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Episode.6 ちーちゃんと記憶の鍵

「――正体を現したわね」


「人を悪役みたいに言うなよ」


「悪役じゃないわ、変態よ」


「余計傷つくなあ」


 千雪は気付かれないように樹と距離を取ろうとしたが、すぐに背後のベッドに阻まれた。

 樹との間は僅か二メートルほどしかない。さっきみたいに衝動的に逃げる気は起きなかったが、それでも得体の知れない人物とこの小さな部屋の中で対峙していることに緊張感が走る。


「ここは全寮制の女学園よ? どうやって入学したの?」


 場合によっては学園に通報しなければならない。その前に相手が何者なのか見極めるために、なるべく情報を引き出す必要がある。


「もちろん、不正入学に決まってるだろ? 大変だったんだぜ、色々と手続き誤魔化すのは。だから四月に間に合わなかったんだ」


「不正って……じゃあ、バレたらどうなるの?」


「そりゃあ、タダじゃすまないだろうね。全寮制の女学園に女装した男が侵入したってバレたら、警察が飛んでくる」


「分かってるなら、何でこんな馬鹿真似したのよ」


 樹は少しばかり目を伏せると、自嘲気味に口端を引き上げた。


「正直自分でも何馬鹿なことやってんだろうって思ってるよ。今ここにいる時点で、俺はどう足掻いても犯罪者だからね。でも――それでも俺は、君に会いたかった。この目で君を見て、その存在を確かめたかった。ずっと探し続けていた、仙崎千雪を」


 真剣な目で見つめられて、少しばかり心が揺れ動く。

 少なくとも樹は、自分の行いが法に触れることを自覚している。その上で、目的と覚悟を持ってここにいるのだとしたら、ただの変態と切り捨てるのは早計かもしれない。


「それにしても、俺が男だってよく分かったね? 結構自信あったんだけどな。先生もクラスメイトも誰も気付かなかったし」


 すっかり男言葉になった樹は、手に持っていた長髪のウィッグを床に投げ捨てた。その言い方や仕草のあまりの自然さに、千雪は今になって樹のことを「出来すぎ」と陽子が言った意味を理解する。

 樹は転入生を演じようとしていたのではなく、あくまで()()()()()()()()()()()()()。だがその擬態への努力が巡り巡って、陽子に胡散臭さを感じさせていたのだ。


「……まあ、正直見た目だけでは分からなかったけど」


 そう。見た目だけなら、本人も自負するように完璧に女の子だった。


「けど?」


 促されたが、続く言葉は少々言いにくい。だが勿体ぶるほど嫌らしいので、さっさと口に出した。


「身体つきはやっぱり男の子ね」


 さっき力強く抱き締められた時、千雪はその違和感を全身で感じ取った。どんなに表面上擬態できていても男女の骨格の差は埋められない。その上、服の上からでは分からなかったが、樹はかなり鍛えているようだ。


「ヤダー、ちーちゃんのエッチー」


 棒読みでそう言いながら胸の前で両腕をクロスさせてみせる樹に、千雪は心底イラッとした。そこに美人転入生の面影はない。いや、髪が短くなったところで顔自体は同じなのだから、美人に変わりはないのだが。


「は? 勝手に抱きついてきたのは、そっちでしょ!? セクハラで訴えるわよ!?」


 それは困るなあ、と樹は頭を掻いた。


「だって二人きりで話す絶好のチャンスだったのに、ちーちゃん、急に逃げようとするんだもん。反射的に捕まえちゃったよね」


「人を小動物みたいに言うの、やめてくれない?」


 顔を顰めつつそう返しながら、ふと頭に嫌な仮説が浮かぶ。


「……ねえ。一つ訊くけど、もしかして権田さんの件もあなたの仕業なの? あの一件のおかげで、あなたは私のルームメイトになれた。一番得したのはあなたよね?」


 樹は千雪との接触機会をずっと強く望んでいた。となると、強制的に部屋替えするよう仕向けることくらいするかもしれない。

 だが予想に反して、樹は力なく首を振った。


「いや……実はその件は、完全に想定外だった。同じクラスになるようには取り計らって貰ったけど、まさか転入してすぐルームメイトが失踪するとは思わなくて、正直焦ったよ。ただでさえこちらは不正を働いてる身だから、変なトラブルには巻き込まれたくなかったんだけどね……まあお陰で、こうしてちーちゃんと同じ部屋になることができたから、結果オーライだったわけだけど」


