1-1.魔女たちのひな祭り【前編】
〇登場キャラクター紹介です。
・史貴 葵:魔術学院の女学長。20才。
・シロ:葵の使い魔。外見の年齢17才くらい。
・史貴 茜:魔術学院の賢者。16才。葵の妹。
・チャコ:茜の使い魔。外見の年齢18才くらい。
「三月三日はひな祭り」
魔法の世界にある魔術の学校――【学院】。
大陸内で最高峰の魔法教育・研究活動を誇る施設である。
山腹にひらかれた、広大な敷地の一画に、ででんとそびえるゴチック調の城。幼少から大人までの学生を抱えるしゃれた校舎の最上階に、学院長の女はいた。
午後の三時。おやつの時間のできごとである。
「でもこの世界には、ひなまつりもなければおひなさまもないのよね」
学長室のデスクでため息をつく若い魔女。長い金髪に碧い瞳。蒼穹の色をしたドレスのうえから黒い法衣をつけている。
十代で学院長の座についた才女である。いまの年齢は二十才。今年の四月をむかえれば、二十一才の身空である。名前は史貴 葵。
「でもってたぶん。そんなもんに興味もってる女の子もいないですよね。ご主人」
本棚からにこっと笑いかけたのは、白いボブショートにうさぎの耳をはやした少女である。『シロ』という名の彼女は、みどりを基調としたベストにミニスカート、まだ寒さが残るためか単なるおしゃれか――黒のオーバーニーをはき、厚みのあるショートブーツを愛用している。
十七才ほどの少女に化けているが、ほんとうのすがたは『カイウサギ』という小さなウサギである。
葵が学生時代に契約し、重宝している使い魔である。
デスクに肘をついて葵は文句をつづける。
「大体ねえシロ。この世界は娯楽がすくないのよ。ゲームもパソコンもスマホもない。息がつまるを通りこして……。息がつまるわ」
「語彙力……」
がっくりうなだれる主人にシロは赤い目を半眼にした。葵が顔をあげる。
「ないのなら。つくってみましょう。ひなまつり」
「私は巻きこまないでくださいね」
「なにを言ってるの。あなたも来るのよシロ。まずは――。そうね」
がたん。
と椅子を蹴って葵は立ちあがり、シロに手で合図をした。部屋を出ていく。
ぱたん。
読みこんでいた資料――新しく入ってきた生徒の名簿だ――を閉じて、シロは主人に従った。
〇
「ご主人さま。見てください」
ほくほく顔で一人の女性がやってくる。
――学院の敷地内。
森林庭園のかたすみに建つ一軒の屋敷。魔術師最高位の実力者、【賢者】にあたえられる住まいである。
その二階。広い実験室に小さな魔女はいた。
大きな翠の瞳に、肩ほどまでのびた金の髪。フルジップジャケットとハーフパンツの服の上から賢者専用の赤い法衣をまとっている。
史貴 茜である。女学長史貴 葵の、実の妹だ。十一才ほどの見た目だが、それは諸事情あってのこと。実年齢は十六才で、頭のなか――頭脳は悠久のときを生きた存在のごとく明晰である。知識にかたよりはあるが。
「桃の花だね。採ってきたのチャコ?」
ザツな手つきで触媒を魔法陣にほうり込み、茜は女性にたずねる。
茶色い長い髪を先端のほうでふたつにゆった、メイド服の女性である。十八才ほどの人間のすがたをとっているが、その正体は『まめしば』と呼ばれるような小型の犬。
茜がみっつの時に契約した使い魔で、長いあいだ主人の身のまわりを世話してきた。
給仕にして優秀な助手である。
彼女――チャコは、主人に赤い花のついた枝を突き出して笑った。
「はい。きれいだったので。へし折って持ってきました」
「もおちょっと言いかたってないのかな」
「ないですね」
触媒と魔法陣が反応して、ぼふんっとくまのぬいぐるみが出現する。
「召喚魔法ですか?」
