43話 幸せの消失
「ちょっと休憩したいな」
「わかった」
ウィンリウスを地面に置くと、アリシェはそのまま倒れる。
ふぅ、とひと息をつくと額から汗が流れた。
あれからすぐに、アリシェはフリードと剣の稽古を行った。
「もっと丁寧に扱わんか!」
「もぉー!注文が多いよ、ウィンちゃん」
「うっ、ウィンちゃんだと……!?我を変な名で呼ぶのは止めんか!!」
地面に放置されたウィンリウスは、表情こそないものの声音からかなり怒っていることがわかる。
だがそれに構うことなく、アリシェは深呼吸をすると目を瞑った。
フリードからすれば、アリシェとウィンリウスは息が合っているように感じていた。
「上達するのが思ったより早いな」
「でしょ!これもフリードの教え方が良いからだよ」
「我も忘れるでないぞ」
口の端を上げて、ニッと笑うアリシェ。
自分でも腕が上がっているのが実感していた。
最初はフリードと剣を交えただけでその剣圧に押され、その度に後ろに転ばざるを得なかった。
その様子にウィンリウスが何度も呆れてため息をついていたが、いつの間にか転ぶこともなくなっていた。
しっかりと軸足で踏みとどまることができたのだ。
それに加えて、無闇に斬りかかっていたアリシェだったが、フリードの指導とウィンリウスとの見事なコンビネーションで隙間を見つけて攻撃することができるようになっていた。
ウィンリウスが隙間を見つけて教えると、アリシェはそこ目掛けて斬りかかる。
そんな戦法だったが、それでイルノスに勝てるはずがない。
「あとは、自分で相手の隙を見つけられればいいけどな」
それでも、短時間でよく此処まで成長できたとフリードは感心した。
きっとアリシェには剣を扱う素質があったに違いないと、ぐんぐん上達する過程を見て確信していた。
この調子なら明後日にはもう、戦えるだろう。
「アリシェ、お疲れだぞ」
レオンが駆け寄ると、アリシェの顔をペロッと舐めた。
アリシェはくすぐったそうに顔を逸らすと、すぐに起き上がってギュッと抱きしめた。
イルノスとの戦いを控えているとは思えない、とても微笑ましい光景だった。
そして宮殿から出てきたリーナが、フリードを手招きする。
彼らから離れて、リーナの元に向かった。
「小娘、我を剣士の元に連れていけ」
「いいけど、あたしはアリシェ。いい加減名前を覚えてよね、ウィンちゃん」
「……」
一生呼ぶものかと固く決意したウィンリウスであった。
2人は宮殿内に入ると、大理石で造られた何本も立つ大きな柱の一つに背を預ける。
アリシェも追いかけてウィンリウスをフリードの隣に立てかけて、すぐに外に出た。
彼らの様子が気になるものの、レオンと遊びたい気持ちが勝ったらしい。
「今度は私が質問する番ね」
「……何だ」
面倒くさそうに眉を顰めると、フリードはその場に腰を置いた。
リーナも膝を折って座る。
「無に帰すことがわかっていて、どうしてそんな冷静にいられるのかしら」
「無に帰すとは、まさか貴様は――」
「あぁ、黒薔薇の監死者だ」
ウィンリウスは驚きのあまり無言になる。
フリードは「お前はわかっていたのだろう?」とリーナを見据える。
それに応じず、リーナは続けた。
「自殺してアリシェの傍にいるということは、彼女は生前の世界で何かしらの関係があったのね」
自殺した者は、レグザムでヴァイルとして生きていくのが常識である。
だが黒薔薇の監死者は、生前の世界で自殺した者がある条件を満たしてその役目を背負う。
文字通り、死者を監視する者であり、役目を終えることで一つだけ願いが叶えられるのだ。
本来なら白薔薇の監死者として神王の為に働くはずだったが、その神王は今や悪魔に成り下がったので、悪魔の僕という意味を表すのが黒薔薇である。
黒薔薇となっては、任務を果たしても願いは叶えられず無に帰すことが運命である。
「恋人だった」
昔を思い出すように、遠い目で天井を見上げる。
「自らの命を殺めたのは、交通事故で逝った渚沙を追うためだ。今となっては願いは叶わないし、どのみち無に帰す運命。だが、残りわずかのこの命で渚沙を、アリシェを守れるなら、彼女の願いが叶えられるなら、俺にしかできない務めを果たすまで」
