ギフトの呪いⅠ(チョコレート戦争Ⅳ)
「はあああああああ」
美月が狼狽するのも無理はない。たった今見せられたのは理人が立花宅、つまり美月の彼氏の家に忍び込むとこを忍び込んだ本人が撮影した動画であったからだ。まぎれもなく犯罪行為である。それを堂々と見せられて狼狽し声を上げたのだが、その後何といえばいいかわからなくなり美月はただ口を開けたり開いたりしていた。
「これで、浮気はなかったことが証明されたね。愛されてるじゃないか姉さん」
理人、颯太が集合しているのはもちろん新井聖斗の家である。
リビングのテーブルと囲んで美月も含めた4人で素行調査の結果報告をしていた。
「あんたたち、何やったか分かってんの?」
「住居侵入。悠一曰く、刑法130条前段らしい」
のんきな弟を見て美月は焦りだした。
理人は動画の再生が終わったとパソコンを操作している。
「ちょっと、これは問題だから。親に相談しないと」
「なんでだよ。姉さんが言った通り証拠を集めてきたのに」
「犯罪を働いておいて何も感じないの? それが問題なの。理人こっち見なさい。忍び込むとき罪悪感はなかったの?」
理人がパソコンの操作を一通り終え、美月と顔を合わせる。
「忍び込むときはばれないかとヒヤヒヤしたよ」
「悪いことしたって分かってる?」
「さっき聖斗も言ったじゃん。犯罪だって」
あっけらかんとしている理人をみて美月は一層焦燥感を覚える。
「ちょっとその動画私が預かるから。出しなさい」
「ムリ。たった今全消去した」
「なっ」
「証拠を残すわけないじゃん。人の家に入り込んだのはこれが初めてだよ。学校とかはよくあったけど。それよりチョコ食べてくれるんだよね」
「食べるわけないでしょ。こんなの許されない」
美月が起こっているのはチョコを食べたくないからではなく、単純にやってはいけないことを子供たちに諭すことが目的だった。
理人は「汚い大人め!」と罵る。
「みっつん。確かに理人のやったことは犯罪だったけど、それとは別に約束してるよね。素行調査が成功したらチョコ食べるって。そっちの方の約束は守ってよ」
颯太が言う。普段冷静な話し合いになれば大いに役立つ。
「別じゃないでしょ」
「別だね。方法の指定はされなかったんだからこっちで好きなようにやっただけだよ」
「学校に忍び込むとはわけが違うって分かってる?」
「話がそれてるね。僕は今約束を守れという話をしてるんだ」
「良いから答えなさい‼」
美月が怒鳴った。
颯太は分かっている。怒鳴る大人に対して論理で説き伏せることは不可能だと。だから別の方向から説き伏せることにした。
「僕たちだって人んちに忍び込むことなんて普通しないよ」
「じゃあなんでやったの?」
「理由は一つ。みっつんの彼氏だったから。みっつんがまいってるように見えたから決定的な証拠をつかんで安心させてあげたかったんだ。それがこんなに怒られるなんて思わなかったよ。ねえ理人」
感情に訴える作戦に出た。自分のことが心配だったといわれて、それでもまだ怒りを爆発させ続けることなど不可能だろう。颯太の思惑は見事に的中して美月の怒りも次第に収まってきた。
「分かったわ。でも、もうこんなことしちゃだめよ。分かった?」
「「「はい」」」
三人ともおとなしく頷く。
「じゃあ、このチョコ貰ってあげるから」
「ありがとう。みっつん」
無事、チョコは美月に渡った。
小学生三人は聖斗宅をでて颯太の家に向かう。見事チョコを押し付けることができたので祝勝会を開くのだ。聖斗の家では気まずさが残ってしまうのも移動の原因だったりする。
「颯太や悠一はすごいね。大人たちを簡単に説得してしまう」
理人は感心したように言った。聖斗も隣でしきりに頷いている。
「感情的になっている人間に理屈は通じないんだ。だからこっちも感情をぶつければいい。ぶつけ方は考えないといけないけど。って悠一が言ってた」
「悠一直伝か。でも罪悪感とかないの?」
「嘘は言ってないよ。理人だってみっつんのことちょっとは心配だったでしょ?」
「確かに」
「さあ、楽しい祝勝会だよ。早く僕の家に行こう」
颯太が先ほどまでの気まずさを振り払うかのように声のトーンを上げる。普段は見られないそんな姿に二人は妙に説得された。
「その準備ね、颯太と聖斗で進めてもらっていい?」
