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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大罪人ステラの夢

作者: 黒あんみつ

ある日、突然としてステラは家族と国を失った。

ステラが五歳になる、初夏の蒸し暑い夜だった。

国王であるお父様が自分を抱きかかえて火に包まれた王宮を走る。たどり着いた秘密の地下へステラを隠すと鍵を閉めた。母と弟の無事を問う声には返事はなかった。

怒声と悲鳴。夥しい数の足音と金属音。ステラは暗闇の中、隅の方で小さく蹲り震えていた。

どれくらい時間が立ったのだろう。音が止み、静寂が戻る。それでもステラは動けなかった。

彼女は賢かった。己の国が攻め入られ、そして敗北したことを理解していた。敗北国の末路も。

だから息を殺す。

自分だけは生き残り、雪辱を果たすために。

雲一つ無い、澄んだ青い空が広がっている。

黄色が混じったペリドットに透明な青が反射する。


ゆっくりと前かがみになり、ペリドットを覗き込んだ。

その拍子にさらりと髪が頬を滑る。男の感情を知りたいと思った。

「ふふ」

剣を伝って鼓動を感じる。あの日の夜、すべてを奪った男の鼓動。

四方八方から怒号や悲鳴が地獄もかくやと響き渡るなか、男は驚くほどに静かだった。

「静まれ」

突き刺した剣を抜き、横に払う。剣に合わせて鮮血が飛び散り、傷んだ髪を汚した。

叫んだつもりはなかった。ただ周囲は水を打ったように一瞬で静寂に包まれる。

こぽりと鼓動に合わせて流れる男の血を無感情に眺める。

「私の家族の死を悼んだのは、私独りだけ。罪人のように晒された家族の亡骸を埋葬してあげることもできずに、涙を流すことしかできず、逃げ惑うしかなかった愚かな子どもだけが、彼らの死を悼んだ。慎ましく正しかった我が王国を土足で踏み荒らし、罪なき者を殺し、死してなお侮辱するお前たちが、同じことをされて慟哭するとは皮肉なものだ」

しんと静まり返った広場に、自分の声だけが響く。

「ねぇ、アーサー・ランセント。鬼ごっこは、もう終わり?」

小首を傾げ、艶然と微笑って見せる。

濁ったペリドットが僅かに見開かれた。呆然と自分を見つめる瞳が徐々に光を失っていく。

この男は今、何を考え、思うのだろうか。

ぼんやりと自分を見つめる瞳を冷たく見据えながら、ゆっくりと顔を上げた。

こんな状況下でも表情を変えずに泰然と構える姿は流石というべきか。それともあの男にとっては取るに足らない出来事のひとつなのだろうか。

無表情にこちらを見下ろす、この国の王を見る。

「ユーステリア・ランセント。貴方の息子は私が頂きましょう」

五歳のあの日から夢にまで見た瞬間だった。血反吐を吐き、辛苦を舐めながら、蛆虫のように生き存え耐えた日々が、今日やっと報われる。

それなのに、胸に湧き上がるのは喜びや嬉しさなどではなく、ザラついた言いようもない罪悪感なのだから自分でも嗤ってしまう。


死んだものは二度と生き返ることはない。


どんなに泣き叫んでも、どんなに神に祈ろうとも、その事実だけは覆すことはできない。

(あぁ、私は悪魔だ)

あの絶望を、怒りを、憎しみを、彼を慕うすべての人間に背負わせようとしている。罪の重さに手が震えた。弱い自分があの日のまま泣いている。

私はもう堕ちるところまで堕ちてしまった。

この男を殺すことでしか、私は私自身を赦すことができないのだ。

「シルヴァン国王家、ステラ・ヴィンセント・シルヴァン。我が名において、アーサー・ランセントを粛清する。例え何十、何百、何千の命を救おうとも、我が国を無実の罪で蹂躙し、数多の民を屠った罪は消えず、到底許されない。例え神が許したとしても、私が赦しはしない」

失った家名を口にしたとき、心の片隅で誰かが泣いた。

腰から家宝の短剣を取り出し、アーサーに跨りながら振り上げる。

「アーサー・ランセントの死に安らぎはなく、あるのは死してなお続く苦痛のみ」

静かに言い聞かせるように紡ぐ。

「この世への挨拶はすませた?地獄への道案内は任せて頂戴ね」

迷いなく振り下ろした短剣は男の喉を貫く。短剣から肉を裂く感触が手に伝わり、確かに拍動を感じた。

同時にドン、と言う衝撃とともに世界が真っ白に染まる。

ちかちかと光を弾く瞼の裏であの日の自分がこちらを見ていた。


家族を救えなかった自分の未熟さが、弱さが、ずっと赦せなかった。

でも、やっと赦すことができる。


不意に呼吸が軽くなり、無表情でこちらを見ていた五歳の私が大声で泣いていた。

辛いと、悲しいと、家族に会いたいと泣き喚く。

(あぁ、そうだ。私は泣きたかった)

