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41話 最低最悪な試練

怒りを抑えるのに必死で、フリードを一人残してきてしまった。

その現実に、自分の視野がいかに狭いのかを実感する。


「やっぱり、戻るべきだったかな。でも、フリードなら大丈夫だよね」


森の静けさを少し怖く感じていたアリシェは、わざと声を出し、独り言を呟いた。

自分が声を出すことで、芽生えた恐怖心を和らげようとする。


「あ、あれかな」


先にある木々の方から、水音が聞こえる。

駆けつけると、そこには広大な湖が森に囲まれる風景があった。

といっても、湖の面積はネズミーランド10個分は優に超している。

地平線にやっと湖を囲む木々が見える。


「うわー、すごい!すごいけど、ここを探すのって……」


絶望に近い想いが彼女の心を染めていく。

この湖から直径2cmの宝玉を探し出さなくてはいけないのだ。

アリシェは宝玉の入った袋から透明の宝玉を取り出した。


「水中で息ができますように」


両手で強く握りしめ、祈るように胸の前に持ってくる。

宝玉に何も反応はないが、きっと叶ったと勝手に思い込み、それを確かなものにするために顔を水面につける。

大きく口を開けて息を吸うと、ちゃんと空気が入ってくる。

呼吸はできた。

確認できると、アリシェは勢いよく飛びこんだ。

神王の計画を阻止するために、大好きな和人に会うために。















リーナは自責の念に囚われ、レオンの看病をしつつも俯いていた。

目の前でレオンが高熱で苦しんでいるのも、イルノスが恐ろしい計画を実行せんとしていることも、すべて自分の責任だと感じていた。

そして勘の鋭いフリードもその被害者の一人で、きっと誰よりもつらい運命を背負っている。

帰ってきたら、二人に全てを話そうと思った。

足掻くことさえできないフリードのためにできることをしようと、そう思っていた。















湖に辿りついたが、そこにはアリシェがいなかった。

その代わりに、湖で悠々と泳ぐ無数のサメの背ビレが見える。

一匹がこちらに気付くと、ゆっくりとフリードに近づいてくる。

それを筆頭に、後ろからサメたちがついていく。


『最後の宝玉は手強いわよ』


リーナの言葉を思い返し、アリシェがサメに食われたのではないかと考える。

だが、それなら血痕があってもいいはずだ。

それらしきものはどこにもない。

もしかしたら、湖に引きずり込まれてから食われたのだろうか。

そう考えるだけで、目の前にいるサメたちに対して腸が煮えくりかえそうだ。

それが事実なら切り刻んでやると、心に誓った。


「アリシェはどこにやった」


怒りを剥き出し、サメを睨みながら言った。

先頭にいるリーダー格のサメが顔を水面から上げて答える。


「我は宝玉を守護する者。娘は試練を受けている。邪魔するなら、貴様を食らう」


事実を知ると、フリードは安堵のため息をついた。

だが、試練の内容が気になった。

もし戦闘であれば、アリシェが乗り越えるのは難しいだろう。


「そんなつもりはない。だが、もし試練を乗り越えられなかったら――」

「娘は死ぬ」


フリードに邪魔する気がないことがわかると、サメは湖に潜り込んだ。

それに続くようにして、次々とサメが湖に姿を消していく。

どうにもならないとわかっていても、何もできないことがとても歯痒かった。

仕方なくその場に胡坐をかき、両手を組んで頭を乗せる。


「帰ってこい、アリシェ」















気付けば、アリシェは部屋の一室にいた。

そこは見覚えのあるベッドルームで、きれいに整ったキングサイズのベッドが真ん中に置いてあった。

一面はガラス張りで、外のビルから漏れる人工光によって形成された夜景がよく見える。

ベッドを挟むように、壁には淡い照明が一つずつあり、この部屋を照らしている。


「ここは、カレンシアホテル?」


カレンシアホテルは、生前の世界では一流ホテルとして有名である。

部屋が綺麗なだけでなく、サービスも行き届いていると宿泊客から絶賛されている。

この部屋に覚えがあるのは、思い出があるから。

和人に初めて誕生日を祝ってもらい、そして、2人が初めて結ばれた場所である。

当時の部屋と装飾から壁の色まで、全く同じだ。

和人はカレンシアホテルのスイートルームを取ろうとしたが、社会人1年目の彼に200万という金額を払わせることなんてできなかった渚沙は、スタンダードルームがいいと頼んだのを今でも覚えている。

