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Episode.4 ちーちゃんと失踪事件

 樹が転入してきて二週間、学園は緩やかに日常を取り戻していった。

 その大きな要因が、中間試験だ。

 さすがに夢ばかり見ている場合じゃなくなったのだろう。ひとり、またひとりと現実に戻って行き、樹の取り巻きは以前の半分ほどまで落ち着いた。


(――知ってる? ちゆきち)


 本日の三限目――瞑想と自己との対話の時間。

 だだっ広い会館に整列した生徒が作務衣姿で瞑想をする中、指導者の目を盗んで陽子がヒソヒソ声で話しかけて来た。


(知ってるって、何を?)


 千雪も限りなく小声で返す。


(明日貼りだされる予定の、中間試験の結果)


 知っているはずないでしょ、との意味を込めてちらりと薄目で横を見ると、陽子も同じタイミングで千雪を見た。組んでいる座禅はそのままに、陽子はまた顔を前に戻す。


(例の転入生、トップクラスの成績らしいわよ)


(それは凄いわね)


千雪は素直に感心した。恵まれているのは容姿だけじゃないのか。神は二物も三物も与えるらしい。


(なんか……完璧すぎて逆に怪しくない?)


(はあ?)


 直後、指導者がすぐ近くの通路を通った。一旦、瞑想に集中するフリをしてやり過ごし、足音が程よく遠ざかるのを確かめてから、千雪は笑いを堪えながら言った。


(聡明で美人な転入生に非日常を期待していたのは、どこの誰だったかしら?)


 陽子は少しだけバツが悪そうに口を尖らせた。


(そりゃ、アタシもちょっと浮かれてたわよ? 季節外れの転入生なんて、それだけでミステリアスだもの。夢見てたのは事実。でも、彼女、あまりにも出来すぎなんだもの)


(出来すぎ?)


 瞑想終了の号令がかかり、千雪は目を開く。会館二階部分の大きな窓から射し込む光が眩しい。

 座禅で固まった身体を解すよう指示され、生徒たちは銘々に伸びをしたり身体を捻ったりし始める。千雪も大きく伸びをするフリをしながら、陽子の方へ身体を傾けた。陽子はざわめきに紛れながら、やや早口で続ける。


「そうよ、出来すぎなのよ。だってあの子、()()()()()()()()()()()()()()()()なんだもの。もしこれがフィクションだとしたら、彼女は物語を動かすキーパーソンとして完璧よ。一分の隙も無いくらいにね。でもその完璧さが一周回って怪しく感じるのよ。アタシには、彼女がまるで()()()()()()()()()()()()()ように見えるの。その振る舞いが全て計算されているように感じて気味が悪いのよ」


 普段物事を楽観的に捉える陽子が、深刻そうに小難しいことを言うのは珍しかった。そのせいか、千雪は段々と陽子の言っていることが全部本当のことのように思えてきた。


「ね、だから、アンタもあまり彼女に関わらない方が良いわよ。あの子は何だか、裏がありそうだわ」


 甲高い笛の音が響き、作務衣姿の生徒たちが裸足で床を蹴って会館の前方に集まる。

 千雪は斜め前に整列する樹の後ろ姿を盗み見た。後ろで一つに結ばれた長い髪が、樹の動きに合わせて揺れる。誰も見ていないだろうに、背筋がしっかり伸びていて、後ろ姿からでもそのスタイルの良さが際立っていた。

 確かに陽子の言う通り、樹はどの瞬間を切り取っても完璧だ。

 授業中も、休み時間も、いつ見ても樹は完璧な転入生として存在している。疲れた顔を見せることも、ドジを踏むことも無い。

 だが、もし樹が陽子の言葉の通り転入生という役を演じているとしたら、不意に感じる、明らかに千雪を狙い打ちしたあの視線には何の意味があるのだろう――


「気を付け! 礼!」


 指導者の快活な声が千雪を現実に引き戻す。千雪は慌てて周囲とともに、目の前の大きな祭壇に祀られている本尊に頭を下げた。




◇ ◇




 数日後、事件が起きた。


「ちゆきち! こっち、こっち!」


 朝、まだ眠たい目を擦りながら登校した千雪は、校舎の入り口で血相を変えた陽子に捕まった。


「おはよう、陽子。どうしたの、そんな慌てて……」


「どうしたのじゃないわよ! 大事件よ!」


「大事件……? ちょ、痛い痛い」


 陽子は千雪の腕をぐいぐい引っ張って下駄箱の陰に滑り込むと、興奮冷めやらない様子で捲し立てた。


「失踪事件が起きたのよ! しかも、転入生のルームメイトよ! これは絶対怪しいわよ!」


「――え?」


 眠気が一気に吹き飛んだ。陽子の要領を得ない説明から辛うじて掴んだ単語を繰り返す。


「失踪……?」


 陽子は激しく頷く。


「そう。いなくなったのは転入生のルームメイトの権田さん――どうせアンタは知らないと思うけど、隣のクラスの子よ」


 案の定、名前を聞いてもピンと来なかった。隣のクラスというと、体育で合同授業を受けているはずだが、顔も思い浮かばない。それはさておき、失踪とはどういうことなのだろう。


