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傾いた理由

作者: 小川たま

松平廣一は目を疑った。

「よろしくお願いします。杉浦みちるです」

 にこりと笑って頭を下げるその人物は、どう見ても中学生だった。小柄でふっくらとした顔立ちは十分に美少女と呼べるものだったし、今時珍しく、清楚で可憐という表現さえ似合った。しかし。

「えっと、確か今日、派遣の子と会うっていう話になっていたんだけど……」

「はい。私です」

 みちるはもう一度にこりと笑った。

 しつこいようだが、美少女という点ではみちるは申し分なかった。寧ろ予想外であったと言っても良い。しかし。

「クラッシャーが来ると聞いていたんだが」

テーブルの上に身を乗り出すようにして、声を顰めて問いかけると、少女は笑顔のまま首を傾げた。


 松平がこんな喫茶店などという不似合いな場所に来たのは、特殊業務を任せる派遣社員との極秘面接のためだった。その特殊業務とは、最近話題になっている倒産屋「クラッシャー」である。

 この10年、国に蔓延る不況の色は濃くなる一方だ。しかしそんな中でも景気の良い会社や、安定した業績を上げる会社は当然ある。好調とは言えなくとも、不況の荒波を何度も乗り越えてきたしぶとさを発揮して、頑張り続ける企業も多い。

ところがそんな企業の中で、しばしば不自然な会社倒産が起きている。潰れるはずのなかった会社が、ある日突然傾き始め、早ければ数ヶ月、遅くとも二年と持たずに潰れてしまうのだ。内情を調べれば、不自然なところなど何もない。運が悪かったから、としか言いようのない事案の連続で、会社が傾き潰れて行く。

それが一度や二度ならば、この不景気だから運のない会社が潰れたのだ、で話は済んだだろう。しかし同様の倒産が数十件続いたところで、これは何かが起きているに違いないと噂され始めた。産業スパイか、はたまた他国からの介入か。陰謀論を唱える者もあれば、宇宙の理だと説く者もあった。そこに浮上してきたのが、倒産屋「クラッシャー」の存在である。曰く、彼らはどんなに好景気の会社であっても倒産させることができる、プロの倒産屋だ。しかしその実態は謎に包まれており、一体どうやってターゲットとなる会社を倒産させているのか、その手段は欠片すら解明できない。


 クラッシャーという存在の噂を聞き、松平が初めに考えたのは、そんな謎の人物にどうやって接触を持つのかということだった。誰にも実態のつかめていない人間に仕事を依頼する方法がどこにあるというのだろうか。馬鹿馬鹿しい話だ。こんなものは下らない都市伝説の一つに過ぎない。

 そう考えたのは松平だけではない。クラッシャーの存在を最も強固に否定しているのは、皮肉にも倒産させられたと言われている会社の関係者たちだった。彼らは口を揃えて不正な介入の可能性を否定した。

「我が社には完璧な防犯設備がある。第三者が侵入することは不可能だ」

「新入社員は厳正な審査の上で採用している。怪しい人物など採りはしない」

「会社に忠実なる社員を疑うなど言語道断。第一、倒産したのは情報がリークしたためではない。たまたま不運な偶然が重なってしまったからだ」

 事実、彼らの言葉を裏付けるかのように、自称経済学や経営学の専門家によって構成される「対クラッシャー委員会」は、毎回毎回“異常なし”という結論を出していた。全ての状況は、クラッシャーの存在を否定する側に回っていたのだった。だから、クラッシャーなどいないという松平の考えは、誤ったものではないはずだった。それなのに何故自分はこんなところに来てしまったのか。

……そうだよ。やっぱりいないんだよ。あんな話、嘘だったんだ。

 向かいに座る少女を直視する気もおきなかった。酒の席での与太話を、うっかり信じた自分が馬鹿だったのだ。今更ながら己の愚かさに呆れてしまう。少し考えればわかるではないか。偶然出会っただけの初対面の人物からクラッシャーを紹介されるなんて、そんな都合のいい話があるものか。

