第16話 烏の館
黒丸烏を保護している旨の手紙を香蓮に出したら、すぐに返事が来た。びっくりするくらいの早さだった。
昼ご飯を食べ終わり、キョンを鳥かごから出して遊んでいたところで、慌てた様子の杏梨がもってきたのだ。
白虎宮の女官が庸介の書いた手紙を香蓮の朱雀宮に持って行ったのが昼前。それなのに、昼過ぎには返事が戻ってくるなんて思いもしなかった。
「え、もう返信来たの?」
「そうなんです」
こくこくと杏梨は手紙の乗った盆を手に頷く。
香蓮のことはお茶会の時に見かけただけだが、まだ十三歳という幼さもあるせいか、ほかの姫たちとも馴染むこともなく、話しかけてもすぐに会話が終わってしまって、無口で無表情の何を考えいるのかよく分からない子という印象が強い。
だから、手紙を送っても読んですらもらえないんじゃないかと思っていたのだ。
それがこんなに早く返事がくるなんて意外だった。
キョンも興味津々とばかりに肩へ乗ってくる。庸介は杏梨から手紙を受け取ると、窓際の椅子に腰かけた。
庭から差し込むやわらかな光を頼りに手紙を開くと、そこには可愛らしい字が並んでいた。なんというか、字がまるっこい。
挨拶文もそこそこに、庸介がキョンを保護したのと同じ日に、飼っていた黒丸烏が一羽行方不明になっていること、もし返してもらえるのならなるべく早く朱雀宮に連れてきてほしいことが簡潔にかかれていた。
「すぐ連れてこいだってさ。やっぱりお前は朱雀宮の子だったんだな」
肩に止まるキョンに声をかければ、『キョン!』と大きな声で鳴いて羽を羽ばたかせた。
キョンと別れなければいけないのは内心やっぱり寂しく感じる。キョンはとても人に慣れた鳥で、すぐに肩や頭にのってくる仕草が可愛いく、よく和まされたものだ。
それでも、元の飼い主がいるなら返さなければならないだろう。
翌日、事前に朱雀宮に文を出したうえで、キョンの入った鳥かごを杏梨に持ってもらって、霜月も連れて朱雀宮へと赴いた。
別に直接持っていかずとも女官に頼んで届けてもらえばいいだけだったのだが、キョンと離れがたくてこうして直接届けることにしたのだ。
朱雀宮の門は赤い色で塗られている。
玉琳の姿を目にしただけで、警備の女官たちは一様に拱手で深く頭を下げ、宮の中へと案内してくれた。
他の宮にも女官の門番はもちろんいるのだが、朱雀宮は警備の数が明らかに多い。
あちらこちらで立哨している女官たちが目に入るのだ。
しかも、他の宮の女官たちと比べて体格がよく背筋が伸びた姿勢のよい者が多いと感じる。率直に言うなら、体幹がしっかりしている。おそらくみな何らかの武芸の習熟者だろう。
彼女たちは不躾にならない程度に慎重な目つきで、こちらをちらちらと伺ってくる。羽織を着ている者が多いのは、その下に剣を忍ばせているからかもしれない。
(へぇ、さすが朱雀宮。女官たちもほとんど、軍関係者とか武家一族の出ってとこなんだろうな)
劉 香蓮は、劉大将の娘だ。劉家は代々将軍を何人も排出してきた軍部の名門一族だった。軍内部に強い影響力をもっているらしい。
しかし、庭を通りながら気づいたのは女官たちの鋭い視線だけではなかった。
(ずいぶん、数いるなぁ。すげぇ……。めっちゃこっち見てる)
庭に植えられた高木のあちらこちらの枝に、鳥が止まっていた。
一羽や二羽ではない。横目でざっと確認しただけでも十羽以上いる。
黒丸烏のような黒い鳥が多かったが、大型のものや目白のような小鳥もいる。
しかも、一羽たりと鳴くことなくひっそりと木に止まってこちらを見ているのだ。
(キョンを見てるのか? それとも見慣れない俺たちを警戒してるのかな)
鳴かないせいで、杏梨はもちろん霜月ですら鳥の存在には気づいていないようだった。いや霜月は気づいているが気に留めていないだけかもしれない。
鳥の姿は木々に隠れて風景に紛れている。
しかしだからこそ、庸介はこれだけ鳥がいるのに鳴くことなく止まっていることへ言いようのない不気味さを感じていた。
鳥には眼球を動かす筋肉がないため、よく見たいときは顔を横にし、目を対象物に向けて見るのだ。
何十という真っ黒い円らな瞳がじっとこちらを凝視している。
(立哨してる軍人上がりの女官より、よっぽどこっちの方がおっかないな)
視線を正面に向ければ、屋敷の前に人だかりが見えた。
真ん中に立つのは、白い杉に薄黄色の裙、それに裙と同じ色味の帔帛を纏う香蓮だ。
その周りを、背の高い女官が五人ほど、香蓮を囲うようにして立っている。
しかも香蓮づきの女官たちは服の上から帯剣していた。何か無礼があれば、他国の姫であっても容赦しないという気概が感じられる。普通の姫なら、あの女官たちを見ただけで萎縮してしまうんじゃないだろうか。
庸介は香蓮の前まで行くと、まずは拱手で挨拶をする。
「ごきげんよう、香蓮様。先日拾った黒丸烏を届けにきました」
鳥かごをもって後ろで控えている杏梨に振り向いて目で促す。杏梨は小さく頷くと、香蓮の前に進み出て、膝をついて鳥かごを差し出した。
香蓮は相変わらずの無表情のまま、
「ありがとうございます。玉琳様」
と、小さく細い声で礼を述べる。
