29話 底冷えた癒し音
無料バスを降り、点在する案内板に従ってディスティールホールに向かう。
クアトスによる演奏会はそこで行われるのだ。
都心部は車通りが頻繁で、多くの高層ビルやら劇場やらが凹凸に建ち並んでいる。
買い物かごを持ち、エプロンを付けたまま歩くおばさんからパーティードレスを着た人まで、様々な人が行き交っていた。
此処でも常に音楽が流れている。
住宅街で聞いたものとは違い、穏やかで時の流れがゆっくり感じられるような、そんな曲だった。
活気にあふれたこの雰囲気に合っていない気がしたが、スローな音楽を流すことで気持ちを落ち着かせ、交通事故などを減少させることが目的らしい。
もちろん、携帯音楽プレイヤーを持ち、耳に当て聞いている人もいる。
「レオンが歩いていても、この世界の人は何も思わないのかな?」
ずっと気になっていたことを、聞いてみた。
馬並みの体格の大きさをした狼が街中を歩いても、みな平然としてその横を通り抜ける。
レオンを注視することはない。
「ワン!(歩いている分には何の問題もないぞ。それが当たり前なんだ!)」
「レオン、何て言ったの?」
レオンの犬言葉を理解できないアリシェは、フリードに聞いた。
「さぁな。・・・着いたぞ。」
ディスティールホールはとても大きく、他の近代的な建物とは違い、木で建てられた古き良き建物であった。
このホールに足を運ぶ人が多くいたので、その波に乗って会場に入った。
自動扉が開くと、ヒノキの香りが鼻をついた。
だが会場内に入ると、外見からは予想できない内装をしたロビーがアリシェたちを迎えた。
「わぁ・・・」
外装のギャップと、豪華な内装に感嘆の息を漏らす。
いくつものシャンデリアが灯され、赤いカーペットが床一面に敷き詰められている。
壁は大理石で出来ていて、パーティードレスやらスーツを着た人たちが開場を待っていた。
「この服、嫌だな。」
アリシェは自分の服装と見比べ、場違いだと認めざるを得なかった。
するとスーツに蝶ネクタイを付けた男二人から、チケットを見せるように言われたので、先ほど貰ったチケットを提示した。
「ゴールドチケットのお客様は、この者についてきてください。」
「それでは、こちらへどうぞ。」
蝶ネクタイの男の隣に居た案内係がそう言うと、周囲にいた鑑賞客がひそひそ話し始めた。
「あの人たちがゴールドチケット?!」
「よくあんな大金を払えたものね。」
「人は見かけじゃないな。」
アリシェたちは一気に注目を浴びたようだ。
どうやらゴールドチケットはかなり高価なものらしい。
周りの人の話によると、ゴールドチケットは1枚1000万ガルだという。
それはアリシェの生前の世界で言う、1000万円と同じ価値である。
「ゴールドチケットって、なんかすごそうだね!!」
アリシェは人の目を気にせず、わくわくしながら胸を躍らせる。
それはレオンも同じだった。
群がりを抜けて、立ち塞ぐガードマンの横を通り、細い廊下に出た。
ゴールドチケット所持者のみがこの廊下を通れるらしい。
天井にも壁にも床にも、至るところに金粉が散らされていた。
「こちらがゴールドチケット所有者専用パンフレットでございます。」
案内係は歩きながら、鞄から大きなパンフレットを三枚取り出し、それぞれに渡した。
パンフレットにしては、少し厚みがある。
フリードはパンフレットを開き、試しに何ページかめくった。
アリシェとレオンはパンフレットそっちのけで、この内装に見入っていた。
「すっごーい!!綺麗だね!!」
「ワン!(キラキラしてるぞ!)」
「このホールはラスカノン一大きく、古くからあり、設備は毎年最高クラスのものを備え変えています。中はマイクを通すことなく、生声だけで最後部席まではっきりと音が伝わります。」
簡単にディスティールホールの説明を終えると、歩みを止め、左手にある大きな扉を開けた。
「こちらからお入りください。」
片手でドアを押さえ、アリシェたちを中へと促す。
言われるがまま入ると、指定された席へと移動した。
それは最前列の真ん中の席だった。
開場されていないため、他に人はいなかった。
淡い照明がホールを照らし、より一層高級感を漂わせる。
席は千人分ありそうだ。
ゴールドチケット専用席は、普通の席と比べて幅がとても広かった。
レオンが横たわっても少し余裕があるくらい、広い席だった。
そのうえ、マシュマロのようにふかふかしていて、座り心地が良い。
そして間もなく、後方の扉が開くと、多くの人が会場に入り、すぐに満席となった。
アリシェとレオンは、席をベッドに見立てて寝転がる。
「フリード、時間になったら起こしてね。」
「あぁ。」
アリシェはそう言うと、眠ってしまった。