じわりと目頭が熱くなる。こんな風に、大声で泣きたかったのだ。

しゃくりあげながら蹲り、この世の絶望を嘆き悲しむあの日の自分を抱きしめる。すっぽりと包み込める体は小さく、体に伝わる振動も、自分自身を抱きかかえるその手も柔らかい。骨張り伸びた指とは似ても似つかない。

あの日の自分は只の子どもだった。


そう。あの日、私は子どもだったのだ。


一筋の涙がこぼれ、体の力が抜ける。心は凪ぎ、穏やかだ。

やっと眠れる。深く、深く、たくさん眠ろう。

だってこんなにも暖かいのだから。腕の中の自分自身が消える。

穏やかな眠気に誘われ、瞼を閉じる。


干したてのシーツに、窓から春の暖かな風が吹く。

母の焼いたお菓子の匂いと、父と弟の笑い声、剣の合わさる音。

身体に力が入らない。痛みも、苦しみも何も感じない。

もう夢か現かもわからない。

血に塗れた彼女の身体が小刻みに震え、そして止まった。

その口元は満足そうに小さく弧を描いている。

苛烈な死とは真逆の、穏やかな顔であった。


大罪人ステラ・ヴィンセント・シルヴァン。享年十八歳。




怒号と悲鳴で埋め尽くされた広場をぼんやりと見つめる。まるで劇のワンシーンのようだ。

逃げ惑う人々も、転がった友の頭も、まるで現実味がない。

鈍く光る剣によって青空に飛ばされた彼女の首がスローモーションのようにゆっくりと堕ちていくのを瞬きもせずに見ていた。

ただ、彼女の悲願は果たされたことだけは理解した。

積年の恨みを果たし、地獄のような日々から今日開放された。

「・・・馬鹿だよ」

ぽつりと呟く。ステラも、僕も、大馬鹿だ。

湧き上がるのは息苦しいほどの寂寥感と、そしてほんの僅かな安堵感。

アーサーの死体の傍で、栗色の髪の女性が泣き崩れている。縋るように彼の騎士服を掴み、聞く者も心を軋ませるような声で、彼を呼んでいる。血が滲むような、とはこのような声のことをいうのだろう。一身に彼を求め、悲痛に泣き叫ぶ姿はこの世の絶望を物語っていた。

子どもの頃のステラも同じだと、ここにいる人間にはきっと理解できないだろう。

アーサーの部下たちも俯き涙しながら、怒りに拳を握る。

この広場にいる自分以外のすべての人間がアーサーの死を悼む。


突然一人の騎士が叫びながら血走った目でステラに剣を振り下ろした。なんの抵抗もなく突き刺さった剣は彼女の身体を突き破り、力のない身体が衝撃で跳ねる。

「っこの悪魔が!!」

「おいっやめろ!」

「団長をかえせぇえぇえぇえ!!!」

他の騎士に押さえ付けられながらも、我を忘れたように男はステラに刃を突き立てた。ぐしゃぐしゃと血が飛び散る。その光景をみな冷ややかに見つめるばかりだ。まるでそれが当然の報いだとでもいうように。


誰もステラを理解しようとしない。


人々に、世の中に、いやこの世界に対し、彼の中に言いようのない感情がゆっくりと沈殿していく。諦めと似て非なる感情は、怒りや悲しみを通り越した、なにか。

彼女の苦しみを理解しようとしない人々にも、彼女に苦しみしか与えなかったこの世にも、死んでなお傷つけられる彼女を救うことのできない自分にも、もううんざりだった。


溢れた嗤いは誰に向けた嘲笑か自分でもわからない。

ゆっくりと人混みから抜け出す。ふわふわと地を踏まない足は、それでも歩き慣れた道を迷わず歩いていく。ステラの死体はきっと晒されながら打ち捨てられるのだろう。この国に罪人を埋葬する習慣はない。ギリッと奥歯を強く噛みしめる。