すぐに、香蓮の傍にいた女官が鳥かごを受け取り、もう一人の女官が鳥かごの入り口をあけた。
キョンは女官の手を逃れて鳥かごか勢いよく飛び出すと、香蓮の肩に舞い降りた。ようやく飼い主の元に戻れて安心したのか、香蓮の肩の上で『キョンキョン』と鳴く。
いまだ香蓮の表情は薄いものの、キョンに注ぐ視線は柔らかい。口元には小さな笑みが浮かんでいた。笑っている姿を見たのは初めてだ。
(良かったなキョン。飼い主のとこが一番だよな)
と思ったのもつかの間。キョンはもう一度『キョン』と大きく鳴くと、飛び立ってしまった。庭の上を大きく旋回したあと、すいっと玉琳の頭に止まり、『キョンキョン』と鳴く。
まるで、自分はこっちの方がいいと言っているかのようだった。
「こらこら、キョン。お前の飼い主はあっちでしょう?」
キョンを手に止まらせて香蓮の方に行くように促すが、キョンはがっしりと玉琳の手に掴まって飛ぼうとしない。
「その子に、キョンという名前をお付けになられたんですか?」
「あ、うん、ええ、そうなんです。何か名前があった方が呼びやすいかと思って。ごめんなさい。この子には元々香蓮様がお付けになった名前があったんですよね?」
香蓮は、寂しそうにゆるゆると首を横に振った。
「いいえ。私は名前なんてつけていません。鳥に名前をつけるなんて、考えもしなかったから」
(あ、そういうもの? そっか、愛玩動物に名前を付けるっていう風習がないのか?)
もしかしたらキョンに名前を付けて可愛がること自体、この世界では奇異なことなのかもしれない。そのあたりのカルチャーギャップはぶつかって初めて認識できることも多い。
香蓮は、抑揚の薄い声で続ける。
「その子、玉琳様のところにいたいみたい。もし玉琳様がご迷惑じゃなかったら、もらっていただけないかしら」
「え? いいんですか?」
「……ごめんなさい、玉琳様には」
香蓮の眉間に、きゅっと小さな皺が寄る。手が白くなるほど、拳を握り込んでいる。
香蓮の、感情を抑え込もうとしているかのようなふるまいを庸介は怪訝に思うが、
「香蓮様」
彼女の真後ろにいた白髪で一番年配と思しき女官が、鋭い声で香蓮の名を呼んだ。彼女は傍目で見てもわかるほど大きく肩をびくつかせる。
その様子は主人と主人を守る女官たちというよりは、むしろ香蓮の方が周りの女官たちに怯えて従わさせられているようにも見えた。
香蓮は緊張を解こうとするかのように小さく息を吐く。再び玉琳に視線を向けた時には、すっかり感情の色が消えていた。
「なんでもありません。名前までつけて可愛がってもらえるなら、私も嬉しいです。それに、私にはこの子たちがいますから」
香蓮は視線をあげた。ここからはっきりとは見えないがその視線は庭の木々に留まる鳥たちに向けられているのだろう。
「たくさんの鳥を飼っているんですね。これだけの鳥を飼ってるなんて、率直にすごいと思います」
素直にそんな感想を漏らすと、
「はい。私の友達だから」
香蓮は短く答えた。
(私の友達……か……)
庸介にとっても、キョンはこの世界の数少ない友達だ。
そもそも、友という存在をこの後宮の中でつくるのはとても難しい。
女官たちとは身分の差がありすぎて、対等な友達という立場になるのはほぼ不可能だ。
同程度の身分となると他の宮の姫たちしかいないが、正妃を争いあう立場である以上、なおさら友という立場にはなりにくい。
(桃華は面白いやつだったけどな。にしても姫ってのは、みんな孤独なものなんだな)
それでも、庸介に対して白虎宮の女官たちはとても良くしてくれるし、ちょくちょく遊びに来る龍明の存在もある。
それがどれだけ恵まれたことなのか、いまさらながら思い知った気持ちだった。
どれもこれも、玉琳の人徳のおかげだ。
一方、香蓮は年上の軍人あがりとおぼしき女官たちに囲まれて、委縮しているようにも見えた。あの貼り付けたような無表情は、そんな環境で生きる彼女の精いっぱいの処世術なのかもしれない。
そんな香蓮と周りの女官たちを眺めていて、庸介はふと、朱雀宮の屋敷の軒先にひとつぽつんと鳥かごが下っているのに気が付いた。
籠の中には一羽の鳥が静かに止まり木へとまっていた。全体的に黒っぽいが、お腹から背中にかけてがオレンジ色の鳥だ。
「その軒先にいる鳥かごの鳥も可愛らしいですね」
純粋に可愛いと思ったからそのまま口にしたのだが、香蓮は急におどおどと目を泳がせ始める。
「あ、えと、その子は……」
そこにすかさず、後ろに立つ白髪の女官が声をかけた。
「香蓮様。そろそろ」
低く、落ち着いた声音は有無を言わさない響きがある。
香蓮は慌てて庸介たちに拱手した。
「は、はいっ。本日はその子を連れてきてくださってありがとうございます。元気な姿が見れただけでも安心しました。いま、門まで案内させます」
顔を伏せたままで、あげない。会話はもうこれまで、ということなのだろう。
庸介としてもそれ以上、ここに留まる理由もなかった。
拱手を返すと、キョンを杏梨の持つ鳥かごに入れてその場を後にする。
庭の鳥たちは、黒い瞳でいつまでもこちらをじっと見つめていた。