「何かあるのか?」
「これから素行調査の続きをするんだ。たぶんホントは浮気してるから」
聖斗と颯太は目を丸くして驚いていた。
理人がその可能性に気が付いたのは素行調査を終えた次の日の朝であった。つまり今朝のことである。
撮影した動画を見ていて気になったのは、立花剛志の部屋に友達の学生カバンまであったことだった。ケーキを作るだけならカバンを剛志の部屋に運ぶ必要はない。ならば、何か理由があったのだろう。その理由を探る必要がある。
そしてもう一つ気になったのは一週間前であるのにケーキを作っていたことであった。理人はいつものイタズラのせいで感覚がくるっていたが普通、試作なんてしないはずだ。
ならば美月の誕生日を浮気の口実に使っているのかもしれない。
そして今、再び南3丁目に来ている。昨日と同じように公園に自転車を止め立花家へ向かうとちょうど剛志が家から出てきたところだった。
理人は後をつけることにする。
剛志は徒歩で10分程歩き続け、山へと入っていった。実際には林と言った方が正しいのかもしれない。
落葉台は山を切り取って作られた地区であるからそこらへんに小高い山のような雑木林がある。小学生でも数分で頂上に着くことができるから山と言ってしまうにはいささか小さすぎる。
そんな場所にまっすぐ入っていく剛志を見て理人も音を立てずについて行った。
道幅は大人の肩幅より少し大きいくらいだ。木々が生い茂っているから実際にはそれよりも狭く見える。
山は小高い丘のような高さであるといっても、別に舗装されているわけではない。獣道のような、ただ人の足で踏み固められた道を歩いていると足も疲れてきて、理人は下を向いた。
その時だった、突然何かが理人めがけてとびかかってきたのだ。
理人はとっさに飛びのくと体制を立て直し襲撃者を確認する。手には三徳包丁を持っているその襲撃者は先ほどまで理人が後をつけていた立花剛志であった。
「な、なに⁉」
理人は驚いて声を上げる。
相手が突然襲ってきた理由はわからないが、今まずいのは位置関係が逆転してしまっていることだった。理人の方が高い位置にいる。つまり逃げ場が山の上しかないのだ。
「よくよけたね」
「いきなりなにすんのさ‼ まさかつけられていたことを根に持って」
「つけられていただけで人を殺そうとする人なんていないよ」
剛志は何が楽しいのか始終にやにやと笑っている。
「じゃあ、なんでこんなことすんの⁉」
再び剛志がとびかかってきた。
理人は後ろに飛び退く。
「楽しいと思うんだ」
「何が⁉」
「人を殺すのが」
素行調査の続きをしていたらいつの間にか命を狙われている。しかも相手が快楽殺人鬼のようなことを言い出して理人はわけがわからなくなった。
今は考えるより逃げた方がいいのだろう。理人は次の攻撃をよけると後ろを向いて走り出す。すぐに山の頂上の東屋に着いた。道は一本道であるから、ここで行き止まりだ。
理人は東屋を盾に回り込まれないように立ち回る。
「なんでこんなことすんの⁉」
同じ質問を続けることしかできないのはそれだけパニックになっているからだ。
理人の狼狽っぷりを見て剛志は楽しそうに語りだす。
「よかったね。たまたまベランダが開いてて。侵入しやすかっただろう?」
その言葉で思い出すのは昨日の不法侵入の件だ。
「まさか、僕が来ることが分かっていた?」
「そうだよ。そういうギフトなんだ。予知夢というのかな? 楽しいことが起こる前兆がわかるんだよ。たまにだけどね? でも驚いたよ。小学生が空き巣に入る夢は見えたんだ。だから、カギを開けておいたんだけど。でもまさか本当に入ってくるとは思はないだろ?」
「嘘をつくな!」
理人そう叫んだのには理由がある。
通常、ギフト所有者は中高の間、それ用の教育機関に入れられるのだ。そして落葉台から通うことのできる専用教育機関は存在しない。剛志がギフト所有者であるならば落葉台にいるはずはなかった。
もっとも、ギフトの所有は自己申告であるため誰にも知られなければそのような教育機関に入れられることもない。だからあえて黙っているものもいた。それは処罰対象になる。
「犯罪者め」
