賢者の石(旅行一日目)
「ところで賢者の石ってなんだ?」
理人たちは汽車を降り、予約していた近くのビジネスホテルのエントランスにいた。子供たちはおとなしくソファに座り足をプラプラさせている。悠一父は受付で部屋の鍵を受け取っていた。
賢者の石の質問をしたのは理人であった。
「理人、お前賢者の石が何か知らないのか?」
と悠一。
「練成陣なしで錬金術が使えるやつ?」
「違うよ。不死の薬を作るんだろ」
吉継が言った。
「二人とも違う」
悠一が説明する。
「現在確認されているのは、非金属を金属に変えるという効果だけだ」
賢者の石に関しては様々な伝承があるが、実際に確認されているのは非金属を金属に変える際の触媒になるというものだけであった。おそらく何かしらの『奇跡症』発症者が作り出したものだといわれているが、はっきりとしたことはわかっていない。
「え? じゃあ賢者の石もっても錬金術使えないの?」
理人ががっかりしたように言った。声のトーンが少し下がっている。
「お前は、賢者の石なくても錬金術使えないだろ。だいたい、博物館の石は触ることできないと思うぞ」
世界には『奇跡症』発症者による不思議なものであふれている。賢者の石は何を思って作られたかわからない。なくても困るようなものではなかったから、むしろ嗜好品としての価値が高かった。希少性自体は高いのだ。
そんな賢者の石や石を題材にした絵画、そのほか芸術作品を展示しているのが賢者の石展だった。
「錬金術が使えないのなら帰りたい」
「飽きるな、理人。他にも観光地はあるぞ」
理人の目的は錬金術を自分が使うことにあったようだ。すっかり興味をなくした理人を吉継が慰めていた。
その日は全員で賢者の石展に行き、帰ってきたころにはすっかり日が落ちていた。平安神宮の向かいにある京都市美術館で開かれていた賢者の石展は休日ということもあって人でにぎわっていた。展示品は錬金術や賢者の石をモデルにした絵画がほとんどであった。それに加えて赤みを帯びた石が数個。理人たちには本物かレプリカかなんてことはわからない。館内は静かな雰囲気が漂っていてとても騒ぐことのできる雰囲気ではない。
展示をみて理人は「絵画と石しかない」と落ち込む。それに対して悠一が「お前は何を求めてたんだよ」と突っ込んでいた。最後にあったお土産屋には賢者の石キーホルダーなんて物も売ってある。吉継が「こんなもの誰も買わないだろ」というと理人が悲しそうにキーホルダーを手放していた。
その後せっかく京都に来たということもあって、そのまま観光地巡りをし、食事も済ませてホテルへと帰ってきたのは午後八時であった。
錬金術が使えないと分かってすっかり落ち込んでいた理人も、一連の観光を経て元気を取り戻していた。理人と悠一はエントランスで昼と同じソファに座りアイスを食べている。吉継、聖斗、颯太がジュースを買って帰ってくるのを待っていた。
理人たちがくつろいでいると、一人の男が同じソファに座り込む。理人が邪魔にならないように少しスペースを開ける。
男は親しみやすそうな顔をしていた。パーマのかかった茶髪、眼尻は垂れている。無地の白いシャツにジーンズをはいていた。肩からショルダーバックをかけており、そこにキーホルダーがついている。
「あ、賢者の石キーホルダー」
バックにかけられたキーホルダーに気が付いた理人が、男に近づく。
男の方も声の主が小学生くらいの小さな子供だと分かると、理人に気さくに話しかけてきた。
「これが賢者の石だって知ってるの?」
「うん。賢者の石展で売ってた」
男は嬉しそうにうなずく。
「実は僕は『奇跡症』の研究をしてるんだけどね……」
男の名前は飯塚研翔といった。奇跡症に関する歴史、奇跡症発症者が起こす現象を調べる一環で、賢者の石にも興味を持っているということだ。京都に来たのも賢者の石展に行くのが目的であり、今日の朝、観光を兼ねて美術館に行ってきたとのことだ。
「ああ、ごめんね、自分の話ばっかりで」
研翔は話し終えると自分の話ばかりしてしまったと謝罪をする。
「奇跡症ってギフトのことでしょ。だったら僕も持ってる」
「本当かい? どんな力なの」
奇跡症発症者は全人類の300分の1ほどだろうか。時代によってその推移は上下する。奇跡症が発症すれば国に報告しなければならない。珍しい能力であれば世界中の人間が知っていたり、アイドルのような存在になったりする者もいる。だから奇跡症発症者であると分かると好奇の目にさらされることもあった。
理人は自分の持っていたアイスを浮かせて見せた。
「物を浮かせるんだ。三十秒だけだけど」