 松平は三度目のため息を吐いた。



 事の起こりは一週間ほど前に溯る。

 松平が勤めている東都アミューズメントも不況の煽りをうけて倒産の危機に瀕していた。東都アミューズメントは、社長以下従業員100人ほどの中小企業だったが、ほんの二年前松平がここに就職を決めたころまでは年商30億を叩き出すほどの業績を上げていた会社だった。しかし寄る不況の波には勝てず、見る見るうちに会社は傾いていった。

 社長のワンマンだとか、社員の不正だとか、そんなしっかりとした理由なんてなかった。本当に運が悪かったとしか言いようがない出来事の積み重ねが、会社を追い込んでいったのである。

 そんな中で、松平の唯一の楽しみといえば、会社帰りに一杯引っかけることだった。直にこうして飲むことすらできなくなるだろう。長年の経験からそう悟っていたせいか、最近とみに酒量が増えていた。

 行き付けの飲み屋で一杯やり、そのまま何件かはしごした後に、松平は寂れた小さなスナックに入った。それが何件目の店だったのか、記憶は定かではない。店の中は外側よりも更にうらぶれており、どこも不況かと柄にもなく同情をしたのは、あるいは酔っていたせいかもしれない。

 松平はカウンターの草臥れた椅子に尻を収め、一番安い酒を注文した。無愛想な男が無言で棚からグラスを引っ張り出し、エタノールのような香りの液体を注ぐ。一口舐めてみてもそれが一体何なのか、松平にはわからなかった。しかし安い酒はまわり易いものだ。二度三度口をつけたころには頭が回らなくなっていたため、その男がいつからそこにいたのかは全く記憶に残っていなかった。気づいたときには隣の席に座った男が、自分のものと同じ香りのする液体を、喉を鳴らして飲んでいた。慣れているのか、それとも余程酒に強いのか、男はまるで平気な調子でカウンターにグラスを差し出す。無愛想なウェイターが、にこりともせずに酒を注いだ。

 三度、否四度繰り返しただろうか。ともすれば閉じてしまいそうな目を起こしてその飲みっぷりを見ていた松平に、おもむろに男が話し掛けた。さすがに自身も酔っているらしく、その口調はゆっくりしたものだったが、しかし言葉ははっきりしていた。人懐こい笑みを浮かべると、男は尾藤と名乗り、名刺を差し出した。身についた習慣は侮れないもので、酩酊した頭が反応するより先に、反射的に自分の名刺を返した。

「ほう、東都アミューズメントですか。…最近はどこも大変のようですね」

 尾藤は嫌味でない程度に同情的な声で言った。久しく愚痴を言う相手のいなかった松平は、本能的にこの男が話を聞いてくれる可能性を嗅ぎ取り、呂律の回らない口調でこぼし始めた。初めはまだ理性が残っていた。相手が見知らぬ人間であるという意識が、己の中できちんとセーブの役割を果たしていた。しかし、思いの外尾藤は聞き上手だった。話の腰を折らないように、適度に同情的な合いの手を入れてくる。後から考えれば、それが尾藤の手だったのだ。何時の間にか松平の話は会社の内情に移り、それこそ噂のクラッシャーがいるんじゃないかと疑っているのだと告げた。実際には口に出すまでは、そんなことは全く考えていなかったのだが、考えてみれば、今の会社の状況は正にクラッシャーに破壊された状況にぴったりだ。無意識に松平はグラスに手を伸ばした。

「いるわけ……ない……クラッシャー……なんて……」

 自分に言い聞かせるように呟くと、初めて尾藤が松平の言葉を否定した。

「いますよ。実際に」

 平然と酒を呷る尾藤の言葉の意味が、松平にはしばらく飲み込めなかった。

――いる、いるといったのか、この男は。しかしそんなはずは――

 何故か、とても恐ろしいことを聞いたような気がしてきた。今ここで顔を上げてしまったら、自分は帰って来れなくなるかもしれない。酔いの回った頭に、支離滅裂な思考が駆け巡る。しかし酔っぱらいの意志と筋肉は連動していなかった。ぼんやりと頭が上がり、尾藤と対面する。松平はその時始めて尾藤の顔を正面から見た。尾藤はにこりと笑った。

