第五話 必要なもの
「……つまり、彩音ちゃんは昨晩ホームシックになってしまって、寂しさから斗真の部屋に来た。それで話をしているうちに寝てしまって、皆が起きる前に今さっき飛び出して行ったってことかな?」
「あ、ああ。そういうこと……になるかな。俺達は別に?兄妹なんだし、そういうのがあったって何にも問題ないだろ?」
「う~ん」
彩音が出て行った直後、その光景を守に見られてしまうという痛恨なミスをしてしまった斗真は、守を部屋の中に引き込んで事情説明をしていた。
守の話を聞いていれば、どうやら目撃されたいたのは彩音がバスローブ姿で斗真の所に駆け寄って来て、ドア付近で何かをした後に去って行くところで、その何かはドアに隠れてしまって守からは見ることが出来なかったらしい。といっても、本人の口から聞いたわけではないので、あくまで斗真の願望も多分に含まれているが。
守が何も見ていないことを祈りつつ、斗真は彩音との関係が進展した話はしていない。もしもみんなに話をするならば、彩音の許可も必要と思ったのが一つ。そしてもう一つは、守達に斗真と彩音の関係が兄妹を越えてしまったということを話したとして、受け入れてもらえるかどうかが分からなかったからだ。今のこの世界には信用できる人間は、一緒にこの世界へ来てしまった守達だけ。斗真はその仲間達から距離を置かれるのが怖かったのだ。確かにこれから別行動を取るため、一時は気まずさから逃げられるかもしれないが、無事に元の世界に帰ればお互いを避けることは難しい。紅葉に関して言えば、昔からの付き合いをパッタリ途絶えさせるなんてこと、出来る筈もなかった。
そんな理由から、斗真は無い頭を久々に使った結果、見られていないのなら誤魔化してしまえと、彩音があの格好で斗真の部屋に訪ねて来ていたことについては、家族の時間を取っていたのだと話を終えた所だった。
守は斗真の説明を聞いて、怪訝なそうな表情を浮かべながら斗真を見つめており、斗真は冷や汗をかきながら目を逸らして、どうにか今の説明で守が納得してくれることを祈っていた。思案顔の守と冷や汗の量が増す斗真の間でしばらくの沈黙が流れる。
「……斗真がそういうならそうなんだろうね。わかった。それじゃ、彩音ちゃんも恥ずかしがるだろうし、この事は見なかったことにしておくよ」
「そ、そうか。そうしてくれると助かる」
何とか誤魔化すことに成功したのか、守は斗真の言葉を聞いて笑みを浮かべると立ち上がった。
「それじゃ、朝食の時間だしそろそろ行こうか」
「お、おう、俺も準備を済ませてから直ぐに行く」
「うん。それじゃ、また後で」
守はそれだけ言い残すと斗真の部屋を出て行き、斗真は守が出て行った扉を見つめ、脱力したようにいつの間にか強張っていた体から力を抜いて、大きく溜息をついた。
自業自得ではあるものの、朝から異様に疲れた斗真は怠い体を引き摺って身支度を整えるのだった。
「遅いわよ、斗真。また寝過ごしたの?」
「ああ、悪い悪い」
既に食堂には斗真以外の全員が席に着いており、紅葉は遅れてやってきた斗真を痺れを切らしたような態度で迎える。軽く手を挙げて謝る斗真に、紅葉は軽い溜め息で早く座るように促し、斗真は苦笑いで席につく。
そこには当然ながら彩音の姿もあり、斗真がチラッと彩音に視線を向ければ丁度彩音も斗真のことを見ていたらしく、目が合った瞬間、二人は同時に目を逸らした。
そんな斗真と彩音のいつもと違う雰囲気に疑問符を浮かべる紅葉とさくら。事情を知っている守だけはそんな様子を微笑ましげに見つめていた。
「それじゃ、みんな集まった事だし、ご飯にしようか」
「え~と……うん。そうだね。それじゃ、いただきます」
守の違和感の無い音頭に、むしろ違和感を持ってしまったさくらが守へ視線を向けて首を傾げるが、少し視線を交わしただけで特に気にすることも無いかと、いつも通りの雰囲気でさくらが朝食に手を付け始める。それを見ていた斗真達もさくらに習って黙々と朝食に手を付け始めるが、どうにも今日の朝食の場は空気が重く、不自然なほどに会話が少なかった。
その原因は傍から見ていれば明らかであるので、紅葉は堪らずに斗真へ小さく声をかけた。
「ちょっと、斗真」
