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第34話 開門

 庸介は香蓮を連れて、後宮北側にある北門のところまでやってきた。鳳凰城の外壁は石造りで高さ約十二メートル、底厚約十メートル、頂厚も約六メートルほどの大きさがある。さらに、門の上には屋根のある楼閣がつくられていた。


 実際のところ、壁自体は爆弾があってもそう簡単には崩せないほどの分厚さと頑強さを持っているのだ。


 ただ門の部分は鉄を貼り付けて補強しただけの跳上式の木製扉だ。ここが一番の防衛上の弱点になりうる。


 庸介たちは梯子をのぼって、楼閣へとあがった。楼閣も壁同様に石で作られており、外側に向かって監視用の窓がいくつも開けられている。その一つの窓で、細長いラッパみたいな形をした舶来物の望遠鏡をのぞく桃華の姿があった。


「桃華! どんな状況になってる?」


 庸介が尋ねると、桃華は望遠鏡から目を放してにっこり微笑んだ。


「玉琳! 香蓮も無事やったんやな、よかった」


 ひとまず再会を喜んだあと、桃華はすっと表情を引き締める。


「軍部の奴ら、集まってきてんで。さっきまで、城の北西で訓練してはったんや。そやけど、そのなかの一部が別れてこっちにむかってきてる。ざっと数えて、すでにこっちに到達してるのが千人ほど、さらに向かってきてるのが二千人であわせて三千人てとこやな」


 城周辺の平原で軍部が軍事訓練を行うこと自体は何も珍しいことではない。日常的な光景だ。だが、その一部が離反してこちらに向かってくるのは初めてのことだった。


 桃華にこの場の監視を頼んだのは、彼女が数に非常に強くて、どれだけ多くの数であっても数えることができるからだ。後宮の女官たちは割と教育を受けている方だが、それでも百を超える数を数えることはむずかしい。


「三千……か」


 庸介は楼閣の窓から外を眺める。北側は手前に少し広い平原があり、その向こうに深い森が連なっていた。北西には広い平野がひろがり、そこに訓練中の軍部の兵士たちが見えている。ここからでは肉眼だと一枚の板のようにしか見えない。


 あれが全員こちらにむかってきたらと想像するとぞっとするが、庸介の予想では劉将軍はそこまで大勢の人間を個人的に動かすことはできないと見ていた。侵略者などの明らかな敵に対して大軍を動かすのは難しくないだろうが、自分たちが守っているはずの城を攻めろと言う命令を効かせることは遥かに難しい。


 実際、昭和初期におこった軍事クーデータである二・二六事件では、青年将校とクーデーターに参加した兵士の数は総勢で千五百人ほどだった。昭和の時代ですら、叛乱に向かわせられるのはその程度なのだ。


 桃華が数えてくれた三千が、実働部隊のすべてと考えてもよさそうだった。


 城門に目をやると、千人ほどの兵士があつまってきつつある。彼らが先発隊なのだろう。甲冑を着て槍を持った者、弓を担いだ者など歩兵が中心だが、ちらほら騎馬に乗った者も見える。あれは各小隊の指揮官かもしれない。


 ただ、兵士たちに混じって、大砲のようなものを台車で運んでいる者たちもいた。大きな投石器も見えるし、太い丸太を数人で抱えているのも見える。


(香蓮が門を開けなかった時に備えて、門をぶっこわす道具も持ってきてるよなぁ、やっぱり)


 どうやっても後宮の中に入るつもりなのだろう。


 庸介はここに来る前に宦官の詰め所に顔を出して、軍部による襲撃の危険が迫っていることは伝えておいた。宦官たちが鳳凰殿に伝えてくれたはずだ。


(別にこいつらと戦う必要はない。龍明たちが安全なところに避難する時間さえ稼げればいい)


 龍明たちの避難が完了すれば、すぐにでも後宮のみんなを近くの宮に避難させて、宮の門扉を閉じ中に閉じこもる手はずだった。庸介たちがやろうとしているのは、時間稼ぎにすぎないのだ。


 そのとき、楼閣のはしごを上って一人の女官が息を切らせながら顔を出した。


「玉琳様。ただいま、巳正一刻になりました」


 ついに、香蓮に命じられた開門の時間が来てしまった。香蓮と桃華の視線が庸介に向けられる。庸介の判断を待っているのだ。


 窓の外には、先発隊の次の部隊がこちらに近づいてきているのも遠目に見える。


(ぐずぐずしてても門を壊されるだけだ。そうなったら開きっぱなしになって入り放題になってしまう。それだけは避けたないとな……)


 庸介はまず香蓮の肩に手を置いた。


「香蓮、手はず通りに頼む」


 香蓮は大きく頷き返す。


「うん。わかってる」


 そして窓から顔を出すと、ここまでついてきて今は楼閣の上空を旋回している鷲に合図を送った。


「お父様を探して!」


 鷲は大きく円を描くように楼閣の上を飛ぶと、森の方へと飛んで行った。

 香蓮は鷲の飛んでいく先を目を凝らして見つめる。


 あの鷲は香蓮の父親……つまり劉将軍の顔をよく知っている。そして、鷲の視力は人間の十倍はあるといわれている。一キロ離れた上空からでも小動物を見分けられる驚異的な視力だ。その鷲に、劉将軍を探すよう命じたのだ。


