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Episode.5 ちーちゃんと新しいルームメイト

 大変なことになった――!


 帰りのホームルームが終わるや否や、千雪は速攻で部屋に戻った。

 女子寮三階の角部屋にあたる三〇一号室。千雪に与えられた唯一の居場所だ。

 互いに思いやる精神を育むという目的で、寮は基本的に一部屋に二人ずつ割り当てられている。だが、どういうわけかこの一年、千雪の部屋にルームメイトはいなかった。その訳をずっと考えないようにしてきたが、いよいよ限界が近づいている。

 鞄をベッドに放り投げて、目に着いたところから掃除をする。持ち物は少ない方だが、それでも出しっぱなしになっていた本などを片っ端から引き出しに押し込んだ。

 掃除を始めて約三十分。呼び鈴が鳴った。


「……!」


 ついに来た。

 千雪は何に対するものか分からない武者震いをして、玄関のドアに向かった。

 目線の高さにある、嵌め殺しのすりガラスに映る人影。唾を飲み込んで、千雪はドアノブに手をかけた。

 このドアを開けたらもう後戻りはできない――自分でも大袈裟だと思ったが、そんな覚悟が胸を過る。


「お待たせ……」


 ドアの隙間から外を覗くと、旅行鞄を一つ手に持った樹が立っていた。

 私服に着替えた樹は、白無地のTシャツにジーンズというラフな格好をしている。休日もスカートなどの女の子らしい恰好で過ごす生徒が多いせいか、ボーイッシュな樹の姿に一瞬ドキッとする。

 樹はドアに挟まれるようにして顔を出す千雪を見下ろして、柔和に微笑んだ。


「急に押しかけてごめんなさい。これから、よろしくね――仙崎さん」


「よ、よろしく……」


 千雪は思わず顔が引き攣りそうになりながら、挨拶をした。


「ずっとひとり部屋だったって聞いたから、急に同居人が増えて嫌じゃない? 迷惑だったら言ってね」


 不自然なくらい自然な様子の樹に、これまで時々投げかけられた謎の視線は自分の気のせいだったのかもしれないと思えてくる。


「気を遣わないで。ちょうどひとりにも飽きてきた頃だったから良かったわ。さ、立ち話もなんだから、入って入って」


 出来る限り愛想良く返事をし、樹を中に招き入れる。

 千雪に続いて入室した樹は、部屋の中央に立つと、狭い室内をぐるりと一周見回した。

 質素なベッドが二つ、部屋の両側に並んでいる。その枕元にそれぞれ備え付けられた簡素な机と椅子。家具はこれですべてだ。

 お互いのベッドの間に少しばかり空いた空間が、共有スペースになる。陽子の部屋ではこの部分の床に絨毯が敷かれていて、花柄の天板がついたローテーブルが置かれていた。夜、消灯までの時間、ルームメイトとそこでお茶しながらお喋りをするらしい。

 だが、この部屋には暖かい絨毯も、他人をもてなすテーブルもない。フローリングが寒々しく剥き出しになっているばかりだ。


「へえ……整理整頓が行き届いていて、とても綺麗な部屋だね。前の部屋はルームメイトの物がたくさんあったから、すっきりしていて新鮮」


 皮肉なのか、誉め言葉なのか。権田さんのことを貶しているのか、ただの感想なのか。千雪にはすべてが測りかねた。


「前の部屋の……権田さんだったわよね。まだ、見つからないって聞いたわ。心配よね。早く無事に戻って来てくれるといいけれど」


 千雪は探りを入れるように訊いたが、樹は「そうだね」と思いのほかそっけない相槌を打っただけだった。「最後に会ったのは貴女なんでしょう、その時の様子はどうだったの?」と続けて問いかけようとした言葉は口の中で萎んでしまい、話題は早々に打ち切られてしまう。

 樹は権田さんのことよりも目の前の部屋の様子が気になるようで、隅々まで検分するかのようにあちこちに目を配らせた。


「それにしても、本当に何もない。確かに()()()()()だ」


 嫌な予感がして、顔が引き攣る。

 振り返った樹は、意地の悪い顔をしていた。


「荒木さんがそう言っていたよ。仙崎さんの部屋には何もないから、必要なものがあったら何でも言ってくれって。親切な子がいて助かるな」


「陽子……!」


 あれだけ人に関わるなと言っておきながら、千雪をだしにちゃっかり樹と接触しているとは抜け目がない。その上、人の部屋をまたしても独房呼ばわりした挙句、他人に吹聴して回っているとは。


「それから、これも荒木さんに聞いたんだけど、仙崎さん、去年この学園に転入してきたんだって?」


 樹にそう尋ねられ、心臓が跳ねる。陽子はそんなことまで話したのか。


「ここは全寮制な上に中高一貫だから、転入してくる生徒は少ないはずだよね。どうしてこの学園に?」


 動揺を悟られないように、千雪は笑顔で表情を固めた。


「……ちょっと事情があってね。高等部から通うことになったの」


「事情ってどんな? 親の転勤? それとも病気とか?」


「……ちょっとね。大したことじゃないわ」


 樹の食いつきの良さに焦りながら、千雪は苦し紛れに話題を変える。


「それを言ったら、林さんこそ珍しいわよね。こんな時期に転入してくるなんて」


「……まあね。本当は四月に間に合わせたかったんだけど、準備に手間取って」


「そう、それは大変だったわね。林さんはどうしてこの学園に――」


 話題が変わったことにホッとしたのも束の間。樹は千雪の言葉を遮った。


「わたしの話はどうでもいいの。それより仙崎さん、あなたの話を聞かせて」


「私の……?」


 見上げた樹は、驚くほど真剣な表情をしていて、千雪はたじろいだ。

 大きな焦げ茶色の瞳は、他のものを一切排除して、ただ千雪だけを見ている。時々教室で感じた眼差しと同じように、強く、切実さを孕んだ視線。やはりあれは気のせいではなかった。


