第12話 マカセテ
どうしていいかわからず固まる庸介を、玲蘭はフフフと悪意の籠った笑みで、桃華は面白そうに期待を込めた目で、香蓮は相変わらずの無表情で見つめていた。
三人の視線を集めながら、必死で考えるが何もいい考えは浮かばない。
そもそもその玉琳の舞というやつを庸介自身が見たことがないのだ。どう身体を動かせばいいのかすらさっぱりわからない。
(やっぱりここは体調不良を理由に退席するしかないよな)
実際、酔いが回り過ぎて頭が働かず身体に力も入らない。
玲蘭の企みにまんまと嵌ることになってしまうが、失態をさらすよりはまだいい。
「あ、あの……」
体調不良を告げようとしたときだった。
庸介の頭の奥で小さなささやき声が聞こえる。
――アナタガ取リ戻シテクレタカラ
可愛らしい女性の声だった。
(え? なんだ? 幻聴?)
一瞬、酔ったあまり幻聴が聞こえたのかと思った。しかし、そうでなかったことを次の瞬間思い知らされる。
「わかりました。舞いましょう」
自分の意思に反して、玉琳の口がそう答え、玉琳の身体が椅子から立ち上がったのだ。
(え? え? なんだこれ?)
庸介には喋ったつもりも、動いたつもりもない。勝手に身体が動き出していた。
焦って、もう一度座ろうとするが身体がいうことを利いてくれない。
抵抗すらできなかった。完全に身体をコントロールを失っている。
――マカセテ
もう一度、心の中の声が話しかけてくる。
そうか、任せればいいのかと酔っぱらった頭で思う。その声に、なぜか不思議と安心感を覚えていた。
玉琳の身体は、颯爽と歩き出すとテーブルを離れて、庭の空いているスペースまで行った。
そこでくるりと向きを変え三姫の方に身体を向けると、左手を拳にして右手で包み込む拱手で優雅にお辞儀をする。
顔を上げ、ふわりと花がほころぶように可憐に微笑む玉琳を、三姫すら息を飲むように見守った。
玉琳はとんと地面を蹴ると、両手をのびやかに広げて舞い始める。
しなやかに動く身体。くるりくるりと回るたび、白い袖が可憐にはためく。
その姿は、まるで天界に住まう天女が舞い降りてきたかのような錯覚を、見たものに感じさせるほどだった。
女官たちまでも給仕していた動きを止め、瞬きも忘れるほど玉琳の舞に惹きつけられている。
見るものを夢心地にさせるほどの、優美で可憐な舞だった。
ひとしきり舞い終えて、玉琳がもう一度、拱手で挨拶をするとみなが盛大な拍手を送った。
玲蘭も思わず見入っていたようで、ハッと我にかえると拍手を送ってくる。
「さすが、西方一と名高い玉琳さまの舞ですわ。感服いたしました。まさかその舞をまた拝見させていただけるとは思いませんでした」
玲蘭すら意地悪していたことを忘れて賛辞を贈るほどの完璧な舞だった。
玉琳はもう一度花のように微笑むと、次の瞬間、操り人形の糸が切れたように身体の力抜けてその場に倒れこみそうになる。
「玉琳!」
男の鋭く叫ぶ声が聞こえた。
ついで、身体に感じたのは地面の硬い感触ではなく、ふわりとした温かさだった。
視線を上げると、すぐ近くにここにはいないはずの顔が見えた。龍明だ。
倒れそうになったところを、彼に抱き止められたようだ。というか、ほとんど龍明の身体を尻に敷いているのに近い。彼をクッションにしたおかげで地面に倒れ込まずに済んだようだ。
「龍明? なんでここに」
気がつくと、身体が庸介の思い通りに動くようになっていた。
龍明は困惑したように眉間に皺を寄せ、苦笑を浮かべる。
「つい心配で、来てしまった。そこの木の影に隠れて見ていたんだ」
そう言ったあと、顔をさらに近づけて庸介だけに聞こえる声で囁いた。
「それにしても、さっきのは見事な舞だった。私ですら、本物の玉琳かと見間違えそうになるほどのな。そんな技術、どこで身に着けたんだ?」
「……」
それについては、何も答えられなかった。庸介自身も、自分の身に何が起こったのかわかっていなかったからだ。
ただ、玉琳が誰もが目を奪われるほどの見事な舞を舞ったのだけはたしかだった。
当然だが、庸介自身にそんな技術などあるはずない。どう答えていいのか分からず黙っていると、龍明はそれ以上追及してはこなかった。
そのあとは、飛び入り参加の龍明も交えて和やかにお茶会は終了した。
その日の晩。
白虎宮の玉琳の部屋で寝台で仰向けにながら、庸介はお茶会のことを思い出していた。
右腕を上に伸ばす。いまは、確かに自分自身の腕として動かすことができるこの右腕。
(でも、あのときは)
玲蘭に舞を踊れと言われたあと、急に体のコントロールが一切聞かなくなった。まるで誰かに身体の操縦を奪われたかのようだった。
(そのあとは、まるで夢を見ているみたいな感じだったな)
酔っぱらっていて思考が回っていなかったのもあるが、それとは別の理由で意識レベルがかなり低下していたように思う。
それでも一応景色は見えていたし目も覚めていた。それなのに、身体は自分の意思では動かず、まるで別の意思に従って動いているように思えた。
身体のコントロールを失う直前に頭の中に聞こえたあの声には聞き覚えがある。
この身体が発する声にとてもよく似ていたのだ。要するに、玉琳の声だった。
(つまり、全部まとめ合わせると出てくる結論は……)
自分の右手を胸に当てる。
(この身体の中に、玉琳はいまも生きている。玉琳の魂は今もこの中にある、ってことだよな)
その事実をどう受け入れていいのかわからなかった。
でも、この身体は本来玉琳のものだ。玉琳の魂が今も身体の中にあるというのなら、
(いつかこの身体を返さなきゃいけなくなるのか? そうなったら俺は、どうなるんだろう。どこに行けばいい? 消えてしまうのか?)
泣きそうなほど絶望的な心地だった。