不法侵入(チョコレート戦争Ⅲ)
新井聖斗宅は北六丁目にある。落葉台で最も新しい地区である。そこから美月の彼氏の家は少し離れていて南3丁目にある。自転車で10分くらいかかった。
理人は自転車を飛ばし、住所地に向かう。
ここ落葉台は比較的新しい住宅街ということが関係しているのか、碁盤の目のような作りになっている。それが理由で丁区が違えば地元の人間でも迷うことがあった。
理人も例外ではなく過去に南3丁目で迷ったことがある。やっとのことで抜け出した時に見た夕暮れの空は忘れることができない。実際大通りに出ることができれば位置の把握は困難ではないが、幼少期の彼には大きな冒険譚だったのだ。
そんなところに向かおうというのだからある程度の計画は立てる。もっともそれは来た道順を覚えておくことだけであった。しかし小学生高学年になっても、いまだに地理を把握しきれていない理人には重要なことであった。
理人は南3丁目にある公園に向かう。これからの計画は公園に自転車を止め、美月の彼氏とやらの家を探すことだ。もちろん可能であれば忍び込むことも考えている。見つかれば美月の名前を出せばいい。
公園は住宅街にあるということもあって周りにあるのは家ばかりだ。なんとも閉塞感を与える立地となっている。
公園に着くと理人はその場で遊んでいた子供たちに声をかけられた。中にはクラスメイトもいるし他のクラスの友達もいる。いつも悪さをしている分、理人は学校中に知られているしみんな気さくに話しかけてくる。それらを「悠一たちとかくれんぼしてるから静かにしてね」と軽くあしらっておいた。もし本当に悠一たちいつものメンバーが来れば彼らは迷わず告げ口をするだろう。理人はそんな立ち位置である。
彼らは嬉々としてこの公園で悠一を待ち続けるのだ。しかし悠一たちは絶対にこの場所に来ない。これからすることは不法侵入も含まれるかもしれないからあまり人に見られたくなかった。公園にいた小学生たちはみんな自分たちの遊びに戻っていった。理人の後をついてくるものはいない。
公園を出て右に一度、左に一度曲がったところに立花という表札が出ていた。美月の彼氏の名は立花剛志という。黒い瓦に白い壁のどこにでもあるような家だ。しかしこの落葉台で同じ家は一つとしてなかった。それは土地開発が行われたときに一緒に住居も拵えられたわけではなく、各人がそれぞれに家を建てているからである。
理人はとりあえず家の前を歩き侵入できそうな場所を探す。背の高い金髪碧眼の外国人男性とすれ違った以外は特に人通りもなく、理人は堂々と立花家の敷地内に入った。そのまま正面にあった雨どいをつたいベランダに侵入する。手慣れた作業にはギフトを使っていた。
理人のギフトは『浮遊』の能力である。自分自身を宙に浮かすことはできないのだが、着用している衣服や靴を浮かすことはできる。それでも理人の全体重を支えることは到底できないが、ジャンプの補助に使うことはできた。自身のギフトを把握し、さらに工夫して使う小学生は中々いない。研鑽のたまものである。
理人はベランダに侵入すると手鏡で室内を確認し、人がいないことがわかると次はカギが掛かっているかどうかを確かめる。
窓のカギは想定とは違い開いていた。すべての窓を確認するつもりだったのであるが僥倖である。窓を静かに開き家の中への侵入が成功した。もちろん靴は脱いで揃えた。
一連の流れはデジカメの動画で撮影されている。あとで美月に見せるためだった。
室内には学習机とベッド、そして学生服があった。おそらく立花剛志その人の部屋であろう。であれば、本当についている。理人はほくそ笑みながら手袋をはめ、室内の探索にかかった。
室内を調べる前に一応室内のカギを掛けておく。足音もなく忍び寄られたらたまったものではない。鉢合わせを避けるためだ。この部屋のカギのタイプは硬貨を使えば外からでも簡単に開けられるものであったから、もしカギを掛けたまま逃走したとしても問題はないだろう。そう考えてのことだった。
室内にあった学生カバンを開け中から学生証を取り出す。確かに立花剛志と名前が書かれていた。丸坊主にしているから野球部なのだろうかと推測するが部屋に野球道具らしいものは見つからない。しかしこれで立花剛志が一旦学校から帰っていることが確定した。