「ん?なんだ?」
隣に座る紅葉にわき腹を突かれた斗真は、口に運ぼうとしていたパンを宙で止めて視線だけ紅葉に向ける。そこには何かを訝しむような表情の紅葉がおり、斗真は何かやらかしてしまったのかと緊張が走る。
「彩音ちゃんと何かあったでしょ。さっきから彩音ちゃん、ロクに食事に手を付けないじゃない。しかも、斗真と目を合わせようともしないし」
「え?あ、ああ~。体調でも悪いのかもな。後でフォローしておくわ」
「はぁ?」
斗真の言葉に驚いた表情の紅葉。いつもなら、なんだと!?とか言って彩音に必死な顔して飛んでいくのに、今日の斗真はあっさりしすぎている。これは間違いなく何かあったと悟った紅葉は切り口を変えることにした。
視線を彩音に向けて様子を観察していると、斗真と目が合った瞬間に視線を逸らして何故か気まずそうな表情。確実に二人の間に何かあったことを理解した紅葉は彩音を気遣って声をかけることにする。
「彩音ちゃん、大丈夫?食事進んでないみたいだけど?」
「え?あ……は、はい。ちょっと今日は体調が優れないみたいで……食欲がないみたいです」
紅葉の言葉に困ったような表情で笑う彩音。いつもなら、無理しないでねと、一言声を掛けて無理をしないように様子を見守るのがいつもの紅葉のスタンスだが、今日はそこにもう一歩踏み込んでみた。
「ねぇ、もしかしてなんだけど……斗真と昨日の夜、何かあった?」
「いえ?特に何もありませんでしたが……私、何かおかしいでしょうか?」
「えっ?えっと、ううん。何もないならそれでいいんだ。ゴメンね、変なこと言って」
「いえ、気にしてませんから、お気になさらず」
紅葉の言葉に疑問符を浮かべるように首を傾げる彩音は何時もと変わらず、斗真と目が合ったときのような変に意識しているような雰囲気は皆無だった。そんな彩音の様子に何かあったと確信していた紅葉は戸惑うばかり。
状況を整理するために斗真と彩音の様子をもう一度離れて見ることにしたのだが、あまりにも斗真達二人に気を取られてしまっていたため、この場所に集まった理由が頭から完全に抜けていた。
「紅葉ちゃん、全然ご飯進んでないよ?どうかしたの?」
「……まさか私が心配されるとは思わなかったわ」
さくらに心配そうな表情で顔を覗き込まれた紅葉はガックリと肩を落として、今は食事に集中することにしたのだった。
朝食を取り終えた斗真達はそれぞれの部屋へと戻って斗真の部屋へ二十分後に集合という事になった。昨日のアリスから話があったこの世界で自由に生きるための手配やその他諸々の説明を受けるため、全員で一旦集合してからアリスの元へ向かおうという話になったためだ。
そんな中、斗真は自分の部屋に戻ってからものの数秒で部屋を出る。そして、隣の部屋の前に立つと、辺りを気にしながら静かに扉をノックした。
「はい。って兄さん!? えと、まだ時間は」
「悪いけど先に入れてくれるか? 他の人に見つかるとマズイ」
「わ、わかりました」
斗真がノックをした直後に出てきたのは彩音だった。まさか斗真がこの時間に来るとは思っていなかったのか、驚きながらも嬉しそうな表情でいると斗真の何か切羽詰ったような表情から直ぐに部屋に招き入れると扉をそっと閉める。
そして、部屋の中に入った斗真が何故このタイミングでここに来たのか分からなかったが、昨日の今日である。斗真がここに来た理由はきっと、二人きりの時間を少しだも取りたいという想いがあったからなのではと、まだ、思春期真っ只中の彩音は乙女チックな想像をしてしまい顔を赤らめて、恥ずかしげに次の行動を躊躇ってしまうのも無理のないこと。
「彩音」
「ひゃっ!? 兄さん?」
彩音が扉の前で小さくなっていると、いつの間にか目の前まで接近していた斗真が突然彩音の手を握り締めた。彩音は顔を瞬間沸騰させてビクッと身体を震わせると、真っ赤な顔を見られないようにと俯き気味でおずおずと斗真にその意図を尋ねるように手を軽く握り返してみた。すると、斗真も彩音の手を握り締めて反応を返してきて、彩音はそれだけでもう脈拍が加速度的に上昇していく。
「彩音、悪いけどもう時間が無いから」
「にい、さん……」
