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Episode.2 ちーちゃんとはじまりの予感

「おっはよー! ()()()()


 朝のホームルームが始まる少し前、教室に何とか滑り込んだ千雪を、クラスメイトで唯一の友人荒木陽子(あらきようこ)が迎えた。


「良かったわね、ギリセーフよ」


「助かった……っていうか、そのあだ名で呼ぶの、いい加減やめてくれない? 何だか一万円札が頭に浮かぶわ」


「縁起良さそうでいいじゃない。アタシは気に入ってるわよ? せっかく今年も同じクラスになったんだから、じゃんじゃん呼んでくわ」


「私は許可してませんけど?」


「相変わらずつれないなあ、ちゆきちは」


 もうすぐ担任が来るというのに、陽子は千雪の席までついて来きて前の席に勝手に座り込んだ。

 これは本題があるな――千雪が身構えると、案の定陽子は切り出した。


「――それより、今日はとっておきのネタがあるのよ。これをアンタに一番に話したくてずっと待ってたんだから。聞きたい? 聞きたいわよね?」


 千雪は鞄から出した教科書を机にしまいながら苦笑した。


「そんなこと言って、私に拒否権があったことある?」


 陽子はそばかすの目立つ顔をニヤリとさせた。


「無いわね、一度も」


 陽子の噂好きは学園一と言っても過言ではない。一体どこから仕入れてくるのか、学園内のゴシップネタを拾ってきては、喜々として千雪に聞かせてくるのだ。

 聞いて驚くなかれと、陽子は千雪の机についていた肘を浮かせると、前のめりになって千雪の耳に口を寄せた。


「――なんと、近々転入生がやってくるらしいわ」


 陽子がせっせと仕入れてくる噂のほとんどに千雪は興味を持たなかったが、今回ばかりは思わず訊き返した。


「――転入生? こんな中途半端な時期に?」


「そう。その上なんとうちのクラスにね。どう? 興味持った?」


「まあ、確かに珍しいけど」


 普段無関心な千雪が興味を示したのが嬉しいのか、陽子は怒涛の勢いで続ける。


「でしょでしょ? この時期に、しかもこの学園に転入だなんてどう考えても訳ありよね? 裏口入学かしら? ワクワクしちゃうわね!」


 千雪たちが通うのは、青蓮高等女学園という全寮制の学校だ。

 それだけでもやや特殊な世界だが、そこに更に一点、付け加えなければならない特徴がある。それは、この学園の運営母体が青正蓮(せいしょうれん)教という宗教団体ということだ。


――開校は遡ること一九七〇年代。

 開祖の蓮田(はすだ)ときという女性が、自らの経験を元に女子の高等教育の意義を唱え、この学園を創立した。近年になって女子教育への熱心な取り組みが評価され、後から創設された中等部と併せて名門女子校の仲間入りを果たしたのである。

 とは言うものの、実際入学する生徒は自身が信仰を持っているか、親族に信者がいる生徒がほとんどだ。中高一貫のエスカレーター式のため、特に高等部は持ち上がりの生徒が九割以上を占める。

 そんな事情のこの学園に、わざわざ高等部から転入してくるとは。しかも季節はもう五月も中旬。来週には中間試験が控える何とも中途半端な時期である。何かと勘繰りたくなるのも無理はないが――


「そんなこと言って、蓋を開けてみれば案外普通の理由だったりするかもよ? ほら、親の転勤の都合で、とか」


「ああ、もう。何でちゆきちはそんな夢が無いのかしら……」


「……はあ? 夢?」


 眉を寄せる千雪に、陽子はうっとりと宙を見上げて言う。


「中途半端な時期にやってくる謎の転入生なんて、どう考えても物語のはじまりを予感させるじゃない。つまらない日常を非日常に変えてくれる、素敵なきっかけ……そう、彼女はきっととてつもなく聡明で美人で、それでいて誰にも知られてはいけない秘密を隠し持っているのよ! そして――」


「分かった。分かったから、そろそろ戻って来てくれる? 現実に」


 背後に咲き乱れる百合を背負いかけた陽子に、千雪は溜息を吐いた。

 陽子の想像力――否、妄想力は人一倍逞しい。おそらく、夜な夜な寮で回し読みしている少女漫画の影響だろう。寮では漫画の持ち込みは禁止されているが、そこは思春期の少女たちの集まりである。寮長にバレないようにうまくやっているようだ。