レオンもまた、眠りに落ちる。
その傍らでフリードが、パンフレットを読んでいた。
そこにはクアトスのプロフィールや生い立ちなど、クアトスについての詳細が掲載されている。
もはやこれはファンブックじゃないのかと思うくらい、本当に詳しい内容が書かれているのだ。
だが、クアトスの情報を知るには好都合だった。
クアトスはラスカノン一の演奏者と言われている。
音楽都市ラスカノンと言われるくらいだから、ラスカノン一は世界一と同等だと言っても過言ではない。
生まれながらの天才児であり、家庭にも恵まれている。
どうやら、彼は音楽一家に生まれたらしい。
父は指揮者、母はピアニスト、姉はバイオリン奏者である。
だが姉は病で亡くなった。
好きな食べ物はミント味のアイス、趣味は映画観賞、好きな女性のタイプは・・・
いや、この情報は必要ないだろう。
そう言えば、ロビーにいた群がりもその大半を女性が占めていた。
これはクアトスの女性ファン向きのものではないのだろうか。
いかにも彼女らが喜びそうなことが書かれてある。
これ以上の情報は不必要と判断したのか、フリードはパンフレットを閉じ、それを席の隅にやった。
「あの、もし要らないのなら私に下さるかしら?お金なら払うわ。」
「いや、結構だ。」
後席からクアトスのファンの一人であろう女性に声をかけられ、フリードは無償でパンフレットを渡した。
すると、顔をほころばせながらパンフレットを大切に抱きしめた。
「ありがとうございます!!」
「・・・あぁ。」
その表情に、フリードは懐かしさを感じた。
これに似た状況が、生前に一度だけあったことを思い出す。
相手の好きな芸能人の写真集を渡したら、それを無邪気に喜んだ奴がいた。
あの頃はどれだけ幸せだっただろうか。
ブ―――――ッ
過去を思い返していると、開演ブザーが鳴り響いた。
この音にアリシェとレオンは目を覚まし、下ろされていた舞台上の幕がゆっくりと上がった。
「あっ!クアトスだっ!」
クアトスが現われ、舞台中央に立つ。その隣には、あらかじめセッティングされていた大きなハープがある。
そして湧き上がる拍手喝采に、クアトスはお辞儀をし、客席を見た。
「皆様、お忙しい中お越しいただきありがとうございます。今日は思う存分僕に癒されてくださいね。」
クスッと笑うと、客席は(主に女性が)一気に盛り上がり、黄色い声が飛び交った。
「クアトスって人気者なんだね。」
「・・・そうだな。」
男からしたら引いてしまうようなナルシストぶりなのだが、女というものは好きな男なら何をしても許せるのか。
思わず、そう考えてしまった。
「まずは一曲。亡くなった姉に感謝の気持ちを伝えたくて、作曲しました。」
そう言うと、クアトスは椅子に座り、ハープを奏で始めた。
客はこの演奏を聞き入っている。
中には目を伏せ、その音に浸っている者もいた。
この演奏が癒し音と言われるのは理解できる気がした。
アリシェはうっとりしながら、ゆったりとしたリズムに合わせて首を振り、レオンはうとうとしながら、眠りかけている。
だが、この曲にいや、演奏に迷いなるものを感じたフリード。
そうして二曲目に入る。
これは育ててくれた両親に対する感謝の気持ちを表現してみたとのこと。
たぶん、フリード以外の客はまた、この演奏に惚れ込んでいる。
レオンはついに眠ってしまった。
その寝顔は、とても幸せそうだ。
だが、フリードはこの曲には冷たさを感じた。
憎いという感情が心の中で渦巻いている、そんな気がした。
そしてフリードは思い出す。
レオンがうっとりするような心地よさを感じたことを。
このとき、フリードは癒しの宝玉があると推測した。
そしてレオンが感じたものを、クアトスからも感じたこと。
実際、クアトスの演奏は誰が聞いても癒されると言うし、自分でも癒し音と言っているくらいだ。
ということは、癒しの宝玉はクアトスの演奏にその力を与えているのではないか。
この考えに至ったときには、クアトスの演奏は終わり、割れんばかりの拍手に包まれながら、舞台幕が下ろされた。
「癒し音って言われるのがわかる気がする!ね?」
アリシェが頭を撫でると、レオンは欠伸をしながら、起き上がる。
「ワン?(あれ?いつの間に終わってたんだ?)」
アリシェは仕方ないにしろ、レオンは本来の目的を忘れて鑑賞していたようだ。
まったく、暢気なものだ。
「今終わった。・・・クアトスに会いに行こう。」
「うん!行こう行こう!」
宝玉を持っているのは間違いなくクアトスだ。
そう確信したフリードは、直接会って交渉を試みることにした。
細い廊下に誰もいないことを確認し、関係者以外立ち入り禁止と貼られてあるロープを越え、一行はクアトスの楽屋に向かった。