「もっとも、そちらの会社に派遣してはいませんが」

「と……言うと……?」

「先ほどお渡しした名刺に書いてありますでしょう?私、企画代表取締役の尾藤家春です。世間を賑わしているクラッシャーというのは我が社の派遣社員のことですよ」

「とう……さん……クラッシャー……本……当に?」

 回らぬ頭で反芻しながら聞き返すと、尾藤は父親のように鷹揚に微笑んで肯いた。

「どうです?なんなら試してみますか?あなたの会社にとって一番邪魔なのは、そう、N.A.Cさんでしたね。そちらにクラッシャーを送るというのはどうです?料金でしたら御安心ください。出来高払いにしておりますし、なんならローンを組むことも可能です。え?いえいえまさか、松平さんが払うわけではありませんよ。ちゃんと、会社の代表の方からお支払いいただきますのでご心配なく。なあに、危険なことは一つもありません。ご存知でしょう?我が社の社員はみな優秀でして、誰一人証拠を残すような真似はしないのです。もっとも、証拠を残すことは不可能なのですがね。いやいやこれはこちらの話。どうです?試しに一人、雇ってみませんか?」

 尾藤の声は子守り歌のような抗いがたさを持っていた。だんだんと白くなる眠りの中で、松平は微かに肯いていたような気がした。

 そうして気付いた時には、どうやってたどり着いたのか、松平は自分のアパートの部屋の中だった。さすがに布団こそ着ていなかったが、きちんと玄関の施錠もしてあるし、背広もハンガーに掛けてあった。これも身に染み込んだ習慣だろうかと思うと、少し救われるような気がした。今日もまた仕事だ。沈みかけている船とはいえ、あるうちは勝手に下船もできぬ。ぎりぎりまでしがみついて、貰えるものは貰わねば。もしかしたら、どこかで持ち直すかもしれないのだし。そんなことをぼんやりと考えながらがら脱ぎっぱなしのパンツに足を通す。少し皺になっているが、気にするほどでもない。背広がきちんとしていればそれでいいのだ。

 そうして、松平は背広をハンガーからはずした。すると、何かが視界の端に映った。

「なんだ?」

 斜めにした弾みで背広のポケットから零れたのだろうか、名刺が一枚床の上に落ちている。拾って見ると、「十三企画 代表取締役 尾藤家春」と書いてある。どこかで聞き覚えのある名前だった。なんとなく裏返してみると、松平でも名前だけは知っている有名な女性向の喫茶店の名前と、日時が記されていた。その下に小さく書かれた伝言を見て、松平は昨夜の出来事を一気に思い出した。ということは。

「クラッシャーが本当に来るって事か?」

 名刺の裏には、「派遣社員を送ります。」と、女性のような文字で書かれていた。



 見渡せる限りでは、視界には楽しそうに笑う女性ばかりが映っていた。目の前ににこにこと座っている少女も、他の客とたちと同じ種類の、普通の女性に見える。それともこんな顔をして、実はとんでもない暴力少女だったりするのだろうか。あるいは。

 松平は己の発想があまりにばかばかしい飛躍を遂げようとするのを打ち切った。

――全く馬鹿らしい。こんな小娘相手に、俺は何を考えているんだ。

 今日何度目なのか、最早回数すら覚えていない溜め息を吐いた。

「松平さん、やっぱり私のこと疑ってらっしゃいますよね」

 みちるがストローから口を放し、可愛らしく小首をかしげた。

「取りあえず、騙されたと思って契約してみてください。大丈夫。弊社は60年の歴史があって、社員も超一流。今申し込むと、この特製カメラも付いてきます」

 どこかで聞いたような題目を並べながら、ごそごそと鞄を探る。凄いでしょうとでも言いたげな様子で、手のひらサイズの使い捨てカメラを取り出した。とてもではないが、大丈夫といわれて信用できそうな話ではなかった。