 陽子は咳払いをするとようやく現実に戻って来た。


「と、まあ――半分以上はアタシの想像だけど、でも美人っていうのは本当みたいよ。先週末、職員室で実際に転入生を見かけたって子がいたから。ちらっと見ただけだけど、モデルみたいに綺麗だったって言ってたわ。どう? 楽しみじゃない?」


「興味ないわよ、別に」


「ええー、何でよう。さっきまであんなに食いついてきたのに」


 憤慨する陽子に「私は陽子ほどミーハーじゃないもの」と千雪は肩を竦めた。


「それに、来る前からあれこれ噂されるのも気分悪いと思うわよ。普通の子だったら気の毒じゃない」


 この学園は全寮制、女学園、特定信仰集団というトリプル役満だ。

 世俗から切り離された世界は、異質な存在を受け入れるのに時間がかかる。外部からの転入生が好奇の目に晒されるのは必至だ。歓迎されるか、村八分か――どちらに転ぶかはほとんど運次第と言っていい。ちなみに千雪は去年、運悪く村八分の方に当たってしまった。


「転入の理由が何であれ、馴染めるといいわね、その子。でないと苦労するわ、ここで生きていくのは」


 千雪がしみじみと言うと、陽子も同じように感傷的になった。


「そうねえ。去年、苦労したものね、ちゆきちも。あの時アタシが声をかけなかったら、アンタ、今頃まだ()()()の餌食だったでしょうからね。あの時の貸し、うんと高いのよ。まだ返して貰ってないからね?」


「……ハイハイ、その節はどうも。感謝しております」


――アンタが仙崎千雪? 思ったより、チビね。


 去年の春、初対面の陽子にかけられた第一声がそれだった。

 今思い返すと何とも腹が立つ言われようだ。しかし、陽子が話しかけてくれたお陰で、千雪は何とか完全な孤立を免れたのだから、一応感謝はしている。必要なプリントが回って来なかったり、移動教室の変更が伝えられなかったりと、些細ながらも学業に影響を及ぼす嫌がらせが陽子のお陰でぴたりとやんだのだ。


「でもアンタの態度も良くなかったのよ? 噂を否定するでもなく、のらりくらりとしてるんだもの。違うなら違うって、ハッキリ否定してやれば良かったのよ」


「……まあね。でも、あの手の話は、ムキになって否定すれば逆に面白がられるだけだから、知らないフリしてやり過ごすのが一番面倒臭くなくていいのよ」


「そういうものかしらねえ」


 一年前、千雪の転入とともに学園に流れ込んだ噂。


――仙崎千雪は教祖様の()()()()()として匿われていたが、捨てられてこの学園にやって来た。


 あまりにも下世話すぎて鼻で笑ってしまいたくなる。最初に誰が吹聴し始めたのかは、結局今でも不明なままだ。だが、そういうネタに飢えている学園内では、千雪の噂は連日面白可笑しく取り沙汰された。

 教会のトップである教祖に複数のお気に入り――つまり愛人がいることは周知の事実であったらしいが、どこがどう繋がって、転入生の千雪と愛人説が結びついたのかは分からない。というか、知りたくもない。

 本当は千雪も、そんな噂はさっさと否定してしまいたかった。

 だが、できなかった。

 記憶に無いのは事実だったが、千雪の場合、()()()()()と言った方が正確だからだ。一年前――つまり、この学園の高等部に入る以前、自分がどこで何をしていたのか。それを証明する術がなかったのだ。

 千雪は自分の記憶のことを、結局陽子にも伝えられずにいた。


「――まあ、私の話はもういいのよ。私は別に、他の子と仲良くなりたいとも思わないし、陽子がいるしね、今のままで充分よ。これ以上の贅沢は望みません」


「あらま、たまには可愛らしいこと言うじゃないの、この子は」


 陽子はニンマリと笑うと、千雪の頭を撫で回した。遠慮のない手つきに、千雪は頬を膨らませる。


「ちょっと、ボサボサになるじゃない」


「うん、もうなってる。凄いわね、芸術的。写真撮って良い?」


「あら、おかしいわね。携帯は持ち込み禁止のはずよ?」


 ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る。

 陽子はこれ以上の追及を避けるように、笑いながら自席へ戻って行った。




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