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Episode.3 ちーちゃんと季節外れの転入生

 それから一週間後。いよいよ噂の転入生がやって来た。


 結論から言えば、転入生はかなりの美人だった。

 ホームルームの後半、担任に呼ばれて教室に入ってきた彼女は、一瞬で教室中を虜にした。

 噂通り、モデルのようにスラリと背が高く、足が長い。規律の厳しい女学園ということもあり、スカートの裾は膝下厳守だが、それでも裾から伸びる脚の長さは千雪の倍ぐらいありそうだ。

 胸のあたりまで伸ばした色素の薄い髪が、彼女の動きに合わせてさらりと揺れる。その度に、良い匂いが室内に漂う気がした。


「――彼女は本日付けでうちのクラスに転入となった。林君、皆に自己紹介を」


 男勝りな口調の女教師が、一歩引いて転入生に自己紹介を促した。少し俯き加減だった転入生が、ゆるりと顔を上げる。蛍光灯の下、整った顔立ちがはっきりと見えた。どちらかというと中性的で、綺麗な顔立ちだ。

 大きな焦げ茶色の瞳がゆっくりと室内を順番に見渡し――千雪のところで視線が止まった。


「……ん?」


 不思議に思っていると、彼女はその大きな目を誰にも気付かれないくらい、ほんの僅かに見開いた。だが、すぐにそのまま教室の隅まで一通り見終えると、一言。


(はやし) (いつき)です――まだ右も左も分からないのでご迷惑をおかけすることもありますが、皆さんよろしくお願いします」


 何事もなかったかのように自己紹介をした。


「色々と分からないことがあるだろうから、皆、親切にするように。林君の席はこの列の後ろだ」


 千雪は頬杖を突きながら、説明を受ける転入生を眺めた。クラスメイトたちは隣同士で口々に転入生の感想を述べている。廊下側の席の陽子が担任の目を盗んでこちらを振り返り、大きくウインクしてみせた。多分あれは「ほら、アタシの言った通りでしょ!」の意味だろう。

 まあ、あれだけ美人なら心配ないか――陽子には興味がないと言いつつも、心の中で転入生のことを案じていた千雪は少しばかり安堵した。

 これだけ目立つ容姿ならば、大抵の生徒は一目置くはずだ。一部やっかむ人間もいるだろうが、意外と彼女は肝が据わっていそうなので大丈夫だろう。杞憂に終わって良かった。そう噛みしめながらも、千雪はなるべく転入生とは距離を置こうと心に決めた。

 あの不名誉な噂はほとんど消えたとは言え、派手な転入生と関わりでもして、またあの噂を掘り起こされても厄介だ。とにかく彼女とは関わらず、いつも通りの生活を貫こう。転入生の登場に浮足立つ教室内で、千雪はそう固く誓った。のだが――