「うちの派遣は松・竹・梅の三コースがあるんですけど、梅だと二、三年、竹で一年、松コースだと何と三ヶ月。どんなに長くても仕事に半年以上かかることはありません。こう見えても私、松コースなんですよ。任してください。あ、でもそれで松平さんの負担する料金が高くなるっていうことはないですから安心してください。当社の支払いは、出来高払いの相手持ち。ですから依頼人の方に迷惑をかけることはまったくないんです」

「…はあ」

 松平は早く開放されたいと思い始めていた。杉浦みちると名乗った少女は、外見だけなら目の保養に適しているのだが、どうも口を開くと違う。言葉が通じない宇宙人と対面しているような気分になる。

「いかがですか?」

 いかがですかと言われても。松平は馬鹿にされているような気分になってきた。まあいいか。ここでうんと言えば、この娘から開放されるのだし。騙されたところで金を取られるという話でもなさそうだ。松平は諦めたように肯いた。

「お願いします」

「それじゃあ明日から仕事に入りますので。終わりましたらまたご連絡しますね」

「え、ちょっと…」

 伝票を持ってそのまま席を立とうとしたみちるを慌てて引き止める。

「契約書か何かは無いの?」

「あ、うち、作らないんです。仕事柄機密性を重視するんで、後に残っちゃうものはできるだけ作らないようにすることになってるんです」

「ああなるほど…。あ、伝票、置いといてください。僕が払っときますから」

 そうですか、じゃあ、と呟き、みちるは伝票をテーブルに戻した。爪に几帳面に塗られたマニキュアが意外に女っぽい。もしかしたら思っているよりも年上なのかもしれない。松平が認識を改めかけていると、みちるはポケット探り、動物のしっぽのような毛玉を出した。二度、三度それを撫でると、満足したようにポケットに戻す。前言撤回。やはり子供だ。

「ごちそうさまでした。それじゃあ失礼します」

 ぺこりとお辞儀をして去る少女の後ろ姿が見えなくなると、なんとなく全身の力が抜けていくような気がした。思いの外緊張していたのだろうか。考えてみると、ここのところずっと体に力が入りつづけていたような気がする。会社の業績は悪くなる一方で、社内の空気はどうしようもなく重かった。誰もが自分の背負える以上のものを背負おうと気負ってしまい疲れきっていた。

 そういえば、こんなに楽な気分になったのは久しぶりだな。一種のリラクゼーション効果があったのだと思えば、この会合もそんなに悪くなかったかもしれない。松平は何だかおかしくなった。



 松村廣一は目を疑った。

『日本アミューズコーポレーション倒産』

 新聞の一面に白抜きの大きな題字が踊っている。N.A.Cといえば、半年前にクラッシャーに倒産を依頼した会社である。経営が苦しくなってきているという噂は何度か耳にしていたが、不況の波がようやく届いたというだけのことだと思っていた。どこももっとひどい状況なのだ。今まで一社だけ免れていたということのほうがよほどおかしい。そんな松平の考えは決しておかしなものではなかったはずだ。

 しかし、倒産してしまったとなると話が変わってくる。上がり調子とまでは行かなくても、ここまで業績の下落がほとんど見られなかった会社がこうも唐突に倒産するものなのだろうか。松平にはみちると結び付けずに考えることができなかった。

「えっと、テレビ、テレビ…」

 リモコンを発掘し、テレビのスイッチを入れる。ワイドショーを流している局にチャンネルを合わせると、いつものリポーターが馬鹿のような神妙な顔をして画面に映った。後ろに映っているのはN.A.Cの本社だ。

『…からの突然の倒産に、社員の方も戸惑いを隠せないようです。以上、日本アミューズコーポレーション本社前から中継でお伝えしました』

『はい、ありがとうございます。それではここで、もう一度フリップのほうを見ていただきましょう。えー、半年前までは、このようにまったく何の問題もなく、むしろこの不況の中ですから、業績は好調だったとすら言える状況でしたが、えー、ここですね、ちょうどこの辺りから会社の様子が一転します。まずこの日、えー、カリスマ的存在であった長野社長が交通事故に遭い入院します。その入院中に突然様態が悪くなり癌が発病していたことが判明するわけです。その情報が業界に…』

