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自殺系サイト  作者: 大城時風
4/10

赤い液-1-

あれきり、私に対してのいじめはピタリと止んだ。

しかし、決してクラスメイト達と打ち解けたわけではなく、誰も私に近寄ろうともしなかった。

…恐らく、屋上の出来事がどこからか拡散されたのだと思う。

みんな秋人くんを恐れているのだ。

秋人くんとはあれ以来会えていない。

「また会おうな」とは言っていたものの、連絡すら寄越してこなかった。


不意に私は夏美の席を見た。

あの日を境に休みがちになってしまった夏美。

秋人くんにあんな目に遭わされてしまったのだから、当然と言えば当然なのだが、私にはとても喜ばしいことだった。

「いじめをしているヤツって100%自分に返ってくるんだって」と言っていた秋人くんの言葉を思い出す。

この状況を見れば…強ち嘘ではないのかもしれない。


昼休みを告げるチャイムが鳴ったところで私は席を立ち、屋上へ向かった。

今や私にとって屋上に行くことは日課になった。


暑い夏なのに冷たい風が吹く、最高の場所。

それでもって誰も来ることがない憩いの場所。


どうしてこんないい場所に気づけなかったんだろう。

そう思いながら、私は屋上の扉を開けた。

中に流れ込んできた冷たい風が私の髪を靡かせる。

心地が良くて暫くその風を浴びていると、


「あれ、笹川?」


声を掛けられた。

声がした方に顔を向けると、隣のクラスの綾瀬幸人が昼食を取っていた。

サラサラとした茶髪が風に靡き、太陽の光が髪をキラキラと輝かせていた。


「…綾瀬くん」


私がそう声を掛けると、少し吊った目を細めた。


「"くん"はいらない。綾瀬でいいよ」


綾瀬がそう言いながら笑顔で手を差し出して来た。

…この高校に入学をして初めて誰かに笑顔を向けられた気がする。

慣れない感覚に何だかむず痒くなりながらも、私は綾瀬の手を握った。


「宜しくね」

「…うん、宜しく」


私が綾瀬の隣に腰を下ろすと、人懐っこそうな顔で綾瀬が私を見る。

少し吊った目は最近どこかで見たような気がするが、私は思い出せなかった。


「そんなに見つめられると照れる」


綾瀬が笑顔でそんなことを言いながら、おにぎりを一口齧った。

そのおにぎりは不自然に赤い。

ケチャップライスなんて可愛いものではない。


「ねえ…、何でそんなにおにぎりが赤いの?」


綾瀬の咀嚼していた口の動きがピタリと止まる。

驚いた顔で私の方を見た。


「え?」

「赤いじゃない、おにぎり」


今度はおにぎりを指さしながら言った。

綾瀬は自身が手に持っているおにぎりに視線を落とした。


「あぁ…、弟のと間違って持ってきたからな」


何故赤いのかという私の質問には答えずに、綾瀬が言った。

尚もおにぎりを見つめる私の姿を見て、綾瀬が小さく笑う。


「気になるんだ?」


私が頷くと、残り4分の1程になったおにぎりを一気に口に放り込んだ。

モグモグと数回噛んだ後にペットボトルのお茶を飲む。

再び綾瀬の視線が私を捉えた。


「多分、びっくりすると思うよ。何で赤いのか聞いたら」


そのおにぎりが仮にどんなふりかけを掛けられていようと、どんな調味料を使われていようと、大抵はおにぎりにも合う定番の調味料だろう。


