7-4.幻の貴公子 ~レース編~
〇このものがたりは『7-3.まぼろしの貴公子 ~大体そんな感じ編~』のつづきです。
(※文章量が4000字ほどあります)
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〇登場キャラクター紹介です。
・リョーコ・A・ブロッケン:赤いセミロングに赤い目の、二〇才の女魔術師。【学院】の研究所につとめている。
・史貴 茜:肩までのブロンドにみどりの瞳の、十七才の少女。【学院】で最強の魔術師、【賢者】の位を持つ。
・ノワール:リョーコの使い魔。
・チャコ:茜の使い魔。(名前のみでてきます。)
・メイ・ウォーリック:ながい黒髪に黒目の魔女。【学院】の高等部三年生。リョーコのともだち。
・史貴 葵:金色のロングヘアに青い目の魔女。【学院】の学院長。リョーコの元ルームメイト。
〇
それは昨日のことだった。
午後の――夕方頃。
曇っていた空が、唐突に雨に変わった。
最初は小雨だったのが、ほどなく本降りにかわる。
【図書館塔】を目指していた彼女たちは、土砂降りのなかを駆け足になって移動した。
「あーもおっ。さいあくだよ~!」
図書館のエントランスに、茜――史貴 茜は駆けこんだ。金色の髪を肩の位置で散髪した、小柄な少女である。
としは十七才だが、まとっているのは赤い――【学院】で最強の魔術師を証明する【賢者】の法衣。
ずぶぬれのシャツをホールの手前でしぼり、ぬれた金の髪をザあッとザツにかきあげて、彼女は水気を払った。
同じように。駆けてきたほかのふたりもそれぞれ服をしぼったり、顔をぷるぷる振ったりして乾かしている。
赤毛の魔女――リョーコと、その使い魔のノワールだ。
「うへえ~。靴んなかまで水はいってる……。ノワール。替えの服とってきてよ。あとタオルも」
長い黒髪に煽情的なドレスの淑女に、リョーコは言った。
「いいけどさあー」
彼女――ノワールは、肩からまえにながしたロングヘアをぞんざいにしぼりながら。
「ここんとこ雨つづきで洗濯物できてないから、あんまテキトーなのないかもよ?」
――くちゅんッ。
茜がくしゃみをした。
リョーコは準備室のほうを顎でしゃくる。
「いいわよこの際。なんだって。このままじゃ風邪ひいちゃうわ」
「へーいへい。わかりました、ご主人さま~。っと」
ノワールは長いスカートをゆらして、図書館の奥へと歩いた。
彼女のすすんだところに、ぽとぽとと雫が溜まる。
茜は溜め息をつく。
「はーあ。ついてないなあ……。なんでこんな時に、私が図書館の整備なんかやんなきゃなんないんだよお……」
「そりゃ茜ちゃんがまた生徒を半殺しにしたからでしょ。ペナルティが掃除ですむんだから、ラッキーだと思いなさい」
「迷宮のなかでの爆破だったんだからいいじゃん。あそこではいくらけがを負ったって自己責任なんだよ」
「姉貴にみつかったのが運の尽きだったんでしょおがよ。ってか私も手伝ってやるんだから。ぶちぶち言わないの」
「うへえええ~い」
「ところで。あんたの使い魔――チャコさんは?」
「あ。私。明日かたつむりとなめくじをレースさせるから、チャコには朝から捕まえに行ってもらってるの」
「子どもか……」
「リョーコちゃんも見にきていいよ。リーグ戦だから、きっと一日中たのしく見てられるよ」
「わかった。無の境地に至りたくなって尚且つ死んだ魚の目でひたすら地面をながめたい気持ちになったら行くわ」
「ストレートに行きたくない。って言えばいいじゃん」
準備室のドアが開いた。
ノワールがもどってくる。
「はーい。こっち茜ちゃんのね。で。リョーコはこっち」