「仙崎――いや、千雪さん。あなたはどうしてここにいるの? この学園に入る前はどこで何をしていたの? 教えて。わたしはあなたのことを知りたい」


「ええと、何故……?」


 他の生徒が聞いたら舞い上がりそうな台詞だが、千雪は眉根を寄せた。無意識に足を半歩引く。


「それはね――」


 樹の視線は、動揺する千雪を真っ直ぐ刺す。一呼吸おいてから、口を開いた。



「わたしがこの学園に転入した目的が――ここに在籍する仙崎千雪が()()()()()()()()()()()()だから」



「え――」


「わたしは、あなたのことを前から知っている。それこそ――十年前からね」


「…………!」


 瞬間、千雪は突発的な衝動に駆られ床を蹴った。

 ここから逃げなければ。

 私の――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 無意識がそう囁く。何故そうしなければならないのか自分でも分からないまま、千雪は駆け出した。

 だがこの狭い部屋の中、出入口に近い方に立っていた樹から逃れられるわけもない。


「待って……!」


 樹は横をすり抜けようとした千雪の腕を強く引き寄せた。


「やめて、離して!」


 千雪は腕を掴む樹の力の強さに恐怖を感じ、全力で藻掻いた。

 ここから逃げろ。逃げろ。逃げろ。頭の中で警報が鳴り響く。

 パニック状態で暴れる千雪を何とか宥めようと、樹は両腕の中にその華奢な身体を収めて抱き締めた。


「大丈夫だから、落ち着いて……!」


「嫌! やめて!」


 千雪の振り回す腕が顔や肩に幾度もぶつかる。爪が頬を引っ搔く。それでも樹は千雪を離さなかった。


「わたしはあなたの味方。だから落ち着いて――()()()()()!」


「――――!」


――ちーちゃん。


 千雪をそう呼ぶのは、ただひとり。

 あの日見た、夢の中の男の子だけのはず。なのに、何故。


――いっしょうのおねがい。ぼくと――


 クリスマスの夜。

 窓の外、降り積もる雪。

 もみの木の下のプレゼント。

 テーブルの上に準備された食事。

 誰もいない。私と、もうひとり――


 走馬灯のごとく頭の中を駆け巡った光景は、浸る間もなく霧散した。

 千雪は肩で息をしながら、徐々に現実に焦点を当てる。

 狭い部屋の真ん中、フローリングの床の上に沈み込んだ千雪は、正面から樹に抱き締められていた。樹の頬には千雪が力任せに引っ掻いた跡が赤く滲んでいる。それでも樹は千雪のぼんやりとした視線を汲み取り、安堵したように笑った。


「――ねえ、覚えてる? ちーちゃん」


「…………」


「十年前、わたしたち、同じ家に住んでたんだよ」


「…………」


「ずっと一緒だった。夏も秋も冬もずっと。クリスマスだって一緒だった」


「クリス、マス……」


 樹の目が、過去を懐かしむように遠くを眺める。ようやく歯車が回り出した千雪の脳が、小さな違和感を訴える。


「そう、覚えてる? あのクリスマスの夜ね――ちーちゃん?」


 千雪は両手で樹の身体を押し返した。樹と距離を取って、改めて彼女の姿を観察する。

 ちくりと喉に小骨が刺さったような違和感が、段々と大きくなっていく。

 あの夢が千雪が忘れ去っていた記憶の断片かもしれないとか、あの夢に出てくる子が樹と何らかの関係があるかもしれないとか、そんなことよりもまず。

 今、目の前の樹が()()()()()()()()()()()ことに、千雪は不信感を覚えずにはいられなかった。


「――嘘吐かないで」


 千雪は精一杯の厳しさを湛え、樹を睨んだ。


「……嘘?」


「そうよ。あなたは嘘を吐いてる。正直に答えて。あなたがここにいる本当の目的は何?」


「だから、さっきも言った通り、ちーちゃんに会いに――」


「そうじゃない」


 目の前の転入生は、整った顔に困惑を浮かべて口を噤む。


「あなたは一体、何者なの? どうして私のことを知っているの? それに、()()()()()()()()()()()()()()?」


「そんな一気に訊かれても、答えられないよ。せっかちだなあ、ちーちゃんは」


「はぐらかさないで」


 ぴしゃりと千雪に言われてもなお、樹は愉快そうに笑いながら、両手を上げた。


「分かった、分かった。降参だよ。望み通り、答え合わせといこうか」


 樹は自分の頭に手をやると、自身の長い髪を掴み――()()()()()()()()()()


「名推理だね、ちーちゃん。お察しの通りだよ」


 現れたのは、髪の短い――男。


「これでちゃんと思い出してくれる? ()()()()


 そう言って、樹は変わらず綺麗に微笑んだ。





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