5.なろうエッセイ・批判系エッセイ(過去作は検索除外しているのでこちらから)
決着のついた批判を続けてると、そのうち「ゴンゲ〜」と鳴く化け物になるよ、という話。
※ 2022/1/26 23:10 感想欄が荒れるのを承知で非ログインユーザーの書き込みを許可してたのですが、荒れるというよりは感じが悪いだけの感想と感想返信で埋もれてしまったので、申し訳ありませんが、感想欄を一旦すべて消させてもらいました。2022/2/5 2:20 追記 もう1件、追加で削除しました。
……正直、感じが悪くなった責任の多くは私の返信にあると思います。うん、見て気分を害された方、ごめんなさいです。m(_._)m
何か批判に値する言論があったとして。
その言論に批判が集まって、修正されて。
それでもなお批判されて、元の批判が消えてしまって。
そんな現実に対してどう思うのが「人間らしい」と言えるのでしょうね。
批判を受けて、その主張を受け入れる形で主張が修正されたのなら、消えてしまったのなら、それ以上は批判しないのが理性的だと思います。だって、批判の対象が無くなったのです。批判を続ける意味が無いじゃないですか。
言葉には力があって、その言霊に触れた者に影響を与える。その言霊が良くない影響を与えると思うから批判をしたんですよね。なら、その言霊が消えたのなら、それで終わりでいいじゃないですか。相手が主張を譲った時点で、その批判は正しく機能したのです。それ以上、何を求めるのですか?
目的を果たした批判を続けることに、本当に理性はありますか?
◇
その昔、「弟切草」というゲームがありまして。ノベルゲーの草分け的な存在で、選択肢によって結末がコロコロ変わる、ホラーだかコメディだかよくわからない物語を楽しむゲームでした。
この作品の登場人物の中に、弟の直樹というキャラがいまして。大昔に病死してたり、魚になることを夢見るあまり怪魚になってたり、死後食欲に取り憑かれた怪魚になってたり、生まれつき怪魚だったりと、そんなキャラだったのですが。
この中の「弟の直樹が死後食欲に取り憑かれた怪魚になっていた話」で、忘れられない言葉があるのですよ。
「弟は、食欲の権化にされてしまったの」
「だからゴンゲ〜って鳴くのか」
……うん、まあ、何というか、本気で人を喰った話にこの台詞、とても印象に残ってしまいまして。で、あんまりにも印象に残りすぎて、現実社会でも、たまに思ってしまうのですよ。
「あ、コイツ、『ゴンゲ〜』と鳴くイキモノだ」と。
うん、特にネットでよく見る気がします。もしかしてネットは現実社会に入れちゃダメかな? 相手が人間かどうかも判断できませんし。
まあ、ゴンゲ〜と鳴くのは化け物で、人間ではないのですが。
◇
役目を終えたはずの、もう批判としては機能しない言動を、どうして続けるのでしょうね。もしそれが欲望から来るものなら、食欲に取り憑かれて「ゴンゲ〜」と鳴くのと、一体何が違うのでしょうか。
批判対象のない批判なんて、「ゴンゲ〜」と同じ、無意味な文字列だと思います。
◇
まあ、人間なんて多かれ少なかれ、主観でしか物を語れませんしね。どんな荒唐無稽に見える主張も、あくまでそれは見る人の主観でしかないと思います。きっとその主張にも賛同者はいると思いますし、その主張に本当に真摯に誠実に向き合えるのならそれは一つの思想、信仰と言ってもいいと、私個人としては思っています。少なくとも、欲望のままに「ゴンゲ〜」と鳴くよりは遥かに尊重すべき言葉かなと。
人間らしさの中には、理性的であるということも含まれていると思います。理性的であることを放棄すれば、人間はいつでも「ゴンゲ〜」と鳴く化け物に落ちぶれることができるとも。いや、気持ちいいと思いますよ、欲望のままに「ゴンゲ〜」と鳴いて生きるのは。私は御免こうむりたいですが。
ホント、欲望のままに人を喰ってゴンゲ〜と鳴く化け物にはなりたくないなと、ゴンゲ〜と鳴くバケモノを見るたびに思います、まる。
……ついうっかり、カッとなって書いてしまいましたが。
まあ、バケモノの言うゴンゲ〜に意味なはいし、聞く価値も考える価値も無いですよと、それだけの話です。