自分は先に拭いて着がえてきたらしい。黒いドレスのデザインがすこし変わっている。
「げえ~。おじいちゃんの服じゃない」
頭にひっかけられたバスタオルで雨水をふきふきしながら、差しだされた着替えにリョーコは文句を言った。
「わがまま言わないの。だいたい。テキトーでいいって言ったのはあなたでしょう?」
茜は渡された服――。リョーコのお古をちゃっちゃと着こむ。
「あとこれ。ふたりとも。本ぬらさないようにね」
ノワールは輪ゴムをふたりに渡した。くくりなれていない茜のほうを、かわりにやってやる。
「ありがと。ノワール」
リョーコはちゃちゃっと総髪みたいにセミロングの赤毛をひっつめた。
「リョーコちゃん似合ってるね」
「茜ちゃんもね。ほら。ささっと終わらせて、はやく帰りましょ」
「うん」
ふたりはロビーをぬけて館内にすすんだ。
「たしか……。これの整理を全部やれってはなしよね」
閲覧用のテーブルを尻目に、天高くまでのびる書架――。蔵書の山を、リョーコはながめる。
「葵もえぐいこと言うわ……」
研究所での勤務中に、茜が「たすけてよー」と泣きついてきたのを思いだす。
よほどうっとうしかったのか。仕事のじゃまと判断したのか。堅物の所長に「行ってやれ」と顎でしゃくられて、リョーコは彼女のサポートに来たのだが。
(この分量を一日でさばけって。……まず無理よね)
「あ。ねえ。リョーコちゃん」
茜がテーブルのすみっこから眼鏡を取りあげる。
「落としものだね」
「おちてたっつーか。置いてるっつーか。忘れものかしら?」
すちゃっ。
と茜は拾っためがねをかけた。
「どうかな。似合う?」
「びみょー」
「リョーコちゃんも掛けてみてよ。きっと今よりずうっと賢そうになるよ」
「あんたナチュラルにけんか売んのやめなさいよ」
渡されためがねをリョーコは掛けてみる。鏡がないため、どんな風になっているかは確認できない。
「あんまり変わんないね」
「そらど~も。ってかこれ。度が入ってないわね」
「ダテめがね。ってやつかな。でも。矯正できないのに眼鏡かけるって、どういうことだろ」
「おしゃれよ。茜ちゃん。けど、どーせかけるならグラサンか――。片眼鏡とかのほうがいいわよねえ」
「あんたたちー。ダベってばっかいないで、手え動かしなさいよ」
ノワールに注意されて、ふたりはあわてて作業にはいった。
そのあとは、ひたすら掃除と資料の整理に没頭する。
めがねをつけっぱなしだということを、忘れたまま……。
〇
【学院】の庭園で、リョーコはメイに事情を説明し終えた。
切り株に座ってじっと聞いていたメイは、あくびを噛みころした顔で――。
「ふあ。あ~あああ……」
――噛みころしきれずにあくびをした。
「そういうことだったのですか」
「まあね」
リョーコは裸足で地面につっ立ったままうなずく。
いま着ているのはメイから借りたカーディガンで、「よごすな」と言われているため、樹に寄り掛かることもできない。
「まさかウワサになってるとは思わなかったけど」
「おまけに史貴先生までその貴公子に夢中になって。……災難ですわね。ブロッケンさま」
「ひとごとだと思って……」
気楽に鼻でせせら笑うメイに、リョーコはむすっとした。
「ねえー。メイちゃんからそれとなく言っといてよ。あれはこの私。大天才魔術師リョーコ・A・ブロッケンさまなんだって」
「いやですわ。わたくしが史貴先生と顔をあわせたくないのは知っているでしょう」
「そーおいえば……。そうだったかしらね」
リョーコはあさってのほうを見てはぐらかした。
「わあかった。自分で伝えに行くわよ。どーなるかは目にみえてるけどさ」
「グッドラックですわ。ブロッケンさま」
〇
