第11話 四姫のお茶会
四姫のお茶会当日。
「さぁ、玉琳様! 最高に美しく仕上げましょうね!」
朝から杏梨は、見たことがないくらいにはりきっていた。
早朝から香油を浮かべた風呂で湯あみをさせられて、肌に乳液をたっぷりと塗り込まれる。
開けた窓から差し込む朝日に手を翳した。
これまで数か月、食事と運動と休息に細心の注意を払ってきただけあって、枯れ木のようだった腕は年相応以上の肌と艶を取り戻していた。
女官たちに隠れてこっそり続けてきた筋トレのおかげもあってか、透き通るように白くありつつも健康そのものだ。
(へぇ、いい肌してんなぁ)
自分の腕なのに、ついそんなことを考えてしまうくらいに。
そのあとは自室の鏡台の前に座らされて、髪を丁寧に梳かれた。他の女官たちも手伝い、長く艶やかな髪を整えていく。
両側の髪を少し取ってお団子にしたあと、そこに白い花を模した華やかな髪飾りをつけて、残りの髪は垂らしておく。
地の良さを活かす化粧を施されたら、次は着替えだ。自室の隣にある衣裳部屋で、そこで二日前から女官たちがどの衣装がいいかあれこれ悩んでいたのは知っていた。
とはいえ、庸介は衣装や髪飾りといったファッションのことに現代社会でもかなり疎い方だったのに、鳳の国の流行なんてさっぱりわからないので全てお任せにしていた。
言われるがままに身に着けた衣装は、白地に金糸銀糸で精緻な花の模様が随所に施され可憐で上品……それでいて王者の風格が漂う、そんな正妃候補にふさわしいものだった。
「うわぁ、すご。お姫様みたいだ」
思わずそんな感想が口から洩れると、杏梨も、他の女官たちもパッと顔を綻ばせた。
「そうですよ! 玉琳様は高原地方随一のお姫様ですから! でも、また、こんなお姿を見ることができるなんて……」
杏梨の双眸にみるみる涙が溜まり、隣に立つ霜月が差し出した手巾を受け取って鼻をすすりながら涙をぬぐった。
ほかの女官たちも微笑みを浮かべつつ、一様に感慨深そうだ。
(みんな、玉琳が弱っていって死にそうになるのを、ずっと見守って支えてきてくれたんだもんな)
庸介は、礼のつもりで彼女たちに微笑んでみた。
「ありがとう。みなさんのおかげで、今日という日を迎えることができました。私がここまで回復して、こうして自分の足で歩いて他の三姫たちとお茶会に出られるまでになれたのは、みなさんが献身的に支えてくれたおかげです。感謝してもしきれません」
なんてねぎらいの言葉をかけたら、杏梨だけでなく他の女官たちもますます感極まって泣き出しそうになってしまった。
普段、冷静沈着で表情をめったに動かすことのない霜月まで目が潤んでいる。
この身体の中身まで本物の玉琳でないことが、ちょっぴり心に痛い。
「それじゃあ、いってきますね」
支度が済んだら、杏梨と霜月、毒味役の女官を連れて白虎宮をあとにした。
お茶会の会場は、主催者である楊 玲蘭の玄武宮だ。
池にそって歩いていくと、すぐに玄武宮の門が見えてくる。
他の宮に来たのは初めてだが、瓦の色や柱の彫刻など細部の装飾に違いはあるものの、全体の構造は玉琳の白虎宮と変わりないようだ。
門をくぐると回廊に囲まれた庭があり、奥に見える三階建ての大きな建物が正妃候補の姫が暮らす住居となっていた。ここからは見えないがその裏には炊事場や女官たちの住居などがあるのだろう。
玄武宮の庭にも白虎宮と同じように小さな池が作られており、そばには淡い紫色の花をつける大木が枝葉を伸ばして木陰をつくっていた。
その下に大きなテーブルが用意されていて、すでに三人の着飾った姫が座っている。庸介は最後の到着だったようだ。
「いらっしゃってくれて嬉しいわ。さあ、お座りになって」
青を基調とした衣装が良く似合う玲蘭が、空いている椅子を手で示した。
「お呼びくださり、ありがとうございます」
とにかく微笑んでおけばなんとかなんだろ、の気持ちで微笑みを絶やさず礼を述べると、霜月が椅子を引いてくれたのにあわせて腰かける。
すぐに玄武宮の女官たちが茶托に載せた青磁の茶碗をもってきて、同じ青磁の急須からお茶を注いでくれる。花のようなふくよかな香りが湯気とともに匂いたつ。
そばには小皿に載せられた月餅のような菓子も添えられた。
「さあ、どうぞ。今日は堅苦しいことはなしに、楽しんでくださいな」
玲蘭の言葉に甘えて、本で勉強したとおりの作法で茶碗を手に取り口をつける。
ほんのりとした甘さとすっきりとした苦みのあるお茶が口の中に広がる。結構好みの味だ。
ちなみに庸介が口をつける前に、事前に白虎宮から連れてきた女官が毒見をしてくれている。
彼女の名は春梅といい、いつも白虎宮で玉琳が食事をとる際に毒見をしてくれている毒見役の一人だ。あまり口数は多くないが落ち着いた雰囲気の女性である。
毒見役を連れてくるのは、なごやかな雰囲気のお茶会とはいえ万が一ということもあるからだ。
