着がわくものだし、そのキャラが辿り着く結末が悲劇であろうとハッピーエンドだろうと、最後までその物語を書き切ってあげたいというのが、作者なりの親心(?)であろう。
そして、キャラへの愛情はそのまま作り込みに表れるものだ。容姿、性格、人間関係、能力など、細部に至るまで考えて考えて形にする。
例え、赤ん坊の頃から世界最強だろうが、一番最初に戦う敵が決まって『ゴブリン』であろうが(私の長年の疑問である)、スキルを習得しすぎてステータス情報がやたら長くなってしまおうが(皆さんちゃんと全部読んでますか?)、出会うヒロインが片っ端から主人公に一目惚れしていこうが、強くなり過ぎて魔王どころか神ですら一発でぶっ飛ばそうが!!
「こいつ面白いな」という感想が出れば、間違いなくそれが正解なのだ。
以上が、今の『テンプレ』小説群を拝読して思った私の書き手としての見解だ。
はっきり言って、素人の小説家(の成り損ない)が勝手に考えたことなので穴だらけの分析であるし、「なんだそりゃ、馬鹿らしい」と一蹴してもらって大いに結構だ。
結局のところ、何が言いたかったのかというと――「せっかく書き始めたんだから完結させよう、キャラがかわいそうだよ」である。
勢いで書き始めるのもいい。
設定が甘くて批判を受けるなんざ小説初心者だったら誰もが通る(私の作品には批判どころか感想自体がないがな!)。
練習作と割り切って勝手気ままに書くのだって立派な勉強だ。
小説家として売れることを夢見て書き始める人もいれば、ただ趣味の一環として自由に書いている人だっている(私は基本的に後者だ)。
自分で書いておいて何だが、私のこれは相当がんじがらめな考え方なので、これから小説を書こうかと考えている方々はここまで重く捉える必要はない。
結局のところ、小説を含むあらゆる娯楽作品の究極は、「面白ければそれでいい」という感想に尽きるのだから、気の赴くままに書き続けるのが正解なんだと思う。
ただ、せっかく考えた登場人物達のためにも、作者自身のためにも、読んでくれている読者様のためにも、ぼんやりでもいいので早めにゴールを作ってあげることをオススメしたい(早く完結させるという意味ではなく、結末を頭の中である程度決めておくという意味)。
終わりのないマラソンを走り続けるなんて、誰だって嫌だろうから。