「そう……」


 取り敢えず、本人の言うことを信じるならば、樹は権田さんの失踪には無関係ということらしい。

 それよりも気になるのは「同じクラスになるよう取り計らって貰った」という部分だ。恐らく園内に樹を手引きした人間がいる。その人物は、千雪にとって敵か、味方か。


「――それで、私が本物の仙崎千雪か確かめるというあなたの目的。その結果はどうなのかしら」


 本題に踏み込むと、樹は少し表情を引き締めた。


「うん。その前に、俺からも一ついいかな?」


「どうぞ」


「さっき、何で逃げようとしたの?」


「それは――」


 言いかけて、口を噤む。

 樹にその理由を開示すべきかどうか悩んだが、人に嘘を吐くなとあれほど言って強引に秘密を曝け出させた以上、自分だけが何も言わないままというのもフェアではない。


「私は……この学園で生活を始めるより前の記憶が一切ないの。いまだに何で自分がここにいるのかも分からない。だから、あなたが昔の私を知っていると分かって――怖くなった。昔の自分のことを知っている人が――いいえ、違う。自分の過去が、怖くなったの」


 記憶は勝手にはなくならない。それを失ったということは、必ずそうなった出来事があったということだ。そのことから、千雪はこの一年、ずっと目を背けてきた。そしてあの瞬間、千雪は本能的に自分の過去から逃げ出そうとした。


「……なるほどね。これで一つ、謎が解けた」


 樹は大きく息を吐くと、二つのベッドに挟まれたフローリングの上に胡坐をかいた。


「結論から言うと、君は俺がずっと探していた本物の仙崎千雪だ。それは間違いない。転入初日、俺はすぐにちーちゃんに気付いた。十年前の面影があったからね、本物だと確信した。だけどちーちゃんは、俺の名前を聞いてもまるで俺に気付かなくて、おかしいと思ったんだ。そりゃ俺の方は女装してるし、十年経って見た目も変ってるだろうから、すぐに気付かないのも無理はない。そう思って様子を見ていたけど……そうか、記憶がないのか……」


 膝の上で組んだ両手に、樹は気落ちしたように額を乗せた。


「十年前、突然俺の前からいなくなった君が、これまでどこで何をしていたのか――それがあの日、俺たちの身に起きた事件を解決する鍵になるはずだったのに……」


 勝手に期待してやって来たのは樹の方なのだが、その落胆具合に少々申し訳なさを感じた。

 千雪は樹のつむじを見下ろすように、ベッドの縁に腰かけた。暫く意気消沈したままだった樹がやおら顔を上げた。


「君が記憶を失くした理由に、何か心当たりは?」


「……いえ、特には」


「本当に何も覚えていないのか? どんな些細なことでもいい」


 縋るように尋ねる樹に、千雪はすぐに返答できずに、無意味に思い出そうとするフリをした。そして、本当に思い出した。


「そういえば……過去に本当にあった出来事なのか、ただの夢なのかはよく分からないけど、つい最近夢の中で見た気になる光景があるの。あれはクリスマスの夜で、外は雪が降っていて、私は暖かい家の中にいて……ツリーの下にはたくさんのプレゼントがあって、テーブルの上には食事の準備も整ってる……だけど、その席はずっと空っぽで、そこにいるのは私と、もうひとり、小さな男の子だけ――」


 言い終える前に、目の前の樹の顔に喜びとも、苦しみともつかぬ感情が込み上げた。


「間違いない。それは過去の記憶だ。現実に起きた出来事だ。同じ場面を俺も覚えてる。そのクリスマスの夜だったんだ――ちーちゃんが、俺の両親と一緒に消えたのは」


 パンドラの箱が、完全に開いた音がした。

 千雪は自分自身に問いかける。


――本当に、この先に進むの?


