2-3.キツネとタヌキの化かし合い【転】
〇このものがたりは、『2―2.きつねとたぬきのばかしあい【承】』のつづきです。
〇登場キャラクター紹介の時に、すこし『ねたばれ』をしています。
・・・
〇登場キャラクターです。
・リョーコ・A・ブロッケン:【学院】で魔術を研究する若い女魔術師。『図書館の君』とは血のつながりがあるが、それを知っているのはごく一部。学院長の史貴 葵とは、元同級生。かのじょを一方的にライバル視し、けんかを売っては負けをみてきた。これからも負けつづけることだろう。
・史貴 葵:【学院】の若き女学院長。リョーコの元ルームメイト。リョーコのことは一方的に友達だと思っている。同時にドレイだとも思っている。
・シロ:葵の使い魔。優秀な助手でもある。
〇
【学舎】の最上階にリョーコは来た。『図書館の君』とよばれる、見目うるわしい青年の見た目をたもったまま。
(三十分は、まだ経たないわよね)
薬の効果には時間的な制約がある。また、この変身薬は使用に際して混乱の多くなることから、【学院】をふくむ多くの土地で製造が禁止されていた。
が、「ばれなきゃいいじゃん?」という愛用の弁で、リョーコはこうした規則を常習的にやぶっている。ルールなんて存在しない。
計画はこうである。
(図書館の君とダベッて有頂天になってる学長センセのまえで、薬の効果が切れてねたばらし。さぞやすっとんきょうな顔するだろうなあー。あははは。とはいえ……)
変身がタイミングよく解けてくれればいいのだが。
今回使用した薬には、任意に魔法を解くような便利機能はついていない。その点で言えば、融通のきく魔法道具を作れたらそれに越したことはなかったが。これはリョーコのちから不足。
ばたん。
学院長室の大扉が音をたてる。
うさぎ耳の少女が部屋から出てきた。史貴学院長――葵の使い魔のシロである。
白いボブショートにした髪に、みどりを基調としたブレザー。学院長の『右腕』とあって、そんじょそこらの魔術師たちが束になってもかなわない頭脳明晰だが、本人はそれを自覚しているのかしていないのか。普段は傍目から見て、損な役割をしている。
「えっと……」
赤い、シロのまなこが『図書館の君』の視線とぶつかる。
ひらひらと手をやって、リョーコはあいさつをした。
「やあ、こんにちは。シロちゃん」
うさぎ耳の少女――シロは、うろんな目つきに変わった。彼女は『図書館の君』のことをこころよく思っていないのだ。
「なにかご用ですか?」
「うん。学院長先生にごあいさつをと思ってね」
「はあ……」
いくつもの本をシロは抱えなおした。
図書館にでも返しにいくところだったのだろう。
じろじろ赤い両目で、彼女は青年のかっこうをながめる。
「あのー、ひょっとして?」
がちゃ。
扉があいた。金色の長い髪の女性が、なかから現れる。
「どうしたの、シロ? なにかあった――」
青い瞳を使い魔になげかけようとして、彼女は止まった。廊下に立ちつくしていた青年のほうをむく。
ひらひら。
大きな手を『彼』は振った。
「…………」
金髪碧眼の若い魔女――まだ二十歳の学院長は、しばし『彼』とむきあった。
やがて思いだしたように、彼女は使い魔をふりかえる。ほそい腕輪をつけた手を、廊下の先にやって。
「行ってちょうだい、シロ」
「はあ」
と返事をして、シロはちらっと『彼』に会釈した。
「まあ、気をつけてくださいね」
と言って、ためらいながらもシロは葵の命にしたがう。速足で用事をすませにいく。
学長――史貴 葵が、あらためて『彼』を見あげる。
「また会えるとは思っていませんでした」
「そう?」
内心はらはらしつつ、リョーコは快哉をさけんでいた。葵の使い魔が去ったことに。
(てっきりバレたかと思った)
あさっての方角をみやって、こっそりほっと息をつく。表面あけっぴろげでいて、そのじつシロは疑り深い。リョーコも人のことは言えないけれど。
いつものように寒色系でそろえたドレスに、今日はアイボリーのショールをかけた葵が、ふっとうつむいた。華奢な体がふるえる。
ぎょっと彼は褐色の眼を剥いた。
ぽろぽろ。
葵の頬にしずくがこぼれる。
「どっ……どうしたの?」
「すみません……」
指で葵は涙をぬぐった。
『彼』がハンカチを渡すと、受けとって顔にそれをあてる。
「ほんとうに、もう会えないんじゃないかと思っていたので」
ぎくうっ。
と『彼』――リョーコの胸がきしんだ。
『図書館の君』は故人である。けれど彼が他界したことも、彼の本名さえ知っているものはごくわずか。
そして葵は、その両方とも知らなかった。
――残酷なうそ。
というノワールの言葉が、リョーコの脳裏をよぎる。なにも知らなくても、葵は子どものころから彼のことが好きだったのだ。その気持ちは、いまも変わらない。
予定変更。
「まあ、きみにはそう思っててくれたほうがいいのかもな。これが最後だよ。たぶん」
平静をよそおってリョーコは言った。
興醒めである。葵がほかの子みたいに興奮状態になるのを想像していたのだけれど。
「最後?」
葵は聞き返した。
「うん」と『彼』は答えた。
「そうですか。最後なら……ひとつだけ、おねがいを聞いてくださる?」
「ぼくにできることならね」
迷ったが『彼』はそう答えた。
ぱっ、と葵が顔をあげる。一歩近づいてくる。
「じゃあ、接吻してください」
涙の浮いた微笑みで、葵はあいてをのぞきこんだ。
がちゃん。
と『彼』は固まる。窓の外を、からすが「あほー!」と鳴いて飛んでいく。夕焼けにはまだ早いが。
あほー。
あほおー……。
「ほ……」
空を渡るからすたちを、リョーコはなんとなし目で追っていた。数秒、現実から意識が飛ぶ。
「ほっぺになら」
「くちびる一択です」
「十秒目え閉じててくれるかな」
「二秒ならかまいませんが?」
「交渉をするんじゃ――」
――ない!
と言いかけて、かぶりを振った。
リョーコの記憶では、『図書館の君』はこれしきのことでは動じなかった。つーかあいつはとにかく、この手のことに関しては見境がなかった。よくも悪くも。
とりあえず。よゆうの笑顔を『彼』はつくろって……
「お、おーけい。じゃあ悪いけど、閉じてくれるかな?」
若干セリフを噛みながら『彼』は言った。
そっと葵は目をつむる。
無防備な顔面に頭突きをいれてやりたい衝動にかられたが、リョーコはおさえた。
声なく魔法を放つ。
転移の魔術である。行き先は、自分の部屋。
葵は目をあけた。
「…………」
ぱちん。
魔法の光がはじけて、消える。
廊下には誰もいなくなっていた。葵以外には。
「毎年返り討ちにあってて、なぜ懲りないのかしらね。あのくそがきは」
手の内にかくしていた一本の薬液をながめる。
そうしながら葵は、無人の通路につぶやいたのだった。
(【結】につづきます)