斗真の言葉に、そういえばこの後皆で集合しなくてはならないのだったと、ついさっきまで覚えていたことを忘れていた自分に心の中で苦笑い。しかし、そんなことは隅に置いて、今は斗真の二人きりの時間を……と思っていたのだが、急に手を引かれた彩音は体勢を崩しそうになりながらも一歩進んで何とか堪えると、その手は何故か扉の方へと向かう。
「え? に、兄さん?」
「今は黙って俺についてきてくれ」
完全に少ない時間で甘い時間を過ごすのだと思っていた彩音は呆けてしまい、斗真の手に引かれるがままに後を付いていく。彩音は斗真と進んでいく道を交互に見比べながら、火照った顔は冷めて行き、頭の中も冴え渡っていく。すると、斗真は皆が集まる前に何処へ向かおうというのか、これから何をしようというのかと徐々に不安が募っていく。
「兄さん!! あの、いい加減に事情を話してください。何処へ」
「静かに!!」
「っ!?」
何処へ向かっているのかと尋ねようとした矢先、突き当たりを曲がろうとした斗真が急に後ろを振り返り、彩音を壁に押し付けた。所謂壁ドンというやつ。不覚にも不意を突かれてしまった彩音は、落ち着いたはずの心臓をトクンと跳ねさせて顔を赤くしてしまう。そんな自分に、もう何をされても自分の兄から逃げることなんて出来ないんだなと悟ってしまった。
昔なら、幾ら兄のことが好きだと言っても叶うことの無い恋なのだと理解できていたため、こんなことをされようが少し嬉しいなという気分に浸るに留まっていた。だからこそ、元の世界で紅葉が斗真のことを気にかけてくれていることは凄く嬉しかったし、紅葉にならと言う思いもあったのだ。
しかし、昨日の夜、斗真の温もりを感じてからというもの、斗真が視界に入るだけでいつもの自分を見失ってしまう。朝食のときもそうだ。紅葉を誤魔化すのにどれだけ苦労したことか、目の前の兄はそんなことも分からないんだろうなと、そんなことを考えてしまう。きっと、必死にどこかへ向かっている今も彩音の想いには全然気付いていないのだろう。
そう考えるとなぜか心の奥で微妙な苛立ちを感じたため、少しだけ意趣返しとばかりに視線をあちこちに彷徨わせている斗真の頬に向かって自分の唇を軽く押し付けた。
「っ!? あ、彩音!?」
彩音の思っていた通り、他のことに集中していたらしい斗真はあからさまに驚いた表情を彩音に向ける。そこには子供らしく頬を赤く染めながらも、何故か目が離せないような大人の微笑を携える彩音の表情が斗真の視線を捉えて離さなかった。
「たったの一日で私のことを変えてしまった癖に、私の心を弄ぶ兄さんへの復讐です」
そう言って彩音は斗真の手を引いて先を促した。
「もう、何も聞きません。兄さんの好きにして下さい。私は何処まででも兄さんに付いて行きますから」
そう言った彩音は、今まで斗真が見たことも無いような凄く魅力的な表情で、視界には彩音の姿しか目に映らなかった。
全力で自分に信頼を置いてくれていると一目で分かるような瞳、全てを受け入れてくれるそんな柔らかい表情、今この瞬間が楽しいといわんばかりに今すぐにでも踊り出しそうな勢いで軽く歩みを進める華奢な身体。耳をくすぐる、聞きなれたはずの、だけど、初めて聞いたような甘い声色。彩音の全てが斗真を好きなのだと全身で表現しているような錯覚を覚えるほど、今の彩音は過去に見たことの無い美しく、可愛らしい、最高の女の子に見えた。
「さぁ、行きましょう、兄さん。何処まででも」
この瞬間、斗真は本当の意味で彩音に惚れた。いや、迷いが消えたというべきか。自分の実の妹に対して思うところはあった。それは、彩音と共に過ごした夜を経た今さっきの段階でも。
それでも、彩音が斗真のことを強く想っていることは知ったし、自分自身の想いにも気付けたのでそれ自体はなんら問題無い。だが、本当の意味で彩音のことを考えていたかと言われるとそれはどうだっただろうか。流されるまま、感情のままに動いていただけでは無かっただろうか。それに今この瞬間、斗真は気付いた。
だからこそ、今この瞬間に心に誓うことにした。彼女のためなら命さえ捨てて守り抜くと、何を捧げたって添い遂げてみせると、そして、世界で一番の幸せな女の子に自分の力でして見せるのだと。そんな誓いを胸に、斗真は強く頷き返した。
