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少女天国

作者: 時計塔

 少女天国


 私のお話です。

 私はAが大好きでした。Aは私の許嫁で、幼馴染です。私にとってAは家族であり、同時に惹かれ合う関係でした。少なくとも私はそうでした。

 私には双子の妹がいます。妹は幸薄な少女で、生まれた時から病を患っておりました。この時代では完治不可能――――つまり不治の病というものです。妹はいつも私を見つめて微笑んでいました。どんな時でも笑みを崩さない強い女でした。自分の将来が確定されていたにも関わらず妹は笑っていました……。

 私は妹が大好きでした。大切でした。私とそっくりの鏡のような存在。もう一人の私。けれど、妹だけは日向を歩くことが許されない。今思えば、それは妹にとってとても辛いことだったに違いありません。苦しいことだったに違いありません。

 私は妹が、大切でした。

 あんなことがなかったなら。


 それは寒い冬の日でした。私はAと過ごす日が多くなっていました。Aは将校でもうすぐ戦に出向かなくてはなりませんでした。

 必ず帰ってきてください。ああ、必ず。そんな他愛ない約束を何度したことでしょう。手を繋ぎ、体を触れ合うだけの別れ。それでも私は満足でした。彼の瞳は深い黒玉で見つめられると私は思わず目を逸らしてしまいました。でも彼は私を見つめ続けていたと思います。その、黒い宝玉のような瞳で……。


 妹が、懐妊しました。それは彼が去ってからほんの数ヶ月と経たない日の出来事でした。子供は天の授かりもの。されど、これは衝撃的な出来事なのです。

 妹は、生まれてこの方外に出たことなどありません。でも、懐妊しました。ならば、相手は間男かそれに連なる下賤な輩かに絞られます。それは決して許されることではありませんでした。

 なぜなら、私たちの家が華族だからです。家柄こそ至高。血縁こそが重んじられたこの時代、どこの馬とも知れぬ輩の子供など、世間の目に触れようものなら最悪、お取り潰しになりかねなかったのです。

 家中が大騒ぎでした。誰が娘を瑕モノにしたのか。誰の子供なのか。肝心の妹は決して口を割ろうとはしませんでした。その瞳は、黒い宝玉のように美しかった……。

 私は妹の味方でした。どんな下賤な者の子供でも、私たち華族の血を引く者に違いはないのだと。大切な妹の子供なのだと……。両親は妹を哀れんでいました。その瞳は黒い玉のように私には見えました。妹は私を見て微笑んでしました。その黒い玉のような瞳で……。


 Aは帰っては来ませんでした。元々帰ってくることなど出来なかったのです。彼は人間魚雷の犠牲となりました。わかりますか? 人間が爆弾に乗り、操作するのです。当然その人は死にます。キチガイじみた作戦です。狂気の沙汰どころではありません。死を超越した、むしろ美しい完全なる敗北。そんな風に誰かが言っていました。

 冗談ではない。私は泣き、叫んだ。戦争開放と暗黒なる時代の夜明けに。そんなことなどどうでもよくなるくらい、私は吠えました。Aは最後までその黒い宝玉のような瞳で空を見つめて笑っていたそうです。


 妹が息を引き取ったのはそれから一週間と経たない日の寒い冬の日でした。まるで何かを待ちわびていたかのように妹の顔は安らかで、安心しきっていました。幸せそうで、なぜか私は胸にピリリとした辛さを感じました。

 さて、残ったのは私と妹の子供です。両親は既に他界し華族という階級制度も剥奪されました。

この暗黒の時代に取り残された私たち二人。

苦しかった。辛かった。そんな言葉では表せないほどの絶望。光など見えない、暗闇。そこにある、絶望。

 彼がいなかったらとっくの昔に私は死んでいたでしょう。私は決して強い女ではありません。でも、不思議ですね。女は守りたい人がいると、修羅となれるのです。私は決して全うな道など歩んではいません。それでもこの子を育てられるのなら、喜んで進みました。

 だって、大切な妹が産んだ命なのですから……。



 私の生涯は一体なんだったのでしょうか。今、こうしてベッドに横たわり、ふと考えてしまったのです。決して幸せな人生ではなかった。好きな人を失い、女手一つで子供を育ててきた。

 他に何もない。それが私の全てです。

 でも、ええ、そう。私は、私を誇りに思います。

 横で私を見つめる彼は、静かに私を見下ろしていました。

 黒い宝玉のような瞳で、私を見下ろしていました。


 私の生涯は、とても充実していました。

 その、事実を、最後に知ることがなかったなら。

 ベッドに横たわる彼。暖かい、あの人と同じぬくもり。

 黒い宝玉の瞳。彼と妹の私を見つめるあの瞳。

 両親が見つめる、あの黒宝玉のような瞳。

 妹が私を見つめる、あの哀れんだ目!!


 私の生涯は、騙され続けた人生でした。

 それでも充実していました。騙されて、でもそれでも私はそれを知らずに生きて行けたのですから。

 そして私はベッドの横で見つめる彼の哀れんだ瞳を見て急に目の間が真っ赤になりました。

 ああ、なんて素敵な人生。

 ああ、なんて素敵な日々。

 だって、人生の最後を、彼の血の色で終わることができるのですから……。

 妹は地獄に堕ち、少女だった私はきっと天国に行けるのですから……。

 さようなら。

 


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