「びっくりしない」


だから、私はこう答えた。

綾瀬が「本当に?」と笑顔を浮かべたまま、私に尋ねる。

私はもう一度頷いた。

それを見て、綾瀬は少し間を置いてから小さくため息を吐いた。


「キムチの汁」

「嘘!?」


まさかの回答に私は大声を出した。

したり顔で綾瀬が私を見つめる。

白米にキムチの汁だけを含ませるなんてのは聞いたことがない。


「はい、びっくりした。笹川の負け」

「…勝負なんてしてなかったわよ」


わざとらしく肩を竦めた綾瀬が「ジュースでもご馳走してもらおうと思ったのに」と頬を膨らませた。

その頬を突いてやると、白い歯を覗かせながら笑った。


…やっぱり誰かに似てる。


だが、それが誰だったのかはまだ思い出せなかった。


「弟がさ」


おにぎりを包んでいたラップをタッパーに突っ込みながら、綾瀬はボソリと呟く。


「"キムチの汁"が大好きでさ。最近は何にでも掛けてるんだ」


そう言った綾瀬の表情は何故か悲愴を含ませているように思えた。

しかし、すぐにパッと笑顔になった。

少し気にはなったが、もしかすると私の思い過ごしだったのかもしれない。


「でも、キムチって口の中に味残るよね」

「わかる!すっげー残る」


私の意見に綾瀬も同調してくれた。

綾瀬はどうにも昔から辛い物は苦手だったらしい。

一方で弟は辛い物が得意で、よく唐辛子系の料理を好んで食べていたと話してくれた。


「カレーもさ…俺、小学生とかが食べるキャラクターの甘口カレーあるじゃん。あれしか食えなくてさ…」


いや、それは流石に辛い物が苦手とかそういうレベルでもない気がする…。

お子様カレーを食べている綾瀬の姿を想像して、思わず吹き出してしまった。

腹筋が捩れそうになりながら、目尻に涙を溜める。

笑いすぎて息もまともに出来ない。

ここまで楽しく人と話をしたのは初めてかもしれない。

綾瀬に視線を向けると、彼の方も釣られて笑っていた。


「…さて、そろそろ教室に戻ろうかな」


ひとしきり笑うと、綾瀬が弁当箱を抱えて立ち上がった。


「今日は楽しかったよ」


私がお礼を言うと、綾瀬は視線を下に向けてニッコリと笑った。


「俺も久々に楽しかったかな。ここんとこ休みがちだったから」

「え、体調崩してたの?」


身体が生まれつき弱いのかもしれない、と心配の声を上げたが、綾瀬は首を振った。

それ以外に理由は思い浮かばないが、家庭の事情などもあるかもしれないと私は口を閉じた。


「じゃ!また話そうな」


彼はそう言うと、手を振りながら屋上を去った。


「私も、さっさとお昼済ませちゃおう」


コンビニのビニール袋に入ったサンドウィッチを取り出し、包みを開けてサンドウィッチを齧る。

柔らかいパンのふわふわ感とレタスのシャキシャキ触感が昔から好きで、いつもタマゴサンドではなくハムサンドを買ってしまう。

私の好物の一つだ。


サンドウィッチと一緒に購入したパックのオレンジジュースを飲みながら、ふと秋人くんのことを思い出す。

初めてここで会ってから何日経ったのだろう?

あどけなさが抜けきらない風貌だったが、いじめに対しては過剰に反応しているところがあったようにも思う。

…秋人くんなりにいじめに対して何か思うところがあるのだろうか?