 運が悪かった。そうとしか言いようのない展開だった。カリスマ的なワンマン社長の引っ張る会社というものは、社長と運命を共にする。社長の倒れた会社は信用を無くす。それは当然の成り行きだった。

『そして先月末の地震で、N.A.Cが手掛けた遊園地に安全上の重大な欠陥があることが判明したわけですね。もちろん設計、建設は下請けに受注しているわけですから直接の責任があるというわけではないのですが、ここまでのこの急激な下降スピードに、結果として追い打ちをかけることになったと言うわけです。いかがですか?佐藤さん』

 キャスターが隣に座る背広の男に話題を振った。画面には「対クラッシャー委員会 佐藤寛治」とテロップが出ている。ここ数年よくテレビに出ている、対クラッシャー委員会の広告マンのような男だった。確かもう一つの肩書きは聞き覚えのない大学の教授だか助教授だかだったはずだ。

『まあ僕らの中ではN.A.Cが危なそうだという話は入ってきていたんですがね、さすがにこんなに早いとは思いませんでしたよ。驚きましたね』

『そうですか。この展開はやはりクラッシャーが関わっているのではないか、と言う声も上がってきていますが』

 キャスターの台詞に鷹揚に肯くと、佐藤はいかにもつまらないことであるかのように口を開いた。

『そうですね。パターンとしては確かに一連のクラッシャーものと同じであると言うことができるでしょう。どういうことかと申しますとね、まあこのフリップを見てください』

 緊急特番などと銘打っている割にきれいに作られたボードを見せながら、佐藤は滔々と語りめた。何度も聞いた覚えのある説明だろうに、キャスターはまるで初めて聞くことのように真剣な表情で聞いてみせる。男の演説がひとしきり済んだところで、キャスターが伝家の宝刀を抜いた。

『つまり、どういうことですか?』

 松平は思わず吹き出した。ようするにそれらしく体裁を整えるために話をさせてはいるが、佐藤の長い演説など聞いてはいないのだ。しかしそれに気づかずにもったいぶった口調で『今の時点では何とも言えませんが、何らかの外部的の要因が加わっている可能性が高いことは確かなのではないかと思われます』と答える男は、何時になったら自分がお茶の間の道化師であることに気付くのだろうか。そう考えると少し気の毒な気がした。

