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第35話 暗雲

 香蓮は北門の楼閣の窓から、じっと祈るように外を見つめていた。城壁からは次々と火箭が放たれ、迫りくる軍部の兵士たちとの攻防が続いている。


 しかし彼女の視線はそこにはなかった。

 瞬きを忘れるほどじっと、森や平原の上にある空を見つめている。


 そのとき、彼女の視線が一点に釘付けになった。視線の先に小さな点が見える。点は同じ場所を旋回していた。


「見つけた」


 彼女は小さく呟く。

 息を吸いこむと、楼閣を抜けて城壁の上へと向かう。


 自分の行動が父への裏切りに繋がるだけでなく、父を死に追いやる行為だということはわかっている。でももう心の中に迷いはなかった。


(私は、お母さまや妹弟たちがこれからも笑って過ごせる未来を選びたい)


 庸介にあらかじめ言われていた、指定の場所へと走った。そこには城外への攻撃には参加せずに待機している三人の女官がいた。

 香蓮は息をはずませながらも、彼女たちに伝える。


「見つけました。あそこです」


 小さな点が旋回している上空の、すぐ真下を指さした。

 女官たちは目配せしあうと、手にしていた火箭に火をつけて弓を斜め上に向ける。


 同時に三発の火箭が放たれる。放たれた方向は、香蓮が指さした方向だ。

 少し間をおいて、再度三発の火箭を放った。

 これが城外のどこかで身を潜めて待機している禁右軍の李正たちへの合図だった。

 あの方向に軍事クーデーターの首謀者・劉将軍がいる。







 庸介は壁の上を走った。右側の通路は、軍部の先発隊が通り抜けた路だ。

 後宮内は通路が迷路のように入り組み、あちこちに小さな門や扉が付けられている。


 今回はそれを利用して、北門から続く通路には分岐となる扉にすべて鍵をかけ板を打ち付けて封じ、一本道にしてあった。


 一本道の先には袋小路の小広場がある。先発隊がその小広場に入ったあと、女官たちがこっそり扉を閉じて彼らを閉じ込める予定となっていた。


 庸介が壁づたいに走ってその小広場に到達したころには、すでに沢山の兵士がそこに閉じ込められているのが見えた。


 さらに兵士たちに向かって、女官たちが壁越しに竹で作った水鉄砲で液体をふきかけている。


 もちろん兵士たちからも怒号とともに矢などが飛んでくるのだが、小広場をぐるりと囲む壁の反対側は回廊となっており、屋根が斜めに下がっているので、女官たちはそこに身を隠しながらであれば矢を避けることができた。


 庸介も矢の的になるのを避けるために小広場とは反対側へと飛び降りる。

 この場所を任せているのは玲蘭だ。玲蘭の姿を探していたらすぐに見つかった。声が聞こえたからだ。


 彼女もやはり回廊の屋根の上で身を伏せながら、小広場にむけて声を張り上げていた。


「攻撃はおやめなさい! あなたたちに吹きかけているのは油です! 火をつかえば丸こげになるのはあなたたちですよ!」


 女官たちが吹きかけているのは油なのだ。ついでに、小広場にはあらかじめあちこちにタライにいれた油を入れて置いてあった。

 走り込んできた兵士たちはおそらくそれを踏みつけ、まき散らした者もいただろう。


 兵士たちを油まみれにして、火箭や火槍といった火薬を使う武器の使用を封じているのだ。逆にいえば、


「大人しく降伏しなければ、こちらから火箭を射かけますよ!」


 玲蘭は声を張り上げる。それと同時に、女官の一人が火箭を空に向かって射った。


 小広場の上空で、バンと音を立てて火箭がはじける。それを見て怖気ずいたのか、明らかに小広場から聞こえていた怒号が小さくなった。小広場の兵士から飛ばされる矢の数も急に少なくなる。


(もうちょっと脅しをかけておくかな)


 庸介は玲蘭に近づくと、声をかけた。


「玲蘭、お疲れ様」

「玉琳! もう、大変だったんだからね!」


 玲蘭は回廊の屋根にへばりついた格好のまま、涙目で訴えてくる。数百という兵士を相手するのは、いくらこちらに武器があったとしても大変だったことは想像にかたくない。


「うん。ありがとう。すごく上手く制圧してるとおもう。すげぇよ」


 思わず素の言葉でそう感想を漏らしてしまったが、それで玲蘭は少し気を取り直したようだった。


「ふ、ふん。私は楊宰相の娘ですから。こんなこと訳ないですわ」


「本当にやばそうになったら、全員近くの宮に逃げ込んでいいから。でも、もう少し脅しておこうかな。ちょっとそっち上がるね」


 玲蘭が使ったのであろう梯子が近くに立てかけてあったので、それを上って回廊の屋根にあがる。


「どうするの?」


 屋根にあがったところで、下から「玉琳様!」と声をかけられた。見下ろせば、杏梨がすぐ真下に来ていた。


 彼女は腕で林檎ほどの大きさの玉と、一抱えある大きな玉を抱えている。二つは大きさは違うものの、形は全く同じだ。白い陶器製の球体の上に縄でできた芯のようなものが出ている。