それに「いじめをしているヤツって100%自分に返ってくるんだって」という言葉も適当な言葉を並べているようには思えない。


「…まあ、秋人くんがいじめを体験してるとも思えないけど」


被害者側はもちろん、加害者側も。

手もすぐに出るようだったからいじめられる柄じゃないだろうし、かと言っても正義感もあるから夏美たちのような人間が一番嫌いだと言っていたのだろう。

ただ少し…ほんの少し、彼の左手にあった古傷は気になるものがあるけれど。




午後の授業が全て終了しホームルームも終えると、私は早々に教室を出た。

何一つ楽しいことのない学校に長々といる気はしなかった。


「あ、笹川」


下駄箱で靴を履き替えていると、昼休憩に会ったばかりの綾瀬とばったり出会った。

これから部活があるのか、道着を身に着け手には竹刀を持っている。


「よく会うね」


そう言って綾瀬は笑った。


「そうだね。今から部活?頑張ってね」

「うん、ありがとう。笹川も気を付けて」


「じゃ」と手を挙げて綾瀬は剣道場がある方向へと姿を消した。

勝手に帰宅部だと思い込んでいたので、剣道部に所属していたのは何だか意外だった。

中々の端正な顔の持ち主だし、明るく元気だし、それでもって運動部で…中でも剣道部となると。


「女の子にモテモテだろうなあ…」


上履きを下駄箱に片づけながら、ポツリと呟く。

今日出会ったばかりで綾瀬のことを全て知ったわけではないけれど、毎日が楽しそうな綾瀬はちょっぴり羨ましい。

私は…例えいじめがなくなったとしても毎日楽しく過ごせそうにない。


「けど…綾瀬いい人だったな」


私の事をまだ何も知らないからということもあるかもしれないが、私に笑顔を向けてくれる人は数少ない。

この新しく出来た交友関係は大切にしていきたいと思う。

校門を出てすぐの位置にある横断歩道で信号が青になるのを待っていると、ふと見覚えのある顔が向こう側の道を歩いているのが見えた。

男子二人で楽しそうに会話をしている吊り目のあの子。

秋人くんだ。


「冷たい笑顔ばっかだと思ってたけど、あんな顔も出来るんだ…」


それは私のみたことのない顔だった。

年相応な少年の笑顔に、秋人くんも中学生なんだなと少しばかり安堵した。

不意に秋人くんがこちらを向いた。

一瞬だけ驚いたような表情をしたが、すぐに笑顔で大きく手を振って来た。


「真由美さんじゃん!久しぶり!」


笑顔でそう言った彼は、あの日いた人物とはまるで別人だった。

信号が赤から青に変わり、横断歩道を渡って秋人くんのいる方へ歩く。


「…久しぶりだね」


私がそう言うと、秋人くんは嬉しそうに笑った。


「お前!彼女いたのか!しかも、こんな美人のお姉さん!」


秋人くんと一緒にいた男の子が驚いた顔で秋人くんの背中をバシバシと叩いた。

…私が美人?


「違うから。あ、お前先帰ってて」


秋人くんがシッシッと追い払う仕草をすると、男の子は口に手をやりながらにんまりとした顔で「俺はお邪魔虫ですねー」と、秋人くんをからかった。

空かさず、秋人くんが男の子の脛を踵で蹴り上げる。

ガッという鈍い音に、私は思わず顔を顰めた。

男の子は目尻に涙を溜めながら、脛を抱えて飛び跳ねる。


「いっっってえええ!」

「残りの脚も潰してやろうか」

「心の底からごめんなさい」


二人のやりとりがまるで漫才か何かのようで、私は失笑してしまった。

秋人くんと男の子も互いに顔を見合わせて吹き出した。


「じゃ、俺は帰るわ。また学校でな!」


男の子はそう言って秋人くんの肩を叩くと、私たちに背を向けて走り去っていった。

その姿を見るに、脚は無事だったようだ。

男の子の姿が見えなくなるまで見送った後、秋人くんは眉尻を下げてため息を吐いた。


「ごめん、あんな友達で」

「楽しそうな友達だね」

「まあ…そうなんだけどさ。…てか、まさか真由美さんに会うとは思わなかった」


秋人くんが私の制服をまじまじと眺めながら言った。


「真由美さんは、高3だっけ?」

「そうだけど…」


秋人くんはそれを聞いて眉を顰めた。

…どうしたんだろう?


「あのさ」


私が口を開く前に秋人くんが声を発した。

しかし、すぐに口を噤ませた。

本当にどうしたのだろう?

首を傾げて秋人くんの次の言葉を待っていると、パッと秋人くんが笑顔を作った。


「少し見ない間に、真由美さん変わったね。何つーか、楽しそう。前に会ったときは本当にボロボロだったけど」

「今でも自殺したいって気持ちは変わらないよ」


だって、私はまだこの世の中の楽しさがわからないもの。

いじめが鳴りを潜めたところで、他の問題なんて腐る程沢山ある。

秋人くんが少し膝を曲げて、私の目線と自身の目線を合わせた。


「…傷、治ってきてるね」


秋人くんが頬を緩める。


「俺は真由美さんは結局自殺なんてしないと思うよ。それに、…死ぬことはいけません、なんて綺麗事言うつもりはないけど、真由美さんはまだ何もやり切ってないのに死ぬなんてのは勿体ない」