 劉将軍の居場所を発見したら、城外の森の中に隠れている禁右軍の李正大将に知らせることになっている。そのため城の前に軍部の連中が武器を持って集まっているこの状況になっても、李正の部隊は動かない。


 庸介たちが後宮内で軍部の足止めをしている間に、鳳凰殿の龍明たちを避難させ、首謀者である劉将軍を李正たちに拘束させる、それが今回の作戦の全容だった。


(上手くいくことを祈るしかないな)


「桃華。北門を開けてくれ。今いる奴らを後宮内に入れる」

「了解ー!」


 桃華は元気よく答えると、楼閣の下にいる宦官たちに門を開けるよう指示をだした。

 いま庸介たちがいる階の一つ下の階には、数人でようやく動かせるほどの大きな回転レバーがあり、それを回すと門が開く仕組みとなっていた。


 跳上式の門がガラガラと大きな音を立てて開いていく。

 軍部の兵士たちは、香蓮が劉将軍の命令に従って門を開けたと信じて疑っていないようだ。


 一斉に門の外にいた兵士たちがなだれ込んでくる。先発隊があらかた門の中に入ったことを確認すると、庸介は今度は門を閉める指示を出した。

 門を閉じて、先発隊と後発隊を分離するのが狙いだ。


「キョンは私への連絡用にここに置いていくね。あとは頼んだ」

「もちろん、まかしとき!」


 桃華はこんなときでも明るく元気だ。そんな彼女のはつらつとした明るさと度胸に庸介も救われる気持ちだった。


 門のことは桃華に任せ、庸介は楼閣を出て城壁の上へと向かう。

 そこには、後宮の警備を担う女官たちが集まっていた。彼女たちは武官経験者や私兵あがりなど、姫や宮を守る任を受けて訓練を受けた経験のある者たちばかりだ。


「霜月! 守備はどう?」


 その警備女官たちの取りまとめを頼んているのが、霜月だった。彼女は手に火箭かせんを持ったままこちらに向き直る。


「玉琳様。みな配置につきました。いよいよですね」


 霜月は城壁の外に視線を向けた。後発の第二陣がそろそろ城壁近くまで接近している。彼らは先に着いているはずの先発隊がいなくなっているのに門は堅く閉じられていることに気づいただろうか。


 軍部の分断と混乱、それを招くことで足止めしたいと庸介は考えていた。

 戦場は予想外のことであふれている。そのことを思い知ってもらわなければならない。


「いまだ。やってくれ」


 庸介が頼むと、霜月は一つ頷く。


「射撃用意!」


 霜月はよくとおる声で告げると、自らも弓を構えて火箭を引いた。

 等間隔で城壁のうえに警備女官たちが並び、霜月同様に弓で火箭を構えている。

 火箭の使い方は普通の矢と変わらない。ただその先に火薬筒が付いてるので、そばに控える別の女官がその導火線に火をつけた。


 ジジジと導火線が燃えていく。


「撃てっ!」


 霜月は言葉とともに火箭を放った。城壁の上から間髪いれずに、何本もの火箭が放たれる。火箭は炎を吹きながら軍部の第二陣の先頭付近に突き刺さり、着地とともに小爆発を起こした。


 彼らはあわただしく隊列を乱す。突然の城からの攻撃に、慌てふためいているように見えた。


 この国は二十年も平和に過ごしてきたのだ。二十年もたてば、かつて実戦経験のあった兵士たちはことごとく代替わりしている。ほとんど誰も実戦なんて経験していないに違いない。だからちょっと予想外のことが起きただけで慌てふためいてしまうのだ。


 城壁の上には、庸介が集めた火箭をはじめとする武器類が数多く置かれている。

 ここは霜月たちに任せておけば大丈夫そうだ。


「あとは頼んだ、霜月」

「御意」


 庸介は次の現場へと急ぐことにした。城壁は高さ十メートルほどだが、後宮の中の通路や壁は高さ三メートルほどしかない。庸介はあらかじめ用意してあった梯子で後宮の中の壁へと乗り移る。


 右側に先ほど軍部の先発隊が通り抜けた通路が見える。


「じゃあ、あとはよろしく!」


 城壁の上からこちらを見下ろす霜月たちに大きく手を振ると、幅五十センチほどしかない壁の上を落ちないよう気をつけながら走っていく。この先を進めば先発隊と鉢合わせするはずだ。






 城壁の上で玉琳が走り去っていくのを霜月とともに見送っていた女官が不思議そうに言った。


「後宮内を仕切って、これだけの人数を動かすなんてすごいよね。うちの桃華様もあの方には全幅の信頼を寄せているみたい。ただの姫とは思えないんだけど」


 小さくなっていく玉琳の背中を見守りながら、霜月は小さく口元に笑みをこぼす。


「さぁ……。私も、もしかするとあの人は天女様なのかも、と思うときがある」










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