「ああ、行くぞ!!」
「盛り上がってる所悪いんだけど、一体僕達に隠れて何処へ行こうって言うのかな?」
「「……へ?」」
斗真の心が定まり、彩音と共に先へ進もうと一歩踏み出した瞬間に、背後から聞きなれた声が聞こえてくる。あまりの空気の読めなさに思わず変な声が漏れてしまった斗真と彩音。そして、その声の持ち主を探すまでもなく後ろを振り向けば、そこには気まずげな表情のさくらと、呆れた表情の紅葉、そして、声の持ち主である未だに笑顔を携えるイケメン、基、守の姿があった。
完全に勢いをそがれた形の斗真と彩音は、守達に視線を固定したまま固まったように動けなかった。
「それで、何処に向かおうとしていたのか、ちゃんと説明してくれるんだよね?」
「いや、それは……」
本日二回目のしくじりに言い訳の準備していない斗真は言いよどんでしまう。そんな斗真を庇おうとしたのか、彩音は斗真の手を軽く引いた。
「兄さん、本当のことを教えて下さい。私も兄さんのためなら」
「彩音……。いや、でも…………わかった。本当のことを話す」
彩音の言葉に斗真は頑なに首を横に振ろうとしたが、彩音のゆるぎない瞳に負け、結局頷くことにしたのだった。そうして、一旦行動を諦めた斗真は全員を引き連れて元々の集合場所である斗真の部屋に移動し、全員が部屋に入ったところで、斗真はこの世界に来てからの自分の考えを全員に本音で話し始める。
この世界に来た当初の考えは全員が同じ認識だった。元の世界に帰るためにはどうするべきかを考え、その答えを求めて行動する。そこは言動と考えが一致していたときのことだ。だが、その後でアリスの口から聞いたことは完全に斗真達全員の命を左右する重要事項。それに対して絶対に従うものかと思ったものだが、実際に帰る方法が見つかったというのにそれを放棄してこの世界で生きることをよして良いものか。それは斗真が時間をかけて悩んだことでもある。しかし、そんなことは斗真が再三アリスへ言っていた通り、命と比較など出来ないことだ。そう思い込むようにはしていたが、それでも、全員がいつ命を散らすかも分からないこの世界で、友達や家族といった大切な人が居ないこの世界で生きていくことは厳しいことであり、元の世界で暮らせるに越したことは無いのだ。
散々悩みぬいた結果、元の世界に全員で帰ることを決めた。だが、全員の命を賭けて元の世界へ帰るために旅をするのか。斗真にはそんな選択を全員に強要出来る程、強くはなかった。故に最初は一人で旅に出ようとしていたのだが、その矢先で先日彩音に考えがばれてしまい、彩音だけは一緒に連れて行くことにして、これ以上他の皆にばれることを恐れて本日行動を起した次第ということらしい。
以上が斗真の説明だが、まだ守達に話していないことはある。アリスとの夜の会話、そして彩音との関係。そこは、ぼかしても話せることは話したし理解してもらえる内容ではあったはずだと斗真は一安心。
対して、斗真以外の全員が頭を抱えていた。絶対の信頼を寄せて力になると言った彩音でさえも。
「……斗真。あんたのこと、馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたけど、救いようの無いくらい本物の大馬鹿だったのね」
「なっ!? 俺はお前達のことを思って」
「だとしてもそれはないよぉ~。第一にだよ?確かに元の世界に帰れるに越したことは無いけど、私達全員で命と比べたら帰れないのは仕方ないことだって納得したよね?」
「だからこそ」
「仮に斗真が一人で頑張って、無事に帰って来れたとしても、元の世界に帰れるようになったって言われて私達が喜んでそれを受け入れると思う?斗真一人に押し付けて私達は何もせずに平和に暮らして、その間、貴方は傷だらけで戦うことになるのよ?私達の気持ち、本当に真剣に考えたの?万が一、貴方が途中で死んじゃったら?私達は斗真が何処でどうやって死んだのかも分からないし、永遠にあなたが無事で返ってくることを祈ってろって言うの?」
「それは……」
「それに加えて、もし仮に斗真が今日彩音ちゃんを連れて旅に出て行ったとしよう。何処へ向かうつもりだったの?」
