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Episode.9 ちーちゃんと影の協力者

「水内さん! 話を……!」


 持久力がない千雪は、校舎を出て暫くしたところで水内の姿を見失った。

 膝に手を付いて、激しく上がった息を整える。上履きのまま飛び出して来てしまったが、今はそれどころではない。


「っ、どこに行ったの……」


 この学園は、教会の保有する広大な敷地に本部施設と隣接する形で存在する。

 三階建ての校舎が三棟。その隣には広いグラウンドと、体育館。体育館の奥にはプールがある。それだけなら普通の学校と変わりないが、更に講話を聴くための講堂、瞑想や修行を積むための会館、食堂とは別の、特別な催事にだけ使用される厨房と広間が入った建物――とにかく教会の教義や行事に即した建物が学校施設と融和するように建ち並んでいるのだ。

 だだっ広い学園内で、一度見失った姿を探すのは一苦労だ。

 千雪は額の汗を拭ってから、取り敢えず道なりに歩いて行くことにした。

 グラウンドでは、運動クラブの生徒が爽やかな汗を流している。それを横目に見ながら、千雪は大通りを突き進んだ。

 グラウンドの隣には大きな体育館があり、その先が三叉路になっている。真っ直ぐ進めば、千雪たちの住む寮に辿り着く。左奥は、園芸部が育てている庭園と温室に繋がる道だ。そして右側は、体育館の裏手に曲がっていく道で、その先にはプールと用具倉庫がある。


「さて――」


 彼女はどの道を行ったのか、手掛かりは一つもない。

 ここは勘でいくしかない。千雪は道の真ん中で立ち止まった。

 寮に向かう道は、これから寮に帰る生徒たちが千雪に背を向けて点々と歩いている。庭園に繋がる道からは、教師がひとり歩いて来て、校舎に戻っていく。すれ違うように、用務員らしき男性が掃除道具を手に、庭園に向かって行った。

 千雪は逡巡して、一番右手の道を進んだ。こういう時、人混みに紛れるか、人のいない場所を選ぶかは、その人の性質による。水内は、人気のない場所を選ぶタイプと判断した。

 体育館をぐるりと囲うように続く道は、その裏手に来た辺りで段々と狭く細くなっていく。その道の終点に、フェンスで囲まれたプールがあり、その少し手前に小さな用具倉庫が見えた。


「……ハズレかしら」


 人影はない。元々生徒が往来するような場所でもない。千雪も一年通っているが初めて足を踏み入れた。

 周囲を見回し、建物の陰なども覗いたが、水内の姿はどこにもなかった。仕方がないので、元来た道を戻ろうかと思った時、ふと、用具倉庫の扉に目がいった。

 錆びた南京錠が外され、扉が薄く内側に開いている。


――怪しい。


 千雪は息を潜めて、扉にぴったりと身体をくっつけた。そのまま隙間から、中を覗く。真っ暗で何も見えないが、微かに物音がする。おそらく、ビンゴだ。


「……水内さん?」


 扉に体重をかけると、ギイと思いのほか大きな音が響いた。


「水内さん、いるの? 返事してちょうだい」


 暗闇の中、様子を探りながら、一歩ずつ倉庫に足を踏み入れる。主に体育館で使用する掃除道具や、使わなくなった機材、スポーツ用品が詰め込まれている。流石に使用する頻度が低いせいか、中の空気は淀んでいてカビ臭い。床に積もった埃が、千雪が歩く度にチラチラと舞う。