理人が悪態をつく。どうにか会話を引き延ばして打開策を考えたいが、いい案が思い浮かばなかった。なにせ相手は野球部である。走ることに関しては理人に劣るはずはないだろう。ならば背中を見せて逃げることは危険だ。かといってこのまま東屋を盾にしていても緩やかな死を待っていることに変わりはない。
「それは今君を殺そうとしていることを指しているのか? それとも奇跡症発症の隠匿の話かな?」
「どっちもだよ‼ 知ってる? これ殺人未遂だよ! それに僕がお前の素行調査をしてることは友達が知ってる。すぐに警察にばれるよ」
「埋めたら大丈夫だろ」
そっけない言葉に狂気を感じる。大した計画なんて立ててないのだ。
理人が武器を探して目線をそらしたその時だった。
剛志がベンチを乗り越えて理人に襲い掛かる。
理人は足をもつれさせ尻もちをついた。焦っていて足がうまく動かなかったのだ。そのすきをついてマウントを取られる。
剛志が包丁を逆手に持ち振り下ろすのが見えた。理人は腕を前に出し防ごうとする。しかし明らかに絶体絶命で、理人は覚悟の決まらぬまま目を強く閉じた。
そして、剛志の姿が消えた。
「え? あれ?」
突然、腹の上の重みがなくなったことに驚き理人は首を左右に動かして周りを確認した。しかし、剛志はどこにもいない。あるのはうっそうと茂る草木のみで、使用頻度の少ない東屋が哀愁漂わせているだけであった。
風が吹き草木を揺らす。
先ほどまであった焦燥感が薄れて、同時に疑問が頭の中を支配し始めていた。
「大丈夫かい?」
現れたのは金髪碧眼の男だった。身長は2メートルくらいあるんじゃないだろうか。ストライプのスーツに赤いネクタイをしていた。それは昨日、立花家の近くですれ違った男だ。田舎である落葉台で外国人なんてあんまり見ないから理人はよく覚えていた。
理人は素早く立ち上がり、身構える。まだ見方と決まったわけではない。
「だれ?」
「そうだね。藍田空なんて名乗っておこうかな」
「それ日本人の名前じゃん。嘘つかないでよ」
「傷つくなあ。外見が外国人でも日本生まれの日本育ちって人だっているんだよ」
男が軽口をたたく。
「そうなの? それはごめんなさい」
「まあ、私は日本人じゃないんだけどね」
理人はからかわれていると気が付いて顔をしかめた。
「で? これは何? さっき『大丈夫かい?』って聞いてきたってことは僕が襲われたとこを見てたんでしょ。おじさんが何かしたの?」
男は決して年を取っているようには見えない。20代前半くらいに見えるのだか、理人は不快感に任せてそう呼んだ。
「回収しに来たんだよ。立花剛志を」
「回収?」
「たまにいるでしょ。奇跡症の発症を黙っている人間が。それで何もなければいいんだけど、今回みたいに人殺しにつながるとね。放っておけないよね」
「立花剛志はどうなったの?」
「私の作った別空間にいるよ。私もギフト持ってるんだ」
ギフトとは多種多様で、人がおおよそ想像できるあらゆる事象を可能にするといわれている。空間に干渉できる能力があっても不思議ではない。
「あいつはこれからどうなるの?」
「日本の法に乗っ取ってどうにかされるんじゃないかな? 発症を黙っていたのには問題があるよね」
「豚箱にぶち込んで出てこないで欲しいよ。予知夢を使って人を殺そうとする奴なんて」
「予知夢? 違うよ。彼のギフトはノルアドレナリンを快楽物質に変換するってものだったはずだよ」
「なにそれ」
ギフトは何も人に恩恵を与えるものばかりではない。今回のように社会不適業者を作り出してしまうものもあった。それはギフトの呪いと呼ばれる。もっともギフトによる恩恵は凄まじいものもあり、呪いというのは軽視されがちであった。
「ギフトの呪いだよ。人は不安を感じるとノルアドレナリンという物質を脳内で分泌されるそうだね。それが快楽につながるようになってたみたいだ。だから二股なんてしてたんだろうね。ばれるかもしれないという不安が快楽になっていたんだ。しかしそれでは我慢できなくなった。そんなとき予知夢を見たんだ。君が家に入ってくるという夢を」
「なんでそんなに詳しいのさ。二股の話も予知夢の話も」
「それは秘密。……予知夢は彼が快楽を得るための副次的な能力だったんだ。でも彼はそれが本来の能力だと思ってた。だから自分のギフトを隠して生きていたんだ。納得してくれた?」