こうなると知ったときから、心に決めていた意をリーナとウィンリウスの心に刻むように話した。
だが反論するように、フリードを説得するように語りかける。
「アリシェの願いは生き返ること。けれど、その理由はあなたに会うためよ。アリシェは恋人が生きていると思っている。このままでは、アリシェは幸せになれないわ」
「……幸せの形は様々だ。他の人と幸せになってほしい」
決意が揺らがないように、嘘をついたフリードは笑みを見せながらも奥歯をギリっと噛みしめる。
できるなら、俺が彼女を幸せにしたい。
湧きあがるその思いを必死に抑えるように。
「それにイルノスをこのまま放っておくわけにもいくまい。封印が弱まっているのは奴の力が増しつつある証拠。アリシェなら大丈夫だ。明後日には奴と戦える」
そして、フリードが生きていられるのも明後日まで。
同時に、自分の命の期限を宣告した。
無に帰せば、生まれ変わることはない。
存在自体の消滅を意味するのだ。
「アリシェに真実を話すべきよ」
「それで何が変わる?アリシェはイルノス討伐を行わなくなる」
真実を話したい気持ちは確かにある。
だが、それがどんな結果を招くかは十分にわかっていた。
アリシェは和人であるフリードを死なせないために、イルノスと戦わない。
その間にイルノスの力は増大し、アリシェの代わりに宝玉を集めよと誰かを遣わせるだろう。
イルノスの封印は解かれ、そのときには奴を止めることさえできないだろう。
今ある命が一瞬で全て消える。
そんな恐ろしいことは、絶対に阻止しなければならない。
「今のままでもイルノスを斬るかどうかはわからんぞ」
その言葉に、フリードとリーナはウィンリウスに視線を向ける。
「明るく振る舞ってはいるが、試練で受けた心の傷はかなり深い。もしや小娘の願いにも影響を与えているかもしれん」
元の世界に帰りたいと思う理由が、今のアリシェにはないかもしれない。
心の傷を癒さなくてはならないことが分かると、フリードは自ら乗り出した。
「俺に任せてくれ」
「頼むぞ、剣士よ」
そのとき、視線を感じた。
誰のものかはわからないが、その方を見やって正体を知ろうとする。
瞬きせずに注視するが、そこには誰もいなかった。
今は気配すら感じない。
「どうしたの?」
「……いや、何でもない」
翌日、稽古を終えたアリシェは宮殿に近い森にいた。
横たわる大木の上に座り、どんなに時が経っても変わらない空を見上げる。
自他共に剣の腕が上達したことがわかり、フリードには劣るものの、イルノスと戦えるレベルまでに至った。
昨日できなかった『相手の隙を見つける』ことができ、格段に強くなったアリシェに全く褒めることのないウィンリウスでさえ感嘆の言葉を漏らした。
数時間後の戦いに備え、フリードたちは宮殿で睡眠をとっている。
レオンにも寝た方がいいと言われたが、眠る気になれなかったので散歩してくると言い、今に至る。
ウィンリウスの持ち手である自分しか、イルノスを殺せない立場にあることはよくわかっている。
けれど、湖の中で見たことが頭から離れない。
目にしたくない光景が、フラッシュバックされる。
「和人」
無意識に彼の名を呟いた。
思い出さないように懸命に稽古に取り組んだ。
実際にその最中は忘れることが出来た。
だが止めた途端に、思い出してしまう。
と同時に、負の感情が溢れ出してしまいそうになるのを必死に堪える。
幸い、誰にも気付かれてはいない。
「……かず、と」
張りつめた糸が切れたように、アリシェは涙を流した。
我慢していた気持ちがあふれると同時に、涙も止めどなく流れ落ちていく。
あんな光景を見てもなお、和人が好きだという想いがあることに気付く。
今戻っても、酷な現実しか待っていないのに。
「ひっく……どうすればいいのっ……」
そんなアリシェにそっと近づく人影。
歩みを止めると、どこか辛辣そうな表情でその姿を見つめる。
彼女に何があったかわからないが、和人に関することであるのは確かだ。
