手料理を
たまには手料理が食べたいんだけど――
その一言が言い出せたら、俺はもっと気楽に生きていけただろう。
「はい。どうぞ」
彼女が用意してくれた料理の数々。とてもおいしそうだ。
だがそれはどうにも当たり前だった。出来合いの売り物を、ただ皿に盛りつけ直しただけのものだからだ。
いつもそうだ。
どうやら彼女はこれが、料理をするということだと思っているらしい。何の疑問も感じていない様子で、彼女は毎回出来合いのものを盛りつけ直して俺の前に並べた。
「どう? おいしい? こういうのって、いいよね?」
彼女は俺が料理を口に運ぶのをじっと見つめてくれていた。
この貧乏を絵に描いたような俺の狭い部屋で、彼女はふふんと笑ってもくれた。とても幸せそうだ。
そうだ。贅沢は言うまい。男女平等が叫ばれて久しいこの世の中、甲斐甲斐しくも文句も言わず、それどころか幸せすら感じて彼女は俺の為に料理を用意してくれるのだ。
こんなありがたいことがあるだろうか?
確かに正に用意しただけの料理。誰が用意しても同じだろう。
盛りつけ直すだけのその食事。間違えようがないおいしさだ。
勿論、一から作れとか。野菜を切れとか。魚をおろせとか。味付けしろとか。料理らしいことを、要求したくなる時もある。
だがどうにも俺だって料理なんてできない。人に手料理を要求するのなら、先ず自分が作るべきなのかもしれない。
「いいよね。人の為に料理を用意するのって」
彼女は可愛いことを言ってくれる。盛りつけ直すだけの料理でなければ、何も言うことのない状況だろう。
しかしこれでは俺の思いが果たせない。
そう。俺は今日こそ言いたい一言があったのだ。
たまには手料理が食べたいんだけど――
いや違う。そんなえらそうなことじゃない。
俺が彼女に伝えたいのは――
「ん? どうしたの?」
急に黙ってしまった俺の顔を、彼女は不思議そうな表情で覗き込んできた。
可愛い。我が彼女ながらそう思う。
俺はその笑顔に勇気を振り絞り、心臓も飛び出さんばかりにその言葉を口にした。
毎日君の手料理が食べたい――
苔でも生えてそうな古くさいプロポーズの言葉を、俺は声を裏返しながら何とか言い切った。
「私ってさ、料理ってできないじゃない?」
どうやら料理ができないことは自覚があったらしい。俺が息を呑んでプロポーズの返事を待つと、彼女が真っ先に口にしたのはそのことだった。
「だから――」
だから結婚はできないと? 俺は不安に心をかき乱される。
「結婚したら買って欲しいものがあるんだけど」
彼女はにっこり笑って俺にそう申し出た。
彼女が欲しかったもの。それは最新の調理器だった。これがあれば、楽に料理ができるらしい。
「これからは頑張って料理するからね」
勿論その最新の調理器は、俺達の新居に真っ先に買い入れられていた。
今や妻となった彼女は、俺の為に台所で腕まくりまでしてくれた。
あの野暮ったいプロポーズの言葉通り、これからは毎日妻の手料理が食べられるのだ。俺は結婚後は毎日羽でも生えているかのように、真っ直ぐ家に飛んで帰った。
迎えてくれるのは妻の笑顔。そしてその手料理。
出来合いの料理は一品も出なくなった。
毎日が手料理だ。俺が密かに望んでいた手料理だ。
やはり手料理は味が違う。美味しさとかとは違う次元で何かが違う。
彼女は料理するのが気に入ったのか、結婚後一度も俺に手伝わせなかった。
最新の調理器を買ってよかった。俺は台所から漂ってくる手料理の香りに、いつも頬を緩める毎日を送っていた。
そんなある日。妻が病気で倒れた。幸いただの過労で、大したことはなかった。
俺は皮の剥き方も分からない野菜や、包丁の入れ方も分からない魚を手に、最新の調理器の前でしばし途方に暮れた。
せめて妻に手料理をと思ったが、自分では料理一つできないことにあらためて思い知らされた。
情けない。人に手料理を望んでおいて、自分は全く何もできないのだ。
「何してるの?」
いつの間にか起きてきた妻が、俺の手から野菜や魚を取り上げた。
いいよ。俺が作るから――
俺がそう言いかけると、妻は無造作にその食材を最新の調理器にそのまま放り込んだ。
まったくもって素材そのものをだ。
へっ?
そう思っていると、最新の調理器からいつもの美味しそうな匂いが漂ってくる。
「やっぱり、病気でも出来合いのものよりは、手料理が食べたいわよね」
妻は無邪気に笑う。
俺は最新の調理器が吐き出したその手料理を、ただ皿に盛りつけ直した。