「なにを納得すればいいのさ」
得心行かないことばかりだ。いきなり殺されそうになって、へんな外国人に会って、おまけに様子を見るにその外国人にとってはすべて予定調和らしい。
「安心して。彼のギフトは消去される」
「そんなことができるの?」
「それができる人がいる。そしたら彼も人殺しなんてしないだろう」
一番の懸念は家まで来て襲撃されることだったからそれがないと分かったら一安心だ。
「納得はしない。でも僕はこれから友達の家にいかねばならない。じゃあねおじさん」
理人は男に背を向けて走り出す。
男はその後ろ姿に声をかけた。
「理人君」
「なにさ?」
「君はいつ思い出すんだい?」
理人は男が言っていることがわからなくて首をかしげる。けれどももうかまっていられないと前を向いて走り出そうとしたところで、あることに気が付いて再び振り向いた。理人は彼に名前を教えてはいなかった。それが気になったのだ。なぜ自分の名前を知っていたのかが。
藍田空と名乗った男はもういない。
藍田空は空間系のギフトを持っていると言った。すでに姿がないのもおそらく空間移動をしたからだろう。
相手がいないのでは仕方がない。理人は今日の出来事を話すかどうか思案しながら颯太の家に向かった。
「浮気してたっぽいよ」
颯太宅に着いた理人は結局事件の全容を話さずにいた。
「へー」
「へー」
聖斗と颯太は興味がないようで菓子の袋を開けている。
「それよりさ、帰ってくるの遅くない?」
聖斗が板チョコを投げてよこす。理人はきちんとキャッチした。打ち上げをするといっても予算がないためほとんどが一個30円もしない駄菓子で構成されている。
「ちょっと色々あったんだよ。それよりまたチョコ買ったの? みんなからもらったチョコ消費しきれてないじゃん」
「理人。それ、バレンタインに溶かしたチョコの余り」
打ち上げは颯太の部屋で行われていた。部屋には机が学習机しかなかったから、菓子は畳に並べている。八畳の部屋に学習机しかないから部屋は広く感じられた。
扉は引き戸で障子もある部屋だ。床の間に掛け軸もあった。和の雰囲気が強く出されている。
「颯太の部屋ってなんもないよね」
「和室は空間美を表現するものらしいよ。だから物をあまり置かないようにしてる」
「理人、颯太。そんなことよりさあ、早く食べようぜ」
「そうだね。はい理人。ジュースだよ」
颯太が理人にオレンジジュースを渡した。そしてそのまま颯太が音頭を取る。
「それでは皆さん。戦後処理も無事終わりました。長ったらしい言葉は抜きにして、はい乾杯!」
「「乾杯」」
みんながジュースを飲み干す。
「はい、これ保険に作ったチョコ。みんなで食べよう」
颯太が袋に入った偽チョコをみんなに渡した。
「よく作ったよね」
理人が感心したようにチョコを袋から取り出す。その赤黒い色合いも『爆』という文字も完全に再現されていた。
「よく作れてるだろ。間違えて渡してしまわないように『爆』の文字を微妙にゆがめたんだぜ」
確かに細部が少しゆがんでいるがこれなら見間違っても不思議はない出来であった。
「すげー」
颯太と聖斗は鼻高々になっている。
「さあ、食べよう」
颯太がそういうとみんなが同時にチョコを口に含んだ。
「どうだ理人?」
「うん。うまい。この噛んだ口に溢れ出てくる液体まで再現してゴペッ‼ 何さこれめちゃくちゃかりゃいんだゃけど⁉」
見ると颯太と聖斗もむせこんでいる。
「いっ、いや、ゲホッ‼ ほんもみょにょをちゅいちゅーしゅしゅあみゃりブッペッ‼」
「にゃに言ってんにょ⁉」
聖斗と颯太は本物を追及するあまり、実際に ハバネロを練りこんでしまっていたようだった。
一同は水を求めてコップに手を伸ばすが、すでに空になっているのを思い出し急いでペットボトルの方に手を伸ばす。しかし、キャップがきちんとしまっていなかったようで、ボトルは倒れ畳の上にこぼれてしまった。
そんなことお構いなしに3人はジュースを注ごうとさらに手を伸ばし、誰が先に飲むかでもめる。その過程で菓子を散らかし、ジュースをこぼしと騒ぎが大きくなる。
阿鼻叫喚の地獄絵図が出来上がりつつあった。
理人は後悔する。
もし理人が偽ハバネロチョコ作りに参加していたら自分が食べることはなかっただろう。
涙がにじみ出ていた。