 今ならまだ、引き返せる。何とか隙をついてこの部屋を出て、寮母に樹のことを通報すればいい。そうすれば、千雪の日常は戻って来る。何も知らないまま、普通の高校生活を享受できる。

 けれど――知りたいと思ってしまった。この気持ちはもう消せない。

 樹が信用に値する人間かはまだ分からない。それでも千雪は、自分の過去と向き合いたいと思った。


「教えて。あなたの知っていることを。過去の私に――私たちに、何があったのかを」




  ◇  ◇




 樹の説明を要約するとこうだった。

 十年前、樹が五歳になった年の夏。唐突に両親が知らない女の子を連れて帰ってきた。その女の子の名前は仙崎千雪。樹と同い年だった。

 両親はその子を養子として引き取って育てた。そうして半年ほどは平和な日々が続いた。

 事件が起きたのは、その年のクリスマスの夜。パーティーの準備はすっかり済んでいて、樹と千雪は両親の帰宅を今か今かと待っていた。だが、ようやく帰って来た両親は、千雪だけを連れて再び家を出て行った。そしてそのまま、二度と戻っては来なかった。


「――あの夜、両親が俺たちに、何かプレゼントを買ってきてくれたのは朧げに覚えてる。それが嬉しくて、ちーちゃんとはしゃいで……それで、その後――」


 樹の言葉が不自然に途切れた。樹は顔を歪めて頭を抱えてた。


「その後……俺は、気付いたら病院のベッドの上にいた。何が起こったのかまったく分からなかった。今でもその時のことは思い出せない。俺は数日生死を彷徨っていたらしいが、その間、誰も見舞いには来なかった。後で人づてに知らされたのが、ちーちゃんと両親の失踪だった」


 樹の口から語られることが実際に自分の身に起きたことだとは思えなかった。もちろん、そもそもすべてが作り話という可能性も十分にある。だが、その警戒を差し引いたとしても、やはりどこか遠い世界の出来事のようだ。


「俺はこの十年、必死で両親とちーちゃんを探した。大事な人たちが忽然と消えてしまったあの日からずっと。そうして、ようやく手掛かりを見つけたんだ。一年前、この学園に突如現れた仙崎千雪という生徒の存在を」


「それが、私……」


「驚いたよ。本当に突然現れたんだ。それまでいくら探しても、痕跡一つ見つからなかったのに。でもチャンスだと思った。ちーちゃんに再会して、両親の行方を捜す、最後のチャンスだって」


 樹は一旦言葉を切ると、長く息を吐いた。


「だからちーちゃん、俺に協力してくれないかな。俺も本当のことを知りたいんだ。あの日、どうして両親は俺を置いて出て行ったのか、どうしてちーちゃんを連れて消えてしまったのか」


「…………」


「駄目かな?」


 黙りこくってしまった千雪を、樹が見上げる。その焦げ茶色の大きな瞳に、夢の中の男の子が重なった。


――だいじょうぶだよ、ちーちゃん。ぼくたち、きっともうすぐあえるから。


 あの男の子の予言どおり、樹は千雪の元へやって来てしまった。

 歯車はもう、動き出してしまっている。

 止めようと思っても、止めることができないほどに。


「……分かった、あなたに協力する。ただし、もし万が一私の記憶が戻って、その時にあなたの話と矛盾があった場合、前言撤回するわよ? それでも良い?」


「もちろん、構わないよ」


 樹は力強く頷き、右手を差し出した。


「これからよろしく、ちーちゃん」


 千雪は一回り大きいその手を、やや躊躇いながら握り返した。










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