 ようやく目が慣れて来ると、倉庫の最奥に水内の輪郭を見つけた。


「水内さん、逃げないで。ちゃんと説明してちょうだい」


「……っ、……っ!」


 過呼吸にも似た激しい呼吸音が、暗がりから聞こえる。破けたマットの上に蹲っている水内の隣に千雪はしゃがんだ。


「大丈夫?」


 声を掛けるが、聞えているのかいないのか、水内は必死に息をしながら強く腕を抱いている。


「ね、大丈夫だから落ち着いて……」


「あ、ああ、あなたに、な、何が、分かるのよ……!」


「え?」


 顔を上げた水内は鋭く千雪を睨んだ。


「全部、全部、あなたのせいよ!」


「水内さん?」


「きょ、去年だって、本当のことを、皆に伝える義務があるからって、わたしには、その使命があるからって、そう、言われていたのに、あなたのせいで、失敗して……!」


 仙崎千雪は教祖様のお気に入りだった――

 水内を使ってあの噂を意図的に校内に広め、千雪を陥れようとした人物。

 千雪に対して明確に悪意を持った人物が、存在する。


「……誰にそんなこと言われたの?」


「言えない。そんなこと言えない! これ以上は……!」


 水内は急に立ち上がると、また千雪の前から逃げようとした。


「待って!」


 咄嗟に彼女の制服の裾を掴む。


「やめて!」


 足止めされた水内が、思いのほか強い力で千雪を振り払う。


「あっ……!」


 中腰でしがみついていた千雪は呆気なくバランスを崩した。隣にあった鉄製の籠の角に、側頭部を思いっきり強打した。

 ぐわん、と視界が揺れて、マットの上に倒れ込む。衝撃はやがて痛みに変わり、目の前が霞んだ。手足が思うように動かない。すぐ近くで、躊躇うように近づく足音がする。


「せ、仙崎さん……?」


 恐る恐る降って来る声に応えようとするも、声が出ない。


「どど、どうしよう……」


 水内がおろおろする気配が伝わってくる。大丈夫と言ってやりたいのに、指先すら動かせない。

 暫く水内はその場を行ったり来たりしていたが、やがて倉庫から出て行った。ほとんど朧げになった意識の中、少ししてから再び足音と人の声がした。

 今度は二人だった。二人で何かを話している。扉の外だ。ああ、その話の内容が分かれば、その顔が見られれば。そう思いながら、意識がゆっくりと闇に沈んでいく。

 その間際、不意に懐かしい匂いがした。

 急にデジャヴを感じた。


――そうだ、確か、前にもこんなことが……


 その答えに辿り着く前に、千雪は気を失った。




◇ ◇




 ここ数日、千雪の様子がおかしいことに樹は気が付いていた。

 千雪は樹に何かを隠していた。本人は完璧に隠し通せているつもりだったが、教室で、寮の部屋で、ふとした瞬間の眼差しに翳りがあることを樹は見抜いていた。

 千雪の方から何か言ってくれるかと暫く待っていたが、一向にその気配は無い。澄まし顔で毎日接してくる千雪に樹は段々と腹が立ち、ついに今日、最終手段に出ることにした。

 クラブに所属していない千雪はいつも、授業が終わればすぐ寮に戻って来る。ところが今日は珍しく、陽子と教室に残っていた。今がチャンスと、樹は急いで三〇一号室に戻り、千雪の机の前に立つ。


「……教えてくれないちーちゃんが悪いんだからな」


 千雪のせいにして正当化してみたところで、やっていることは泥棒と変わらない。その自覚はあるので、一応両手を合わせて謝罪もしておく。


「ごめん。女の子の机を勝手に見るのはよろしくないけど、緊急事態だ、許してくれ」


 引き出しには鍵はかかっておらず、すんなりと開いた。中には読みかけの本や、真新しいノート、筆記用具と、何故か編みぐるみが入っていたが、不審な物は特にない。


「おっかしいな……」


 ついでに漁ったベッドの下の収納からも、何も出なかった。


「気のせいか……?」


 昨日、夕食を終えた樹が食堂から戻った時、千雪は机の中に慌てて何かを隠した。ちらりと見えたそれは何かの紙の束のようだった。千雪の顔に疲労の色が浮かんでいることから、何か良くないことなのだろうと思っていた。例えば嫌がらせを受けているとか。