 一限目の授業が終わるチャイムが鳴ると同時に、千雪の席にスッと人影が落ちた。


「――ちょっといいかな?」


 まだ聞き慣れない、少し低めに響く声。

 紛れもなく、転入生――林樹その人だった。

 あまりの急展開に、千雪はおろか、クラスじゅうが固まった。

 ジッと俯く千雪の頭頂部に、樹の視線が注がれている気がして手汗が滲む。クラスメイトたちが固唾を呑んで見守っている。

 恐る恐る千雪は目線を上げる。思ったより近い場所にある焦げ茶色の瞳が、あまりにも真剣に千雪を見ていて心臓が跳ねた。


「貴女、名前は?」


 形の良い唇が、千雪にそう尋ねた。


「――仙崎、ですけど」


「仙崎……」 


「あの、それが何か……?」


「下の名前は?」


「え? 千――」


「ああああ、ちゆきち! 次移動教室だから、行かなきゃ!」


 大声で割って入って来た陽子に引っ張られ、千雪はそのまま廊下の外に連れ出される。名残惜しそうな視線が届かなくなったところで、陽子は掴んでいた千雪の腕を離した。


「あー、びっくりした! 何なの? アンタ、もしかしてあの転入生と知り合いなの?」


 ようやく解放されたと思ったら、今度は両肩を掴まれる。


「まさか、知らないわよ。私の方こそ、何がなんだか……」


 いまだに収まらない鼓動に、千雪は狼狽する。


「きっと人違いだわ。だって、見覚えも――」


――ねえ、ちーちゃん。


 ふと脳裏に幼い声が蘇る。

 温もり溢れる家、クリスマスの光景――

 分からない。どうして今、あの夢を思い出すのだろう。


「ちゆきち?」


 黙ってしまった千雪に、陽子が怪訝そうに尋ねる。


「どうかした? 気分でも悪い? 保健室行く?」


「あ――」


 千雪は我に返って、首を振った。


「いや――大丈夫。連れ出してくれてありがとう。助かったわ」


「そう? なら、いいけど。はい、これアンタの分ね」


 陽子は小脇に抱えていた千雪の分の教科書を渡すと、千雪と並んで歩き出した。


「それにしても、ちょっと変わった子ね。知り合いでもないのに、転入初日にいきなり話しかけてくるなんて」


「……そうね」


「アンタも波風立たない生活を望むなら、あんまり関わらない方がいいわよ。ほら、よく言うでしょ?」


――綺麗な薔薇には棘があるってね。




◇ ◇




 転入生の噂は、瞬く間に学園じゅうに広まった。

 樹は皆の期待を裏切らない、完璧な美少女だった。容姿端麗、頭脳明晰、その上運動神経も抜群。かといってそれを鼻にかけるわけでもなく、転入生としての立場を弁えて、慎ましい態度で周囲に接する。クラスメイトたちが彼女にほだされるのにそう時間はかからなかった。


「わーお、今日も凄い野次馬だこと」


 休み時間、千雪は陽子と教室の片隅で転入生に群がる生徒たちを遠巻きに眺めた。

 一週間経っても、一目彼女を見ようと押し寄せる生徒の数は、減るどころか増える一方だった。他のクラスはもちろん、他の学年の生徒まで野次馬にやって来ている。毎度ご苦労なことだ。


「さて、いつまで続くかしらね、このお祭り騒ぎは」


 あれだけ謎の転入生に夢見ていた陽子は、少しばかり醒めた目で人だかりを見ている。周囲のあまりの盛り上がりように気圧されてしまったようだ。


「そうねえ――」


 言いながら千雪は宙を見上げる。

 自分の時は初めから躓いていたので、比較にならない。それ以外でこんなお祭り騒ぎがあったのは――去年の夏ぐらいだろうか。


「そういえば、有栖川(ありすがわ)先輩の時も結構凄かったわよね」


 海外に留学していた三年の有栖川という先輩が学校に戻って来た時も、彼女に取り入ろうと一部の生徒たちが躍起になっていた。勿論、有栖川先輩自身も見目麗しい上に有能なのだが、先輩の祖父が政界の重鎮ということが大きかった。


「ああ、有栖川先輩の時は確か、騒ぎが落ち着くのに二週間ってところだったかしら?」


「なら、せいぜいあと一週間ぐらいでこの熱も冷めるってことじゃない? 皆、目新しいものにはすぐ飛びつくけれど、飽きるのも早いもの」


「……どうかしら。もしかしたら、今回はちょっと違うかもしれないわよ?」


 陽子の含みのある言葉に、千雪は首を傾げた。


「どうして?」


「彼女が()()()()()かどうか、まだ判らないもの」


 血統書付きというのは、信仰があることが証明されている、という学内での隠語だ。

 信仰の有無それ自体は、入学の条件にはなっていない。学園の門戸は等しく万人に開かれている。だが、簡単に入れたとしても、無事卒業できるかはまた別問題だった。

 信仰の有無を問われなくても、そもそも学園生活自体が教義や信仰を前提として進んで行く。授業や課外活動は教義に即した内容のものも多く、そこに意義を見出せない人にとっては苦行に近いだろう。

 更に残酷なことに、生徒間ではよりはっきりと信者と非信者の区別がなされる。特に一部の過激派集団に目をつけられたら最後、徹底的に嫌がらせを受ける羽目になるのだ。結局無信仰のまま入学してきた生徒は、学園生活に耐えきれずに辞めていくか、早々に入信するか、どちらかの道しか選択肢はない。


「なるほどね……あの取り巻きの中には、彼女がどちらなのか探る目的で近づいている子もいるってことね」


「もしあの転入生が本当に異分子だったとしたら、一波乱起きるわよ。あそこにいる子たち全員が一斉に手の平返したら、さすがの転入生も太刀打ちできないでしょう」


 千雪は嫌な想像をしてしまい、身震いした。千雪の時と同じ――いや、それ以上に悲惨な状況になるかもしれない。だが、可哀想だと思いながらも、千雪に何かしてやれるわけでもない。

 室内は無遠慮に押し寄せた客たちの騒めきで満たされている。

 分厚い人の壁の真ん中に、質問攻めにされている樹の頭が見える。背が高い樹は他の女子たちの頭一つ分抜きんでているのだ。

 笑顔で周囲の子たちと会話をしている彼女が、ふと、鋭くこちらに視線を寄越した。


「……!」


 千雪はびくりとして、目を逸らした。

 初日に言葉を交わして以降、樹と話す機会は巡ってはこなかった。休み時間になると樹が大勢に囲まれてしまうというのもあるが、千雪もなるべく彼女の視界から外れようと意識していたからだ。

 だがふとした折りに、樹は千雪を見つめている。

 その不可解な視線に気付く度、千雪は何だか落ち着かない気持ちになった。

 千雪はどうにも、その視線に責められているような気がしてならなかった。





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