『今回の倒産劇にクラッシャーが関わっているとしても、やはりまた証拠が見つからない、ということになるのではありませんか?』

 自分の無能さを馬鹿にされたと感じたのだろう。佐藤はやや機嫌を損ねたような顔をして口を開いた。

『そんなことはありません。実際に、何かが関わっているのならば、必ず証拠が残っているはずです』

『じゃあ今まで証拠が発見されなかったのはクラッシャーが関わっていなかったからなの?でもさっき他の事件との類似性を指摘なさいましたよねえ』

 太ったコメンテーターの女が口を挟む。佐藤の機嫌はさらに悪くなった。

『私はパターンが似ていると言っただけです。つまり…』

 ぷつんと音を立てて、映像が消えた。ヒステリックな言い争いを傍聴する趣味はない。

――みちるといったあの少女は無関係なのだろうか。

 松平は床に転がった。もし無関係ならばいい。しかし実際に少女がクラッシャーとしての活動を行ったのだとしたら、何かしらの不都合な証拠が残っているのではなかろうか。

 いくら機密性を重視するのが会社の方針だといっても、あんな子供が誰にもばれないように会社一つ倒産させることができるとはとても思えない。

――馬鹿らしい。関係あるわけないじゃないか。第一あそこが傾いたのは社長の病気が原因だ。それとも癌を発病させる薬を打ったとでも言うのか。

 そんな話がある訳がないと、自分に言い聞かせるように呟き、寝返りを打った。

――リリン リリン

 はっと飛び起きる。電話だ。いやまさか、みちるからなわけはない。きっと友人か、あるいはニュースを見た仲間からだ。松平はゆっくりと起き上がって受話器を取った。

「はい、松平です」

『どうもその節は。尾藤です。ニュース、ご覧になりました?』

 聞き覚えのない声に戸惑う。松平の様子を電話越しに察知したのか、尾藤と名乗った男が言葉を続けた。

『十三企画の尾藤です。このたびは我が社の派遣制度をご利用いただきまして誠にありがとうございました。いかがでしたか?首尾の方は、ご満足いただけましたか?』

「ああ、あの…では、これは、やはり…」

『勿論です。松平様の依頼により、我が社の誇る精鋭が腕を振るったというわけです。ああ、ご安心ください。料金はすでにN.A.Cさんから頂いておりますので』

「N.A.Cから?どういうことです?」

 松平は耳を疑った。倒産させられた側から、いったいどうやって金を取るというのだ。

『説明すると少し長くなるのですが…お時間の方がよろしければ外でお会いできませんか?いろいろとお聞きになりたいこともおありでしょうし』

 松平が受け入れると、尾藤は名刺に書いてあったあの喫茶店を指定した。

『それでは20時に。では』

――ツーツーツー

 切れた電話を握ったまま、松平はしばらく立ち尽くしていた。なぜだろうか、妙に気分が高揚してくる。久久に面白いことが有りそうな予感がした。



「今日は。お久しぶりです」

 半年前とは打って変わった大人びた格好で杉浦みちるが現れた。どことなくくたびれた様子すら見られる。いったい何が合ったのかと、松平がたずねた。

「日本アミューズさんにいってたんです。派遣だから本当は行かなくても良かったんですけど、取り敢えず確認に。きちんと仕事が終わっていることを確認しないとプロとは言えないですもんね」

 にこにこと屈託のない笑顔を見せる。そうしていると、やはり中学生なのだから女性というのは不思議である。

「つまり、どういうこと?」

 反射的に聞き返して、どこかで聞いた覚えのある台詞だなあとおかしくなる。松平はなんとなく照れくさくなった。

「えっと、松平さんは社長から何も聞いてないんですよね?私たちは倒産させてくれるように依頼された会社に派遣社員として派遣されるんです。今時派遣を使ってない会社なんてほとんどないですから」

 にこりと笑って注文を取りに来たウェイトレスにミルクカラメルを頼む。そう言えば前回も同じ物を飲んでいたな、と松平は思い出した。

「それで?」

「それだけです。あとは潰れるのを待つだけ」

「へ?」

 間の抜けた声を返した松平に、みちるは心底楽しそうに笑った。ひとしきり笑った後、テーブルに置かれたグラスに口をつける。細いストローの中を薄い茶色の液体が上っていった。

「私たちは何もしないんです。どういう事かと言うとね、十三企画の派遣社員って、みんな倒産遺伝子の組み込まれた人間なんですって」

「とうさんいでんし?」

 聞きなれない単語に首をかしげる。やはりこの娘は宇宙人だ。口を開くと宇宙語をしゃべり出す。やっぱり偶然だったんだ。帰ろう。松平が席を立ちかけたとき、ウェイトレスがガラスボールに入ったサラダを持ってきた。隣の席の女性が食べているのをさして、松平が注文したものだ。実は前に来たときに美味そうで気になっていた料理だった。折角だからこれを食べ終わるまでいてもいいかと思い直し、もう一度ナプキンを広げた。

「おいしいんですよね、それ。えっと、それで、私たちが入社すると自然に会社が傾いてしまうんです。だから変なことをするわけでもないし、証拠も残らないんですよね。あまりに会社を転々としていると怪しまれないとも限らないですけど、私たちみたいに派遣だったら短期で会社移るのなんて当たり前ですから」

 だから「対クラッシャー委員会」にも気付かれないんです。倒産業と言う一般的には忌むべきものも、みちるにはゲームでしかないのではと思わせるような口調だった。まるで悪びれない、かといって誇ると言うのでもないその口調に、松平はぼんやりとした憧憬を感じた。

