第26話 庸介の予想
白虎宮に戻ってくると、庸介は早速、杏梨に頼んで図書館から鳳凰城内部の城内図がのった本を借りてきてもらった。
部屋でその本を眺めながら、庸介はひとり考える。
(いまのところ対外的に戦争の気配はほとんど感じられない。鳳国は昔は近隣諸国と国境争いをしていたけど、ここ二十年ほどは多少国境付近で小競り合いが起きる程度でおおむね平和そのものだ)
国境争いをしていたときに、一番の敵となっていたのは騎馬民族だった。要は玉琳の一族だ。一万を超える騎馬兵が破竹の勢いで街や村をつぎつぎと制圧していく、圧倒的な強さだったと文献には書かれていた。
鳳国も騎馬民族の進撃を抑え込むために何十キロにもわたる長城を築いたりしていたが、和平が成立して以降、両者は友好的な関係が続いている。
玉琳はそういう微妙な立場の姫だったりするのだが、玉琳の身内からは手紙が来ることはほとんどない。
玉琳が最初に生き返った時に父親から「生きてるか?」と大きな文字で書かれただけの手紙が来て、毒殺されかかったときには「元気か?」とでっかく書かれた手紙がきただけだ。
一見放任されているように見えなくもないが、金銭や物資は潤沢に送ってくれるし、暗殺未遂のときに手紙が来たのは倒れた数日後だった。騎馬民族の住む高原地方と鳳国の距離を考えると脅威的な速さだ。心配はしてくれているのだろう。
そういうわけで、一番の脅威と考えられていた騎馬民族との和平が続いている以上、軍備を増強しなければならない差し迫った危機はない。
(なのになぜいま、大量に火薬を集める必要がある? しかもどうして、そこまで徹底して秘密裏にやるんだ?)
考えられるのは、軍の一部が私的な資金をつかって勝手に買い集めている可能性だ。
しかし、対外的に使うのでないとするなら、何のために火薬を集めているのだろうか。
陸自で働いていたこともあって、庸介はこの国の兵器や軍備にも興味があったため、前々から龍明に頼んで兵器関係の本をこっそり持ち込んでもらっていた。そのときは趣味の読書でしかなかったから、まさか役に立つ日がくるとは思わなかった。
この世界における戦争での主流な武器は、剣や槍、弓などだ。しかし黒色火薬が開発されて以降、徐々にそれが戦場にも使われるようになってきている。
『火箭』と呼ばれる矢に火薬筒をつけたものや、簡単な構造の大砲は実戦で使われた記録がある。
まだ銃が発明される文明段階にはないが、既に兵器としての火薬の有用性は認識され実戦配備されているのだ。
そうなると、
(考えられるのは軍事クーデターか)
ぞくりと背筋が冷たくなる心地だった。
頭の中で、いやまさかそんなと否定したくなるが、玉琳暗殺未遂事件のバックにも軍部が関わっているおそれがあることを考えると、この国のいまの軍部はかなり危険な状態にあるのは間違いない。
軍部内には、強硬に自分たちの思うように国を動かしたいと考えている危険思想の持ち主がいるはずだ。
そして香連の父である劉将軍もその一人にちがいない。香蓮を正妃にして国を操る計画がとん挫し、劉将軍に疑いの目がかけられているいま、焦って実力行使にでることも考えられなくもない。
軍事クーデターは、皇帝がおさめるこの国を根本から覆すものだ。もしそんなものが成功したら、政権どころか社会体制自体が変わってしまいかねない。
良い方に変わればまだいいが、軍事クーデター後に成立した政府でうまく行っている例はほとんど知らない。だいたいが内乱状態になって、国内がボロボロになっていくのが常だ。
(なにより龍明の命が危ないしな)
クーデターのどさくさで殺されるかもしれないし、捕まって後日処刑されるかもしれない。新政権に邪魔な皇帝の血筋は根絶やしにされるだろう。
下手すると後宮の者たちもその中に含まれるかもしれない。処刑エンドなんて絶対嫌だった。
(とりあえず、最悪の予想を立てて準備していこう)
陸自時代から庸介の考え方はいつも一貫していた。まず最悪の予想を立てて、それに対していかに備えるかを念頭に置いて計画をたてていく。
今回もそうすることにした。
(軍事クーデターが近い将来起こるとして、俺に一体何ができるだろう。どうすれば、龍明や後宮への被害を最小限にできるんだろう)
鳳凰城の城内図を睨みながら、想像を巡らせる。
(うーん。どう考えても北側が、防衛上弱いんだよな)
鳳凰城のすぐ北側に皇帝とその一族の居住区がある。さらにその北側に位置するのが後宮だ。
後宮は中心にある庭苑を除いて一見迷路のような構造はしているものの、基本的に贅沢に空間を使っているためあまり人がいない。
各宮には姫と二十人程度の女官、それに後宮の生活を支える医局や図書館といった公共施設を担う宦官たちがいるが、全部合わせても後宮内の人員は二百人もいないだろう。しかも大半が若い女性だ。
一方、鳳凰城の南側は行政府が集中している。おそらく、国が大きくなるにつれてそこで働く文官や役所も多くなり、建て増しに建て増しを重ねていったのだろう。限られた行政区画のなかに、ごちゃっと建物と人が密集している。さらにその南側には百万人規模の大都市が広がっていた。