それは庸介たちだけでなく、ほかの三姫も同様だった。玲蘭ですら、毒見役が試したあとでないと食べ物を口に入れようとしない。そのあたりは徹底されているようだ。
お茶をしながら、こっそりほかの姫たちのことも観察してみる。
玲蘭は前にも会ったことがあるが、今日もきりっとして怜悧な美しさが際立っている。
庸介の右手に座る女性は、青龍宮の黄 桃華だろう。赤と黄色を基調にした派手な色味の衣を身に纏っている。
たしか、玉琳より三歳年上の二十一歳だったはず。鳳国一といわれる大商家の娘だ。袖からのぞく何本もの金の腕輪と耳元を飾る大きな翡翠のイヤリングが羽振りの良さをうかがわせた。
庸介がじっと見ていたことに気づいたのか、それまで澄ました顔で月餅を食べていた桃華が、こちらにこっそりウィンクしてきたのでついびくっとしてしまった。
(びっくりした。じっと見すぎたか)
でも、なんとなく気さくそうな人柄は伝わってくる。
となると、左手に座るのは朱雀宮の劉 香蓮だろう。まだ十三歳だったはずだ。明らかに小柄で体つきが子どもっぽさを残している。こういう場にも慣れていないのか、表情は堅くて動きもぎこちない。
とはいえ、香蓮は劉将軍の娘だ。劉家は代々、国軍へ多くの優秀な人材を輩出してきた名家で、軍での影響力は計り知れない。無理にでも正妃候補に娘をねじこみたい劉家の思惑が透けて見えるようだった。
そして、本日のお茶会の主催者である玲蘭は楊宰相の娘だ。
(どいつもこいつも、国家要人の娘なんだよなぁ)
そういう玉琳だって西方の騎馬民族たちを統べる王の娘だ。彼女たちとなんら劣るものではない。つまり、誰が正妃になったとしてもおかしくはないのだ。
そんなことを考えている間にも、お茶会は進んでいく。
お互い値踏みしあっている嫌な空気を感じつつ、他愛もないおしゃべりをしているうちに、目の前には次々と料理が運ばれてきた。
小さな蒸籠のなかに、蒸し饅頭や胡麻団子、蒸し餃子などが少しずつ入っている。いわゆる飲茶に近いもので、軽食的な意味合いがあるのだろう。
お茶も何種類も運ばれてきて、飲み終わらないうちに次の茶碗が運ばれてくる。
こうなってくると味なんてよくわからないよな、と思いながら茶色の液体を口に含むとカッと口の中が熱くなるような味がした。
(あ。これ、酒だ)
どうやら紹興酒みたいなもののようだ。
そういえば玉琳の身体になってから、酒を飲むのは初めてだったななんて思いながら内心嬉しく飲んでいると、すぐに頭の中がふんわりとしてくる。かなり回るのが早い。
(あ、あれ? もしかして、玉琳ってめちゃめちゃ酒に弱い? やばい、こんなにすぐ酔っぱらうとは思わなかった)
玉琳は下戸のようだ。それなのにいっきに強い酒を飲んでしまって、顔に火が付いたように熱くなる。頭もぼんやりとしてきた。
そのとき、玲蘭の凛とした声が耳を掠める。
「玉琳様が回復されて本当に良かったですわ。でも、あまりな回復ぶりに実は影武者なんじゃないか、という噂がたっているのはご存じ?」
意地悪な響きを含んだ玲蘭の言葉に、桃華が呼応する。
「それウチも聞いたことあるわ。ほんまは、やっぱり玉琳様は亡くなってはって、代わりに別人が玉琳様のふりしてるっちゅう話やろ?」
「そうなんです。それを確かめたくて、今日お茶会を開いたというのもあるんですのよ。そんな噂がたつこと自体が不名誉なことですものね。私、玉琳様のことを心配していますのよ。玉琳様、ほんとうに貴女様は玉琳様でございますよね?」
心配している風を装いつつも、意地悪な口調で玲蘭は聞いてくる。
(やばい。やっぱり他の姫たちからも疑われてたんだ)
庸介の言動が本来の玉琳と違っていても、病で混乱しているだけだからと白虎宮の女官たちには硬く口止めしてはある。しかし、噂が流れ出るのは止めようがない。
噂にはオヒレがつきもので、人伝てに話が伝わるうちに影武者なんていう話にまでなったのだろうが、当たらずも遠からずだ。
つっと背筋に冷たいものが走る心地だったが、酒が回ったせいで顔はますます熱い。ただ、こくこくと頷くしかできなかった。
「そうですわよね。じゃあ、それを証明していただかないと。玉琳様は、踊りの名手だとうかがっております。私も玉琳様がこちらにいらっしゃったばかりのときに一度だけ拝見しましたが、まるで蝶のような美しい舞でしたわ。あんな舞は玉琳様にしかできません。ぜひ、いまここで舞ってみてくださりませんこと?」
玲蘭は、にやっといやらしい笑みを浮かべてこちらを見ている。
(あー、こいつ。玉琳が酒に弱いって知ってて、酒飲ませたな。そんで、酔ってまともに踊れないとこを見て偽物だって言い立てるつもりか。……うん。酔ってなくても偽物だけどな。いや、でもこれどうするよ! 俺に踊れるわけないだろ! なんだよ、舞うって! やったことも、見たこともねぇよ!)
香蓮と桃華の視線も、玉琳に集まっている。桃華にいたっては、期待に満ちた目でこちらを見ている。絶体絶命のピンチだった。