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Episode.8 ちーちゃんと不穏な影

「じゃあね、ちゆきち。また明日」


「うん、また明日」


 帰りのホームルームが終わり、各々支度をして教室を出て行く。クラブ活動に参加していない千雪は、授業が終わればそのまま寮へ直帰するため、陽子とは教室で別れる。

 陽子は意外にも手先が器用で、手芸クラブに所属していた。陽子の部屋にはお手製の編みぐるみが所狭しと飾られているのだ。以前千雪も習作をもらったことがあるが、汚れるのが嫌で早々に引き出しにしまってしまった。

 陽子と別れた千雪は、一階の昇降口に向かった。下駄箱から自分の靴を取り出そうとして、手が止まる。


「……何これ?」


 靴の上に、折り畳まれた紙が入っていた。取り出して広げてみる。

 中に印刷された文字は、口に出すのも憚られるあまりにも直球な誹謗中傷の言葉だった。


「……またなのね」


 去年受けた嫌がらせも、始まりは下駄箱の中への投書だった。その後、教室の机の中、ロッカーの中、寮の郵便受けの中と様々なところに、手紙が連日投げ込まれた。

 またあの時と同じことが起こりつつあることに、千雪は気が滅入った。どうか一回で終わりますようにと念じながら、その紙を畳んで鞄にしまった。

 だが千雪の願いも虚しく、嫌がらせは段々とエスカレートした。靴の紐がズタズタに切り裂かれたり、机の中の教科書に落書きされていたり、郵便受けにネズミの死骸を入れられたりと、なかなか悪趣味極まるものになってきた。

 嫌がらせが始まって一週間が経過した昼休み、教室の机に突っ込まれていた脅迫めいた手紙を眺めながら、千雪は首を傾げた。


「……どうにも腑に落ちないのよねえ」


「何が腑に落ちないって?」


 独り言のつもりだったが、いつの間にか背後から陽子が現われ、千雪は驚いて顔を上げた。千雪が何かを言う前に、陽子は手の中の紙を奪い取り、目を通しながら千雪の前の席にドカッと座った。


「……ちゆきち、これは一体何?」


 険しい表情になった陽子に、千雪は肩を竦める。


「何って、熱烈なラブレターよ」


 別に隠そうとしたわけではないが、敢えて陽子に話すつもりもなかった。陽子に余計な心配をかけたくなかったし、嫌がらせの原因は何となく察しがついている。


「茶化さないで。アタシは真面目に訊いてるの」


 陽子が強く握りしめたせいで皺になった紙には、下駄箱に入れられていたものと同じような言葉が一面にびっしりと印字されている。

 千雪はこの一週間で起きた出来事を陽子に説明した。ネズミの死骸の辺りで、陽子はこれでもかと嫌悪感を露わにした。


「さいっあく。まじで何考えてんのかしら、アタシの可愛いちゆきちにそんなことするなんて! とっとと犯人捕まえて、先生――いいや警察に突き出してやるんだから!」


 段々と声が大きくなっていく陽子を、千雪は慌てて宥める。


「陽子、落ち着いて。もしこの教室に犯人がいて、話を聞かれていたらまずいわ。こちらの手の内を晒すことになるのは御免よ」


 そう言うと陽子は今度、不自然すぎるぐらいのヒソヒソ声に切り替えた。


「――で、何か心当たりはあるの? もしかして、去年のあの噂がまだ……?」


 陽子と額を突き合わせながら、千雪は首を振った。


「ううん、今回はあの噂は関係ないと思う。おそらく原因は寮の部屋割りなんじゃないかしら。ほら、林さんの移動先が私の部屋だってことはもう周知の事実でしょ? だからそれを妬んだ誰かが、ルームメイトの私に嫌がらせをしているんだと思うんだけど……」


「呆れた。そもそも部屋移動は、権田さんの失踪事件がきっかけだったんだし、ちゆきちと同室になったのも単なる偶然じゃない。今更ちゆきちに嫌がらせしたところで、林さんがまた部屋替えするなんてことあり得ないでしょ? 万が一そうなったとしても、自分と同じ部屋になる確率なんてゼロに等しいのに」


