四章 バスは国境を越えない
アレイは気絶している男を、シルクハットの男から受け取ったロープで座席に縛りつけた。
ハトが再び、ばさばさと頭上を飛んでいる。
今まで放心状態だったマダムが、自分の大きなくしゃみで我に返り、怒りで目を爛々とさせた。
「やっぱりあんた! 車内に鳥を連れ込んでたんだねっ!」
シルクハットの男がマダムに怒鳴られて小さくなる。男が脱いだシルクハットからは、何匹かハトが出てきた。
「あんた、ハトが帽子の中で鳴くたびに咳払いして誤魔化してたみたいだけど、鳥嫌いのあたしにはしっかり分かってたよ!」
「すいません……マジックの大事なパートナーなんで、狭い貨物室に入れておくのは可哀想だと思ったんです」
「あたしはアレルギー持ちなんだよ! 羽毛でさっきからくしゃみが止まらないったら……はっくしょん!」
「……まあまあ、このマジシャンのおかげで犯人を縛るロープもあったし、その辺にしてくれませんかねぃ」
アレイが二人の間に割って入り、マダムにハンカチを差し出す。
「ね、勇敢なマダム」
マダムはハンカチを受け取ると、気まずそうにそっぽを向いた。
「助かりました、貴女のおかげで」
アレイが片目を瞑ってマダムが手にしているフライパンを指さした。
マダムは仁王立ちでフライパンを手に持っている。
アレイと銃口を向け合っていた犯人を後ろからフライパンで殴って気絶させたのだ。
「いやはや、女性の強さには恐れ入りますね……」
シルクハットの男は肩にハトを数匹のせたまま、アレイと顔を見合わせて笑った。
「えぇ、本当に女性なら、ですけどねぃ」
そのマダム足元に置いてあるブランド店の買い物袋は、混乱のせいで何個か倒れていた。紙袋の中から安物のナベなどの調理用具や日用品が転がっていた。
くしゃみで崩れかけた厚化粧のマダムの顔をじっと見てみると……
シルクハットの男は目を丸くした。
「あれ、もしかして……」
「失礼ねっ、心は女よっ」
マダムは怒ったように顔を背けてしまった。
「こ、これはその……あれよ。あたしは新しい国で女性として新しい生活を送ろうと思ってたのよっ」
見栄を張って袋こそは高級であったが、中身は安い日用品。
マダムは厚化粧で男らしい素顔を隠していた、男性だったのだ。
「そういうアンタは? 何で銃なんか持ってバスに乗ってたんだい。まさかバスジャックをしようとしてたなんて言わないだろうね」
そう訊くマダムに向かって、アレイは右手の人差し指を口元にあて、左手でポケットから何かを取り出して見せた。
「こういう者です」
アレイが差し出したものを見て、マダムとシルクハットの男はぽかんと呆けてしまった。