研翔は興味津々といった様子で見ていた。理人が調子に乗って、頭の上の方でアイスを振り回してみる。悠一が「あまりやりすぎるなよ」と諫めるのも無視して浮遊させていると三十秒経過したせいで能力が時間切れになりアイスが落ちてきた。そして上を見上げていた悠一の顔に直撃する。
悠一が無言で立ち上がり、理人にアイアンクローをきめた。
「痛い、いだい‼」
「理人。少しおとなしくしてようか。でないと思わず手が出てしまいそうだ」
「もう出してる‼ いだい‼ いだい‼」
「もしかして君も奇跡症発症者かな?」
研翔は悠一にも訪ねてみる。
「そうだよ。悠一の能力は人の秘密を暴くのに持って来いの陰険なのうりょ……いだい、いだい、ごめんって」
悠一はついでとばかりに腕の力を強めた。
「『真実探究』って名前がついてるけど」
「真実探究‼ それはすごい」
研翔が悠一の手を取った。悠一の能力は『自身の作り出した法廷空間で嘘をつかせない』というものだと国は把握している。嘘をつかせないというその効果は価値が高く『真実探究』という名称で知られていた。嘘をつかせないだけでなく質問には正確に答えさせることができ、そのさい黙秘することもかなわない。それゆえ実社会においての有用性は高いと考えられている。悠一自身、裁判等で使えるのではないかと考えている。
「俺の能力知ってるの?」
「知ってるよ。有名だからね」
そのやり取りに、理人が入り込む。自分の時と反応が違ったので悔しいのだろう。
「僕のは?」
「ごめんね」
理人がうなだれた。
ジュースを買い終えた吉継、聖斗、颯太、悠一父が帰ってくる。横に並んで見知らぬ女性もついてきていた。吉継たちと楽しそうに会話している。ジョーゼットで作られた服と膝下くらいのスカート。袖や裾をひらひらとたなびかせていた。髪は短く切りそろえられている。
その女が研翔をみてはっとし、彼に近寄る。知り合いのようであった。
「この人誰?」
そんな様子を見て理人が吉継に尋ねる。
「理人。お前が買いたくても買わなかった賢者の石キーホルダーを買ってた人だ」
「僕がキーホルダー買おうとしてたの知ってたの⁉」
女が持っているバックには賢者の石キーホルダーがぶら下がっていた。
女は高江由美子といった。研翔の恋人であり、同じ大学で研究しているそうだ。二人の温和な雰囲気がいかにも親しげな感じを作り出している。
「このホテルに泊まってるの?」
悠一が言った。
「703号室に泊まってるのよ」
由美子が悠一に目線を合わせて答える。
「颯太と聖斗の部屋の真上だな」
理人たちは部屋割りと理人父と悠一父の親父コンビ、理人と悠一と吉継、颯太と聖斗、の三組に分けていた。親父たちは604号室、理人たちは605号室、颯太と聖斗603号室に泊まっている。
「もう少し話しても大丈夫ですか?」
研翔が悠一父に尋ねる。偶然見つけた能力者ともっと話がしたいのだろう。
悠一父は
「大丈夫ですよ」
と答えた。
理人父は先に部屋へ戻っており、酒盛りの用意をしている。
「この子たちも奇跡……ギフトを持っているんだよ」
研翔は奇跡症と言いかけたのをギフトと言い直し、由美子に伝えた。「この子たちも」ということは由美子も奇跡症を発症しているということだ。それに気づいた悠一が質問する。
「お姉さんは、どんな能力持ってるの?」
「お姉さん。お姉さんはねえ、催眠術みたいな力よ」
お姉さんと呼ばれたことに気をよくしたのか、由美子は口角をあげながら、ポケットから紐のついた五円玉を取り出した。
そして、それを座ってみていた子供たちの前にぶら下げ、ゆっくり振り始める。
理人は胡散臭そうに言った。
「お姉さん、今時五円玉で眠る人なんて……」
しかし、言葉を最後まで言い切らないうちにカクンと堕ちてしまう。隣に座っていた颯太に首をもたげ静かな寝息を立て始めた。
その様子に聖斗と吉継が「スゲー」と感嘆の声を上げる。
「え? まだ何もしてないんだけど……」
一方で由美子は戸惑っていた。まだ能力をかけてないのに理人が寝てしまったからだ。
「すみません。こういうやつなんで」
悠一が代わりに謝る。
「僕、理人を上まで運んでくるよ」
理人にもたれられていた颯太が立ち上がった。そして理人をおんぶする。
「わるいな颯太」
「気にしないで」
颯太は悠一からカードキーを受け取った。理人をおぶって先にエレベーターで上る。理人を605号室まで連れて行って布団に寝かせた。その後、悠一、吉継、聖斗、も大人たちに抱えられてやってきた。
「なんて強力なギフトなんだ」