「……で、倒産遺伝子って言うのは?会社を倒産させる超能力かなんかを持った遺伝子なわけ?」

「いいえ、倒産させる遺伝子じゃないんです。倒産しちゃう遺伝子です。だから、自分の会社とか持ったら絶対倒産しちゃうの。この遺伝子って、親から受け継ぐ場合と、突然変異的に生じる場合があるそうです。どっちもその子供には受け継がれるらしくて、だから超能力とかじゃなくて、もう遺伝子の問題だろうって言うおおざっぱな考え方なんですけど。だから逆に言えば、受け継がれない場合は倒産遺伝子を持っていないことになるんです。そういう人はたとえ所属していた会社が何社も潰れていても、永久的に潰し続けるかどうかは分からないんですよね。だからそういう人は雇わないみたいです。でも、突然変異の一代目なのか、それともその人限りなのかって言うのは子供が成長しないと分からないから、うちの会社に入ってくるにしても結構いい年になってからなんですよね。そもそも倒産遺伝子を持った一代目の人はそんなに強い影響力を持っていなくって、よくて梅クラス。大体の人が一社倒産させるのに十年以上かかるような能力しか持っていないから、結局ほとんど雇うことはないみたいです。竹クラスの人にはご両親のどちらかから遺伝子を継承している人が多いですね。大体こういう方は小さな会社の社長とか、自営業のお店をやっていた家の子供が多いです。子供のころに親の会社が潰れていて、自分はどこか企業に就職したんだけどもすぐに倒産した、なんて言う方、多いですよ」

「じゃあ松コースって言うのは、両親から受け継ぐの?」

「ええそうです。私のうちは父方の祖父も母方の祖父も自分で会社を作って自分で潰していますから。なかなかいないんですよ。三代続いてる人って。だから私はエリート」

 だからなんだと言うこともないけど。少女はけろりとしてそう続けた。

「倒産屋のエリートねえ」

「違いますよ。倒産屋じゃなくてクラッシャー。まあ確かに倒産屋の方が多いですけど、私はれっきとしたクラッシャーです」

「どう違うの?」

「ぜんぜん違いますよ。倒産屋っていうのはたんに倒産させる人。クラッシャーって言うのはその中でも破壊して倒産させる人だから」

「だから?」

「より質が悪いんです」

 みちるはにこりと笑った。どこまでが本気なのか、あるいは完全に本気なのかもしれなかったが、そんな少女の態度に松平は世代の違いと言う深遠な溝を見るような気分だった。

「しかも私はコンピュータークラッシャー。モノスゴイ静電気体質なんですよ。手を触れただけで電気製品はあっという間に壊れます。だから普段はこれを持っているんですけどね。でないと磁気が狂っちゃって自動改札が通れないんですよ」

 ポケットから動物のしっぽのような毛皮を取り出す。てっきりマスコットか何かかと思っていたが、どうやら静電気を吸収するための道具だったらしい。確かに触れるだけで磁気を狂わすような激しい静電気体質ならば、素のままで生活するわけにはいかないだろう。しかし松平は今一つ少女の話を信じきれなかった。いくらなんでもオーバーではないだろうか。

「あ、信じてませんね?いいですよ。じゃあ手を出してください」

 グラスの外側に付いた水滴を指で掬い、丹念に指先に伸ばす。

「はい、行きますよ」

 濡れた指先を松平の手に軽く当てた。松平はバチリという音とともに脊髄反射で手を放した。非常識この上ないことに、水分の付いている指先にすら静電気が溜まっているのだ。目を瞬きながら、己の手を確認する。火傷でもしたのではないかと疑いたくなるような衝撃があったのだ。

「ね?本当でしょう」

「…なんて非常識な…」

「失礼ですねえ。まあいいですけど。言われなれてるし。でも信じていただけたでしょう?こういう体質なんで、工場の仕事とか得意なんです。あっという間に壊せます。でも労働ハードな割にお給料がよくないんですよねえ。ほら、私たちって派遣社員としていくわけですから、そこの会社のお仕事があるんですよね。事務の仕事だとそんなに大変じゃないし、お給料も結構出るんですよ。でも工場って基本的にお給料安いじゃないですか。だから早めに終わらせて次のお仕事に行くんです」