普段明るく元気なアリシェがこんなになるまで傷ついたことが、男にとってもつらかった。
自分が何とかしてやりたい、心からそう思っていた。
決心したようにひと息つくと、気持ちのままに涙を流すアリシェに声を掛けた。
「アリシェ」
声の主に気付くと、服の袖で乱暴に顔を拭う。
けれど、涙は止まってくれない。
「ふ、フリード」
いつも通りに声を出そうとするが、どうしても震えてしまう。
涙の痕が残ってるであろう顔を見せないために、振り返らずに答える。
「隣、いいか」
アリシェに歩み寄り、後ろから回り込んで前に立つ。
するとアリシェが両手で顔を覆った。
返事はないが、それを肯定と受け取って隣に座る。
「……フリードも、寝れなかったの?」
「何があった?」
核心を突いてくる質問に、アリシェは黙った。
今のはしてはいけない質問だったかもしれない。
だが、彼女が苦しんでいる理由が知りたい。
あのときみたいに、悲しみも苦しみも半分こしたい。
「恋人が他の人と付き合ってたんだ」
フリードは驚きのあまり、目を見開いた。
「あたし、どうしたらいいの……」
隠すのをやめて、フリードにしがみつくようにして泣いた。
服を、腕をギュッと掴む力は今までにない程強くて、どれほどつらく苦しい心境なのかを物語る。
涙と共に、鼻水も流れる。
「相手に見覚えはあるのか」
「彼の会社の人……会社の旅行で、彼の隣にずっといた人だよ」
そのときにわかった。
アリシェが見たという相手は、垢川だ。
昔、そのことで渚沙とケンカしたのを思い出す。
だが身に覚えはない。
というか浮気したことは絶対にないし、確かに垢川からアプローチはあったものの全て無視していた程だ。
渚沙に心配させたくないというのもあるが、何より渚沙を心から愛していた。
それは今でも変わらない。
「勘違いじゃないのか」
「一緒に、寝てたんだ」
思わず、フリードは首を横に振った。
その動作に気付くことなく、アリシェは肩を震わせながら涙を流している。
「それは違う」
「……何でわかるの?」
そう言われるのも無理はない。
アリシェはフリードが和人だなんて思いもしないだろう。
「ウィンリウスが言っていた。あれは宝玉に、剣の持ち手にふさわしいかどうか見る試練だと。その者にとって最低最悪の状況を突き付けることで、それに耐えられるかどうかを試すと。だから、真実ではない」
「ほっ、本当!?」
フリードの話に飛び付くように、ばっと泣き腫らした顔を上げる。
その様子に安心したのか、アリシェに笑顔を見せる。
「あぁ」
「そ、そっか……っく」
顔をくしゃっとさせながら、アリシェはまた涙を流した。
だが、その意味合いは違う。
頬を緩ませ、明らかに嬉しそうだ。
「じゃあ、今までの全部嘘だったんだ!」
「今まで?」
「うん!何回か夢で見てたんだ!わあーっ」
夢のことはわからないが、アリシェの良いように解釈されていることに安堵のため息を漏らす。
大声を上げて嬉し泣きするアリシェを宥めるように、ゆっくりと背中を擦ろうとする。
が、その様子を見て自分も嬉しくなり、フリードはそのまま両腕を回した。
その行動に、一瞬だけ沈黙が流れる。
「……えっ」
フリードはアリシェを抱きしめている。
片手でアリシェの頭をしっかり抱え、背中に回した腕で体をぐっと引き寄せる。
無意識に行ったこの抱擁は、生前、和人が抱きしめてくれたときを思い出させる。
「愛してる、渚沙」
フリードは、当初の目的を忘れていた。
想いのままに、言葉を告げる。
だが、わかっていた。
彼女にその言葉が届かないことを。
「フリード、何て言ったの?」
生前の名前はこの世界では誰にも伝わらない。
「……すまん、このままでいさせてくれ」
「うん、いいよ」
アリシェに気持ちを悟られないよう、抱く力を強めて静かに涙を流すフリード。
この勢いで、自分が和人だと伝えたい。
けれど、それはしてはいけない。
フリードは自分の幸せと引き換えに、世界を救うことを選んだ。
同時に、アリシェの幸せも消えることを、彼女は知らずに。