本当に15歳なのか?と言いたくなるような台詞だ。

大人からでも中々聞くことが出来ない台詞に、私は少し驚いた。

あんなサイトを作成するくらいだから、彼なりに色々考えているのかもしれないが。


「…前よりはその自殺したいって気持ちは確かに薄まったわ。リーダー格の女子が登校拒否気味になってくれたおかげで」


私の言葉に、秋人くんは心底嬉しそうに笑った。

まるで自分のことのように喜んでいる。


「良かったじゃん!やっぱ、行いは自分に返ってくるんだよ」

「どうかな、ただの偶然かもよ?というか、秋人くんがあんなことするからじゃない」

「いじめなんて馬鹿がやることだ。それを止めたかったのと…あのお姉さんたちの友情を確かめたかった」


どこか悲愴な面持ちで秋人くんが言った。

そして、「俺は一度、裏切られたことがあるから」と言葉を繋げた。

寂然として唇を固く閉じて、眉間に寄せた皺をピクリとも動かさない。

その秋人くんの表情だけで、彼にとってそれがどれだけの出来事か容易に想像出来た。


「秋人くんは」


私が声を上げてやっと秋人くんの眉間の皺が無くなった。


「秋人くんは、さっきの男の子のことちゃんと友達だと思ってるの?」


数秒間、沈黙したが、秋人くんは心を締め付けられるような息苦しさを感じる笑顔を零した。

今にも消えそうなその姿に私は自分の発言を悔いたが、秋人くんはポツリと「少なくとも俺はね」と意味深長な口調で言った。


「…どういう意味?」

「自分では仲の良い友達、親友だと思ってても相手は俺のことなんてどう思ってるかもわからないだろ。…俺はあいつのこと信じてるけどね」


そう言った秋人くんの顔は、寂しさを感じさせるものの中に確かな自信を含ませていた。

本当にあの男の子のことを信頼して疑わないのだろう。

そう思った。


「お調子者で、正直めんどくさいときもあるけど、俺はあいつのことを信用してるし好きだよ」

「そっか…」


私がそう呟くと、彼は私を小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「意外だった?俺がこんなこと思ってるって」


小馬鹿にしたように鼻で笑ったわりには、私の回答を怯えながら待っているように見える秋人くんの顔を見上げた。

視線がぶつかり合うと、秋人くんの瞳が微かに揺れた。


「そうなんじゃないかなとは思ってたよ」


思っていた回答とは違う答えが返って来たのか、秋人くんは肩の力を抜いたようだった。


「そう…か。すごいね。俺の心読んでるみたい」


秋人くんはそう言いながらはにかんだ。

私が秋人くんの心を読めるはずがない。

彼ほどわからない人間はいない。

明るい表情をしたかと思えば、突然背筋が凍るような冷たい目をする。

決して喜怒哀楽が激しいわけではない彼の表情の変化は、きっと誰でも解読は不能だろう。


「ここじゃあれだしさ、どっか移動しようよ。折角会えたんだからさ」

「え?あ、うん」


私の少し前を歩き出す秋人くんの髪が風に靡いた。

長い睫毛、少し吊り上がった目、薄い唇。

私の頭の中で、その顔のパーツが綾瀬の笑顔と重なった。

秋人くんは少しクセ毛で、髪型こそは違うものの、確かに二人の姿は重なる部分がある。


こんな偶然があるの?


