第5話 二人だけの秘密
「玉琳ってたしか、この身体の持ち主の名前だよな。さっきも、玉琳様って呼ばれてた。ちなみに聞くけど……この身体って、女性だよな?」
庸介がおそるおそる尋ねると、龍明は怪訝そうに片眉をあげた。
「そうだが、自分で確かめてないのか?」
「いや、確かめようかと思ったけど怖くてできなかった。そっか、やっぱ女性だよなぁ……」
本来の自分の身体と比べて明らかに低い目線、華奢な手脚、高い声……自分が女性の身体、それも若い女性の身体になっていることにうすうす気づいてはいたけれど、認めたくなかったのだ。しかし、他人にきっぱりと言われてしまえば認めざるをえない。
龍明も不思議そうに尋ねてくる。
「私も確認したかったのだが、お前自身は人間の男なのだな?」
横になったまま、庸介はこくりと頷いた。
「ああ、人間だし、男だよ。男として生まれて男として育った。28歳。独身。陸上自衛隊って言ってもわかんないか。えっと、軍人だ。そこの中隊で指揮官してた」
「軍人か。……また、玉琳自身とは似ても似つかない魂が入り込んだものだな」
「それについては俺もまったくの同感だ」
他人の身体に乗り移るのなら、せめて男性の身体が良かった。とは思うものの、自分で選んでこうなったわけではないから仕方がない。
「名は、たしかヨースケと言ったか? 馴染みのない名だな。どこの地方の生まれなんだ?」
どこの地方といわれても、はたと考え込んでしまう。どう説明すれば通じるのだろうか。迷ったあげく、とりあえず一番大きい区分でぶつけてみることにした。
「日本って知ってるか? 日本の神奈川で生まれたんだけど」
「ニホン? 聞いたことない地名だな」
即答で返される。
「いや、国名なんだけど。それなりに国土もあるし、古くからある国ではあるんだ。そっか、やっぱり知らないか」
うっすらと感じていたが、室内の様子や周りの人間たちから感じるカルチャーギャップは地域差どころではないような気がしていた。もっとこう時代的なものも大きいと言うか、ざっくり数百年は文明度合いが違うように感じるのだ。
いまにいたるまでスマホはおろか、電子機器の一台も見ていない。祭壇にあった鏡は見慣れたものではなく、金属を極限まで磨いたやつだった。昔、子どものころに社会科見学で行った博物館に飾られていた銅鏡に似ていた。
とにかく状況を知るためには情報収集がなにより大事だ。
この龍明という男は何かと世話をやいてくれるし、玉琳とは特別な関係にあったことが伺える。彼を利用しない手はないだろう。
庸介はごろりと横を向くと、龍明に改めて質問をぶつけてみた。
「なぁ、俺のこと話したんだから、お前のことも教えてくれよ。ここはどこで、お前は何の仕事してるやつなんだ? ずいぶん身分が高そうではあるけどさ」
龍明は顎に手を当てて、ふむと唸る。
「どこか私の知らない場所から来たというのなら、一から丁寧に教える必要があるだろうな」
「そうだよ。知らないと、玉琳のふりもできないだろ?」
「たしかにそうだな。お前にはいろいろ学んでもらう必要がある。いまのままでは、とてもじゃないが玉琳とは似ても似つかないからな。その外見で男みたいな口調で話されると、違和感が強くてどう接していいのかわからなくなる」
それもそうだろうな、と庸介も内心同意する。親しい間柄となると、家族かもしくは恋人かそんなところだろう。死んだと思った大切な人間が生き返ったと思ったら中身が別人になっていたとしたら、混乱するのは当然だ。
龍明は、口ではどうしていいかわからないと言ってはいるものの、表情は常に冷静で混乱していることをほとんどうかがわせないのはすごいなと庸介は内心感心すらしていた。
たまに眉がきゅっと寄るくらいで、努めて冷静さを保とうとしている様子すらみえる。人の上に立つことを常に意識しているようだ。
龍明は庸介の頼みどおり、説明を始める。
「ここは大陸西部に位置する鳳の国都、長京にある鳳凰城の中だ。その北側にある後宮と呼ばれる場所にあたる。つまり、皇太子である私、信龍明の将来の妻を選ぶための場所だ」
「じゃあ、玉琳ってのはその候補の一人ってわけだ」
玉琳の名を出すと、はじめて龍明の瞳が揺らいだ。しかしそれも一瞬で、すぐに元の冷たい雰囲気の表情に戻る。