「その権田さんが、三日前から寮に帰ってないんですって。学校も無断で欠席、家にも帰っていない上に、そもそも外出した形跡がないとか」


「外出した形跡がないって……?」


「つまり、鞄とか財布とかが部屋に残されていたってことよ。一日目、二日目は無断外泊だろうってことで様子見されていたらしいんだけれど、昨日も帰って来なくて、いよいよ失踪扱いらしいわ」


 朝の空気に似つかわしくない不穏な話題に、鳥肌が立つ。

 特定信仰宗教が運営する全寮制の女学園――外界から隔離されたこの世界は窮屈で退屈で味気ないが、その分この塀の中にいれば安全が保障されるはずだ――何故か千雪はそう思い込んでいた。

 だが、事は学園内で起きている。


「……そんな簡単に人が消えるなんてことある?」


 千雪は内心の動揺を隠すように腕を組んだ。


「常識的に考えれば、あり得ないわ。でも、権田さんが何か犯罪に巻き込まれたりしていたら、あり得なくもない話じゃない?」


「犯罪ってそんな物騒な」


 急に推理小説の探偵のようなことを言い出す陽子に千雪は笑う。だが陽子は真剣な表情で周囲をサッと見渡すと、更に千雪と距離を詰めて囁いた。


「――ここだけの話、どうやら最後に権田さんと会ったのが、ルームメイトである転入生――林さんだったらしいわ。彼女、権田さんの行方については何も知らないって証言しているらしいけど、本当のところどうかしら? アタシは彼女が何か大事なことを隠しているんじゃないかと思うの」


「……それってつまり、林さんが失踪事件の犯人だって言いたいの?」


 まだ何も知らない生徒たちが、いつも通りの表情で登校して来る。友達と玄関口で落ち合った生徒が、はしゃぎながら千雪たちの前を通り過ぎていった。


「別にアタシだって、彼女を犯人だと決めつけるつもりはないわよ? でも、やっぱり出来すぎてるじゃない。彼女の転入は、本当に偶然の出来事なの? 他に何か目的があったんじゃないかしら? 権田さんが失踪したのも、林さんのルームメイトだったからという可能性だってないとは言えないわよ?」


 それはさすがに言いがかりじゃないか。

 決めつけるつもりはないと言いながらも、陽子は完全に樹を犯人だと決めてかかっている。


「でも、林さんが関わっているという証拠は、まだ何もないんでしょう? だったら今の段階でそう彼女を疑っては失礼よ」


 やんわりと窘めると、陽子はやや勢い削がれた様子で「……そりゃ、まあ、証拠はないけど」とボソボソと口の中で呟いた。


「とにかくこの件はまだ噂話なんだから、正式な学園側の発表を待ちましょうよ。話はそれからでも遅くはないでしょう?」


 陽子は「まあ学園側からの発表があるかも分からないけどね」と肩を竦めた後、調子を変えて続けた。


「それはさて置き、この件に関して一つだけ既に正式決定していることがあるのよ。というか、むしろそっちが本題」


 同級生の失踪事件より重大な話とは何なのか。

 陽子はしっかりとした黒い眉に力を込める。


「ちゆきち、アンタ正直この件は自分とは関係ないって思っているでしょ?」


「そりゃ、権田さんは隣のクラスの子だし、そもそも顔も知らないし、寮の階も違うもの。別に他人事だと思っているわけじゃないわよ? でも……」


 図星を突かれて言い訳がましくなった千雪を、陽子がばっさりと切り捨てる。


「馬鹿ね、アンタと関わりがあるのはそっちじゃないのよ」


「そっち……? そっちって、どっち?」


「さっきも言ったけど、権田さんは林さんのルームメイトなの。今のところ、彼女が権田さんの失踪に関わっているという証拠は何もない。となると彼女はただ、転入してまだ間もなく寮生活にも不慣れなのに、急にルームメイトがいなくなってしまって困っている人になるわよね? そういうわけで、寮長の特別な計らいによって、林さんの部屋移動が決まったの」


 確かに、ルームメイトが失踪した部屋にひとり取り残されるなんて心細いだろう。

 解いたばかりの荷物をまた纏めるのも大変だろうが、他の人がいる部屋の方がよっぽど彼女も安心できるはずだ。


「それは良かったわね」


「まったくアンタは呑気ねえ。この流れなら分かるでしょうよ」


「……?」


 陽子は千雪の鼻先に人差し指を突き付けた。


「その移動先がちゆきちの部屋だって言ってんの!」


「――は?」


 思いっきり声が出て、慌てて両手で口を塞ぐ。幸い千雪の声に立ち止まる生徒はいなかった。


「覚悟なさい。あの独房のような部屋に、新しいルームメイトが来るのよ」


――樹がルームメイトになる。


 時間をかけて、千雪の頭はやっと事の次第を理解した。ついでに陽子にとてつもなく失礼なことを言われたのにも気付いたが、残念ながら反論の余地は無い。


「嘘、でしょ……?」


 縋るように見た陽子は、腰に手を当てて「今更アンタに嘘なんか吐いてどうすんのよ」と吐き捨てた。


「早速今日の放課後からやって来るそうよ。いい? 念を押すけど、あの転入生には気を付けるのよ? 今度はアンタが失踪なんてしたら――洒落になんないんだからね」





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