異世界を舞台にした物語における度量衡について
特定の作品や作者様に対する批判ではなく、こういう考え方はどうでしょうか、という提案でございます。
以前に、なろうに投稿されている作家さんの作品の感想欄を見た際に、気になるコメントが寄せられていました。
”異世界の住人が会話文の中でメートルという単位を使っているのはおかしい。せっかくの異世界という雰囲気が壊れてがっかりした”
ずいぶん昔のことなので、文章はだいぶ違っていても意味としてはこのような感じだったと思います。
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例1
異世界の登場人物:「モンスタースタンピードの群れの中に巨人の姿を確認した! 5メートルクラスの大物だ!!」
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例えば上のようなセリフがあったということですね。
ご存知のとおり、メートルとは元々地球という惑星のサイズを基に設定されたかなり特殊な単位ですから、これが異世界に存在するというのは違和感があると訴える先の感想には、「なるほどなぁ」となりました。
せめて身体尺でフィートなどの単位を使った表現がされていれば、この読者さんの違和感も和らいだのでしょうか。
ところで、ここなろうサイトの異世界物を拝見していると、この度量衡の問題について意識をしておられる作者様も多くいらっしゃいます。
問題の解決としては、世界観に合わせたオリジナルの単位を用いている場合もありますが、多くはメートルをもじったようなものを、その異世界独自の単位名称とすることを選択されているようです。
これらの異世界単位についてお話をしようと思いますが、具体的な例を挙げて特定の作品・作者様への批判と取られてしまうのは本意ではありません。
そこで、ここでは仮に異世界の長さを表す単位を’メーテル’として話を進めます。
(人によっては、まつ毛が長い美人さんをイメージしてしまうかもしれませんが、このイメージがあるから単位として使われていないだろうと期待して)
最初の例1にこれを適用すると
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例2
異世界の登場人物:「モンスタースタンピードの群れの中に巨人の姿を確認した! 5メーテルクラスの大物だ!!」
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となるのですが、これだと少々不親切と言いますか、説明不足で不誠実だと考える作者様も少なくないようです。どこが不親切か、その前に次の3をご覧ください。
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例3
異世界の登場人物:「モンスタースタンピードの群れの中に巨人の姿を確認した! 5メーテル(5メートル)クラスの大物だ!!」
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と注釈をつける(またはルビ機能を使う)ことで、そのサイズを正確に伝えようと努力をなさってます。
さらに、異世界の単位メーテルと地球のメートルが完全一致する根拠などない、という本格志向(?)の作者様になると
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例3’
異世界の登場人物:「モンスタースタンピードの群れの中に巨人の姿を確認した! 5メーテル(約5メートル)クラスの大物だ!!」
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という表現もありました。
微妙な差ではありますが、世界観や読み手への気遣いや誠実であろうという意志を感じられ、いささかの尊敬を覚えます。
もうおわかりとは思いますが、例2では1メーテルがどの程度の長さか(そもそも長さの単位なのかすら)明示されておらず、作者様の意図としては1メーテル=3メートルかもしれませんし、10メートルの可能性もあって、書き手と読み手の認識の齟齬が出かねない点が問題となるわけです。
ところが、例2のような表現はほとんどの場合1メーテル=1メートルと読み替えるのです。
そこには’メートルをもじったような単位であるのだから、或いはまったくオリジナルな単位の名称を使っていても前後の文から、1メーテル=1メートルと読み手に忖度してもらえる’という作者の思惑が前提として存在するのではないでしょうか。
そう考えると、例2の表現はずいぶんと自己中心的で思いやりのないもののように感じてしまいますね。
なお、わかりやすさを優先して1メーテル=1メートルとしていますが、1メーテル=0.77メートルなどとこだわりの設定をしてしまうと、注釈がなければ読み替えをするだけで脳の容量をとられます。
では、例3のやり方が正解かというと、私は「これがなかなかそうとも言えない」と答えざるを得ないのです。次の例をご覧ください。
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例4
「明日お前が行く取引についての確認だ。指定の時刻は’神亀の後の刻’(午後3時半)。届ける物はこれだ」
そういってボスが示した箱は、一辺が50セントル(50センチ)くらいだろうか。手で持って運ぶには少々かさばる大きさだ。さらに7セントルと50ミルトル(7.5センチ)ほどのいわくありげなカギを手渡された。
「20キグム(20キログラム)あるが落とすなよ? 大通りを北に250メーテル(250メートル)行った所にある鍛冶屋の手前の路地を20メーテル(20メートル)進むと突き当たりになる。右手の壁の地面から30セントル(30センチ)の場所に小さな穴があるからそこにこの鍵を差し込めば偽装された扉が開く」
・・・・・・
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例題ですから少々極端にしていますが、せっかくの秘密めいたやり取りが注釈だらけではかえって雰囲気が損なわれるように感じませんか?
また度々入る注釈がノイズになって単純に読みにくいとも思います。文章に魅力がない? 目的はそこではないので、ご勘弁を・・・
少し逸れますが、ある異世界を舞台にした作品で食事風景に”アジ(のような魚)のひらき、あさり(に似た貝)の佃煮風、わかめ(っぽい海藻)と豆腐の味噌汁・・・・・・”といった献立の描写がありました。
異世界の魚が、たとえ見た目は似ていても、地球のアジと同じではなかろうというこだわりはわかりますが、割と頻繁に挟まれる食事シーンの度にこうなので少々辟易した覚えがあります。
※引用ではありません。探さないでください。また、作品について思い当たった方、冒頭にあるとおり作品への批判の意図はないので指摘もご自重くださいませ。
閑話休題。
結局例2と例3とどちらが良いのか、そろそろはっきりしろ! と言われそうなので、結論に移ります。
どちらも無駄なことですから、やめましょう!
はい、物を投げないでください。
お気持ちはわかりますが、理由を聞いてからで!
そもそも”異世界の住人がメートルという単位を使うのがおかしい”という指摘、それそのものがナンセンスなのです。
なぜなら、その異世界人は日本語で会話してるのですよ?
つまりその会話文は既に日本語に翻訳済みで読者の目に触れているという状態なわけでして、その中の一部分を取り出して「地球の言葉だ」と文句を付けたのです。日本語ですから地球の言葉で当たり前ですよ。ひどい話ですね~。
だから例1だって
「(異世界言語)〇※§η×Ξ〇Ж・・・・・・!~メーテル・・・・・・!!」
を翻訳した結果が冒頭の
「モンスタースタンピードの群れの中に巨人の姿を確認した! 5メートルクラスの大物だ!!」
であり、長さの単位だって原文では例えばメーテルでも、日本人向けに翻訳されてメートルになっているのです。
ここで考えるべきは、長さの単位だけ異世界風に残して翻訳する意味がどれほどあるか? でしょう。
それを残すために煩わしい注釈をつけたり、あるいは読み手に忖度を求めたり、認識の齟齬を生み出したりするほどの価値があるのでしょうか。メートルがメーテルと書いてあるだけで異世界度が爆上げするのでしょうか。
日本人が日本人向けに書いている文章なら、伝わりやすく読みやすいメートル表現でいいじゃない!!
一考に値するのではないかと提案して、締めたいと思います。
なお、偉大なるトールキン氏、あるいはなろうサイトの中でも一部の意欲的な作者様のように、世界を創るという作業に異世界の言語を創作することさえ含めている方々については、これはもう別枠ということでご理解ください。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。