「と、とりあえず外へ」
「その後は? 町や集落、何でも良い。食料や水の確保はできる算段があったの?コロナクオーツの在り処は?武器も持たずに戦う術はある?」
「ぐっ……」
紅葉から始まり守まで斗真の考えを非難して質問攻めにする。しかも全員ふざけた要素は一切見せない。正論に告ぐ正論の嵐に斗真はこれ以上何も言う事ができず、自分でも無意識の内に彩音に視線を向けていた。
彩音は微笑を斗真に向けており、やはり彩音だけは味方だったと斗真が表情をほころばせようとした瞬間。
「何で最初に私に相談しなかったんですか?」
「あ、彩音さん?」
よくよく彩音の表情を見てみれば、ニッコリと笑ってはいるが、目が完全に笑っていない。直感的にマズイやつだと悟った斗真は見る見るうちに顔が青く染まっていく。
「旅に出るなんて聞いてませんでしたよ?確かに私も兄さんにどこまででも付いて行きますと言いました。ええ、兄さんになら何処まででも行きますとも。仮にそれが死に向かうだけの無謀な旅だとしても」
彩音の口が開いた途端、斗真の行動の愚直さに呆れや怒りといった感情を持て余していた守達だったが、それが何故かスッと引いていく。目の前に怒り心頭の、それはもう自分と比べ物にならない感情の矛が斗真の首先に突きつけられているシーンを目の当たりにしてしまうと人は何故か冷静になるらしい。守達もこの状況に心当たりがあったのでこれ以上は何も言わず、一歩だけ下がった。
「いや、そんなことは」
「そんなことはありませんでしたか?狩谷先輩も言ってましたよね?私達はこの世界のことを何も知らないんです。この世界で言えば身分証明書を手にした赤ちゃん同然の私達がどうやって生きていくんですか!?策も成しにこの場所を離れて人の命を簡単に奪っていく魔獣に立ち向かえるんですか!? 私達、狩谷先輩達が止めてくれなかったら目的を達成するどころかそれに辿り着く前に死んでしまっていたかもしれないんですよ!?」
「仰る通りです……」
いつの間にか彩音の前で正座をして縮こまる斗真。完全にお叱りモードに入った彩音の前では兄も形無しである。
「兄さんの決断を咎めるつもりはありません。それは皆を思っての行動だって分かるから。兄さんの優しさは誰より私が知っています。誰かのために身体を張れるし、足が竦みそうな場面でも誰より早く一歩を踏み出せる。変なところには敏感で本当に困っているとき、兄さんは直ぐに手を差し伸べてくれる。でも、そうやって自分のことを考えずに前だけ見て走ってく兄さんは、嫌いです!!」
「……すまん」
「毎回毎回、どれだけ心配していると思ってるんですか。いっつも先に走って行ってしまって、置いていかれる私の気持ち、少しは考えて下さい。少しは後ろも振り返って下さい……じゃないと、私……」
いつもならきつい言葉が最後まで斗真の心を抉るのだが、途端に萎んでいく言葉に斗真が初めて彩音の説教中に顔を上げると、そこには涙でくしゃくしゃに顔をゆがめた彩音の姿があった。そんな姿を見てしまった斗真はいつもの説教の何百倍も心を抉られた。
彩音を泣かせてしまった。家族であればそんなことは幾らでもある。喧嘩だってしたこともある。だが、こうして斗真のために流す涙は、過去に何度あっただろうか。愛する妹が、愛する女の子が目の前で斗真のために涙を流している。まだ、斗真の中で事実を隠して出て行くことについては整理が出来ていないが、ただ、自分の身勝手な行動で人がこれだけ悲しむのだという事は痛いほどに理解した。今までどれだけ影で彩音を泣かせてしまったのだろうかと思うと、胸が締め付けられるくらいに痛かった。きっと、彩音はこれ以上の痛みを感じ続けていたのだろう。
斗真はそっと立ち上がると、彩音の肩をゆっくり抱いて胸に引き寄せた。
「本当に悪かった。これからは彩音にちゃんと話すよ。もう勝手な行動はしない。約束する」
「……ぜったい、絶対ですよ?」
「ああ、絶対。約束だ」
そうして、斗真が旅に出る計画は中断。彩音が落ち着くのを待ってから予定通りアリスの元を訪れることを約束したのだった。
……すみません。冒険に出るはずが、まだ出れなかったです。m(__)m
次回こそは必ず!!