いやしかし、まだ二人が兄弟と決まったわけではない。

綾瀬は「弟がいる」と言っていたが、秋人くんの口から「兄がいる」とは聞いていない。

町の外れにある河川敷まで移動してくると、秋人くんはその場に座り込んだ。

隣をポンポンと叩いて「隣に座って」と促される。

私は秋人くんの隣に腰を下ろした。


「あの…秋人くん」

「んー?」

「聞きたいことがあるんだけど」


秋人くんは何も言わずに私の目を見つめた。


「…いいかな?」


秋人くんは押し黙ったままだ。

やがて、ため息を吐くと「どうぞ」言いながら、視線を川の方へ反らした。


「もしかして…お兄さんいたりする?私と同じ学校に」


秋人くんは俯いた。


「あなたのお兄さん…綾瀬幸人よね?」

「いつかは聞かれるかなとは思ってた。これは俺の軽率な行動が招いた結果だけどさ…」

「どういう…」

「あいつは何か言ってた?」


私の質問には答えずに、秋人くんが尋ねてきた。


「特に何も…。弟とお弁当間違ったんだって笑ってたかな」


瞬間、秋人くんの瞳の瞳孔が開かれた。

同時に眉間に深い皺が寄せられる。


「そのこと、他に何か言ってた?」


突然、両腕を掴まれて揺さぶられる。

かなり切羽詰まっているようだった。

何かまずいことでもあったのだろうか。


「おにぎりにキムチの汁を染み込ませるのがマイブームなんだって言ってたけど…」

「キムチの汁…」


私の両腕を掴んだ手の力が緩められた。

秋人くんはホッとしたような、それでいて信じられないとでも言いたげな何とも言えない表情を浮かべた。

キムチの汁がマイブームだと言うことはやはり家族間での秘密にしておきたかったのだろうか?

突然、秋人くんが高笑いをした。

そのまま大の字になりながら寝転がる。


「…そう、一応幸人は俺の兄貴だよ。まあ…あんま良い響きじゃないけど、異父兄弟ってやつ。…両方とももういないけど。うち母子家庭なんだ」

「そ…っか。ごめんね、辛い話させちゃって」

「初対面のとき、兄貴の通ってる学校だっていうのはわかってたんだ。…けど、生徒数もそれなりにいるし、学年が同じだったとしても二人が会う確率なんて低いだろうって思ってたんだけど」


世間はやっぱり狭いねと秋人くんが笑った。

その姿はやはり、どこからどう見ても二人が兄弟だとわかる程に似ていた。


「ま、俺は、父親がいないのも母子家庭なのも辛いとは思ってないから、真由美さんもそんな気にしないでよ」


身体を起こし、制服に着いた砂埃を払いながら秋人くんが言った。

そう話すわりには何だか泣きそうな顔をしているような気がして、私は秋人くんの頬を掴んで無理矢理こちらへ向かせた。

しかし、目を丸くキョトンとしているだけで目には涙すら溜まっていない。

私の家庭も両親が離婚していて、他人事だとは思えなかった。


私は今まで辛くなかった日なんて一日もなかったのに、秋人くんは本当に辛いとは思っていないの?

それとも、片親しかいなくても幸せな日々を送っているの?

すぐ暴力を振るう私の父親とは違って、秋人くんは優しいお母さんに愛情を注いでもらっているの?


「…真由美さん、なんて顔してるんだよ」


秋人くんが眉尻を下げて困ったように笑いながら、私の前髪を掻き上げた。


「今まで見た真由美さんの表情の中で一番辛そうな顔してるよ」


そう言われて、初めて自分が泣きそうになっていることに気が付いた。

秋人くんは私の前髪を上げたまま、頬に出来たかすり傷を撫でた。


「…身体の傷は癒えても、心の傷は癒えないよね」


秋人くんの言葉に私はついに涙を零してしまった。

その通りなのだ。

外傷はある一定の時間が経てば放っておいても治るが、心の傷は違う。

外傷と違って放っておけば勝手に治るわけでもない。

いつ完治するかもわからない。

仮にいじめや虐待が無くなっても、治るなんて保証は何処にもない。


「本当に…いじめは酷だよね。しかも、くだらない理由で始まるんだからさ。一人じゃ何も出来ないくせに、自分より強いやつに手を出せないくせに、集団で寄って集って一人を攻めるんだ」


しゃっくりを上げながら、塞き止めていたダムが決壊したかのように涙を流す私の背中を秋人くんはずっと擦ってくれていた。

ひんやりしているはずの彼の手は、とても暖かく感じた。


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