 杏梨には庸介がここにきたら近くに隠してあったその二つを持ってくるように頼んであったのだ。


 杏梨は梯子を上り、一個ずつ渡してくれる。


「ありがとう、杏梨。あと、火種もあるかな」

「はいっ。いまもってきます!」


 杏梨は梯子を下りてたたっと駆けていくと、少し離れたところにおいてあった小さな竹ずつのようなものを取って戻ってきた。


「ありがとう。危ないから、ちょっとこっちにのぼっておいて」


 杏梨が渡してくれた火種は、火折子かしょつという古代のライターみたいなものだ。


 十センチほどの長さの細い竹筒で、上部がキャップのようになっている。この中に乾燥させて潰した芋の蔓を入れて硫黄、硝酸塩、リンなどをしみ込ませたものだ。


 一度火をつけたあとキャップをすればそのまま火種として携帯できる優れものだった。

 使用するときはキャップを外して軽く振ると、くすぶっていた火種が復活する。


 庸介は杏梨から渡してもらった一抱えほどもある玉を壁の上にあげた。


 ごとっと音を立てて壁の上に大きい方の玉がのる。壁から顔だけ出して様子を伺うと、大部分の兵士は「なんだあれ?」という顔をしている。しかし、騎馬に乗った指揮官らしき男だけはあからさまに恐怖に引きつった顔をして、馬ごと後ずさった。指揮官の反応に周りの兵士たちも動揺している様子がうかがえる。


(やっぱ指揮官階級になると知ってるのか)


 庸介はほくそ笑むと、小広場に向けて声を張り上げた。


「これは名を震天雷といいます。軍部と禁軍が共同開発してた新兵器ですよね。私も同じものを作ってみたんです。これだけだと信じてもらえないと思うから、いま威力を見せてあげますね」


 先程杏梨から受け取ったもう一つの小さな玉の方。それを右手で壁の上に差し出して兵士たちに見せたあと、口で火折子のキャップをとると軽く振る。そうすると火折子の先端に火が灯るので芯に点火し、人のいない回廊の方へと投げた。


(うまくいくかな……)


 不安半分期待半分だったが、地面へ着弾して数秒、大きな爆発音とともに激しい土煙が舞い上がった。


 余りの威力の大きさに、兵士たちはもちろんのこと女官からも悲鳴があがってしまった。


(やっべ、思ったより威力でけぇや)


 着弾したあとには、地面がえぐれていた。予想より高い破壊力に、庸介自身ちょっと驚く。


 爆発物というもの自体を目にしたことがないであろう大半の兵士たちにとっては、恐怖を植え付けるのに充分な威力だっただろう。


 庸介は身を隠したまま、口に咥えたままだった火折子のキャップを戻して、それを服の帯に仕舞う。何かに使うかもしれないから持っておいた方がいいだろう。

 そして、小広場の方にむけて脅すように言った。


「いまの小さい奴でこの威力だから。このでかい震天雷を投げ込んだら、どうなるでしょうね」


 兵士たちは恐怖のあまり我先にと小広場の反対側へと逃げ出した。しかし兵士たちが入ってきた入り口はすでに閉じてあるので逃げ場などなく、押し合いへし合いの大混乱になっている。


 庸介のあとに、玲蘭も言葉を続ける。


「抵抗はやめて大人しくしなさい! この大きなのを投げ込んでほしくなかったら、武器を捨てて降伏するの! いい!?」


 玲蘭の言葉に、兵士たちは次々と応じていく。武器を捨ててその場に座り込む者もいた。すっかり戦意を失った者も多いようだ。


 その様子を庸介と玲蘭と杏梨の三人は顔だけ出して伺っていた。兵士たちの間に降伏のムードが広がっていくのを見てほっと胸をなでおろす。


「でも、こんな大きなの、爆発したら怖いですね」


 杏梨はすぐ目の前にある大きな震天雷を恐々と見つめた。

 庸介は小さく笑って、震天雷をぽんぽんと叩いて見せる。


「心配しなくても大丈夫だよ。こっちには火薬を入れてないから」


 小声で種明かしをすると、杏梨は驚いて声をあげた。


「え、ええっ! そうなんですか?」

「さっき運んでくるとき、こっちはあんまり重くなかったでしょ?」

「た、たしかに……」


 威力を見せるために小さいほうにだけ火薬をつめておいて、大きい方の中身は空にしてある。それでも効果は抜群だったみたいだ。


 そのとき、回廊の下に馬が駆けてくるのが見えた。乗っているのは見覚えのある宦官だ。さきほど、宦官の詰め所で鳳凰殿への報告と龍明たちの避難要請を伝えておいた宦官だと思い出す。宦官も玉琳の姿を見つけて、馬を止めた。


「玉琳様。お伝えしたいことがございます!」


 庸介は梯子を下りて、宦官の傍へと駆け寄った。


「どうしたんですか?」


 宦官がやけに切羽詰まった表情をしているのが気になった。馬の上から姫に話しかけるのは失礼だと感じたのだろうか、彼も馬から降りて報告してくる。


「鳳凰殿の決定をお伝えします。鳳凰殿は、通常通り、外国使節の朝貢式を続けるとのことです。皇太子さまたちの避難はそれ以降となります」


「なんで!?」


 思わず声をあげていた。すぐそこまで命を狙う相手が迫っているというのに、逃げないなんてありえない。

 宦官は悔しそうに続ける。


「皇帝陛下のご命令ですので、誰も逆らうことはできません。陛下は、内乱を外国使節たちに勘付かれたくないのでしょう。できるかぎりの禁軍をこちらへ派遣して制圧を行うとこのことです」


(そんなこと無理だ。禁軍と軍部とでは数が違いすぎる。せめて、指揮をとってるやつを捕まえるとかしないと……)


 庸介たちがやっていることはあくまで時間稼ぎにすぎない。その前提には、鳳凰殿の龍明たちが逃げるまでの時間を稼ぐ意図があった。彼らが避難しないのであれば、すべての前提が崩れてしまう。


「それまで玉琳様たちはどうかそれぞれの宮にご避難くださいとの、龍明様よりのお言葉です」


(避難……やっぱ、そうせざるをえないのか。でもそうすると兵たちはすぐにでも、鳳凰殿に向かうだろう。そうなったら……)

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