「ものをつくる魔法。錬金術に近いかな。つっても短い時間しか形をたもってられないけど」
ぬいぐるみは、言ってるあいだに砂になった。
本棚を背もたれにしてフローリングに座ったまま、茜は手にしたノートに記録する。
「それで。その桃の花は何の材料にしたらいいのかな」
「飾るだけです。知っていますかご主人さま。今日は女の子の――」
ぐへえっ。
という悲鳴でチャコのセリフは終わった。
蹴りあけられたドアが、入りぐちのまえで立っていた彼女を吹っ飛ばしたのだ。
「女子の日よ。茜」
かつかつ。
ハイヒールを高く鳴らして――ついでに倒れていたチャコの背中を思いっきり踏んづけて。葵が部屋に入ってくる。
がたたっ。
音を鳴らして立ちあがって、茜は闖入者から距離をとった。
ずんずん近づいてくる姉を内心「うぜーなあ」って思いながら見上げる。
「えーと。女子の日? なにそれお姉ちゃん。みんなが生理になるって現象でも起こるの?」
「起きません。人形を飾って甘酒のんであられを食べてひたすらみんなにちやほやしてもらうだけの日よ」
「だけって言う割りにはやることとか他人に要求すること多いよね。――むぎゅっ!」
くちを片手で封じられ、茜は黙した。
息もできなくなる。
「おねえちゃんの話はちゃんと聞きなさい。いいこと茜。あなたにはこの『女子の日』……。いわゆる『ひなまつり』に飾る人形を作ってほしいの。どっかの店に置いてるなんて期待を私は持とうと思ったけどやめたわ。ない気がするのよ。なんとなくだけど――って。聞いてるの? あいづちくらい打ちなさい」
「あのお」
うしろからついて来ていたシロが、たまらずに葵に進言する。
「ご主人が長口上してるあいだに茜。窒息して死にかけてるんだと思う(おも)んですが」
「なさけない。賢者の名が聞いてあきれるわね」
「いや完全にご主人が悪いんですからね。肩をすくめてるひまがあったら、はやく手え、離しましょうよ」
葵は手をはなした。ついでに妹に回復魔法をかけてやる。
清涼な光をあびて、「ごほごほっ!」と茜は息を吹き返した。
呼吸をととのえ、涙目で姉をにらむ。
「ひとりで盛りあがってるとこわるいけど……。つくらないからね。そんなくっだらないの。お祭りなんてどおでもいいよ」
「ぬいぐるみはつくるのにね」とシロがよけいなことを言う。
「実験だからいいのっ」
「そーゆー人たちばかりよね。【学院】の住人は」
ふっ。と悟ったように葵は微笑した。すこしさみしそうに……。
「おぼえてない茜?【表】にいた時。私もあなたも毎年桃の節句は雛人形を飾っていたのよ」
「うん。わすれた。だからもーいーでしょ。はやく出てってよ。勉強の邪魔!」
ごッ。
茜の広いおでこに、葵は全力で頭突きをした。
どさっ。と相手がくたばる。
さーっと青くなったシロが、あわてて茜を介抱にかかる。おきない。
「ご主人。なんでいきなりこんなこと……」
「悪気はないのよ。ただ衝撃をあたえたら思いだすかなって」
「そんなことばっかりやってるから茜に嫌われていくんじゃあ……」
「聞こえないわね。なにか言ったかしら」
「……。……」
のびているチャコのとなりに茜をねかせて、シロはそのまましれっと退散しようと小走りした。
がッ。
うしろからうさぎの耳を葵の手がつかまえる。
「つぎは――。まあ。あてにするとしたらあの子かしらね」
「ご主人の被害者ってもう大体決まってますよね。ほかに友達いないんですか?」
「さあ。聞こえないわね」
使い魔の耳をとらえたまま、葵は空間転移の魔法を展開した。
青白い光がふたりを包みこみ、【宿舎】のエントランスへといざなう。
彼女たちの去ったあとには――。
物言わぬものとなった賢者と、その従者だけが取り残された。
―【後編】につづきます―