こんこん。
リョーコは自室のドアをノックした。
「おーい。葵ー」
【学院】の宿舎である。
教授をはじめとする魔術研究者に住むことが許される集合住宅。
リョーコの部屋は、その女子棟の上のほうのフロアにある。
「入るわよー。って……。私の部屋なんだけどなあ」
あけると普通に葵がいた。
入りぐちから直通の洋間にあるベッドにごろんとねそべって、勝手にリョーコの通販カタログをながめてくつろいでいる。
「おかえり。リョーコ」
「いま私はあんたを思いきり殴りたい衝動にかられたわ」
「なにか分かったの?」
泥だらけのすがたで――。
とりあえず。つかつかとすすんでカタログをぶんどって。リョーコは怒りを鎮めた。
ちらっ。とページを見ると、覚えのないところに付箋がぺたぺたと貼ってある。
『足を小さくみせるミュール』。
「わかったことがあるなら、聞かせてほしいのだけれど」
「えーと」
雑誌をひったくり返されながら。リョーコ。冗談めかして真相を話しはじめる。
「『まぼろしの貴公子』だっけ。実はあれ。私だったのよね。茜ちゃんの手伝いで塔に行ったはいいんだけどさ。雨にふられちゃって。……で。たまたまあった服を着て。本がぬれないように髪をまとめたんだけど」
「はあ?」
(こっ。こわっ)
殺し屋みたいになったつめたいまなざしが、リョーコの赤い双眸を射貫いた。
(こわいよお……)
「でも貴公子は眼鏡をかけてたって聞くわよ。あなたそんなの持ってないじゃない」
「閲覧スペースにあったのよ。誰かが置きっぱなしにしてったやつが」
「へええ」
「それをかけて遊んでたんだけど。はずすの忘れちゃって」
「そう」
葵はながあああい息をついた。
音もなく腰をあげて洋室のすみの整理棚へとむかい、ナイフを取りだす。
「リョーコ。あなたに選択肢を与えます」
「そんな刃物もったやつが言ったところで実質一択しかない風にしか聞こえないわよ」
「安心なさい。ちゃんと二択あるから」
「とりあえず聞くわ」
「いいこと? いまから私に刺し殺されるか。わたしの文句をさんざん聞いたあとでわたしに刺し殺されるか。好きなほうを選びなさい」
「ほら一択」
すうっ。
葵は無言で歩いてきてナイフを突き出した。
あまりに自然な動きでリョーコも気づかなかったが――。
長年のつきあいである。
身体が勝手に反応して白刃を思いっきり避けていた。
「私。あんたはすこし落ちついたほうがいいと思う」
「おちついてるわよ。でも冷静に殺意を向け続けるのってけっこー疲れるから。なるべくはやく済ませたいのだけれど」
「あ。はははははは」
ぞぞおおおお……。
リョーコは――たぶん。生まれてはじめて――『死』への恐怖を理解した。
「ごめん葵。私急に用事を思い出したから。――これで」
「ないでしょあなたに休日に用事なんて」
「哀しいまでに速攻で断言しないでよ!」
「まあ。でも言ってみなさい。私も鬼じゃないわ(たぶん)」
(よお言うわ……)
「それをすませたら心おきなく逝けるっていうなら……。すこしだけ待っててあげる」
リョーコはほっとした。ものの。実際これといった用なんてない。
いや。あった。
なんとか時間を稼ぎたい一心でリョーコは答える。
「私。今日は……いまから。な……」
外は梅雨特有の天気の不安定さ。
さっきまで曇っているだけだったのが、しとしとと小雨になっている。
「な?」
葵は首をかしげた。
「な――。なに?」
リョーコはやけっぱちの――むしろ悟りを開いた者の笑顔になって――目のまえの魔女に大声で言い放った。
「なめくじとかたつむりのレースを見に行くのよ!」
(【短編7:梅雨】おわり)
読んでいただきありがとうございました。