「そうなのよね。仮に彼女がもう一度部屋移動したとして、望み通り同室になれる可能性はほとんどないのよ。だって寮長以外は全員、既にルームメイトがいるんだから」


「じゃあ、犯人の目的は何? 単純にアンタを傷つけて満足したいってだけ? だとしたら余計悪質だわ」


 陽子は手に握った紙を破り割く勢いで憤慨する。千雪は顎の下で両手を組んで唸った。


「……部屋割りが原因っていうのが、私の思い違いなのかしら」


 千雪はどうにもはまらないパズルのピースを、もう一度頭の中で並べ直した。

 もしかしたら部屋割りは関係ないのかもしれない。陽子が言ったように、千雪が脅迫に耐えかねて部屋替えを希望したところで、犯人が樹と同じ部屋になれるわけでもないのだ。危険を冒してまで千雪を脅すメリットが無い。

 そもそも考えてみれば、下駄箱や机に入れられた手紙の内容は、ただ千雪を中傷する言葉が羅列されているだけで、樹のことには一切言及していない。とすると、目的は他にあるのかもしれない。


「まったく、誰が何の目的でこんなことするのかしらね。馬鹿馬鹿しい」


「誰が……」


 陽子の言葉に、千雪は思考回路を切り替えた。

 目的からでは犯人像が見えてこないのなら、実際に誰がどうやって嫌がらせを仕掛けているのか、という点から考えてみるのもありだ。

 千雪はここ数日、樹を取り巻く生徒たちの動向を見張っていた。下駄箱や寮の郵便受けは誰でも触れられるが、常に人の目がある教室の机はそう簡単にはいかない。

 個人の机に怪しまれずに接近できるのは――そう、クラスメイトだ。

 私物に悪戯され始めて以降、千雪は休み時間のたびに自分の席に近づく不審な人物がいないか目を光らせた。だが、怪しい動きをする生徒はおらず、教科書やノートへの悪戯は止まるどころか悪化したのだ。

 休み時間の犯行じゃないのなら、残るタイミングは放課後のみ。だが――


「――あのさ、陽子。ちょっと訊きたいんだけど、放課後、教室の鍵を施錠した後、その鍵ってどうしてるの?」


 この学園では防犯上の理由から、移動教室や放課後には必ず教室の施錠を行っている。本来ならクラス委員長の仕事だが、この一週間、委員長が風邪を拗らせて休んでいるため、代わりに副委員長の陽子が施錠を行っていた。


「どうって、施錠したら鍵はすぐに職員室に返すわよ? 職員室を入ってすぐ右手側に鍵ボックスがあるのはちゆきちも知ってるでしょ? あそこに返却時間を書いて、それぞれのフックに鍵をかけておくのよ」


「それって、勝手に持ち出すことはできたりするの?」


「うーん、どうかしらね……できなくはないけど、常に人目がある場所だし、一度返却記録が残った鍵が無くなっていたら、誰かが気付くかもしれないわね」


「そうよねえ……」


 放課後、職員室から鍵をこっそりくすねて教室に忍び込み、千雪の机を漁る――そんな筋書きが頭に浮かんだが、そう簡単にはいかなさそうだ。


「……駄目。どっちにしても行き止まりだわ」


 千雪は溜息を吐いて机に突っ伏した。

 嫌がらせの原因も目的もはっきりしない。その上、誰がどうやって悪事を働いているのかもうまく解明できない。モヤモヤばかりが溜まって不愉快だ。

 こうなったら、最終手段しかない。千雪は覚悟を決めて、身を起こした。


「考えても埒が明かないから、直接確かめてみる」


「直接……?」


「うん。ここ数日ずっと観察してたけど、私の机に近づく不審人物はいなかった。それでも嫌がらせは起きた。だとしたら放課後、陽子が施錠した後、何らかの方法で犯人はもう一度教室に忍び込んだ……さっきの話からいくとそう簡単にはいかなさそうだけど、でもその方法しか今は思い浮かばない。だから、今日の放課後、ここで待ち伏せしてみるわ」


「ちゆきち、アンタ……何だかえらく図太くなったわね?」


 陽子が圧倒されたように目をぱちくりさせた。


「お陰様で。去年の一件で随分と鍛えられたからね」


「まあでも、相手は簡単に人を傷つけたり陥れたりするような人間よ。気を付けなさい、アンタ意外と突っ走って無茶するんだから」


「うん、分かってる」


 陽子の忠告に、千雪は笑って見せた。




 ◇  ◇




 放課後、クラスメイトが全員いなくなった教室に、千雪は緊張の面持ちで居残った。

 正直犯人に会えるかは五分五分だ。今日会えなくても明日、もしくは明後日には何らかの尻尾を捕まえることができるかもしれない。そのぐらいの構えでいた千雪だったが、幸運なことに、犯人はのこのこと千雪の待つ教室にやって来たのだった。