「給料って…。もしかして以来料は相手の会社からもらうって言うのはそういう事なの?」

「ええ。うちは人材派遣会社ですから」

 人材派遣会社。確かにそうなのだろうが、どうも納得の行かない何かがある。松平は複雑な表情で首を掻いた。会社を倒産させる人材を集めた会社。それでは。

「ねえ、君のところは僕の会社には人材派遣してないんだよねえ?」

 みちるがくるりと目を回した。子供のようなあどけなさがどこかに消え、店に入ってきたときに見た、大人びた表情が顔を覗かせる。松平は漸く納得が行った。機密性を重視すると言いながらこうもぺらぺらと暴露してくれたのは、つまりそういう事なのだ。あるいは最初の尾藤との出会いすら、全てを知った上で計画されたものなのかもしれない。否、そうなのだろう。

「僕は梅?竹ではないよね。二年以上かかってしまったもの」

 会社を潰すのに。

「松平さんの場合、母方から継承されていますよね?遺伝子」

 申し訳なさそうに上目遣いに告げる。表情はかわいいのだが、言っている内容はかわいさもへったくれもない。松平は体に染み付いてしまった溜め息を吐いた。もうこれ以上は吐き出せないのではないかと言うくらいたっぷりたっぷりと吐き出し、フォークをサラダに突き立てた。

「本当はもっと早くにお迎えしたっかたんですけど…」

 なかなか見つけられなかったんですごめんなさいと、美少女が申し訳なさそうに謝罪する。松平はレタスにフォークで24個所穴を空けた。結局自分がこれまで三社も渡り歩いたのは、全て親のせいだったわけだ。もうどうでもいい。怨もうが嘆こうが、自分にはどうしようもないレベルの話なのだから。事実を知らされることがなかったとしても、あるいはもっと早くに知っていたとしても、いずれ自分が入った会社は潰れるのだ。それならば。

「勧誘されようかな」

「本当ですか?」

 絵に描いたように顔色が変わる。嬉しい嬉しい嬉しいと全身で表現するみちるを見ながら松平は、こんな同僚と仕事をしていけるならばそう悪くもないなんて、愚にも付かないようなことを考えていた。

「それにしても、僕らみたいなのが集まって会社作ったら、あっという間に倒産するんじゃあないの?」

 松平の疑問に、みちるは唇を尖らせて笑った。

「年中倒産してます。でもすぐまた作り直してますから。派遣されている間に会社が潰れても派遣先で契約社員として雇ってくれるんで支障はないんですよ。多分尾藤社長は会社を作って倒産させた回数でギネスに載れるんじゃないのかなあ」

 根性さえあれば、世の中そうすねたものでもないのかもしれない。潰れても潰れても会社を作り直す尾藤の姿を思い浮かべて、松平はわくわくしてきた。もしかしたら、世の中で一番強いのは俺達倒産遺伝子を持った人間なのかもしれない。そうさ、会社を渡り歩く旅がらすと言うのも悪いもんじゃあなだろう。

穴だらけになったレタスを咀嚼しながら、松平の頭に小さな疑問が浮かんだ。

「そう言えば、君のお父さんも倒産遺伝子を持っているんだよねえ?仕事はどうしているの?」

「ああそれなら」

 みちるは大きな目で瞬きをした。

「あんまり倒産が続くからって、10年前に国に就職しました。そしたら」

 少女はにこりと笑った。

「国が傾きました」

 少女の笑顔を見ているうちに、松平は久しぶりに心から愉快な気分になった。 

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[一言] もしかして私がとか、予備軍とか思いあたりのあるかたには、笑えない話かもしれないな~。と考えながら笑ってしましました。 年齢が高くなると長期型(自身の退職待ち)クラッシャーってのもいそう。 「…
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