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第36話 本当の敵

 次々と変わっていく状況に、頭がついていかない。事態を打開する案が必要なのになにも浮かんではこなかった。

 やはり、諦めて避難するしかないのか。


(いや、でもまだ)


 どうしても諦められなかった。諦めたら龍明の命もそこでついえてしまう気がしたから。

 と、そこへひらりと黒い鳥が舞い降りてきて庸介の肩にとまった。


「キョン!」


『キョンキョン』


 キョンも嬉しそうに肩の上で鳴く。その脚には長い布が巻きつけられていた。


 すぐにその布を外して開いてみると、ふみだった。ただし、文字からして香蓮が書いたものではないのは明らかだ。もっと太くて力強い、男が書いた文字だった。


 そこには、劉将軍を発見し拘束しようとしたものの、将軍は自らの剣で自分の首を斬りつけて自害したことが書かれていた。そして……。


(我が死すとも革命は止まらず、か)


 劉将軍は死の直前、そんな言葉を残したと記されていた。


 おそらくその文を書いたのは劉将軍拘束のため動いていた禁右軍の李正大将だろう。

 彼が劉将軍の居場所を知らせた鷲の脚に文を付けて香蓮に飛ばし、それをさらに香蓮がキョンにつけて庸介の元へ飛ばしたにちがいない。


 この文を見て、香蓮はどう思っただろうか。いますぐ香蓮のもとに駆け付けたかったが、それより気になるのは劉将軍が最後に残した言葉だ。


(軍が止まらないって、どういうことだ。劉将軍が首謀者だったんじゃないのか)


 嫌な予感がじりじりと胸をいぶす。


(もしかして俺は何か勘違いしてたんじゃないのか)


 軍部の最高責任者は劉将軍だ。だから、軍部が軍事クーデターを起こし、劉将軍が怪しいとなれば、当然彼が首謀者だと考えていた。


(ほかに、いるのか? 劉将軍に匹敵するような首謀者が?)


 そのとき、いままで聞いたことがないほどの大きな爆発音とともに地響きが辺りを揺らす。


「な、なんだ!? うわっ、こ、こらっ!」


 馬が爆音に驚いて後ろ脚で立ち上がったかと思うと、手綱をもつ宦官の手を振り切って走り去って行った。


 庸介は北門を睨みつける。

 北門の向こう側から、もうもうと黒煙があがっているのが見えていた。


(門をこじあけるために、震天雷を使いやがったな)


 庸介が先ほどパフォーマンスで見せた小型のやつではない。あの規模だと、大きいやつを一つか二つ、扉にぶつけたはずだ。扉が壊れれば、軍部の残りの兵士たちが後宮内になだれ込んでくるだろう。


 軍部の動きは止まってはいない。劉将軍が亡きあとも、後宮に侵入しようと攻撃してきている。


(どうしてだ。なぜ軍部は止まらない。他に一体誰が……)


 そこまで考えてから、庸介はハッとして振り返った。鳳凰殿の大屋根が目に入る。

 後宮が攻撃を受けていることで、鳳凰殿は最小限の近衛兵を残してできるかぎりの禁軍を後宮に差し向けてくれている。


 そうなると、鳳凰殿はいつも以上に手薄になっているはずだ。外国使節団との式典が続いている以上、龍明たちは逃げることすらできない。

 そんな状況、叛乱を狙う奴らにとってはうってつけじゃないのか。


(もし……警備に当たる禁軍の中に、劉将軍の息がかかったやつがいたら……)


 後宮への侵入自体が、鳳凰殿を手薄にするための布石にすぎなかったんじゃないか。

 そう思い至った瞬間、いてもたってもいられなくなる。

 庸介はまだ回廊の屋根のうえにいる玲蘭に声を向けた。


「玲蘭! もうこれ以上は無理だ! 避難してくれ! あと、杏梨! キョンを託すから、手紙をつけて香蓮たちにも避難を知らせておいてほしい!」


「わ、わかったわ。でも、玉琳はどうするの?」


 玲蘭に問われ、庸介は少し逡巡したあと素直に伝える。


「鳳凰殿に行ってくる」

「ええっ!? どうやって!?」


 当然ながら、通常であれば後宮の人間が外に出ることなどできない。


「なんとかするしかない。杏梨、キョンをお願いな」

「わかりましたっ。キョン、おいで」


 杏梨がこちらに向かって手を差し出したので、肩に乗っていたキョンを手で空に放ってやる。キョンは杏梨の腕へと飛んで行った。


「あんたも手当たり次第に避難を呼びかけてくれよ」


 馬に逃げられて途方にくれている宦官にも一応頼んでおく。こくこくと頷いていたから、声かけくらいはしてくれるだろう。


 庸介が走り出すと、背後からは『キョンキョン』と声援をおくるようなキョンの声が響いてきた。その声にちょっと励まされる心地だった。






 後宮の構造は熟知している。最短ルートで鳳凰殿をめざすが、大屋根が見えているものの実はかなりの距離があった。

 玉琳の身体では、すでに息があがりはじめている。


 それでなくても今日はこれまであちこち走り回って、身体にかなりの負担を強いてしまっていた。


(ごめん、玉琳。でも、あと少しもって……)


 心の中で謝りながら走っていると、進行方向に馬が一頭、草を食んでいるのが見えた。さきほど爆発音に驚いて逃げ出した宦官の馬だろう。

 その横を通り過ぎたときのことだった。


 ――マッテ


 女性の声が聞こえた気がした。周囲には人の姿はない。

 頭の中から聞こえてきたような感じもした。


(もしかして、玉琳!?)


