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五章 なぜ君はバスに乗っていた


「……耳元で声が響くよ。メアリー」



 小さくそんな声が聞こえ、メアリーは目を丸くして泣き声を止めた。



リトル・ウィットが頭を押さえながらむくりと起き上がる。

「大丈夫、死んでないよ」

「リトル……っ、無事なのね? 生きてるのね!?」



メアリーは再び涙を流して、リトルに抱きついた。

「でも、どうして? あんなに近い距離で撃たれたのに」



 リトルは心臓の辺りを手で押さえたまま答えた。

「弾が偶然それたんだよ。ケガもない」

「まぁ、あなたは神の子ね! 神様から祝福された、ラッキーボーイなのよ!」

メアリーは感激して、目を潤ませたままリトル・ウィットに抱きついた。


「きみ、大丈夫かい?」


 メアリーの後ろから声が降ってきた。

見ると、大きなトランクの紳士が心配そうに覗き込んでいた。



「ええ、大丈夫です」

 リトルは言って、紳士から差し出された手をとり立ち上がった。


「まさかあの犯人が同じバスに乗っていたなんて……!」


紳士は目を吊り上げて男の方を睨みつけた。強く握った拳が小刻みに震えている。


「……あなたは何故このバスに?」

 リトルが静かに尋ねると、紳士は怒らしていた目に冷静さを戻してから答えた。

「私は自分の国に帰る途中だったんだよ。……旅行に行ってたんだ。家で妻が待ってる」


「二人で?」


リトルの言葉に紳士は目を丸くした。

「なぜそう思ったんだい」

「……トランクが、大きかったものでね。二人分の荷物が入ってるんじゃないかと」

リトルの言葉に紳士は硬く目を瞑って、何かを振り払うように首を何度か振ってからリトルを見つめた。


「きみ、今回は偶然弾がそれたからよかったが、銃に近づいていくなんて危険すぎる! 人間は、銃の前では……無力なのだから」


リトルをたしなめるように言った後、リトルの頭を掌で優しく叩いた後、紳士は自分の席に戻ると、頭を抱えるようにして座った。

紳士の足元には、ずっと大事に抱えていた大きなトランクが置いてある。




「メアリー、犯人は捕まったよ」


 リトルが紳士の方を見たままメアリーに言う。メアリーは微笑みもせずに真剣な眼差しでリトルを見ていた。


「でも、違うんだろ? 犯人を捕まえて欲しいというのが望みじゃないんだろ?」

「いいえ、捕まえて欲しかったわ。だって、あんな凶悪な男、野放しにしてほしくなかったんですもの」


リトルは小さく首を横に振った。


「それも本心だろうけど、よく考えて、メアリー。君は何をしたかったの? 何で君はここにいるの?」




―― 小さいのに、立派なのね。一人で国境を越えるんでしょ?

―― 君こそ、『こんなところで何をしてるんだい』




リトルはメアリーの方を向き、メアリーの手をそっと両手で包んだ。

「行こう。君がいるべき場所はここじゃない」



メアリーは小さな両手をぎゅっと握り締めると、意志の強い瞳をリトルに向けた。


「ついてきてくれるでしょ? リトル・ウィット」


リトルが頷くと、メアリーはゆっくりと歩みを進めた。


 メアリーは頭を抱えている紳士の前に立った。

紳士は頭を床に向け、俯いたままだった。


「私、ほんとうはピンクは好きじゃないの。ふわふわしたレースとか、リボンとか、夢見がちな童話の本なんかより、ミステリーとか、星の図鑑とかが好きなの」

眉の端を下げて、小さな手を力いっぱい握り締め、メアリーは座っている紳士の頭を見下ろす。

「でも、どうして私がそれを言わなかったか分かる? ピンクのウサギやブルーのクマのぬいぐるみを、どうしていつも大切にしていたか分かる?」



メアリーはブルーの大きな瞳を潤ませた。



「大切だったからよ。私の好みなんて知らなくて、いっつも仕事ばっかりで家にいなくて。でも、帰るたびにプレゼントをくれるってことは私を愛してるって事でしょう? だから、フリルのドレスも、大きなぬいぐるみも、とっても大切で、大好きだったのよ。いつも真剣に悩んでプレゼントを選んでくれていたんでしょう?」


メアリーの瞳から涙の粒がこぼれた。


「私はもうそんなに子供じゃないのよ? 今回だって、いつも私がほったらかしにされてるのを怒ってるのに気づいていて、仕事を一生懸命つめて旅行に連れて行ってくれたんでしょう? 私は旅先でもずっとふくれてたけど、ほんとうはすごく嬉しくて、楽しくて、周りのもの全てがキラキラして見えて。最高のプレゼントだったわ」



メアリーはその場に膝をつき、紳士と顔の高さを同じにした。



「ねぇ、なのにどうしてそんなに悲しそうなの? 私が楽しいって思ってること、気づいてたでしょ? 私が嬉しくてたまらないけど、恥ずかしくて言わないってこと、分かってたでしょ? どうして楽しかった思い出を全部無かったことにしてしまうの?」


メアリーは紳士が頭を抱えている大きな手に、自分の手をそっと重ねた。





「――パパ」




リトルはゆっくりと歩み寄り、メアリーの手に自分の手を重ねた。


メアリーはリトルを見上げ、涙をこぼしたまま、とろけるように微笑んだ。


「ねぇ、リトル。私は愛しているわ。この世の中の全てを、愛してる。だから……」

メアリーはリトルに両手を伸ばして、そのままリトルの方に体重を預けた。



「だからね……さよなら、リトル。私だけの、リトル・ウィット」

耳元でそう囁く声が聞こえた。


ツインテールが靡き、メアリーの身体がリトルに触れる寸前で、メアリーは溶けるように消えていった。





「さよなら」








 紳士ははっと顔を上げた。

見ると、少年が目の前に立っていて、自分の手にその小さな手を重ねていた。


 がたん、と音がして二人が床を見ると、大きなトランクがいつのまにか開いていた。

その大きな口から、ピンクのウサギやフリルのドレス、レースの小さな帽子がこぼれていた。


「……メアリス……?」




 紳士は銀行強盗犯の銃弾に倒れた亡き娘の名を呟いた。





気づくと、少年がこちらを見つめていた。少年の口が小さく動き、不思議な響きの声が耳を通った。


「本当に彼女は可哀想な人生だった?」


紳士が驚いて少年を見上げ、口を開こうとすると、


「ならどうして、彼女は微笑んでいるの?」


少年は静かな言葉を残して、立ち去った。




ゆっくりと瞳を閉じると、不思議なことに、メアリスが生まれた頃からどんどん大きくなっていく様子を鮮明に思い出せた。


背が伸びて、髪が伸びて、少し照れ笑いをしたり、怒ったり、膨れてそっぽをむいたり。

十歳の記憶までいくと、メアリスは急にこっちを向いて、ちょっと照れたように俯いた後、ツインテールを揺らしながらにっこりと微笑んだ。


その姿を呆然と見つめていると、そのままメアリスの姿は静かに消えていった。








足元にこぼれていたピンクのウサギがパタリ、と倒れた。


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