力があれば、死んだあとくらい彼女を傷つけられずに済んだのだろうか。


知らず知らずのうちに走り出していた。

道行く人が驚いたように声を上げる。


分かっていた。

ステラが今日死ぬことも、それが彼女にとって救いであることも理解していた。

この世は彼女にとって辛すぎた。

肺が悲鳴をあげている。酸素を取り込むごとに血の味がする。呼吸が浅くなり酸欠になると、少しだけ胸の苦しさを忘れることができた。

ただひたすら走る。走って走って、たどり着いたのは街外れの小高い丘だ。


彼女と初めて会った、秘密の場所。


街が一望できるこの場所にはかつて教会がたっていたが、ある凄惨な殺人事件があり今では朽ち果てている。不吉だ不浄だと街の人間は寄り付かないため、ステラと僕はよくここで二人だけで過ごした。

肩で息をするが落ち着かず、倒れ込むように仰向けに寝転んだ。傾きかけた日があたりをオレンジに染め上げていく。こんな日まで世界は相変わらず綺麗なのが悔しかった。

何も見たくなくて腕で視界を塞ぐ。真っ暗な視界の中、最期に満足そうに微笑むステラの顔が思い浮かんだ。


ステラ、君のお墓をここに建てよう。

亡骸はないから、代わりにたくさんの花を敷き詰めよう。君に似合う、色とりどりの花をありったけ探してくるよ。

だからステラ。

恨みも、怒りも、悲しみも、全部この世に捨て置いて心穏やかに眠ってほしい。


耐えきれずに嗚咽が漏れる。彼女はもうこの世にいない。

何処を探しても、もう逢えない。

胸元の服を抉り拳で胸を押さえつけても、せり上がってくる喪失感に喉が震える。彼女の傍にいたいと、一緒に過ごしたいと血を吐くように心が叫ぶ。

諦めてくれと、生きていてほしいと何度口にだそうとしたかわからない。だけど彼女を好きになればなるほど、その覚悟の深さを思い知った。

この地獄の中、血を流しながらも真っ直ぐ立ち続ける彼女に、何度も恋をした。

剣を振るう迷いのない瞳に、血に塗れながらも失われない清廉さに、何度憧れただろう。

「どれだけの人が君を呪い罵ろうとも、恨もうとも、僕だけは君の幸せだけを祈ってる」

いもしない神様。優しいステラの魂に、どうか安らぎをお与えください。


「ゆっくりおやすみ、ステラ」

愛している。僕の優しい、大切な友人。




ある少年が本屋で1つの本を手に取る。それをみつけたのは本当に偶然であった。ふと気紛れに、いつもは行かないような奥深くまで歩みを進めていたら、隠されるようにその本が埋まっていたのだ。

「ステラの夢?」

題名に少年は眉を顰める。ステラといえば、この国では知らぬ者のいない極悪人だ。先代国王の息子で当時騎士団長でもあったアーサー・ランセントを卑怯な手口で殺した犯罪者だ。もとは小国の姫君だと言う話だが、我が国に敗北したことを恨んでの犯行だと言われている。それからステラと言う名前はこの国では大罪人を指す侮蔑語となり使われなくなって久しい。アーサー・ランセントと婚約者の悲劇の物語なら履いて捨てるほど溢れているが、大罪人ステラを主人公とした物語など聞いたこともない。

疑問に思いながらも好奇心のままページを捲る。


『まず、私の最愛であり親友である、ステラ・ヴィンセント・シルヴァンの冥福を、そしてこの世のすべての幸福が彼女の魂に安らぎを与えんことを祈る』


出だしからなかなかのインパクトだ。この著者はどうやら大罪人ステラを崇拝、いや親友と書いているから、友人か?兎にも角にも、彼女側の人間らしい。よくもまぁこんな本を出せたものだと呆れる。

ペラりと次のページを捲ると、またしても著者の手書きのメッセージが綴られていた。几帳面そうな整った字面は著者の性格を表しているようだ。


『ステラが大罪人だと決めつけている愚かな者たちに彼女のことを分かってもらおうとは砂粒程にも期待していない。この本も残すかどうか最期まで悩んだ。人の口を経て語られるものほど悍ましいものはないと思っている。それでもこの本を手に取った者が彼女の真実を知り、この腐りきった国に疑問を持ってくれたなら、少しは私の胸がすくだろう』


この国への侮蔑が滲み出しそうな文章で語り継がれていくステラ・ヴィンセント・シルヴァンの物語。

少年は時間を忘れて読み耽った。

そうしてとうとう物語は最後を迎える。

著者は最後こう締めくくった。

『夢を叶えたステラに敬意を評して。君にはきっと色とりどりの花が似合う』

はらりと色褪せた花が落ちる。最後のページ、そこには鮮やかであったのだろういろいろな種類の花が押し花にされ貼り付けられていた。

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