どっちが攻めやすいかというと、圧倒的に後宮の外、鳳凰城の北側からだ。
(しかも、後宮の中には香蓮もいるしな。朱雀宮の女官たちが中から手引きすれば、侵入なんて簡単だ)
「ヨースケ、何を見ているんだ?」
(まずは香蓮をどうにかするのが防衛上一番重要なことかもな)
「おーい。ヨースケ?」
耳の傍でぱちんと手を叩かれて、庸介はびくりと音のしたほうに目を向ける。
いつの間にか、すぐ真横に龍明が立っていてこちらを覗き込んでいた。
「うわっ、びっくりした。お前、いつからいたんだ」
「いつって、少し前からだが。部屋の外から声をかけても返事をしないから、また倒れてるじゃないかと心配になって勝手に入ってきた。ずいぶん熱心に見ていたな。その図がそんなに面白いのか?」
龍明は庸介が眺めていた城内図を不思議そうに眺める。
「なぁ、龍明。もしお前だったらどこから攻める?」
「私が? 鳳凰城をか?」
「そう。始発地点はどこでもいい。城の中でも外からでもいい。ここにいる奴らを拘束するために隆起するとしたら、どこからどう攻める?」
庸介は城の中心にある鳳凰殿を指で押さえた。
龍明は顎に手をあてて、フムと唸る。
「そうだな。内部から攻めたら、鳳凰殿周辺に展開している禁軍の近衛兵たちに阻まれるだろう。外朝のまわりにも禁軍が警備を敷いている」
「だよな。男が入れる場所は、お前んとこの近衛兵たちががっちり固めてる。でも、この辺りはどうだ?」
後宮まわりを指で示すと、龍明は渋い表情を浮かべる。
「そのあたりは非常に手薄だな。城の外周と、鳳凰殿の周りは近衛兵が目を光らせられるが、後宮の中は別だからな。普通の近衛兵では立ち入ることすらできない」
「お前がここに来るときは宦官の近衛兵を連れてきてるけど、そんなに人数いないだろ?」
逆に言うと、龍明といえど、宦官じゃない兵をこの後宮に入れることはできないのだ。
「後宮に入れられる近衛兵は十人もいないな」
そうなると、やはり後宮周りが一番防御的に弱い。構造的欠陥といえるほどに無防備だ。
「なぁ、禁軍の近衛兵自体は何人くらいいるんだ?」
「千人いくかどうかってところだな」
「その人数で、皇帝と皇太子とその他皇族たち、それに鳳凰城内を守ってるわけだよな。この首都にいる軍部の方は?」
「十万。と言いたいところだが、そのうち九万は徴兵で集めた一般人だ。練度は極めて低い。正規兵は一万といったところだな」
「それでも十倍の開きがあんのか……」
思わず天井を仰いだ。がちでぶつかりあって消耗戦になれば、勝ち目は薄い。
「どうした? いつになく深刻そうな顔してるが」
「実はさ……」
庸介は龍明に、昼間、桃華に聞いた話を伝えた。その話の意味するところを龍明もすぐに察する。
「まさか、そんな。……いや、でもそうか。そう考えると、いろいろ辻褄があってくる。最近、『聴政』で劉将軍や軍関係者の発言がめっきり減っているんだ。以前は、予算が足りないだなんだと鬱陶しいぐらいにしつこかったのにな」
聴政とは、皇帝と臣下たちが行う御前会議である。国政の最重要課題が決められる場だ。
「皇帝の顔色見て、願いを聞いてもらう必要はなくなったんだろうな。自分が皇帝になっちまえば思うがままだから」
庸介が言うと、龍明も眉を顰める。
「……暗殺や暗殺未遂くらいならしょっちゅうあるが、まさか叛乱を企てているとはな……」
(しょっちゅうあるのかぁ。俺、ここで生きのこっていける自信ないかも)
ちょっぴり弱気になる庸介だったが、凹んでいる場合ではない。もし本当に軍事クーデターなんて起こされた日には命の保証はまったくないのだから。
「なぁ、この城の防衛上の弱点は明らかにこの後宮だ。できる限り守りを固めたいんだが、そのために使える金ってあったりするの?」
白虎宮にも予算はついているし、実家から送られた金もある。が、それだけでは足りない。どうせなら、他の宮も巻き込んで後宮全体で防衛の備えをするくらいしないと、後宮内に軍部がなだれ込んできたら対応しきれない。
「後宮が襲われれば当然禁軍を回す。国家が転覆するほどの緊急事態に男子禁制などと言っている場合ではないだろう。でも、すぐに向かえるとは限らないからな。そうだな。私の個人的な資金なら回せるだろう。要るものがあればなんでも言うといい」
龍明から快い返事がもらえて、庸介はパチンと指を鳴らした。
「じゃあ、遠慮なく請求させてもらおうかな」
後宮が突破されれば、最も命が危なくなるのは皇帝と、皇太子である龍明だ。それが叛乱の目的なのだろうから。
鳳の国の歴史がここでついえようと庸介には関係ないが、龍明を殺されるのは困る。
ついでにいうと、庸介は軍事クーデターというやつは大嫌いだった。国を守るべき人間たちが国を内部から武力で壊そうとするなんて、癌みたいなものだ。
(癌は取り除かねぇとな)
城内図を睨みながら、気持ちを新たにするのだった。