「ああ。正妃はほとんど玉琳に決まっていた。私が、そう決めた。彼女以外に私を支えてくれる人など考えられなかったからだ。彼女はこの国よりも西方にある高原地方を統べる騎馬民族の王の娘だ。騎馬民族は馬術に優れた軍事力と、他国との交易路を抑える重要民族だ。鳳としても、友好関係を保ちたい相手だった。だが……彼女はあまり身体が丈夫ではなかったのが懸念材料となり大臣や貴族たちの中に反対する者もいた。それでも、根回しに根回しを重ねてようやく実現しそうなところまできていたんだ。そういう大事な時期だった」
龍明は小さく息をつく。辛い記憶を呼び起こそうとするかのように、目元に心痛な色が浮かぶ。
「しかし、玉琳はたちの悪い肺風邪にかかり亡くなった。その身体は、国葬の準備のために冷暗所に一週間置かれていたんだ。その間に、宰相を父に持つ楊玲蘭を押す一派が一気に勢力を盛り返していた。私も玉琳を失った悲しみで何もする気が起きず、もうどうにでもなれとやぶれかぶれになっていたところだった」
「そんなとき、死んだと思った玉琳が生き返ったわけか。しかも、中身は俺で」
「そういうことだ。外では大騒ぎになっている。勢力図がまた、大きく変わろうとしているからな」
それで玉琳のふりをしてくれと再々言われている理由に合点がいった。
政治的にも、龍明は玉琳を正妃とし、騎馬民族との友好関係を保ちたいのだ。話を聞く限り、宰相派は龍明にとって都合のいい相手ではないのだろう。
「それでうまいこと俺が玉琳のふりをしてお前の思惑通り正妃になったら、そのあとどうするんだよ。もしかして……俺にお前の子を産めとか」
その可能性に思い当り、ぞわりと寒気が全身を走る。それが顔に出ていたのだろう。龍明は庸介の表情を見て、くすりと笑みを零した。
「そんなに不安がるな。そこまでは求めていない。そこはなんとでもなる。他の姫たちも正妃が決まれば序列が決まる。優秀な世継ぎを作るためには、子は何人も必要だからな。私自身、上から五番目の男児だ。父から才覚を見込まれて皇太子に選ばれた」
「そっか……庶民にはわかんねぇけど、なんか大変な世界なんだな」
とりあえず、子を産めとはいわれなくて心底ほっとした。そんなことまで求められたら、身体が治り次第、どうにか隙をみて逃げ出さなければいけなくなるところだった。
「正妃が決まってしまえば、あとは替え玉でもなんとかなる。もともと玉琳は病弱だったからな。公務にでるときは常に御簾の中だし、困ることはないだろう。玉琳を正妃にすることができれば、お前を自由にしてやろう。一生贅沢して暮らしていけるだけの報奨金と屋敷をやる」
それは一見破格な取引のように思えるが、内実は体のいい軟禁だ。正体がバレないよう死ぬまで監視下に置くということだろう。
それでも、虚弱な女性の身体に乗り移ってしまった身としては、知らない世界の知らない社会の中で一人で生きていくことが非常に困難なことは容易に想像がついた。
「それに。この城には国内だけでなく全世界から様々な文献や知識者が集まる。お前の身体を魂に見合った男の身体に移し替える術も、もしかしたら見つかるやもしれん」
龍明が、自然な仕草で庸介の頭を優しく撫でた。玉琳にかつてよくそうしていたのが無意識に出たのだろうか。
その手をパシッと払って、庸介は龍明を見上げる。明らかに年下に見える男に撫でられるのは率直に気持ちが悪い。
龍明も苦笑を浮かべる。
「やめろよ。お前、歳いくつだ?」
「今年で23になったところだが?」
「やっぱ年下かあ」
実年齢でいえば、庸介と五つ違いだ。23と言えば、大卒の新規採用くらいの年頃にあたる。その年ごろの部下を持ったことも何度もあるが、23にしては龍明は落ち着き払って、風格すら感じられた。これが王者の風格というものなのだろうか。
彼が兄たちを出し抜いて皇太子に選ばれたというのも、納得できた。
とはいえ、23の男の婚約者役をやるのは正直きつい。きついのだが、嫌だとも言っていられない。
「……もし、玉琳のふりなんて嫌だって言ったら?」
念のため、おそるおそるそう尋ねてみたのだが、龍明はにこにことしたまま、
「そのときは、速攻監禁して、一生この城のどこかにある隠し部屋から出られないことになるな」
「そうなるよなぁあああ。……わかったよ。精いっぱい、玉琳を務めさせていただきます……」
がっくりと庸介は呻くしかなかった。
結局、いまの庸介に選択肢などないのだ。うまく玉琳のフリができなければ一生監禁人生が待っているのだから。
「ああ。頼んだぞ。あとで、資料などもってくる。いいな、くれぐれも、俺以外の者、玉琳付きの女官たちも含めたすべての人間にお前が玉琳でないことを気づかせるでないぞ」
そう念を押すと、龍明は足早に部屋から出て行った。
庸介は暗澹たる心地でその背中を見送るしかなかった。