そして理人は次に隣にあるもう一つの学生カバンに注目する。ほのかに香る香水の匂いはおそらくこのカバンが原因だ。中身をあさってみるが学生証らしいものは見つからなかった。代わりに教科書を確認する。しかしどの教科書にも名前は書かれておらず、次に筆箱を取った。それはピンクのもさもさしたクマのぬいぐるみのような筆箱だ。明らかに女物の筆箱である。中のペンも可愛らしいキャラクターの描かれたものが数個あった。
「グレーかな?」
理人はカメラに向かってつぶやく。
二人とも立花剛志の部屋にいないということはリビングにでもいるのだろうか。
問題はカギを開けてここから他の部屋も探索するかどうかである。
理人は物音を立てないように慎重に扉へ耳をあて、外の様子を探った。そしておそらく誰もいないことが確認できると、カギを開け扉を少し開けてみる。ドアの隙間からは別の部屋の入口が見えた。扉は閉まっている。ドアノブは銀に光っており、今いる扉の死角を映し出している。外に人がいないことを確認すると素早く部屋を出て音がしないように扉を閉めた。
理人は一階へと続く階段を見つけるとゆっくりと降りていく。2階には人の気配がなかったからもはや用済みだ。下手に時間をかけて見つかるのも嫌だったから、迷わず下階へと向かった。
一階へ降りると正面に玄関がある。乱雑に脱がれた運動靴と揃えられたローファーが置いてあった。先ほど疑問に思った野球道具は玄関にそろっていた。
階段を下りてすぐ右にある部屋からは話し声が聞こえる。ドアは開け放たれているから音はよく聞こえてきた。若い男女のものが二つ。間違いなかった。両親は仕事でいないのだろう。玄関の靴から把握する。
リビングをそっと覗くとダボダボのズボンに長袖のTシャツを着た男とセーラー服を着た女がケーキを作っている最中であった。机の上にはハッピーバースデイと書かれた小さな板チョコも作られてある。話の内容はどうやら美月の誕生日を祝わんとするもので「喜んでくれるかな?」「喜んでくれるだろ」なんて会話も聞こえてきた。
理人も察する。つまり美月のバースデイパーティーの打ち合わせでもしていたのだ。
そんな和やかな空気が流れていたのを見て一瞬気を緩めてしまった。
「あれ、そこ誰かいなかった?」
女の方が理人の影を見たのかそんな言葉を発する。
「家には誰もいないはずだけど……」
理人は飛び上がりそうになるのを抑え、音を立てずに一気に階段を駆け上がる。剛志の部屋に入り素早くドアを閉め、ベランダに出て靴を手に持つと隣の家々のベランダへと飛び移り離脱した。
理人は竹中颯太宅へ赴いた。目的は当然、素行調査の結果報告である。
「はやくね?」
板チョコを湯煎して溶かしていた聖斗は目を丸くしている。チョコはホワイトデーのために用意したが使い切らなかったものを利用していた。
理人は得意になって首にかけていたデジカメを揺らして見せる。
「この程度の任務朝飯前だね。いや、もはや朝飯前過ぎて夜飯だよ」
先ほど聖斗の家を出てまだ一時間半しかたっていない。早すぎるという言葉は決して過言ではない。
美月へ成果を伝えてもいいのだがまだチョコが完成していないからやめておく。万全を期すためだ。もしかしたら「これは証拠にならない」とごねられるかもしれない。
理人はデジカメの録画を再生し始めた。颯太と吉継も手を止めて覗き込んでいる。
画面の中の理人が雨どいを駆け上がったとこで歓声が起きた。
「理人、さすがだな」
「ホントだよね。あきとは犯罪者の鑑だよ」
「颯太。そんなに褒めても何も出ないよ」
「褒めてないよ」
理人はかたをすくめる。
「鍵が開いてたのがラッキーだったんだよ。ところでみっつんの誕生日って近いの?」
「一週間後だな」
その日、理人は自分の役目は終えたからと一人家に帰った。この時、颯太と聖斗を手伝って一緒に偽装チョコ作りにいそしんでいれば結末は違っていたかもしれなかった。誰も苦しまずに済んだかもしれなかった。
しかし、悔いても結果は変わらないのだ。