そんな思い出に浸っていたアリシェは、扉が開くのに気付かなかった。

が、聞きたくない声が耳に入ってきて初めてその存在に気がついた。


「久しぶりだから、緊張しちゃうわ」


上機嫌かつ嬉しそうな声。

ベッドルームに入って来たのは、バスローブ姿の垢川だった。

シャワー上がりか、髪は濡れていて水が滴っている。


「な、なんでここに……」


とてつもなく嫌な予感がした。

そんなアリシェにお構いなしに、垢川は鼻歌を歌いながらベッドに座る。

そして窓ガラスに映る自分を見ると、前髪を掻き分け始めた。

前回同様、アリシェの声は彼女に聞こえない。

その存在は誰にも気付かれないし、触れられない。

垢川の肩を掴もうとしたが、その手は見事にすり抜ける。

そのとき、背後で扉が開く音がした。

アリシェは振り向くのが怖くて、その場に硬直する。

が、この悪い予感を振り切りたかった。

彼ではないと、信じたい。

その思いが勝り、扉の方を見た。

想定していた最も悪い場面に、直面した。


「……嘘でしょ?」

「和人っ!」


そこにはバスローブ姿の和人が立っていた。

彼もまた、シャワーを浴びてきたらしい。

垢川はすぐに立ち上がると、駆け寄って抱きしめた。

名前を呼び捨てで呼ぶことに腹が立ち、アリシェは二人を引き剥がそうとする。

だが、それは叶わなかった。


「何で?お願いだから、離れてよ!やめてよっ!和人!」


アリシェに追い打ちをかけるように、和人は垢川を抱き返す。

その首元に顔を埋める垢川の幸せそうな顔を、見ていられなかった。

和人も、笑顔を浮かべている。

次の瞬間、和人は垢川を抱き上げるとベッドに連れて行った。


「……ねぇ、お願いだから、和人、やめてぇっ……ひっく……」


二人のその先を容易に想像できてしまう自分が怖い。

止める術がないアリシェは、その場に崩れ落ちる。

大粒の涙をぼろぼろと流して。

そんなことも知らない2人は、どちらも頬を赤く染め熱を帯びた目で見つめ合う。


真実(まみ)……」


垢川の名前を愛おしそうに呼ぶと、それに反応するように強く抱き返す。


「愛してるよ、和人」


ゆっくり目を瞑る垢川に和人は顔を近づけていく。


「かっ……ひっ……和人、やめてえ!!」


目の前の光景を拒絶するように、ギュッと目を瞑り2人の愛を引き裂くように大きい声で叫ぶ。

両手で耳が潰れるんじゃないかと言うくらいの力で押さえて塞ぐ。


「そなたの願いは叶っても、彼にはすでに恋人がいるようだな。宝玉を集める意味は、もはやないだろう」


心に語りかけてくる低いバリトンの声。

不思議に思う余裕さえ、アリシェにはなかった。

過呼吸になるんじゃないかというくらい呼吸が荒くなっていく。

少しでも目を開けば、あの忌まわしい光景が目に入ってしまう。

背を向けても、垢川の艶めかしい声が鼓膜を揺らす。

この状況から逃げ出したいのに、足に力が入らない。

苦しくて、つらくて、もう……死にたい。


「……っく……でもっ」


確かにこの声の言うことは正しい。

生前の世界に戻ってももう、愛する和人とは結ばれない。

それでも、アリシェは必死に自分に言い聞かした。


「フリードとっ……レオンと……ひっく……みんな、皆を守らなくちゃいけないからっ」


この長い旅で、大切なものが増えた。

特にフリードとレオンは利害関係なく自分について来てくれた大切な友達でもあり、仲間でもある。

彼らがこれから生きていく世界を、守らなくてはいけない。

自分の願いが、想いが叶わなくともそれだけは絶対に成し遂げなければならない。


「……そなたの宝玉を必要とする気持ちは、独りよがりのものではないのだな」


その言葉を最後に聞くと、何の前触れもなく意識を失った。















どれ程経過したのかわからない。

おそらく、40時間はとうに越しているだろう。

だが、フリードは一睡もせずに待ち続けた。

眠気に襲われながらも、必死に耐えていた。

目を瞑りそうになったとき、湖から生き物の気配が一瞬にして消えた。

それが示すのは、アリシェの生か死のどちらか。

眠気は一気に覚め、飛び上がるようにして立つと湖岸に近づいた。

きょろきょろと辺りを見回すが、人の姿も気配もない。

それならと、湖に飛び込もうとした刹那、背後から声が聞こえた。


「剣士よ、娘はここにおる」


振り返ると、そこにはアリシェが見たことのない長剣を握りしめて倒れていた。


「アリシェ!」


すぐさま駆け寄り、何度も名前を呼びながら脈を測る。

幸い、無事みたいだ。


「だが、かなりの精神的ダメージを受けておる」

「お前は、どこにいる?」


声の主は「此処じゃ、剣じゃ」と言うと、フリードはじっと長剣を睨む。

錆びて変色した刀と柄の間に、黒い宝玉が組み込まれていた。

だが、宝玉が黒を蝕むように白に飲みこまれていくと同時に、刀は厚みと輝きを増し、長剣は銀に染まっていく。

実際に持とうとするが、象並みの重量でとてもじゃないが持ち上げることすらできない。


「……話せる剣なのか」

「そんなことより、早くこの娘を連れていかんか」

「アリシェに何をした?」

「我は知らん。だが、この娘にとって最低最悪な状況を突き付けたまでよ」


それだけ言うと、「早くせんか」と運ぶように促される。

アリシェだけならまだしも、長剣をしっかりと握りしめている彼女を運べるわけがない。

仕方なく騙された気持ちになってアリシェを背負うと、どういう訳か容易くできた。

しかも、アリシェの体重以上に重く感じることはなかった。

アリシェが長剣を持っているなら、象並みに重くないということだけはわかった。


「アリシェ……」


ぐったりした表情のアリシェは、フリードに担がれていく間に、稀に呻き声を上げる。

いつもの明るく元気な姿からは全く想像できない程、顔色も悪い。

どこか呼吸もか細く感じる。

一体どんな状況を見ればこんなことになるのだろうか。

だが、自分にとって最低最悪な状況を想定すればそれは無理もないと思った。






そう、あの現実を思い返せば。

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