十分程眠った後、理人は目を大きく見開き上半身を起こしながら言った。隣には悠一、吉継、聖斗が眠っている。眠っている子供たちをひとまとめにしてしまおうという悠一父の計らいによるものであった。
理人は「こいつらもあの能力の餌食に……」などとつぶやき、自分のわきに寝ている悠一たちを見る。
「いや、理人は能力が使われる前に寝てたよ」
突っ込んだのは颯太であった。みんなが起きないのに退屈してケータイゲームを起動させている。
「フッ、颯太が冗談言うなんて珍しいじゃないか。だけど僕は騙せないよ。あんな強力な催眠術誰も抗えない」
「あー、理人がそう思うんならそうなんじゃない? 理人の中ではね」
颯太は五人の中では比較的おとなしめの子であった。それは気が弱いというわけではなく、面倒くさがりな一面からくるものであった。理人をおぶって途中で離脱したのも少し面倒くさくなったからであろう。
颯太の投げやりな態度に理人はその言葉が事実であると察する。
「え? 待ってよ‼ じゃあ僕は何もされてないのに寝たの⁉ それじゃあ僕がばかみたいじゃないか」
「あきと……」
声を荒げた理人に颯太が優しくささやきかける。
「……あきとは馬鹿だよ」
そうして颯太は理人に優しく笑いかけた。子供の汚れを知らない純粋無垢な笑顔というのが適切な表現であろうか。普段表情が動かない颯太の笑顔には見るものを魅了する力があった。
「その笑顔やめてよ‼ 傷つくよ‼」
そして、理人の心をえぐる力もあった。
「それより理人。みんなが寝てて暇なんだ。ゲームしよ」
「それより……。分かったよ。ひと狩りでもふた狩りでも行ってやるよ」
理人は颯太からプイッと顔をそむけた。そして寝ていたベッドから降りて伸びをする。
「みんなが起きたらどうする、理人」
「とりあえず、大人たちの部屋に行ってビールの中にメントス入れる」
大人たちは酒盛りをしている。理人父、悠一父だけではなく研翔、由美子も加わって四人で楽しく酒盛りしていた。テーマは子育ての難しさである。
「悠一たち起きるのかな? 起きなかったらどうする?」
「風呂にでも行こうよ。最上階に大浴場があるらしいよ」
「そうだな、そうしようか」
理人は自分のカバンからケータイゲームを取り出し起動する。
「ねえ、僕もギフトに名前ほしいんだけど」
先ほどの研翔との会話が原因だった。有名なものには名前が付けられたりするから、理人はそれが羨ましかったのだ。
「理人のギフトの名前?」
「そう。悠一にはあるのに僕にはない。由々しき事態だ」
「別に由々しくないと思うよ」
颯太はゲームから目を離さない。心ここにあらずといった感じの返答に理人が頬を膨らませた。理人はベッドに座り直し胡坐をかく。
ゲームの中では颯太の選択したクエストが開始される。
「由々しいよ‼ なんかかっこいいやつない?」
「理人。クエストに集中しよう。肉焼いてないで」
理人の操作しているキャラが地面に座り込み肉焼きを始める。理人のささやかな抗議だった。
「できたら漢字がいいな」
「プカプカでどう?」
「浮くから?」
「そう」
「漢字じゃない」
理人のギフトは物を宙に浮遊させている印象が強いからと、颯太は擬音をそのまま能力名にしようとする。理人は抗議の意味を込めて大型モンスターの前で再び肉を焼き始めた。
「悪かったよ、理人。ちゃんと考えるから。だから戦って」
画面内で武器も抜かずただ敵モンスターに突っ込み、ふっとばされている理人に颯太が苦笑する。理人は少し拗ねていた。
「『白痴』なんてどう?」
中国語でバカという意味である。
「はくち?」
「そうそう。理人の特徴を捉えてみたんだけどね」
颯太はいったんゲームを停止して、室内にあったメモ帳を取ってくる。そして理人にその漢字を見せてみた。
「これどういう意味?」
「なんかかっこいいでしょ」
意味を正直に言うと理人がまた拗ねてしまうから、適当にごまかす。
「うん、なんかかっこいい」
ごまかされてしまうのが理人である。
理人がおとなしくなったところでゲームが再開された。理人は自分のギフトに名前が付いたことに一応満足して、ベッドに寝そべる。ゲーム内で中断されていたクエストは颯爽と片付けられた。
二人がゲームを始めて、数分で悠一たちも起きだす。悠一たちは視界がはっきりしないのか、目をこすりながら周りを見回して自分の状況を確認していた。
「起きた?」
颯太が尋ねる。
「ああ、起きた。強力なギフトだった」
颯太が「そうだろうね」とうなずく。由美子の能力を見る前に部屋に帰ってしまった颯太にはわかるはずはないのに。悠一が不思議そうに首を傾げた。
「理人も同じこと言ってた」