 だが、それは自分の思い込みなのかもしれない。もしかしたら千雪が隠したものは、誰かからの恋文という可能性もある。


「いや待て、ここは女学園だぞ?」


 と言いつつも、やはり可能性は捨てきれない。現に樹に群がる女子生徒たちは、()()()()()()()()()()、あの視線を送って来るのだ。

 好きなタイプは人それぞれだろうが、樹からしてみれば千雪だって充分可愛い部類だ。肩まで伸びた少し癖のある栗色の髪、群を抜いて白くきめ細かい肌、左目の下の魅力的な泣き黒子。目元にやや冷たい印象があるものの、意外とよく表情が変わる。

 この十年、成長した千雪の姿を頭の中で思い描き続けてきたが、初めて教室でその姿を見た時、想像通りの千雪が目の前にいて、樹の心臓は高鳴った。

 話は逸れたが、とにかく千雪も、他の生徒から恋文を貰っていてもおかしくはない。だとしても樹にとって不愉快なのには変わらなかった。嫌がらせだとしたら尚更だ。

 樹は腕を組んで思案する。

 もしかして千雪が樹の考えに勘づいて、昨日机に隠した何かをどこか別の場所にやったのだろうか。

 寮の部屋以外の隠し場所となると――


「くそ、教室か!」


 どのみち隅から隅まで探して何も出て来なかったのだから、この部屋にいても無意味だ。思えば陽子と二人で話し込んでいたのも、千雪の隠し事の件を相談していたのかもしれない。どうして気付かなかったのだろう。


「何で俺には相談してくれないんだよ……!」


 樹は校舎に戻って職員室で鍵を借り、再び教室にやって来た。

 だが、鍵を握ったままその場に立ち尽くした。


「――開いてる……?」


 何故だ。鍵はたった今、職員室で借りて来たばかり。樹の手の中にある。

 念のためと、他に鍵を借りた生徒はいなかったか担任に聞いたが、副委員長の陽子が鍵を返却して以降、誰も来ていないと確かに言っていたはずだ。

 警戒しながら、半開きになったままの扉を全開にする。予想は外れて、中には誰もいなかった。拍子抜けしつつ千雪の机に目をやると、その周辺の床に、何枚もの紙が散らばっているのが見えた。


「――――!」


 樹はそれを拾い上げて、目を通した。どれも千雪の名前とともに、誹謗中傷の言葉が書き並べられている。筆跡を特定されないようにか、全て印字されていた。その一つ一つが悪意を持って千雪を呪っていた。


「誰がこんな……」


 嫌がらせというには度が過ぎている。

 これは最早、呪いだ――樹は手の中で紙を握り潰した。

 千雪はどこへ行ったのだろう。こんな風に手紙が散乱したままということは、余程慌てて教室を出たと見える。まさか、行き違ってしまったのだろうか。

 不安に駆られて教室を見渡した時、いきなり電子音が鳴った。


「うわっ……!」


 その音に樹は盛大に肩をびくつかせた。校則を無視して持ち込んだ携帯電話が着信を告げていた。ポケットから取り出した画面に表示された相手を見て、樹はこれでもかと顔を顰めた。相手は樹がこの学園に潜入するのを手助けしてくれた「協力者」だった。

 仕方なく通話ボタンを押して、電話を耳にあてる。


「――何か用か?」


『うっわ、機嫌悪いなあ。せっかくイイコト教えてあげようと思ったのに』


 低い声で電話に出た樹に、相手はクツクツと笑った。まだ若い男の声だ。


「今忙しんだよ、もったいぶってないでさっさと言え」


『お前は本当に可愛げがないね。そんなんじゃ愛しのちーちゃんに愛想つかされるぞ?』


「うるせえ。用件を言わないなら切るぞ」


 今その千雪の行方を探さなきゃならない状況なのに、相変わらず電話の向こうの声はのんびりとしている。


『――相変わらずせっかちだなあ、樹は。まあ聞けよ。実はな――』


 樹はその内容を聞いて、みるみる血相を変えた。

 相手が話し終えるや否や通話を切り、教室を飛び出した。





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