 前に声が聞こえてきたときは酷く酔ったときだった。でも、いまは完全にしらふだ。聞き間違いかとも思ったが、再びはっきり聞こえた。


 ――馬ヲ


(馬?)


 ゆるゆると足を止めて、振り返る。馬をどうしろというのだろう。ちなみに庸介は馬に乗ったことはない。とりあえず馬の傍まで戻ると、手綱を手に取った。


 次の瞬間、身体がふわりと浮き上がる。いや、そう錯覚しただけで実際には自分であぶみに足をかけ、馬の上に乗ったのだ。勝手に身体が動いた。


「え、まってまって! 俺、馬に乗れないって!」


 慌てる庸介に、しっかりとした玉琳の声が聞こえてくる。


 ――大丈夫、マカセテ


 身体を委ねてと言われているようだった。


(そっか。玉琳は元々、騎馬民族の出。馬の扱いなら慣れているのか)


 玉琳の足が鐙を蹴った。馬は力強く走り出す。周りの景色がぐんぐん過ぎ去っていく。庸介はただ手綱を握るだけで精いっぱいだった。


 もはやどちらが身体のどこを動かしているのかわからなくなっている。

 でも、馬と玉琳の身体はまるで一体になったかのように、地面を蹴って軽やかに走っていく。


 そうして、あっという間に後宮と外朝をつなぐ唯一の門へと到達した。

 門はいまは堅く閉ざされ、内側には誰の姿も見えない。

 そこで庸介は馬から降りると、扉を強く叩いた。


「誰かいませんか! 門を! 開けてください!!」


 頼むが誰の声も帰ってこない。


(そうか。後宮に侵入した軍部の兵士たちを外朝に出さないよう閉じ込めるつもりなのか)


 その判断自体は正しいと思う。しかしそうなると、なおさら後宮から出るのが困難になってしまう。すぐ近くに鳳凰殿の大屋根が見えているのに、あと少しの距離がとても遠く感じた。


(どうすればいい。考えろ。どうすれば後宮の外に出られる)


 数秒考えて、思い出した。


「そうだ。あれがある。玉琳、俺が示す方向に連れてってくれ!」


 馬に手をかければ再び身体は自然と馬を操りだす。しばらく後宮内を走ってたどりついたところは人けのない場所だった。このあたりは現皇帝の妃たちの住まいがあった一角だが、その中でも特に老朽化して使われていない宮が集まっている場所だった。


 その中の一つの蔵にたどり着くと、奥に置かれていたものを庸介は手に取った。林檎のような大きさで頭の上に芯がついている玉。小型震天雷の残りだった。


 ここには他にも予備の武器が保管してある。。念の為、剣をもう一本持っていくことにして鞘を腰につけた。


 小型震天雷を一つを手に取って馬の手綱を引きながら、壁の方に近づいて行く。

 何度も繰り返し覚えた鳳凰城内の城内図を思い出す。


(たしかここの壁の向こうは外朝のはず。よし)


 小型震天雷を右手に持ち、左手で帯に挿してあった火折子を手に取ってキャップを口で外した。芯に点火して壁の方に転がすと、馬の手綱を引いて急いで建物の影に隠れる。

 隠れたとほぼ同時に、爆音があたりに響き渡った。

 もうもうと煙が立ち上り、いっきに視界が悪くなる。


「げほっげほっ」


 つい煙を吸い込んで咳き込んでしまった。ぱたぱたと顔の周りを手で仰ぐと、すぐに煙は風に流されて消えていく。壁の方に目をやって、自分で作った震天雷の威力に改めて驚いた。


「うわぁ、すげぇ」


 高さ三メートルはある壁が、幅五メートルほどにわたってがれきの山と化していた。

 幸い、今回は馬も音に驚いて逃げ出すこともなかった。


 玉琳は再び馬に乗ると、勢いをつけてがれきの山を飛び越える。


 ――龍明サマヲ


「ああ、行こう! 龍明んとこに!」


 馬はぐんぐん加速する。途中、禁軍の兵士や文官が驚いて立ち尽くしていても、スピードを落とすことなく巧みに馬を操り、すり抜けていく。


(すげぇ、玉琳。ただ馬に乗れるってだけじゃないだろ、これ!)


 巧みな馬の操り方に、乗っている庸介が何より驚いていた。手綱に掴まりながら、かつて聞いた玉琳の声がふと脳裏に蘇った。


『申し訳ありません、龍明さま。私に健康な身体があれば、貴方のそばにずっといられたのに。本当は貴方を守ってさしあげたかった。そんな力がほしかった』


 病で命を落としかけた玉琳が、最後に願った言葉がそれだった。

 その願いを叶えるために、庸介の魂は呼ばれたのだと思っていた。

 いまならわかる。


(俺の力だけじゃ龍明のそばにすらたどり着けなかった。あんた自身の力で、龍明を守ろうとしてるんだ。あんたは決して無力なんかじゃない)


 疾走する馬は鳳凰殿の大階段までたどり着いた。鳳凰殿の入り口はこの先だ。






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