 誰もいないと思っているのか、その生徒は特段警戒する様子もなく普通に扉を開けて室内に足を踏み入れた。あまりの自然さに最初、忘れ物をしたクラスメイトが戻って来たのかと思ったぐらいだったが、隠れていた教卓から少し頭を出して見えたその後ろ姿は、クラスメイトのどの背中とも似つかない。


 脇目もふらず千雪の席に向かった犯人は、躊躇なく机の中から荷物を出した。相手をおびき寄せるために、教科書やノートは敢えて入れっぱなしにしてある。その人は疑うことなく教科書を広げ、片手で押さえながら、もう片手でポケットから取り出した油性ペンを構えた。

 そろそろか、と千雪は潜り込んでいた教卓からそっと抜け出して、彼女の背後に回り、肩を掴んだ。


「そこまでよ」


「ひっ……!」


 その生徒は、大袈裟に肩をびくつかせ、身体を縮こまらせた。


「何をしてるのか、説明してちょうだい――水内さん」


 額に汗をかきながらその場に硬直している女子生徒は、千雪と同じ二年生の水内由希子(みずうちゆきこ)だった。

 一年前、彼女は千雪を貶める噂を流したとして注意を受けた。大事にする気もなかったし、陽子が色々と面倒を見てくれたお陰で周囲との関係も断絶されずにすんだので、最終的には千雪が彼女の謝罪を受け入れて和解した――はずだった。


「何で、あなたがここに…!」


 水内は酷く狼狽えて、周囲をきょろきょろと見渡した。


「それはこっちの台詞よ。どうしてまた、こんなことしたの?」


 これまで下駄箱や机に入れられた、誹謗中傷が書かれた紙を彼女の眼前に突き付ける。

 手口が去年と似ていたことから、千雪がまず思い浮かべたのが水内だった。だが、理由が分からなかった。タイミングからして樹と同室になったことが原因だと思い込んでいたが、そもそも樹の取り巻きの中に水内の姿を見たことは一度もなかった。その上、水内は二つ隣のクラスだ。千雪のクラスに簡単に出入りできる身でもない。

 あれこれ考えるうちに水内犯人説は千雪の中で消えかかっていた。しかし、蓋を開けてみれば犯人はやはり彼女だった。


「私、あなたに何かした? そんな嫌われるようなことした覚えがないんだけど。教えてちょうだい。一体、何が目的なの?」


「……わ、わた……わたしは、その……」


 こけしのような髪型の水内が俯くと、切り揃えられた髪がその表情を隠した。千雪も背が低い方だが、水内も同じぐらい華奢なタイプだ。寒くもないのにガタガタと震える肩に、思わず小動物を想像し憐みを覚える。千雪は掴んでいた水内の肩から力を抜いて、そっと優しく撫でてやる。


「あのね、別にあなたを責めたいわけじゃないの。私はただ知りたいだけ。あなたがこんなことをしなきゃならない理由が何なのか」


 俯く水内の顔を、屈んで覗く。


「水内さん、これはあなたの意志じゃないわね?」


「――っ!」


 水内はバッと顔を上げた。直後、しまったという表情で顔を背けたが、もはや手遅れだ。千雪は溜息を吐いた。


「やっぱり。去年もそうだったんでしょう? 頑なに口を割らなかったから、あなたが実行犯ってことで片づけられたけど、あれは誰かに指示されてやったことだったのね?」


 去年の嫌がらせも、複数人関わっていたとみられていた。だが、結局教師に突き出されたのは水内ひとりで、その水内がすべて自分がやったと言い張ったため、共犯者が誰だったのか特定できずに終わったのだ。


「ち、ちがっ……!」


 水内は必死に否定するが、言葉にならずに消えていく。


「正直あなたの単独犯行とは考えにくいのよ。悪いけど、あなた、そこまで要領が良いようには見えないもの。去年だって散々良いように使われて、最終的に全部押し付けられたんでしょう? 違う?」


 顔を真っ赤にさせた水内は、震える身体を自身で抱き締めながら言葉を紡いだ。


「ああ、あなたには、言われたくないわっ! わた、わたしっ……」


 ガチガチと歯の根を鳴らしながら、水内は吐き出す。


「だって、断れない、もの……そうしたら、わた、わたしも、親も、みんな……」


「――え?」


 千雪が眉を顰めたと同時に、水内はくるりと背を向けると思いのほか俊敏な動きで教室から逃亡した。


「あ、待って! 水内さん!」


 一拍遅れて千雪はその背中を追い駆けた。





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